嬉しい予感
ゴミ処理施設を見た後のわたし達は、ホテル周辺へと戻った。
ゴミ処理施設周りに遊べるような施設は何もない。まぁ、あんな惨状の施設を人目に触れさせたいと思う筈もないので、人が寄り付かないようにしているのは当然なんだけど……だけどホテルの建つ区画は違う。ホテルの敷地内にある大きなプールは勿論、他にも様々な観光施設があった。お土産屋は食べ物以外にもたくさんの、動物をモチーフにしたぬいぐるみとか、ガラス細工とか、様々なものが並べられている。なんとかエステとかいう美容関係のお店もあったし、『我が国の歴史』とかいうプロパガンダ満載な予感がする施設もあった。
あと、わたし達は誰もやろうとは言わなかったけど、大麻を吸えるお店も見付けた。この国で大麻の使用は合法なのだ。でも薬物関係の法律は確か ― 発覚・逮捕されるかどうかは別にして ― 国内外関係なく適応されるので、使ったら日本国内の法律違反。日本人であるわたし達はやっちゃダメです。
そんな感じで、よく言えばバリエーション豊かな、悪く言えば節操なく様々な施設が展開されている。外貨を得るのが目的だとすれば、成程、経営の多角化は合理的だ。人件費などで自国通貨の収支はマイナスになっても、外貨収支がプラスならあまり問題ないのだろう。
そう考えると複雑な気持ちだ。この国が軍事政権である事を知り、ゴミ処理施設の惨状を見た後では尚更。だけど人間というのは欲望に素直なものでもあり、一度楽しんでしまえば、次のハードルは低くなる。
純粋に、とまでは言えないけど……わたし達が本来の目的である観光を楽しむようになるまで、あまり時間は掛からなかった。
「キララぁ! 見て見てこの指輪! ちょー綺麗!」
例えば今、ルビィが装飾品店を楽しんでいるように。
まぁ、わたしはルビィほどは装飾品店を楽しんでいないのだけれど。それは楽しむ気分じゃないから、というネガティブな理由じゃなくて……以前零くんからもらった指輪が一番で、他があまり綺麗に見えないからなんだけど。
「う、うん。綺麗だね。ルビィによく似合いそう」
「……なんかノリが悪いわね。ひょっとしてアンタ、零からもらった指輪が一番だから他はどーでも良いとか思ってない?」
「そそそそそんな事なななないよよよ!?」
「分かりやす過ぎる……ちょっと零、アンタこの子にどんな指輪贈ったの!」
「そんな大したものじゃないよ。小さなエメラルドが付いたやつ」
わたしは咄嗟に隠そうとしたけど、零くんにそんなつもりは全くなくて。あっさりバラされてしまい、わたしは顔が熱くなるのを感じた。多分、今頃頬が真っ赤になってる。
ルビィは零くんの答えを聞いて、にやにやと笑う。わたしの肩をガッチリと組んで、逃がさないようにしてきた。間近に迫る顔の圧に負けて、つい、仰け反ってしまう。
「誕生石とか憎いわねぇ。それとも幸福になってほしいとか、そんな意味かしら? というか指輪もらったのにしてないのはなんで?」
「だ、だって、まだ結婚前なのに、左手の薬指に嵌めたら、なんか、恥ずかしくて」
「しかも婚約指輪かい! あれ、でもそれならダイヤが一般的……じゃないか、今時は」
「うん、そうみたいだね。それに零くん、こういうお約束、あまり気にしない人だから」
「つまり本心からアンタを思っての贈り物って訳ね。羨ましいわねこのこの~」
ルビィは指先でわたしの頬をつんつんしてくる。言葉責めと相まって、すごく恥ずかしい。
そんなルビィが次に視線を向けたのは、ずーっと黙っている磯矢くんの方。
「……私も、大事に想ってくれた結果なら、何を贈られても嬉しいんだけどなぁ」
それからぽつりと、わたしにしか聞こえないような小声で呟く。
無言を貫く磯矢くんは、凄く真剣な顔をしていた。血眼になる、とはああいう顔の事を言うのだろう。あの目で睨まれたら、わたしなんて多分身動きが取れなくなる。つまりかなり怖い。
そして彼の視線の先にあるのは、何種類か並んでいるダイヤの指輪。
……多分買う事そのものには迷いがなくて、どれを贈ろうか迷っているのだろう。『一生物』になる予定の品物だから。ルビィとしてはどれが欲しいという事はなく、気持ちのこもったものが嬉しい訳だけど、アレが彼なりの気持ちの込め方なら止める訳にもいかない。
「『お客様、お決まりになりましたか?』」
ただ悩んでいるのは傍目にも分かったようで、磯矢くんは店員さんに英語で話し掛けられた。ハッと顔を上げた彼は、次いでわたふたする。磯矢くんは英語が苦手なのだ。
「やれやれ、仕方ない。ちょっと助け船を出そうかな」
見かねた零くんが通訳を申し出る。彼は「長くなりそうだし一時間ぐらい二人で楽しんできてよ」と言いながらわたしの方を見てきたので、わたしはこくんと頷いた。
あまり長々と考えているところを見られたくないという、男の子の意地なんだろう。
「ルビィ、ちょっと他のお店回ろうか」
「ん? ……そうね、そうさせてもらいましょ。期待してるわよぉ?」
わざとらしくルビィが声を掛ければ、磯矢くんの背中がビクリと震えた。さて、一時間でちゃんと選べるのかな? まぁ、零くんと一緒なら大丈夫。多分。
わたしはルビィと共にお店の外へと出る。
午後三時ぐらいのまだまだ明るい時間帯、装飾品店が面している通りにはたくさんの人が行き交っていた。黒人も白人も黄色人種も居て、顔立ちはヨーロッパ系のやアラブ系が多いものの千差万別。世界中から観光客が来ていると窺い知れる。
ずらりと隙間なく並んでいるお店はどれも綺麗で、ここ数年で建てられたものみたいだ。制服姿で道の端に立っていたり巡回していたりする黒人は、この国の警察官だろう。彼等がこの辺りの治安を守っているに違いない。
大変賑やかな真新しい観光街で、治安維持も万全。とはいえ異国の地を女二人で無防備に歩き回れば、獲物を探している犯罪者の目に留まってしまうかも知れない。この国にとって観光は外貨獲得のための重要産業なので、観光客が被害に遭えばイメージ回復のため全力で捜査すると思うけど……万が一にも拉致とかされたら捜査されても色々手遅れだし。
あまり遠出はせず、出来るだけこの装飾品店近くの、それこそ装飾品店が見える位置のお店で時間を潰したいのだけれど……
「まぁ、時間を潰すなら喫茶店よね。あそことかそうなんじゃない?」
迷いながら辺りを見回していたところ、ルビィがある場所を指差しながらそう語る。
彼女の示す先を見れば、真っ黒な壁の小さなお店があった。道路側にある大きな窓から様子を伺うに、あまり混雑していない。そして店の入口の上にある看板には、英語で『喫茶クリトルリトル』と書かれていた。
……名前に物凄く不安を覚える。
「どうなの? あのお店、喫茶店じゃないの?」
「え? あ、えと、喫茶店ではあるみたいだけど、でも」
「なんだ、それなら早く行きましょ。お店の前でたむろしていたら男子達もやり難いでしょうし」
だけど確たる不安でもないので迷っていたら、ルビィが先に動き出してしまった。わたしは後を追う形で、ルビィと共に喫茶店の中へと入り――――
「『いらっしゃいませ!』」
元気な英語で出迎えられた。
店の奥からやってきたのは若い黒人の店員さん。笑顔が眩く、一目で良い人だと思わせる魅力がある。スタイルも良くて、あまりの美人ぶりに一瞬驚いてしまった。
店内に他の従業員の ― ついでにお客さんも ― 姿はなく、この店員さんが一人でお店を切り盛りしているのだろうか。店内に置かれている席の数も少なく、十人も入れば満員になりそう。こじんまりとしているけど、その分目は行き届いているようで、席や机はとても綺麗だ。店内を漂うコーヒーの香りも良くて、良いお店に当たったという期待をさせてくれる。
うん、普通の、普通以上の喫茶店だ。
お店の奥にずらりと並ぶ、名状し難きぬいぐるみや彫刻を除けば。ゾンビとか骸骨はまだマシで、内臓をひっくり返したような物体はどう考えても飲食店に配置するデザインじゃない。
「『人数は二人でよろしいですか?』」
「え? あ、えと、『はい。二人です』」
「『畏まりました。ご希望の席はありますか?』」
「えっと……『窓際でお願いします』」
嫌な予感がしつつ、しかし店員から英語で尋ねられた際、思わずYesと答えてしまう。答えた手前今更あーだこーだと言い辛く、装飾品店の様子が窺える窓際席を希望した。
店員さんに案内され、窓際の二人席に案内される。店員さんはわたし達にメニューを手渡すと、決まったら呼んでくださいと伝えてカウンターの方に戻った。ちなみに案内された席には、タコとコウモリが合体したかのような不気味な小物が置かれている。
「やーん、これキモ可愛いー♪」
……キモいは兎も角、可愛いのかな、これ。正気度削られそうなんだけど。
「店員さんの趣味、なのかな。独特だよね」
「写真撮って良いかな。メニュー決まった時一緒に訊いてくれない?」
「ん、分かった」
ここで勝手に撮らず、訊いてみるのがルビィの真面目なところ。わいわい話ながらコーヒーとスイーツを決めて、店員さんを声で呼んだ。
わたし達を出迎えてくれた店員さんがカウンターの奥から出てきて、注文を記録するための器機を片手に持ちこちらにやってくる。
注文を口頭で伝え、それからルビィに頼まれていた事を訊いた。
「『すみません。友達がこの置物を撮りたいようなのですが、よろしいでしょうか?』」
「『はい! 構いませんよ』」
「『ありがとうございます……好きなのですか? その、こういうオカルト系のものが』」
「『ええ、とっても!』」
何気なく店内のインテリアについて尋ねてみると、店員さんは元気よく肯定した。これだけ堂々と飾っているのだから隠しはしないだろうけど、とても大きな声だったので少し驚く。
「『昔からオカルトや怪談が好きで……この喫茶店も、たくさんの人にオカルトに触れてほしくてやってます』」
「『そう、なのですか』」
「『ええ。そうそう、オカルトと言えば最近、この辺りにはこわーい話がありますよ』」
「『怖い話?』」
「『はい。なんでも月のない夜、海辺に行くとですね、海から人の形をした怪物が現れるという噂です』」
店員さんは興が乗ってきたのか、すらすらと話し始めた。
その噂はここ一年ほどで囁かれ始めたもの。要約すると海から怪人が現れ、ゴミ箱を漁っていた、人が襲われた、車が壊された……という被害が出ているそうだ。それは単なる見間違いなどではなく、通報もかなり増えていて、急増した被害・通報に対処すべく警察官の警邏が強化されたらしい。だけど今も被害は減らず、むしろ増加傾向にあるとかなんとか。
……なんて言ってるけど、割と怪談のお約束っぽいと思う。今も被害が出ている~とかいうのは、結構本気で調べないと分からない事なので、バレない、というか嘘だと証明し難い話。オカルト話でそれを真面目にやるのも無粋だし。
「『あっ、すみません。長話してしまいましたね。すぐ、ご注文の品をお持ちします』」
話が一区切り付いたところで、店員さんは慌てて謝ってくる。わたしは特に気にしてなかったのだけど、店員さんは早足でカウンターに戻ってしまう。
……まぁ、真面目に考えるなら、夜不用意に出掛けるなって感じの言い付けなのかな?
「随分長く話していたね」
「え。あ、うん。えっと、この辺りの怪談話を教えてくれたの。海からお化けが出てきて、人を襲うらしいよ?」
「おー、現地のオカルトだぁ。あ、この置物の写真は平気?」
「うん、良いって」
「やったー」
店員さんからの了承を伝えると、ルビィは早速スマホで置物の写真を撮り始める。余程このキモ、可愛いオブジェが気に入ったらしい。
それはそれとして。
「磯矢くん、どんな指輪買ってくれるんだろうね?」
窓から装飾品店を眺めながら、ルビィに尋ねてみる。
写真を撮っていたルビィの手が止まり、ふぅ、と小さな息を吐く。それからわたしと同じく窓から装飾品店の方を見た。
次いでルビィが浮かべたのは、なんとも清々しい笑み。
「無骨で可愛げがなくて、シンプルな奴ね。アイツはそーいうの全然分かってないから」
それから心底嬉しそうに、そして自信満々に、ルビィは断言するのだった。
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