楽しいホテル

 正直に言うなら、ちょっとだけ不安だった。

 偏見だとか差別だとか、そう言われたら反論出来ない偏った考えだけど……いくら経済発展著しいとはいえ、五年前まで内戦が勃発していた土地である。ワガママを言うつもりはないけど、泊まる場所は本当に清潔で綺麗なのかな――――なんて思っていた。

 ああ、全くなんて馬鹿な思い込みをしていたのだろう。

 真新しいコンクリートで舗装された、立派な道。道の両脇に立つのは元気なヤシの木数十本。降り注ぐ太陽の光はとても強くて、だけど吹き付ける潮風は涼しく、南国のような心地良さがある。

 その南国風の道の先にあるのは、海沿いに作られた大きなプール。何十、ううん、何百もの人がプールで遊んでいて、だけど窮屈そうにはしていない。市民プールとは比較にならない広さだ。種類もいくつかあるようで、所謂流れるプールとか、飛び込み台のあるやつとか、子供が遊べる浅いものとか……プールそのものが嫌いじゃない限り、どれかは楽しると思わせるぐらいバリエーション豊か。プールの周りには柵が建てられ、その柵すらなんだかお洒落に見えるぐらい綺麗な状態が保たれていた。

 そしてプールのすぐ隣には、大きな建物が建っている。わたし達が通ってる大学の校舎ぐらい大きくて、白い外壁が太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。周りにはヤシや大きな植物が植えられ、常夏感が凄い。周りにはゴミ一つ落ちていなくて、出入口の石段すら傷一つなかった。日本でもここまで綺麗な宿泊施設は、開業したてのものか高級ホテルぐらいだろう。

 予想外だった。或いはわたしの用意したハードルが低過ぎただけかもだけど、でもわたしの隣に居るルビィと磯矢くんも驚いているから、わたしだけがそうした考えを持っていた訳じゃない筈。

 本当に予想外だ……先日零くんが予約したアフリカ新興国のホテルが、ここまで綺麗な場所だったなんて。

「四人分の予約が取れて良かったよ。安くて綺麗でサービスも良いって評判だったからね」

 零くんは心底安堵したように、驚くわたし達にそう話す。ボクのお陰だ、みたいに自慢する感じは一切ない。彼は基本的に『誇る』という事をしないタイプだ。

 勿論彼が誇らなくても、わたしはこのホテルを見付けた零くんは凄いと思う。磯矢くんとルビィも同じだ。

「おいおい、すげぇな! まさかこんな豪華なホテルだなんて!」

「うん! 私、正直田舎の民宿みたいなものならまだマシかななんて思ってたもん!」

「いやいや、それはアフリカを馬鹿にし過ぎだよ。基本的にどれだけ貧しい国でも、首都は立派なものだからね。先進国並みと言っても良い」

「へぇー、首都は立派なんだ……でも、ならなんで毎年食糧が足りないって話になるのかしら? こんなに立派な建物を作れるお金で、ちゃんと食糧を買えば良いのに」

「うーん、本格的に説明しようとすると長くなるけど……」

「掻い摘まんで話して。零が長くなるって言った話は、アンタの彼女以外耐えられなくて寝るレベルだから」

 零くんの前置きに、ルビィはわたしの方を見てにやにやしながらそう答える。なんだかそれが酷く恥ずかしくて、頬がじわりと熱くなった。

 零くんもルビィの反応で、話を短くしようとしているらしい。少し考え込んでから、ルビィの疑問に答える。

「簡単に言えば、どの国も首都以外あまり興味がないんだ。原因は色々あるけど、一つ大きなものを挙げるなら徴税かな。多くのアフリカ諸国では徴税能力が低い所為で農民から税金を得られず、その結果農民が国家運営に殆ど関わらないんだ。どれだけ農民が飢えても政府機能に問題は出ないから、彼等の生活保護なども行われないという訳。国民の大半は農民なのにね」

「うわ……税金が取れないから飢えても良いなんて、酷くない? 国がそんなので良いの?」

「良くはない、とボクは思う。でもこれは誰もが税金を払い、農村でも十分な徴税が行える日本国民からの物言いだ。徴税能力がないというのは、国にとっても国民にとっても不幸な事なんだよ」

 ルビィの疑問に、零くんはさらりと答える。だけどその表情は何処か悲しそうな、少なくとも楽しそうな感じはしないもの。

「……ま、この話はここまでにしよう! それよりチェックインを早めに済まして、この重たい荷物を部屋に置いてしまおう」

 あまり話を続けたくないようで、零くんは見せ付けるように肩から下げた大きなバッグを揺さぶった。

 確かに、わたし達全員が今は重たい荷物を持っている状態だ。二泊三日の旅行だから着替えだけでもそれなりの量だし、女子であるわたしとルビィは質素だけど化粧品とか生理用品も持ってきている。それに ― アフリカとか関係なく何処の国でもあるけど ― ひったくりとかに襲われて、パスポートなどの貴重品をなくしたら本当に大惨事だ。

 貴重品以外の荷物は早く部屋に置き、身軽かつ守りやすい状態で観光を楽しみたい。

「……うん、そうだね。早く行こうか!」

 わたしは零くんの意見に賛同し、磯矢くんとルビィも頷く。

 わたし達は揃って、プールの隣にあるホテルへと向かうのだった。

 ……………

 ………

 …

 ……別にね、良いんですよ?

 そりゃね、わたしと零くんは年頃の男女ですから? 旅行という良い感じにムードが高まってる状態で同じ部屋にいたら色々ね? あるかもだし? そーいう事をするのが目的の場所なら兎も角一般のホテルでそれやるのはちょっとアレだとは思うよ? 避けるべきだとは思うよ?

 でもわたしは年頃な女の子な訳で。彼氏と一緒の旅行なら、そりゃ色々期待しちゃう訳で。

「アンタ、私と相部屋なのそんなに嫌な訳?」

 そんな感じでいじけていたら、ルビィがわたしをおちょくってきた。

 如何にも怒ってそうな物言いだけど、でもその顔にはニヤニヤとした笑みが浮かんでいた。絶対怒ってない。むしろ楽しんでる。

 わたしはベッドの上で体育座りをしたまま、ぷくりと頬を膨らませた。

「……うん、嫌」

「なんとまぁ、素直な事で。昔のアンタは彼氏と手も繋げないような子だったのに、今じゃあ男との寝泊まりに抵抗ないどころか好き好んでするなんて。かーちゃんは悲しいわ」

「つーん」

「ありゃ、こりゃ重傷だ。まぁ、気持ちは分からないでもないけどさ。私もいっくんと一緒の部屋の方が良いし」

 呆れたようにルビィは肩を竦めた後、拗ねるわたしのすぐ隣に座ってくる。それからぐるりと、わざとらしく部屋を一望してみせた。

 わたし達は今、宿泊先のホテルの部屋に居る。

 とても綺麗な部屋で、広さもわたしが一人暮らししているアパートの部屋より大きいぐらい。大きくてふかふかとしたベッドが二つもあり、シャワールームも完備している。テレビは……よく見たら日本製だ。

 部屋にはベランダまで付いていて、窓を開ければ青くて綺麗な大海原が見渡せる。磯風が吹き付けて、とても気持ちいい。クーラーも設置されているので、夜も快適に過ごせそうだ。

 で、わたし達四人組が借りたのはこのタイプの部屋を二つ。この部屋に泊まるのはわたしとルビィの二人。

 部屋は、男女別だった。

「でも仕方ないんじゃない? 零の奴言ってたでしょ。ここは一応イスラム圏で、婚姻前の男女が同じ部屋に泊まるのはあまり好ましく思われないって。そこまで厳しい訳じゃないらしいけど、異国の地でのトラブルは可能な限り避けるべきでしょ?」

「……結婚の約束してるもん。実質夫婦だもん」

「え、何これ惚気? 私今惚気られてるの?」

 わたしの苛立ちは惚気と受け取られてしまい、それがますますイラッとくる。

 そうして苛々してると、何故かルビィは急ににやっと笑みを浮かべた。悪巧みをしているような、或いは面白いオモチャを見付けたような……

「時にアンタ、零とは何処まで進んだの?」

 どうやら後者のようである。

 そしてオモチャとは、わたしの事のようだった。

「……え、ど、何処までって……」

「結婚の約束はしたんでしょ? 実質夫婦なんでしょ? ほれ、何処までいったの? ABCでお答えなさい」

「答え方古くない? それもう五十年前の用語だよ?」

「知ってるアンタも大概でしょ。ほれ、答えろ答えろー。夫婦なんだからCまでいってるんでしょー?」

 ガッチリと肩を組みながら問い詰めてくるルビィ。答えるまで離すつもりはないのだろう。

 でも、どうしよう。

 正直に答えるのは恥ずかしい。だけどルビィに 。

 だから思わず黙ってしまったら、悪ふざけ全開だったルビィが急に真顔になった。あれ? と思いながら見ていると、組んでいた肩を離し、わなわなと震える。

「……え、マジ? マジなの?」

 それから、主語も何もない問いをぶつけてきた。

 主語も何もないけど、何を訊きたいかはなんとなく分かる。そして嘘を吐きたくないわたしは、熱くなっている顔をこくりと頷かせた。

 するとルビィはすくっと立ち上がる。

「ちょっと零の奴ぶん殴ってくるわ。足腰立たなくなるまで」

 次いで、ルビィはまるでお父さんみたいな事を言い出した。

「ええええええっ!? な、なな、なんで!?」

「うちの子を傷物にしたのよ!? 鉄拳の十発二十発ぐらい喰らわせなきゃ気が済まないし、この程度の拳に耐えられないような男にキララを任せるなんて出来ないわ!」

「傷物って言わないで恥ずかしいから! あとそれうちに零くんが来て、結婚の話を聞かされた時のお父さんと同じ反応だから!?」

「あ、親御さんはもうご承認済み?」

「え。あ、うん。零くん、二年ぐらい前からこつこつ説得して、今年ようやく……零くんの進路に納得してくれたみたいで」

「二年前ってアンタ達付き合い始めたばかりの頃じゃない」

「零くん、最初からそのつもりでわたしと付き合っていたから……」

 どうにかルビィを宥めて、興奮する彼女をもう一度座らせる。

 座ったルビィはもうすっかり落ち着いていて、大きなため息を漏らした。

「はぁぁー……まさかアンタ達がそこまで進んでいるなんて……」

「あ、あまり、進んでる進んでる言わないでよ……恥ずかしい……」

「まぁ、零ならアンタを任せても良いけどさ。でも良いなぁ、もう結婚を考えてるなんて……学生結婚はしないの? 零とアンタ、大学院に進学よね?」

「うん。大学院卒業までは、しないつもり。ちゃんと就職してからにしようって話してるし」

「まっじめぇ~……はぁ」

 わたし達の関係に感嘆する度、ルビィは大きなため息を吐く。

 それがなんとなく、わたし達を羨ましく思ってるように見えて。

「……ルビィはどうなの? 磯矢くんとは」

 思いきって、尋ねてみる。

 ルビィはふんっと鼻を鳴らした。不満そうな鼻息。だけど、不快という感じはなかった。

「真面目、誠実、優しい。就職先も決まった。うちの両親との仲も良い。多分、ううん、間違いなく近々結婚してくれって言ってくれる。私はそれにOKを出す」

「うん、良かったね」

「でもアイツは、結婚するまで絶対手を出さない。何があってもキス止まり。一回軽く誘ってみたら、真面目に説教された。凄く嬉しかったけど、なんか、もどかしいし、不安になる」

 正直な気持ちを語りながらルビィは俯き、目を伏せてしまう。言葉に出してはいないけど、そう思ってしまう自分が嫌なのだろう。

 それが凄くルビィらしくて、思わず笑みが零れた。わたしが微笑んだ事に気付いたルビィは、ぷくりと頬を膨らませる。

「ちょっと、なんで笑うのよ。こっちは真面目に話してるのに!」

「あはは。だって、なんか……可愛くて」

「むぅー……」

 わたしが正直に答えれば、ルビィはそっぽを向いて拗ねる。

 気付けば先程と立場が逆転していた。

 それが滑稽に思えて、口から笑い声が漏れ出る。ルビィも最初は唇を尖らせていたけど、しばらくして大声で笑う。

「おーい、なんか知らんが随分楽しそうにしてるなー」

「何かあったのかい?」

 そうして笑い合っていると、部屋の外からノックと共に、無粋な男子達の声が聞こえてきた。鍵の掛かっているドアは閉まったまま。そこそこ大きな声でこちらに呼び掛けている筈だ。

 部屋の壁にある時計を見ると、部屋に着いてからもう二十分ほど経っている。この後すぐ観光に行くという話をしていたのにわたし達が中々部屋から出てこないので、こうして迎えに来たのだろう。

 わたしとルビィは互いに顔を見合わせ、にこりと微笑む。わたし達は同時に立ち上がり、揃ってドアを開けに向かった。

 開いたドアの前には、零くんと磯矢くんの姿がある。待ちぼうけを食らっていたであろう二人に、わたし達はずずいと歩み寄った。

「もぉー、急かさないでよ男子ぃ。女の子の準備には時間が掛かるんだぞ?」

「そーだよー」

「お、おう? なんか、随分仲良しな感じになってるな?」

「そうだね。何かあったのかい?」

「えへへ。秘密です」

 零くんからの質問をはぐらかし、わたしとルビィはもう一度顔を合わせ、笑い合う。男子二人はますます訳が分からないとばかりに、揃って肩を竦めた。

 そんな笑いと困惑の中、ふとルビィが何かを思い出したように目をパチリと開く。それから零くんを見つめながら、ちょいちょいと手招き。

「あ、そうそう零。ちょっとこっちに来て」

「ん? なんだい?」

 ルビィに呼ばれ、零くんは言われるがまま歩み寄った

「ふんっ!」

「ぶげっ!?」

 瞬間、ルビィの鉄拳が零くんの顔面を直撃。突然の事に守りを固める暇すらなかった零くんは、アニメでしか聞いた事がないような呻きを上げてバタリと廊下に倒れる。磯矢くんは目を丸くしながらカチンと固まり、ルビィは満足げな鼻息を吐く。

 ――――ああ、そういえば鉄拳喰らわせるって言ってたね。

 一発で倒れたまま動かなくなる零くんを見て、あと九~十九発も耐えられるとはとてもじゃないが思えなかった。

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