穢れた生命

彼岸花

驚きの旅行計画

 二十二歳というまだまだ若輩者の身で語るのはおこがましいと思うのだけれど、四年間の大学生活はわたしにとって一番幸せな時期だった。

 何しろ小学校から高校卒業まで、わたしは虐めを受けていたのだから。深奈川みながわ綺羅々きららという名前の所為で。所為で、というと両親が悪いみたいな感じに取られそうだけど、それは違って、わたしが『綺羅々』という煌びやかな名前と違い根暗で陰鬱な性格だから、そうなっただけ。容姿だって自分でも思うぐらい、昔のホラー映画に出てくる『貞子』ってお化けに似てるし。あと小学校で虐めてきた子が、高校まで一緒だったというのもある。

 だけど大学でその子と別の進路になってから、わたしの生活は一変した。虐めはなくなったし、友達も出来たし……あと……か、彼氏も出来たし……

 学業が学生の本分で、遊んでばかりじゃ駄目だと思うけど、みんなと遊ぶ時は本当に楽しかった。このままずっとこの時間が続いたら良いとも思う。

 勿論そういう訳にはいかない。大学は何時か卒業するものだ。そして卒業後の進路はみんなバラバラ。時間を合わせるのも大変になって、そう簡単には全員集合なんて出来ないだろう。凄く寂しくなる。彼氏や友達も、多分、同じ気持ちだ。

 だから、なのかも知れない。

「みんなでアフリカ旅行に行ってみないかい?」

 わたしの『彼氏』が、唐突にそんな提案をしてきたのは。

 お昼休みの時間帯、たくさんの学生で賑わう大学の食堂の一角で、わたしの彼氏である矢沢やざわれいくんはそう言った。わたしと、そして一緒の席でお昼を食べていた友達二人は、彼の発言で目をパチクリさせてしまう。

 零くんは、凄く整った顔をした男子だ。わたしと同い年の二十二歳だけど、もっと若そうな……高校生ぐらいに見える童顔をしている。だけど背は高くて、細身で、目付きがちょっと鋭いところも格好良くて、容姿はアイドルとかモデルみたい。すごく頭も良くて、試験では何時も学年トップ。それにわたしの事を大事にしてくれて、だけど時々情熱的で、付き合っていて何時もドキドキさせてくれる。

 ……そういう良いところと同じぐらい変な人でもあるんだけど。例えばわたしの何処が好きなのかと聞いて「顔と性格、家事と料理が上手いところ、あと身体付き」と臆面もなく語るぐらいデリカシーがない。あと話がちょっと、いや、かなり長い。それと日常生活が全然駄目で部屋が汚い。告白してきた翌日に、いきなり結婚後の生活についてプランを練ってきたとか言うし……それをされて嬉しいと思う辺り、わたしも大概なんだろうけど。

 そんな彼は割とよく、突然変な事を言い出す。初デートに誘われた場所が、五十年間放置された針葉樹林の環境調査だった事は今でも忘れない。最初は色々驚いたし戸惑ったけど、今ではそれなりに慣れてしまった。次は何処に行くのかなと、素で楽しみになっている。いきなりアフリカに行こうと言われても、あまり大きな衝撃とか疑問は湧かなかった。

「いや、なんでまた急にアフリカな訳?」

 なのでわたしはのんびりとしていたところ、同席していた友達の一人である千原ちはら瑠美るびぃがツッコミを入れた。

 ルビィはこの大学で出来た、わたしにとって一番の友達だ。栗色の綺麗な髪をポニーテールに束ね、しっかりとお化粧をし、爪のお手入れを毎日やって……あまりお洒落が得意じゃないわたしと違って、全力で『女の子』をやっている。ルビィという名前に負けないぐらい可愛い子だ。胸も、わたしとは比べようもないぐらい大きいし。

 だけど守られるお姫様というタイプでもなくて、気に入らない事にはちゃんと自分の意見を言える強い子でもある。

「卒業旅行って事か? まぁ、何処かに行くのは賛成だが……わざわざ海外じゃなくて、国内で良くないか?」

 ルビィに次いで意見を出したのは、ルビィの隣の席に座っていた、ルビィの彼氏……山本やまもと磯矢いそやくん。

 磯矢くんは零くんとは真逆のタイプ。ガッチリとした体躯をしていて、長袖長ズボンの上からでも筋肉質な身体付きが分かるぐらい鍛え上げられた肉体をしている。顔付きも、モデルさんというより若い職人さんみたいな感じ。

 見た目だけだとすごく女の子をしているルビィの彼氏とは ― 失礼な言い方だけど ― 思えないけど、間違いなく二人はラブラブカップルだ。告白したのはルビィの方からで、『優しい』から好きになったらしい。やっぱりルビィはすごく女の子をしていると思う。

 ……それは兎も角として。磯矢くんの疑問は尤もなものだ。これが卒業旅行のつもりで言っているのなら、わざわざアフリカに行く必要なんてない。沖縄とか、北海道とか、国内だけでも色々良い旅行地はあるのだから。

 訊かれた零くんはにこりと笑う。多くの女の子をときめかせた笑顔。だけど零くんがその笑顔を浮かべる時は、大抵常識に縛られない事を言い出す時だ。

「ふふふ、心配する事はないよ。既に二人部屋を二つ、合計四人分のホテルを現地に予約済みだからね」

「いやなんで了承得る前に予約済みなんだよ!? 何が心配ないんだよ!?」

「話したら断られるかもと思って」

「断られる前提!? 私達何処に連れていかれるのよ!?」

「……零くん。もうちょっと、ちゃんと説明して。まず、なんでアフリカなの?」

 中々埒の開かない問答を続ける零くんに、『彼女』として尋ねる。零くんは肩を竦めると、諦めたようにようやく説明を始めてくれた。

「うん、ぶっちゃけボクが行きたいからだよ。あと滞在費が安い。飛行機代はまぁまぁ掛かるけど、トータルで見れば他の国に行くのと大差ないんじゃないかな」

「……そういう事なら、良いけどな。卒業旅行自体は行きたいって考えていたけど、何処に行くかまでは考えていなかったし」

「だけどアフリカって、その、大丈夫なの? あまり治安とか良くないんじゃ……」

「そこは心配ないと思うよ。行きたいのはログフラ共和国だからね」

「ログフラ共和国?」

 ルビィが首を傾げながら尋ねた国名。わたしはその名前にちょっとだけ覚えがあった。

 確か、十年ほど前に独立したアフリカ沿岸部の小さな国。

 軍事政権ではあるけれど、経済政策をしっかりとやっていて、それなりに豊かな国らしい。外国のメディアや旅行者もよく訪れ、ネットの使用なども自由。アフリカで今最も急成長を遂げている国だという話だ。

 五年ぐらい前までは紛争も戦争もしていて危ない国だったみたいだけど、今は割と有名なリゾート地になってるとかなんとか。昔はイギリスの植民地だったから英語が通じるというのも、ヨーロッパ圏の観光客を誘致するのに好都合らしい。

 ……一週間ぐらい前に零くんの家に遊びに行った時、山積みにされていたログフラ共和国の関連本をなんとなく読んで学んだ、うろ覚え知識。こんな事ならもっとちゃんと読んどくべきだったかな。というか一週間前から行きたがってたんだね。

「まぁ、みんなが行きたくないと言うなら構わないよ。どうする?」

 ルビィ達にもわたしが思い返していたのとほぼ同じ内容の説明をした零くんは、改めてみんなに尋ねる。

 ルビィは少し考え込み、それからちらりと磯矢くんの方を見た。磯矢くんも考え込んでいて、しばらくしてからこくりと頷く。

「良し、俺は賛成しよう。折角の卒業旅行だし、海外というのも悪くない。安全だというなら、アフリカを特別避ける理由はないからな」

「いっくんがそう言うなら、私も良いよ」

 磯矢くんが答えて、ルビィも答える。

 そうして最後まで返事をしなかったわたしに、三人分の視線が向いた。

 ……まぁ、零くんが大丈夫だって言うのなら、きっと大丈夫なんだろう。そういう事はちゃんと調べるどころか、むしろ人並以上に気を付けるタイプだから。それに零くんとわたしは多少英会話が出来るから、英語圏の国なら言葉に困る心配もない筈。

 この旅行を断る理由はない。

 ……あと二人部屋って事は、零くんと一緒にお泊まり出来る訳で……

「う、うん。わたしも、良いよ」

「だってさ。良かったね彼氏くん」

「うん。もしキララに断られたら別のを考えないといけないところだったよ」

「賛成したこっちの意見は無視かぁ?」

「そりゃ彼女と友人ABが別意見だったら、彼女の意見を採用するでしょ」

「違いない」

 冗談を交わす男子二人はわははと笑い出す。優先してくれるのは嬉しいけど、人目がある中でそれを言われるとかなり恥ずかしい。わたしは、つい、熱くなった顔を俯かせてしまう。ルビィは嬉しそうに笑っていたけど。

「良し、そうと決まれば次は日程だ。みんな、どの日なら空いてるかな? 出来れば二泊三日以上にしたいんだけど」

「あん? もうホテルの予約取ってるって言ったじゃないか」

「ああ、それ嘘だよ。みんなの予定も分からないのにやる訳ないじゃないか」

「おい」

 尤も俯いていた顔は零くんと磯矢くんのやり取りで、くすりと笑みが浮かんでしまうのだけど。零くんは悪質な嘘は吐かないけど、こういうすぐバレる嘘は時々吐く。結構なお調子者だ。バレると思って吐いたのに中々バレそうにない時は、大事になる前にちゃんと告げるから、根は誠実なんだと思う。

 零くんは手帳を開き、今月から翌月に掛けてのスケジュールをみんなに聞いていく。あの日は駄目、この日は駄目と狭めていって、だけどみんな既に進路は決まっていたので、案外すんなり都合の良い日は見付かった。

「うん、じゃあこの日から二泊三日で行くとしよう。ホテルはもう良いところを見付けてあるから、予約と支払いはボクがやっておくよ。あ、ちなみに二人部屋二つで頼むつもりなんだけど、構わないよね?」

「おう、問題ないぞ。後は任せた英語マスター」

「頼んだわよ、英語マイスター」

「そこまで上手い訳じゃないんだけどなぁ。日本人が片言の日本語でもそれなりには分かるように、向こうの人だって片言の英語を分かってくれるというだけだよ」

 ルビィと磯矢くんにおちょくられながら、零くんは楽しそうに笑う。わたしも笑みが浮かんで、わたし達の席は笑い声で満たされた。

 うん、楽しみだ。すごく楽しみ。最後の、という訳じゃないけど……大事な思い出にしたい。

 出発日は西暦二〇三八年三月十日。

 一月後に行われる卒業旅行を、わたし達は楽しみにするのだった。

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