029.姉弟子の別れ

「チヨメは隣国のトロイメアへ嫁ぐことが決まっていたのさね。相手はいまの王様さね」

 といっても二十年前の当時はまだ第一王子の身分になる。

「チヨメの生まれたアーネルとトロイメアは昔からこの地にあった国でね。互いに互いを利用して生き残ってきた国なのさね。そんなもんだから二カ国とも国の歴史の長さだけ因縁があって大昔も今も仲が悪いのさね。前の王たちはその因縁を断ち切るためにお互いの子供を結婚させようとしていたのさね。いわゆる政略結婚手やつさね」


 出て行くときになってチヨメはメディアに隠していた事情を話していった。

 自分がアーネル国の王女あること。隣国のトロイメアに嫁ぐことが決まっていてどんな風雨に過ごしたのか。

 婚約は二歳のとき。物心も付く前からチヨメは国の威信を背負わされた。未来を決めるということはそこまでの道筋にも影響を及ぼす。王妃教育も三歳から。子供であることなど関係ない。隣国に軽んじられてなるものかと厳しい師が付けられた。

しかも生まれながら持つ両目の霊眼がもう一難を呼び寄せる。この大陸東端では神代に妖怪たちと渡り合い人々を守った仙女の聖女伝説があった。生まれながらにして仙女と同じ両目霊眼が三教(儒教・道教・仏教)を呼び寄せる。聖女の生まれ変わりとして担ぎ上げられ、教会とのつながりも得られると意欲的な王の推薦もあって聖女教育も受けることになった。

 幼子の狭い世界ではその異常さを最初理解できず、どんなに厳しくてもできるまでやるしかなかった。周囲の使用人や本から頭のいいチヨメは徐々にその異常さを知ることにはなったが、同時に自身が王族という立ち位置と義務も知ることになり受け入れるしかなかった。ただ頭の良さは、あるときにふと空を飛ぶ鳥に、ちょっとサボり立ち話に興じる使用人の姿に、疑問を彷彿とさせうらやましいという小さな火種を灯した。それは徐々に大きくなり、あるときからチヨメは自由を得る機を窺うようになる。やがて教育の範囲。自身の学ぶべきことに終わりがあることを突き止めたチヨメは結婚年齢よりも前に教育を終わらせれば一時の事由が手に入ることに気がついた。結果チヨメは一つの計画を練ると人一倍努力して十歳で必要な教育を終わらせてしまい、ついには短縮した六年分の自由を手に入れた。

 ただこの話がメディアにとって一番の問題だった。そうまでして彼女が望んだのは一人の人間として好きに生きること。自分を姫としてみない。自由で分け隔てのない。権力に左右されない。そんな魔女の元で弟子として過ごすことだったからだ。

 なぜ自分の下だったのか。それは真実を告げられたとき、神代に遠い異国の王女として過ごしたメディアには痛いほどわかった。最終的にその地位は辛くも人の悪意によってすべて捨てることになったがもう風化した遠い過去のことだ。きっとチヨメは自分の生まれのしがらみにいまの自分でないものになりたかったのだ。

「チヨメは頭がよすぎたさね。広すぎる視野は時として人の行動を狭めるものさね」

チヨメは自分が期待に応えないことが後にどう響くかを知っていた。もしかしたら戦争が起きるかもしれない。救えた人が死ぬかもしれない。ありえるかもしれない未来に縛られて。

 おかげであれこれ考えて二の足踏んでチヨメが出て行くのを止めることもできなかった。すべてを敵に回して戦うことも竜の馬車に乗って遠くへ逃げることもメディアにはできたのに。

「それでいて心が強すぎたさね」

 強すぎるから折れずに立ち向かう娘だった。

「いつかまた自由を手に入れてここに来ると言ってチヨメは出て行ったさね」

 それが何十年先になるかは分からないけどね、と笑った顔を覚えている。

 それがメディアとチヨメの最後の別れだった。


「あたしは後にそれを知ってね」

 憑きもの探しで仕事柄飛び回るお燐はチヨメが出て行った後で、メディアのもとを訪ねてそのことを知った。何で引き止めなかったんだい、とフシャァーと毛を逆立てて怒るお燐にメディアもショックが大きくて心ここにあらずといった感じで、そのとき何と返したか覚えていない。死に別れて化け猫になってまでメディアのもとに戻ってきたお燐だけに、お燐は身内と認めた者に対して猫一倍過情かじょうだった。

 まったく馬鹿な娘だね、と探し回ってまでして第一声に悪態ついて。

「しかたないから仕事ついでに行ったさね。それでも結局あたしもチヨメに押し負けて連れ戻せなかったさね。まあ、あたしも一度で身を引くような性格じゃないからね。その後何度もしつこく会いにいったよ」

 嫌ならやめればいい。いつでも呼べ。人間なんて蹴散らしてここから連れ出してやる。何度言ったかわからない。でも答えはいつも同じ。自分は大丈夫だからとチヨメは右頬を上げて強く笑うのだ。

「あのわからずや。結局半年間最後まで頷くことは無かったさね」

「たくさん?」

「ああそうさね。引きこもりのメディアと違って仕事柄あたしは外を出歩くからね。あたしにはたくさん会う機会があったのさね」

 出て行ったあとのチヨメをよく知るお燐はその後を話す。

「国に戻ったチヨメはね。嫁入りの準備をはじめたのさね。ただね。王族の嫁入りは準備に時間がかかるらしくってね。実はまだ一年。チヨメには時間があったのさね」

「なぜ?」

 じゃあ、なぜチヨメは早く出て行ったのか?訊ねるシニエにメディアが教えてやる。

「国同士で仲が悪いということは隣国の民の中にも二人の結婚をよく思わない人がいるということなのさね」

 実際当時にはトロイメア国内には反対する人が大勢いた。

「チヨメは結婚前にそれを少しでもよくしようと早く出て行ったのさね」

 やれやれ人間はしょうもないね、とお燐がため息をつく。

「幸いチヨメは聖女としての地位も強さも慈しみ深さもあったさね。チヨメはね。結婚の挨拶がてらに聖女としてトロイメアを回ることで人々の支持を得ることにしたのさね。メディアの魔術に薬草学と医術。そして聖女教育で魔祓いや道術を学んだチヨメは強く賢かったさね。実際に憑きもの回収や退治、病気の治療をしてすぐにトロイメアの民に受けいられたさね」

 何度か憑きものでかぶったときは融通されたりもしたし、人の手に余る憑きものをわざわざお燐に頼んだりもした。人間にしてはよくできた娘だった。

「でもそれがよくなかったのさね」

 お燐の毛が逆立つ。シニエもお燐の気迫を感じて意気を飲む。

「当時二つの国の上には人の手には余る一つの脅威が居たのさね。それが九頭大尾竜なのさね。やつは居るだけでも毒を撒き散らし周囲を不毛の土地に帰る猛毒竜でね。二つの国は徐々に毒に侵されて小さくなっていたのさ」

 いつから居たのか?おそらくは二カ国よりもずっと昔。お燐が生まれるよりも。メディアがこの土地に来るよりもずっと前。歴史からしても国よりも九頭大尾竜のほうが先輩だった。二カ国の王は手を出せぬ相手に身を縮め、九頭大尾竜が自分の統治する時代に南下してこないことを祈って必死に国を維持していた。


「チヨメは九頭大尾竜に苦しむ人の声を聞いてしまったのさね」

 二十年前九頭大尾竜の毒にトロイメア王国は徐々に侵食されていた。広がる不毛の大地に北部に住む人々は土地を捨てて逃げるか毒に侵されて死ぬかの二択を迫られていた。そんな救いを求める人々にとってチヨメはまさに救世主。縋り付かれない筈が無い。当時聖女の再来と知名度も上がっていたチヨメの周りにはその慈悲深さに慕い付き従う人が増え、いつしか大所帯が出来上がっていた。チヨメの信者にはアーネルとトロイメアの二カ国の兵士や三教の司祭が集まり、チヨメを頂点とした一つの強力な組織体が出来上がっていたのだ。そしてそれがまたよくなかった。彼らはチヨメとともに自分たちが戦えば九頭大尾竜を倒せると思い上がってしまったのだ。脅威を知っていたチヨメは一人で挑もうとしたが、彼らは勝手に付き従いチヨメとともに全滅した。

「結果人々のためにチヨメは九頭大尾竜に戦いを挑み。死んでしまったさね」

「でも退治した」

「そうさね。チヨメは確かに退治したはずなのさね」

 この二十年間九頭大尾竜は影も形も現さなかった。チヨメは確かに二十年前に九頭大尾竜を退治したのだ。誰もがそう思っていた。

「なのにやつは再び現れたのさね」

 どうやって生き返ったのやら。はたまたどこかで養生していたのか、閉じ込められていたのかはいまとなっては分からない。自身を苦しめたそれを誰かに真似されても困るから九頭大尾竜も答えはしないだろう。まあいい。いまさら何があったかなんて知っても自分ができることとも限らない。あたしはただ九頭大尾竜を倒すだけだ。ふつふつと湧き上がる怒りにお燐の毛が闇夜の中で逆立った。


「そういうわけで今回地獄から退治依頼を受けた九頭大尾竜はあたしとお燐にとってはチヨメの敵なのさね。シニエの姉弟子の敵にもなるのさね」

 なるほどなるほど。細かいことはよく分からない。会ったことのない姉弟子に実感の湧かないシニエ。シニエには自分とは遠く離れた場所で起きた寝物語でしかなかった。ただチヨメという姉弟子が確かに過去に居て九頭大尾竜がメディアとお燐を悲しませる悪いやつなのだけはわかった。

「とはいってもシニエにとっては会ったことも無い人間のことさね。敵なんて実感も湧くはずがないさね。むしろあたしらや地獄の事情に付き合わせてすまないさね」

 メディアも、この前まで閉じ込められて世間も知らずに育った五歳児になにを言ってるんだか、と苦笑した。

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