028.姉弟子
そうだねぇ。あらぬ方向を見てお燐は呟いた。
「シニエにも姉弟子のことを話しておかないとね」
「姉弟子?」
姉は知っている。白い人の中にも同じ親から生まれた白い人がいて兄弟姉妹を教えられたことがある。しかし弟子とはなんだろうか?
「そうさね。チヨメはシニエのお姉さん弟子さね」
「お姉さん?」
はて?自分には姉がいたとは聞いたことがない。眉を寄せるシニエに二人はシニエが分かるように考える。
「弟子は分かるさね?シニエはそのうちメディアの弟子になって師匠のメディアから魔法や薬学を教えてもらうのさね」
「わからない」
「師匠っていうのはね。たくさんのことを教える人のことを言うのさね。先生ともいうさね」
「ほら、この前シニエは香薬のこと教えてもらったさね。ああいう風にいろんなことを知っていてシニエに教えてくれる人とのことを師匠か先生というのさね」
経験も交えて教えるとシニエはやっと納得がいったらしい。
「メディア。師匠」
そうそう。お燐とメディアがよしよし通じたと満足げに頷いた。
「でね。いいかい?シニエ。姉弟子っていうのはシニエよりも前にメディアの弟子だった人のことさね」
シニエの理解がやっとつながった。白い人でも上司部下と上下関係があった。物知りな上司に部下はいろいろと教えて貰っていた。師匠は上司で弟子とは部下に違いない。そして部下には先に居たほうが先輩で後が後輩と先輩後輩があった。メディアの弟子。つまりは部下で自分よりも先に居た先輩弟子を姉に喩えて姉弟子というに違いない。
「姉弟子。先輩」
「そう。よく知ってるさね。先輩さね」
シニエが先輩という言葉を知っているとは驚いた。その反面伝わってよかったとほっとした。
ゲプッ。シニエからげっぷが出た。どうやらもうお腹いっぱいらしい。
「シニエ。お代わりはいるかい?」
空の皿を見て一応尋ねる。
「いらない」
食事は終わりのようだ。となると次は寝るだけだ。でもその前には後片付けに寝る準備とすることがある。時刻はちょうど八時半ばになっていた。
お燐とメディアは一旦話を止めて先に夕食の後片付けと寝る準備をすることにした。シニエにはベッドの上で横になりながらチヨメのことを寝物語で話すと約束する。とはいってもシニエも地獄帰りで疲れているから途中で寝てしまうかもしれない。そのときはまた別の機会に。時間が許す限り話をすればいい。この世で生きた人のことを伝えるのは生者の
メディアがベッドに横になり、ベッドに収まらないお燐は毛布を強いて床で丸くなる。釜戸の火も消し。複数あったランプも一つを残して消した。小さな頼りない明かり一つの中。ベッドの上でそわそわしているシニエにお燐が口火を切った。
「チヨメは同じ白髪で白い肌をしたシニエとそっくりな女の子でね。違いといえばシニエは片目だけど。チヨメは両目とも紫の霊眼持ちだったさね。陶磁器の人形と見間違えるような容姿に触ったら傷つけてしまいそうで、出会った当初は触れるのが怖かったくらいさね。まさに一国のお姫様といった見た目詐欺の娘だったさね」
「見た目詐欺?」
「そうさね。チヨメは見た目に反して行動的な娘でね。大胆でおてんばな向こう見ず、よく言えば根は明朗快活な性格の娘でね。いつも素材探して森の中を走り回るわ。森の動物や魔物を一人で狩ってくるわ。野性味溢れる娘だったのさね。よくメディアのところに来ると草木引っ付けて汚れてたチヨメに出くわしたものさね」
そのくせ草木をつけて汚れたチヨメはどこか捨てられた人形に見えたりもして、お燐は抱きかかえて保護してしまいたい衝動に駆られることもあった。後に知った生い立ちにいまならその気持ちが間違いで無かったように思える。鬼神オオビトのいた大陸から突き出た半島の神様を祭る社。そこで働く巫女が着るのと似た白と赤を基調とした服の上にローブを羽織る服装をいつもしていたが、草木で汚れる割に染み汚れが無くいつも綺麗だった。こまめに洗濯する几帳面というか繊細なところもチヨメにはあったと思う。後ろで結わえられた腰まで伸びた長い髪が左右に揺れて森の中を駆け回る後ろ姿とあいまってよく尻尾のようだと思った。
「チヨメは確かに強かったさね。浮世離れした点ではある意味一国のお姫様とも言えたさね」
薄明かりの中でメディアは野性児化した弟子の姿を思い出して口元を引くつかせる。鬼灯の森には危険な野生動物の他に彷徨う亡霊に取り付かれて憑きもの化した動物の魔物もいる。魔物は肉体を傷つけただけでは簡単には倒せない。いくら肉体を傷つけても霊体が体を動かして立ち上がるのだ。南西の
「シニエにも先に言っておくさね。この森は危険なのさね。獣に彷徨う亡霊や霊に憑かれた魔物、毒もちの植物、たくさんの危険が潜んでいるさね。一人で出歩いては駄目さね」
「わかった」
素直な返事に好感が持てた。あのバカ弟子は大丈夫だと微妙に渋っていたっけ。それでいて心配されるのがうれしかったのか。メディアから貰った焦げ茶のローブのフードをかぶり目元を隠しながらはにかんでいた。
「チヨメが弟子入りしたのはもう三十年近く前さね。
メディアはチヨメとはじめ立った日のことを思い出す。
「昔昔昔ある日魔女の家に一人の女の子が尋ねてきたさね。尋ねる人もいないはずの家の中に扉を叩く音がして魔女はビックリしたさね。はじめ幻聴かと思って首を傾げていたら、扉を叩く主は開かない扉に業を煮やしたのか徐々に音は大きくなったさね。人が着たんだとビックリして急いで扉を開けると誰もいなかったさね。右へ左へと視線を走らせたてはてな、と首をかしげると今度は、あの~、あの~と声が下からしたのさね。チヨメは当時十歳であたしの胸より下の身長だったさね。扉近くにいすぎてあたしの視界の下にいたのさね。あたしは二歩下がってやっとチヨメを見つけたのさね」
後日そのことを話したら、今に追い抜きますから、とふてくされたっけ。
「チヨメは私を見るなり『鬼灯の森の魔女様ですね。弟子にしてください』といって頭を下げたさね。服や髪とあちこちに草木が付いて頬には紅い切り傷とぼろぼろの姿に一目で大変な思いをしてきたことがわかったさね。しかも場所が場所だというのに供の大人もいなかったさね。そんなもんだから追い返すわけにも行かなくて、あたしは頭を抱えてしまったのさね」
結局返すに返せないし。やさしいメディアは無碍にも扱えない。なし崩し的にチヨメは押しかけ弟子になった。後々チヨメと暮らすうちにそれが計算的犯行だったことに気づいて末恐ろしいと思った。十歳の少女の文字通り命がけの犯行だったからだ。来るまで間に死んでいてもおかしくなかったし、メディアが酷い魔女であったなら実験体にされたかもしれない。西洋の魔女というか魔法使いにはたまにそういうのがいた。ただチヨメの場合はさっきも話にあった通り腕っ節が強く。その上本当に頭がよかった。教えたことはすぐ覚えるし、自分でよくないと考えたことに対してはちゃんとメディアに相談できる聡明さも兼ね備えていた。もしかしたら何かあったときのために別の算段もあったのではないかと思う。
「あたしもはじめて会ったときはビックリしたさね。いつものようにメディアを訊ねたら、扉を開けて出てきたのがちっこい小娘で、第一声が『でっかいニャン
家の扉を開けた出会いがしらの初対面。タックルをかまして抱きついてきたチヨメ。腹から目を輝かせて見上げた顔をお燐は今でも覚えている。光を反射する白髪に紫色の瞳。陶磁器のような白い肌。整った顔立ちにはじめ実は人形の憑きものかとお燐は勘違いしたくらいだ。
白の塔で偶然を装ってお燐に抱きついていたシニエは、うんうんわかるわかる、と薄明かりの中でチヨメの気持ちに激しく同意する。お燐は素敵な猫なのだ。いつか自分もお燐の腹毛を堪能するのだと密かに心に誓うのだった。
「まったくあたしのことを『でっかいニャン
「やたらと笑顔を振りまく元気な娘だったさね。何でも聞いて一生懸命なものだからついつられてあたしも調子に乗っていろいろと教えたもんさね」
何を教えたか。あれやこれやと思い出がメディアの中を駆け巡る。そして、こんなことが、あんなことが、ポツリポツリと思い出話をちょっとした。
「ちょろちょろ動き回って家事手伝い何でもやるから、おかげでいまのメディアは怠け者になってしまったさね」
「うるさいさね!」
何度か話の腰を折るお燐にメディアは怒鳴った。
思い出話を話すうちに記憶は別れのときに至る。
「チヨメはとにかくできのいい娘だったさね」
物分りのいい頭のいい娘。文句は言えど。そこに確かな理由があればこなしたし、わがままなんて言わなかった。だからこそ。自身の価値と義務に忠実だった。
思い出話に楽しげだった声音が色を失う。
「・・・・・六年経ったころさね。急に別れを告げられたのさね」
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