027.帰宅

 夕日が沈んで鬼灯の森が黒一色に染まるころ。背の高い木々に夜空の光がさえぎられ。あまねく星明かりも淡く光る月光も届かない深い森の中。暗闇にひっそりと隠れた光源の前に火明かりに包まれた荷車引きの化け猫が降り立った。

 ふわりと地面に着地したお燐が火の紐をシニエと荷車から解く。中央の黒い十字で田の字に分断されて四分割された光を漏らす窓のついた家の扉がガチャリと音を発てて開いた。

「二人ともお帰りさね」

 家中の光を背にメディアが家から出てきた。

 お燐は手を振って火の玉を灯す。辺りが照らされて暗闇の中からお燐とその背にまたがり手を振るシニエが姿を現した。

「ただいまさね」

 ちょっとした小旅行から帰ってきたお燐はほっと息を吐いた。


 家に入るといい匂いが鼻をつく。メディアが食事の支度をして待ってくれていたのだ。

 シニエはほっと息をなでおろし、なぜだろう?と自分の無意識の行動を不思議がった。

「ほら、まずは着替えさね」

 白装束のままなのシニエに着替えを促す。メディアが指差す中央のテーブルの上に折りたたまれた焦げ茶のローブと下着が置いてあった。

 メディアは右手側台所の釜戸に向かう。

 メディアが食事の準備をしている合間にシニエは着替える。お燐は着替えの手伝うことにした。シニエが万歳したらスポンとシニエを残して服がお燐に脱がされる。そしてシニエがパンツを履くと再び万歳。上からズッポリとローブがかぶせられる。お燐とシニエのコンビネーションで着替えが完了した。


 大鍋の蓋を持ち上げる。中にはメディアが手間暇かけて作ったコンソメスープが入っている。野菜は料理に使わないところにも栄養がある。メディアはそれらも湯通ししやすい大きさに切って出汁に使い野菜の栄養とうまみをスープに溶かす。何度も灰汁を取りながら煮込んで濾して凝縮したコンソメスープは透明度が高く透き通っていた。なべ底に具として入れた野菜が沈んでいるのが見えるほどだ。

「あれから半日。シニエもお腹がすいたさね?」

 器にスープを盛って中央のテーブルに並べる。パンの持った篭も中央に置く。

 メディアが椅子に座るとみんなで両手の平を合わせる。

『いただきます』

 小さく切り刻まれた野菜をスープと一緒に掬う。賽の目切りの小さい野菜はシニエの口にあったちょうどいい大きさだった。オレンジ、黄、緑色の三、四個の彩り野菜が匙に乗る。スプーンごと野菜を口に頬張った。熱かったのかシニエの表情が驚愕の色に染まる。すごい勢いで口がハフハフと開いて閉じてを繰り返す。スープの上面に浮い油目草の草油。コンソメスープの味を損なわずに使えるさっぱりした後残りの無い植物油なのだが。その油分でできた油の蓋でスープが冷めにくいのが災いした。まだシニエは口をハフハフしている。シニエはちょっと涙目だ。それでも野菜のうまみを内包し、塩コショウで塩気を加えて味を調えたコンソメスープはおいしいものだから、火傷していなければいいがと心配するメディアをよそにシニエは次を掬い取り夢中で啜る。途中パンにもハグハグとかぶりついた。


 お燐とメディアは食べることに夢中になったシニエを満足げに眺めた後、地獄でのことを話し始めた。生前死後ともお燐の助手として地獄への就職が決まったこと。九尾大尾竜の討伐の件を話す。

「就職先まで決まってよかったさね」

「生前も死後も一貫しているから安心さね」

 しかも獄卒は地獄の公務員にあたる。倒産の心配もない。

「でも幼子のときから働くって大丈夫さね」

「一応労働基準法はあるけど・・・地獄だからねぇ・・・」

「成人するまではアルバイトみたいなもんさね。それにあたしもそうだけど。世界を渡り歩く行商人みたいに意外と自由にはさせてもらっているさね」

 自分のペースで仕事ができる。仕事きちんとこなせさえすれば多めの休みも取れる。その分今回の九頭大尾竜退治のような大変な仕事もあるが。

「まあ、お燐が側にいるから心配してないさね」

「他人事のように話しているけれども。前に話したとおり、もう少し成長してあたしからシニエが離れられるようになったら、メディアにシニエを弟子入りさせるつもりさね」

 シニエを拾った当初お燐はシニエをメディアの弟子にして独り立ちさせることを考えていた。それは仮獄卒としてお燐の仕事を手伝うことになった今でも変わらない。魔女から学ぶ薬学や魔法はシニエの人生でこの先大いに役立つ。学ばせない手はない。ただ、白の塔で実験体として育てられたシニエは同年代と比べても成長が遅く、親に甘えることができなかった。その分お燐にべったりで所謂親離れならぬお燐離れができていない状態だ。足を折ろうとしたり、地獄まで付いて来たり。強硬策を取ってまでお燐から離れることを極端に恐れる。シニエが物事の分別がついてお燐離れできるようになるまではお燐の側に居させて連れて歩くつもりだった。

「そうさね。シニエなら弟子にしてもいいさね」

 メディアも頷いた。

「しかしシニエは本当にチヨメに似ているさね」

 シニエの頭をやさしく撫でる。人が食べてるときに何するんだ、と突然頭を撫でたメディアにシニエは非難の目を向ける。その姿にくすりと笑い。メディアは困った顔になる。

「チヨメだけでなく、今度はお燐にシニエもだなんて・・・まるで神々の糸引きを感じるさね」

「あたしもそう思うさね。運命じみた物を感じていたさね」

 この世から去った神々はいまでもこの世が愛おしい。だからこの世を守るために時たま分からないよう遠回りにこの世に干渉する。そうやって神々が裏で隠れて糸を引いていると思われる事象を人々は『神々の糸引き』と喩えるようになった。

「チヨメが命がけで退治したはずだけど。亡者ではないのさね?」

「地獄の話では生者さね。だから殺す必要があるのさね」

 九頭大尾竜は二十年前に一度退治されていた。退治したのはメディアの弟子にしてアーネル国の姫君チヨメ・アーネル。チヨメはメディアとお燐にとって家族とも呼べる存在で、しかもその戦いで命を落としていた。九頭大尾竜はチヨメの敵でもあるのだ。

「チヨメ?」

 自分を見つめて別の物を見るメディアに気づいたシニエは先ほどから話に出てきたチヨメについて訊ねた。

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