019.鬼神オオビト

 『地獄憑きもの処理場』の看板した扉を開ける。

 やわらかいオレンジ色の光に照らされて中はほの暗くぼんやりとしていた。室内の像がはっきりしなくて中の様子が分かりづらい。外のほうが明るかった。

「邪魔するよ」

 お燐が部屋の中に入る。明るいところから暗いところに移動したものだから慣れないシニエの視界は真っ暗になる。それでも時間が経てば暗順応で目が暗さに慣れてくるもので。荷車を入れてお燐が扉を閉めるころにはだんだんと部屋の中が見えるようになってきた。最初に分かったのは部屋の中を照らす唯一の光源のランタンだった。入り口から見て左右の壁中央に一つずつ。入ってきた扉の左右と向かい合わせの位置に暖簾のれんで覆われた戸口の両側に一つずつ。合計六つのランタンがかけられていた。

「おお。誰かと思ったらお燐か。久しぶりだな」

 シニエから見て向かい側の戸口右側の四隅から友人の来訪を喜ぶ声がした。見れば暗闇に埋もれて椅子に座った人の輪郭をした影が見える。立ち上がってランタンの明かりに照らされた場所へ出てくる。目にゴーグルをかけ、肩ぐらいまで伸びる黒髪を後ろに流したオールバックの鬼の男が現れた。

「オオビトも元気そうで何よりさね」

 挨拶代わりにお互い笑顔で肩をパンパンと叩きあう。シニエはお燐の肩の上で激しい振動をぉぉぉぉと震えた声を出しながら堪えた。そうして久方ぶりの挨拶を終えた頃にようやくオオビトがお燐の頭にいるシニエに気がついた。よく見えるためにとオオビトがゴーグルをずらすと下から出てきたホンワリと緩んだやさしいまなざしと目が合う。お燐とはまた違った琥珀の黄色い瞳だった。お燐に前足で足をポンポンされて意図を察したシニエが挨拶する。

「シニエ。よろしく」

「おう。俺はオオビト。お燐の友人だ。よろしくな」

「オオビトはあたしがこの世で見つけて地獄につれてきた鬼なのさ」

「見つけた?」

「そう。大陸から飛び出た三日月状の半島があってね。その先端にツガルって国があってね。そこにある岩木山のアソベの森にオオビトは隠れ住んでいたのさね」

「あの時は人も増えて。人から隠れ住むのに限界を感じていたからな。お燐に移住先だけでなく就職先まで斡旋してもらって本当に助かった」

「シニエ。オオビトはすごいんだよ。高い製鉄技術を持った鍛冶屋でね。この荷車もオオビトが作ったものさね」

「おお~」

 明け透けなく驚く素直なシニエにオオビトが照れ笑いを浮かべて頭をガシガシと掻く。

「下手の横好きさ」

「でもその下手の横好きで農具を作りあんたは人のためにせきを作った。そして感謝した人々に祀られて鬼神になったわけだ。優れた力を持つからこその結果さね。今じゃあの場所には鬼神社が建てられ、鬼沢おにざわと呼ばれてるそうさね」

「だが堰作りの最中人に見つかったのが新天地を探すきっかけになったのも事実だ」

 いいことばかりでもないさとオオビトは肩をすくめた。


「それで?今回の成果は?」

「憑き者がいるから開けるなら下のほうがいいさね」

 その言葉にオオビトが眉をひそめる。

「この世は相変わらずのようだな。わかった」

 オオビトは背を向けると入り口の向かい側の戸口へと進み。シニエから見て戸口の右側にかかったランタンを外した。扉を開いて中へと入る。お燐もオオビトの後を追い荷車を引いた。

 扉の先はこれまた真っ暗黒一色の場所で左右に灯った千鳥配列のオレンジ色の明かりだけが目に付く長い廊下だった。奥までランタンのオレンジの光がぽつぽつと続いている。ランタン周りにかろうじて廊下の壁が見える程度。ランタンがまるで宙に浮いて見える。壁があるからには床と壁と天井に四方が囲まれた廊下であることは確かだ。天井は見えずその高さはうかがい知れない。足元も暗闇に隠されて見えやしない。背後の扉が閉まると前後不確定な廊下に自分が今どこにいるのかが分からなくなる。しまいには上も下も何も無いところに浮いているような錯覚に陥りそうになる。お燐と目の前を歩くオオビトがいなければシニエは把握できない空間の中に取り残された気がして気が狂っていたかもしれない。

 無意識のうちに暗闇に恐怖を感じたシニエの小さな手がお燐の毛をワシャワシャする。お燐はそんなシニエの心の不安を感じ取ってわざと口を開いてオオビトに話しかける。

「ここはあいわからずだね。あたしでも感覚を狂わされていやになるさね」

話しかけられてシニエの存在を思い出したオオビトも駄弁りに付き合う。

「危険な憑きものを扱ってるからな」

 もし邪神のような神が閉じ込められた憑きものがあったら。強力な力のこもった憑きものが地獄の亡者の手に渡ったら。厳重であるに越したことはない。

 シニエの手の動きが止まった。声が聞こえて安心したのかもしれない。

「オオビトがいなけりゃ。回廊の始まりと終わりが繋がって同じところをグルグル回ることになるんだっけ?」

「ああそうだ。永久回廊に取り残される。まあ。案内がいればただの下り坂でしかない。ほら、先にあるランタンの位置が徐々に下がっているだろ?」

シニエが遠くを眺めると確かに千鳥配列で等間隔に並ぶランタンの明かりが徐々に下がっていた。しかし進むお燐の頭から見た左右にあるランタンはどれも高さが変わらない。つまりオオビトの言うように斜めになった廊下を下へと向かって歩いるのだろう。

「下?」

 そもそも何処に向かっているのだろうか?

「この先に大焦熱地獄がある」

「あの世には八大地獄という大きな地獄が八つあってね。大焦熱地獄っていうのはその七つ目の地獄さね。猛火に覆われた焦熱地獄のさらに下。ほかの地獄の十倍苦しい極熱業火。すべての物を焼き尽くすそれはそれは熱い地獄さね」

「憑きものを処分するには神仏魔でさえ燃やすその極熱業火が必要なんだ」

「特に意思のある憑き者は厄介でな」

「意思?」

 首を傾げるシニエにガシガシと頭を掻いてどう説明したものかと考えるオオビト。

「そうだな。今回も憑き者がいるようだし。実際に見たほうが早いだろう。ほら着いたぞ」

 オオビトのかざすランタンの明かりに扉の一部が現れる。

 ガチャリとオオビトが扉を開けた。

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