007.お燐と魔女
「どこいく?」
出発してからどれほど経ったろうか。初めての夜空に興奮し、飽きずに眺めていたシニエは急に思い出したようにお燐に聞いた。
「あたしの知り合いの家さね」
いまさら聞くのかい?とあきれながらにお燐が答える。今向かっているのはお燐の古くからの知り合いの家だった。そしてお燐はそこにシニエを預けるつもりでもあった。
「知り合い?」
「・・・・・かぞ、あ、いや友達・・・の家だね」
ふと聞き返しただけの言葉に何の意図も無かった。なぜお燐が口どもり言い直したのか。言い直した『知り合い』と『友達』の差もシニエにはわからない。でもお燐の様子にきっと友達のほうがいいものなのだろうと思った。
お燐は夜目で山の形を見る。そして見慣れた一本杉を見つけると森の中へと降下した。斜め下に進路が変わり高度が下がり始めると急な変化にシニエも目的地への到着に気づく。改めて落ちないようにと顔をお燐の背中に埋めてしがみついた。
一度の旋回を入れて森の中に入ると辺りが黒一色になる。背の高い木々に夜空の光がさえぎられた森の中に月と星の光は届かない。一寸先も見えない真っ暗闇。むしろ火の紐を纏うお燐たちが光源となり辺りを照らす側だった。
ふわりと地面にお燐と荷車が着地した。
お燐は暗闇の中に浮かぶ自分以外の光源――四つの四角い明かりを目にする。中央の黒い十字が田の字に分けた四つの光源は家の扉窓だった。暗闇の中に浮かぶ様は大きな目玉のように見えるものだから昔来た人間で化け物がいると走り叫んで逃げた者がいたくらいだ。夜目の利かないシニエのためにお燐は手を振って火の玉を灯す。辺りが照らされて暗闇に隠れていた周囲が一気に色を取り戻した。そうして現れたのは森の一角と一階建ての小さな家――背の低さに反して横幅があるお燐が見慣れた友人の家。周囲を草木が囲い。中央から両端に向かって小さくなる苔むした緑色の三角屋根。地面に少し沈むようにして建つ家は小さな丘のようで注意して見ないと見逃してしまいそうなほど自然に溶け込んでいる。中央に立つ四角い煙突からモクモクと煙が出ている。
お燐は火の紐をシニエと荷車から外すとシニエに起きろと身を揺すった。
「シニエ。着いたよ」
あまりにも丁寧な着地にいつの間に?と着地に気づけなかったシニエは身を起こすと周囲を見回して自分が地上にいることを確かめた。そしてお燐の背から降りると自然に溶け込んでいた家に気づく。起き上がり二本足立ちになったお燐へと尋ねた。
「ここがお燐の友達の家?」
「ああそうさね」
お燐が答えるとそれにあわせるように扉が開いた。ゆっくり音も無く降りたはずだが家主はこちらの訪問にちゃんと気づいていたようだ。
黒いローブに身を包み。肩に茶色いカーディガンを羽織った女性が現れる。茶色い髪にお燐と同じ金色の輝く瞳をキッと鋭くして道欠けた目で。
「この不良猫がこんな夜更けになんさね!」
お燐に向かって怒鳴った。お燐は面目ないといった感じに腕を組んで仁王立ちする友人の女性――メディア・ダルクへと後頭部に右前足を当ててぺこぺこと頭を下げる。
「真夜中の訪問に関しては悪かったさね」
お燐の仕事はいつも夜中に行われる。人のいない夜のほうが作業しやすいのと紫煙の明かりがある憑きものは夜中のほうが見つけやすいからだ。だからいつもなら彼女に気を使って用のあるときは仕事終わりの日の昇る朝方か、仕事始めの夜のはじめごろ――十八時から二十一時に尋ねるようにしていた。でも今回は事情が違いどうしてもすぐに来る必要があった。そして付き合いの長いメディアもお燐の性格や気遣いを知っていた。だから怒ってはいるもののすぐにふ~と息を吐いて上げた肩を下げる。
「わかってるさね。急ぎなんさね?」
しかたがないなあと眉尻を下げて言う。お燐の側にいたシニエを視界に捉えて踵を返す。
「夜の森は冷えるさね。まずはお入りさね」
家の中へと入ってしまった。
「いくよ」
着いてこいと先頭を歩くお燐に続いてシニエも家に入る。
家の中は散らかっていた。右手側には大きな鍋の置かれた釜戸の台所があり、いろんな草花が散乱していた。中には壁から壁へ上をつたう紐に吊るした草花もある。左手側には壁端に沿って一本線で並ぶベッドが二つと本の並んだ棚があるがこれまた辺りに本が散乱していた。ベッドの上にも本。床一面にも本がある。中央には暖炉と大きなテーブルが一つ。暖炉には火が灯っており、今も火が燃えている。テーブルの上は半分が本でもう半分が草花とちょうどテーブルを中心に左右に分野が分かれていた。
「あ~相変わらず汚いさね」
あっちゃ~とお燐が目を右前足で覆った。
「どこに何があるかはわかってるから大丈夫さね」
「大丈夫じゃないさね。チヨメがいなくなってから片付いたことがないさね・・・」
「うるさい猫さね」
メディアはお燐のいない反対を向いて悪たれる。
「それよりもそっちの娘のことできたさね?」
話の先を促すメディアにお燐もこのままシニエの治療が遅れるのはよくないと口をつむぐ。メディアはシニエの前で屈むと目線の高さを合わせて自己紹介をする。
「あたしは
にっこり笑うメディア。ほんわり暖かいものを胸に感じてやさしさに触れた機会の少ないシニエは不思議に思う。そうだ。そんなことよりも名前を言わなければ。うっかりに気づいて慌てて答えた。
「シニエ」
「そうさね。シニエこれからよろしくさね」
「よろしく」
気持ちに従いなんとなく。メディアはいい人だとシニエは思った。
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