006.シニエと旅立ち
「お燐。あれどうする?」
復帰したシニエが転がる憑きものを指差す。
そうだった。思い出したお燐は危険なものだからと自分が拾いにいく。さっき言った手前。シニエに拾わせるわけにもいかない。火車で強い妖怪のお燐に呪いは効かない。神や大天使、公爵級の大悪魔クラスでも憑いてない限り操られることもない。
鎖に爪を引っ掛けてひょいっと憑きものの指輪を目線の高さまで持ち上げる。指輪には呪いも憑いていなけりゃ悪魔も閉じ込められていなかった。禍々しさもない。紫煙を見るために目にかけた妖力のフィルターをはずしてみれば金と銀の二層の輪が重なり合ったきれいな指輪だった。ただ紫煙をまとっているところを見ると呪具であることは確かだ。呪具は善い悪いにかかわらずいわゆる特殊な力を持つ道具の総称だ。神の持つ神具も、神様を祭るための祭具も、悪魔を呼び出す魔術具も、魔法の剣もすべて呪具になる。あたしの持つ荷車もそう。呪具はいわゆる所持者に恩恵を与えるが後は使い手しだいの品だ。持ち主を呪ったり、いいように操ったりする悪霊とかの邪悪なものがついた憑きものでない呪具の部類なら大丈夫だろう。
「お燐?」
じっと指輪を眺めるお燐をシニエが心配そうに見上げていた。
「大丈夫さね。危険なもんじゃなかったよ」
ほっとしたのか気の抜けたシニエの肩が少し下がった。こんな化け猫に心なんて割いてやさしい子さね。シニエが自分から手伝いを申し出ておきながら迷惑かけたことを気に病んでいたなんて思わないお燐はシニエの様子をそう受け取った。
シニエの顔と指輪を交互に見る。この指輪がどんな力を持っているのかはわからないが、見つけたのはシニエだ。持っているだけで使わないのなら問題ない。それにこういうものは不思議なことに使い手の元へと渡る運命にある。もともとシニエの元に来るべくしてきたものかもしれない。
指輪をシニエの目前まで下げると。
「これはシニエが持ってるさね」
指輪をシニエに差し出した。反射的にシニエが両手のひらを前に出すとその上に指輪が落とされる。
「いいの?」
「いいって言ったさね。二度も言わすんじゃないよ」
シニエは大事そうに手の中に指輪を包み込んだ。まるで祈りをささげるかのごとく目を閉じて手の中にあるものの感触をしっかりとしばらく確かめた。目を再び開けると落とさないようにと頭上から通して首に掛けることにした。指輪の鎖は大人に合わせて長めのサイズですんなりと小さなシニエの頭を通り過ぎて首元に収まった。そして落としたらいけないと襟を引っ張って服の中に指輪を落とす。そうして服の中の胸元に仕舞った。
「さあ。今日の仕事は終わりさね」
シニエに仕事の終わりを伝える。さてシニエをどうやって連れて行こうかと考えて荷車を見る。さすがに憑きもの積んだ荷車にシニエを載せるわけにいかない。移動中に落っこちても困るしね。
「シニエはあたしの背中に乗るさね」
お燐は四足ついて身を屈める。戸惑うシニエに押し付けるように身を寄せて強要するがシニエは遠慮して乗らない。ええい。まどろっこしい。お燐は足の輪を操作してシニエを持ち上げて背に乗せた。シニエをこれまで支えてくれた車輪が足の裏から消えた。
お燐のモフモフな背にまたがってシニエはビックリしつつもうれしくてはにかんだ。
「もっと体全体でしがみつくさね」
まさかのモフモフを体全体で味わえとのお言葉にシニエは興奮しながらお燐の背に倒れこむとしっかりと前面でしがみついた。
「さあ行くよ」
お燐の肩から腰にかけて細い火の線が走ると火の紐が出てきて荷車に絡みつく。出だしゆっくり走り出すと荷車が後をついてきた。
そのままふわりと空へと駆け上がった。旋回しながら徐々に高度を上げていく。
「ほら、あれがシニエのいたところさね」
崩壊する建物とそれを囲う森が視界に納まるほどの高さまで来るとお燐が足を止めて言った。シニエは自身の生まれ育った――実際には生まれた場所なのかまではわからないが物心つくころにはもういた――場所を見下ろした。夜に埋もれた黒一色の森の中。ぽつんと燃える建物だけが色と明かりの彩を見せていた。ところどころから火を噴出しているが横長の四角の建物は周囲を囲い建物を隠す背の高い木々とは等間隔で離れている。おかげで周囲の木々に火は飛び移らず。森林火災は起きていなかった。
昔白い人に連れられて屋上に出たことがある。太陽はそこで知った。遠くまで広がる屋上の床に自分はとても大きな建物の中にいるのだと思ったが、こうやって遠目から見たそれは思っていたよりも小さく思えた。
ゴゴゴゴゴ・・・・。ガラガラガラ・・・・。
大きな音が立つと建物が崩れて形をなくした。先ほどまでまだ四角い形を保っていたそれはただの火の付いた瓦礫の山とかしていた。
いい思い出なんか無い生まれ育った場所。そこの中だけの世界しか知らなかったシニエは本人の知らぬままに自分の知る世界を失ったのだと本能で喪失感を抱く。シニエ自身は胸の中にある喪失感も、ましてやそれを抱いた理由も知らないまま。最後のときが過ぎた廃墟を視界からはずしてお燐の背に顔を埋める。
お燐は何も言わずに出発した。
空を翔るお燐。頬や腕――むき出しの箇所に当たる夜風が冷たい。でも寒くはない。お燐の背に面した前は当然暖かい。それ以外にも腰周りなどがほのかに暖かかった。見ると肩に腰と火の紐がシニエにからみついていた。落ちないようにお燐が火の紐を巻きつけてくれていた。
自分のためにしてくれたのだと思うとその気使いになぜだかシシシと笑えた。
面を上げてシニエは夜空にあるものを見つける。
「お燐が空にいる」
何言ってんだいこの子は。空を駆けてるんだからそりゃあ空にいるだろうさね。そう思いつつシニエと同じように面を上げると空にお月様が輝いていた。
「今夜は満月さね」
「満月?」
シニエが首を傾げる。建物に閉じ込められて育ったシニエは夜の空を知らなかった。当然お月様も知らない。
「で?お月様が何であたしなんだい?」
お燐の言葉にはじめて月を見たシニエは考える。そしてようやくあれがお月様なのだと理解する。そしてシニエを写した黄金色の瞳を思い出してその質問に答えた。
「お燐の目お月様みたい」
「へっ。褒めたって何もでないよ」
お燐は朗らかに笑って照れた。
昼は太陽。夜にはお月様が空に上るのか。まるでお燐に見守られているみたい。夜とはこんなにも素敵なものだったのかと魅せられる。
シニエの知る夜の真っ暗闇な部屋の世界はお月様――お燐が見守る世界へと変わった。
その日の夜空には月のキャンバスに夜空を駆ける火車の影絵があった。
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