033 『じゃあ、しばらくはママとパパをシェアするー』
あの後、そこそこ長いラリーを十分くらい続けてから、
だけど翔奈は、毎回僕がジャンプしてもギリギリ届かないような高さに打ってきた。
これは––––イジメだぞ、翔奈!
まさか、僕が昔二十七個入りのチロルチョコのラスト一個を食べちゃったこと、まだ気にしてるのか⁉︎
しかもその後、一週間口聞いてくれなかったよなぁ⁉︎ だから仲直りをするため、奈月のアドバイスで、高いチョコレート買ってきたら、これじゃないってさらに怒ったよなぁ⁉︎
そういうばこの時に、僕は子供と接することの難しさを学んだんだよな。
高いチョコレートがいいってのは、大人の価値感で、翔奈はチロルチョコを食べたかったんだよな。
ちなみに、奈月はちゃんと『新しいチロルチョコを買ってくるのがいいと思います』と言っていたが、僕の独断で高いチョコレートにした。
大失敗だったけど。
「おい、翔奈」
「なぁに、お父さん」
「どうして、僕がギリギリ届かない所に打つんだよ」
「そりゃあ、チロルチョコを食べられたから?」
「やっぱり気にしてたのかよ⁉︎」
食べ物の恨みは深いってやつか⁉︎ てか、やっぱり覚えてたのかよ!
しかし翔奈は「それは流石に冗談だけど」と、先程の発言を取り消した。
「じゃあ、なんなんだよ?」
「運動能力でお父さんに勝てる機会なんて無いと思ってたから」
「そりゃあまあ、僕は子供だし……」
「足も私の方が速いし、力も私の方が強いし、身長も私の勝ち」
「……ぐっ」
悔しがる僕を見て、翔奈は勝ち誇ったように笑った。
「だから、お父さんのことは私が守ってあげる」
「なんか、複雑……」
父親より、足が速い娘は居ると思うし、力の強い娘は居ると思うし、身長が高い娘は居ると思う。
多くは年齢的な事と考えれば、僕も同じと言えるけど––––まさか、中二の娘に負けるとはな。
翔奈は湊と蓮花をチラッと見てから、僕に視線を戻し、ニヤリと笑った。
「私って、長女だから––––下の子の面倒は見ないとね」
「そこに僕を含めるな」
*
てなわけで、お昼と言う名のお弁当タイム。
軽く運動をしたのもあって(僕は翔奈にやらたと走らされたり、ジャンプさせられた。犬じゃないんだぞ)、お腹は結構減っている。
「あまり、時間が無かったので、大したものはないですよ?」
謙遜しながら、奈月はお弁当を開けたが––––そんな事はなかった。
中身はサンドイッチオンリーだったのだけれど、やたらとお洒落なサンドイッチで、海外の朝食って感じだ。インスタ映えしそう。
数は、1.2.3.4……全部で一五個ある。一人三つは食べれるな。
早速、蓮花がサンドイッチを取ろうと手を飛ばしたが、僕はそれを静止して、ウエットティッシュを渡す。
「手を拭いてからだ」
「はーい!」
素直にウエットティッシュで手を拭いた蓮花は、今度こそサンドイッチに手を伸ばし、ニコニコ顔で、ガブリと噛み付く。
食べてる所を見てるだけで、美味しいのが分かる。
僕もウエットティッシュで手を拭いてから(本当は顔も拭きたかったけど、やると『オヤジ』って言われるから我慢だ)、一つ取り、食べてみた。うっま。
「どうですか、あなた?」
「美味しい」
「ふふっ、よかったっ」
ニコニコ顔の奈月さん。
僕は、奈月の料理には必ず『美味しい』と口に出して言うようにしている。
それはもちろん、本当に美味しいからでもあるのだけれど、作った料理に対して『美味しい』と言ってもらえるのは、とても嬉しいことなんだ。僕も以前奈月に、チャーハンを作ってあげた時に『美味しい』と言われ、そのことを自覚した。
口に出して、自分の気持ちを相手に伝えるってのは、大事なことなんだ。
一つ目のサンドイッチを食べ終わった辺りで、湊が二つ目のサンドイッチを取りながら話しかけきた。
「ねえ、パパ」
「なんだ?」
「小さくなってからさ、結構こうやって遊びに連れて行ってくれること増えたよね」
「そうか?」
「増えたよー、前は毎週なんて絶対無かったし」
そういえば、そんな気もするな。
だけど、これはちゃんと理由がある。
「それはな、実は小さくなってからあんまり疲れなくなったんだよ」
「あー、把握」
把握したらしい。
僕はちょっとだけ、今の会話の流れで『把握』というワードを使うことに抵抗がある。
いや、正しくは『把握』というワードを単体で使うことに抵抗がある。
把握ではなく『把握した』であり、『把握する』と使うのが一般的であり、『把握』単体で使用することに僕はやっぱり違和感を覚えてしまう。
最近、若い子がよく使う『えぐい』もそうだ。
『奈月は胸の大きさがえぐい』とか、『蓮花の足の速さえぐい』みたいな感じで最近の子は使っているけど、『えぐい』というワードは、元々は『残虐的な』とか、『気味が悪い』のような、ネガティブなことを指す言葉だった。
でも最近は、ポジティブな言葉として使われている。
僕は古い人間なので、どうしてもそこに違和感を感じてしまう。
だけど、言葉っては年々意味合いが変わるものだしな。
広辞苑もその言葉の意味を説明する際に、古いものから順番に記載してるしな。
かつては違う意味合いだった言葉など複数存在するし、毎年のように言葉の意味は変わる。
なら、新しい意味こそが正しいのか? と言われたら、うんとは言い切れないのが
でもこれは、そんなに難しく考える必要もないかなとも思う。
お互いに同じ意味を持つ言葉として使ってれば、それでいいんじゃないかな。
現国の先生が言うんだから間違いない。
とまあ授業をしたところで、現国の先生らしく四文字熟語で、
「で、何を把握したんだ?」
「ほら、子供は疲れ知らずって言わない?」
「まあ、聞いたことはあるな」
実際、激しく運動してもまったく疲れないし、ちょっと疲れても寝れば元気になる。
「これね、みぃなのモデルの先輩に聞いたんだけど、子供ってね、疲れない筋肉と、アスリート以上の回復スピードを持ってるんだって」
「ほう」
湊が妙に博識なのは知ってたが、そういう意外なラインからも情報が入るのか。
「だからパパも大人だった頃より、アクティブになったんじゃない?」
「言われてみればそうかも」
休日の朝とかバシッと起きれるし、疲れとかたまらないしな。
そう考えると、子供の身体ってのは便利だ。
「あと、怪我とかも早く治るしな」
大人だった頃は、かさぶたとかが治るのに一週間くらいかかったが、今は気付いたら治ってる。
「じゃあ、もし骨折とかしても早く治るのかな?」
「どうだろうな、骨折はなぁ……辛いし、痛いからなぁ」
「お父さんって、骨折したことあるの?」
急に翔奈が『骨折』というワードに反応して、話に入ってきた。
僕は当時を思い出しながら、その疑問に答える。
「あるぞ、まだ翔奈が生まれる前だったからな。知らなくて当然だ」
「なんでしたの?」
僕はニヤリと笑った。
「奈月がな、落ちて来たんだよ」
翔奈と湊が一斉に奈月に視線を向ける。
ただ、蓮花はこちらの話にはお構いなしって感じで、一心不乱にハムスターみたいにサンドイッチを頬に詰め込んでる。可愛い。
「蓮花、ゆっくり食べよな」
「ふぁーい」
口に食べ物が入っているので、『はーい』じゃなくて、『ふぁーい』だった。可愛い。
「それで、どうだったの?」
湊が話を元の軌道に戻し、奈月に尋ねる。
奈月は、恥ずかしそうにはにかみ笑いを浮かべた。
「……えーと、その階段からですね、落ちちゃったんですよ」
「で、落下先にパパがいたの?」
「そうだ」
湊の疑問に僕は頷いて答えた。
「ほら、私って胸が大きいので、階段とかでは、下が見えなくて……」
「それで、僕がたまたまそれをお姫様抱っこで受け止めたんだけど、衝撃で手首の骨が折れた」
「で、ママはパパのこと好きになっちゃったの?」
湊がニマニマ顔で尋ねてきた。その通りだよ、湊。それが僕と奈月の馴れ初めだ。
「まあ、あり大抵に言えばそうなりますねっ」
「ママ、いいなぁー、少女漫画みたいー」
奈月と湊の恋愛トークが始まりそうな中、蓮花が僕の腕を引っ張ってきた。
「ねーねー、もいっこ食べていい?」
「いいぞ」
サンドイッチはいっぱいあるしな、蓮花は育ち盛りなんだから、好きなだけ食べるべきだ。
「湊もそのうち素敵な王子様が現れますよ」
「来るかなぁ」
「それ、父親の前でするな悲しくなる」
奈月と湊は相変わらず、恋愛トーク中だった。
だがここで、突然翔奈が爆弾を投下した。
「私、彼氏居るけど」
「なんだとぉ––––––––––––––––⁉︎」
「いや、嘘だけど」
「…………………………………………嘘かよ」
「お父さん、うち女子校だよ」
そうだった。中等部なんだから、女子校に決まってる。
「パパ、焦りすぎー」
「今の顔、とても面白かったですよ」
奈月と湊にもからかわれた。
そして、再び蓮花に腕を引っ張られた。
「ねーねー、もいっこ食べていいー?」
「……いいぞ」
沢山あるからな。お腹一杯になるまでお食べ。
翔奈は湊みたいなニンマリ顔で僕をからかう。
「でも、そういう反応なんだー」
「なんだよ、悪いかよ」
「私に彼氏出来るの嫌?」
「嫌だね」
僕はキッパリと言い切った。当たり前だそんなこと。お父さんあるあるだ。
翔奈に釣られ、湊も僕に同じことを尋ねる。
「じゃあ、みぃなは?」
「嫌だ」
湊も翔奈同様のニマニマ顔を浮かべ、僕に腕組みをしてきた。
「じゃあ、しばらくはママとパパをシェアするー」
「おい」
「娘とママのサンドイッチだよ、パパ」
「僕なサンドイッチの中身じゃないぞ」
とは言いつつも、内心ちょっとだけ嬉しいのは内心だ。
話もひと段落したので、僕はサンドイッチをもう一つ食べようと、思ったのだが––––ない、サンドイッチが一つもない。
僕の記憶の中から、蓮花の声がリピート再生のように聞こえてた。
『ねーねー、もいっこ食べてもいい?』
僕は、満足そうにお腹をポンポンとしている蓮花に訊く。
「蓮花、いくつ食べたか正直に言いなさい」
「んー? えっとねぇ––––」
蓮花は指を1.2.3.4.5と数えてから、何故か二本指を折って、
「みっちゅ!」
元気に言った。
……明らかに今、五つまで数えたと思ったんだけどなぁ。
でも咎めはしない。食べてもいいって言ったのは僕だし、僕は一つしか食べてないので、実質僕の分を食べたわけだし。
それに。
「蓮花、引き算出来るようになったのか!」
娘の成長っては、いつでも嬉しいものだ。
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