010 『お父さんは手を繋がないとはぐれちゃうでしょ?』


「じゃあ、次はお洋服見に行こっかっ」


 パパのも買ったげるよ、と湊は八重歯を見せつつ言い、先陣を切って歩き出した。

 それにしても人が多いなぁ。湊を見失わないようにしないと。まあ、目立つから見失うわけないけど。あのゆる巻きの金髪と、派手な服を見失うわけがない。


「ねえ、お父さん」


 なーんて考えていると、翔奈に声をかけられた。


「なんだ?」

「手、繋ごっか」

「いや、中学生にもなって手とか––––」


 ……と、いけない、いけない。こうやって翔奈を扱ってきたから、先日のようなことになったのだ。

 他の家庭は中学生の娘と手は繋がないと思うが、僕は違うぞ。

 でも意外だったな、翔奈から手を繋ぎたいだなんて。蓮花れんかや湊はともかくとして、翔奈からそんな事言われるとは思ってなかった。それに手を繋ぎたいだなんて、なんだ可愛いじゃないか、まったくしょうがないなぁ。

 だが、翔奈の思惑は全く違っていた。


「こんなに人が多いんじゃ、お父さんはぐれちゃうでしょ?」

「おい、僕は子供じゃ……子供です」


 身体は子供だった。

 中学生の娘と父親が手を繋ぐのではなく、中学生のお姉さんが五歳の子供とはぐれないように手を繋ぐ。それはどこの家庭でもよくあることだった。

 なんか納得出来ない理由だったものの、僕は差し出された翔奈の手を無言で握った。


「お父さん、手ちっちゃくてふにふにだね」

「揉むな、くすぐったいだろ」

「昔、お父さんと手を繋いだ時のやつやってみたい」

「ああ、アレか」


 人差し指を一本だけ出して、それを翔奈に握ってもらい、残りの指で翔奈の小さな手を包むようにするやつだ。手の小さな娘と上手に手を繋ぐために、僕が開発したやつだ。

 でもまさか、小さい側になる日が来るとは思わなかったし、娘に身長を追い抜かれるとも思わなかった。苦笑いだ。

 僕は一度手を離してから、翔奈の人差し指を握り、翔奈は僕の小さな手を包み込むように握る。


「ふふっ」

「何笑ってんだよ」

「弟が出来たみたい」

「怒るぞ」

「ねえ、お母さんとも昔は手を繋いでたりしたの?」


 ここで僕たちの話を聞いていたのか、湊が振り返り、


「パパは毎朝ママと行ってきますのチューをしてるんだよー」

「うそっ⁉︎」


 僕の秘密をバラしやがった。


「あとねー、ねぇねは結構早寝だから知らないかもだけど、休みの日とかは今でもお風呂に一緒に入ってるし、ねぇねが英会話スクールに行って、みぃながレンちゃんを連れて遊びに行ってる時とかはね––––」

「湊、タピるのに付き合うからもうやめてくれ」

「はぁーいっ」


 湊はニマニマした顔を浮かべつつ、前を向いた。危ない、危ない。なんてことを言おうとしたんだアイツは……。

 翔奈は湊のニマニマ顔を見つつも、深くは追求しないことにしたのか、話を戻した。


「お父さん、お母さんと仲いいんだね」

「仲悪そうに見えるか?」

「それは知ってたけど、今でもラブラブなのは知らなかった」


 まあ、隠してたし。湊には色々バレてたけど。


「ねえ、お父さん」

「何だ?」

「夜とかさ、お母さんとデートしてきたら?」

「お、おう?」


 意外な提案を翔奈からされ、ちょっと混乱して変な相槌あいずちを打ってしまった。

 しかし、それは難しい話だ。


「いや、蓮花れんかがいるし、お前らの晩御飯はどうするんだよ?」

「レンは私が見るし、ミナは料理出来るし」


 そうなんだよなぁ、湊は料理出来るんだよなぁ。昨日の味噌汁も湊が作ったって言ってたし。

 湊は日頃から奈月を手伝い、家事は一通りこなせるようになっている。もう本当に出来た娘だ。生徒に貰ったスタバ券を進呈しよう。


「だから、デートに行って来ても大丈夫だよ。たまには二人でゆっくりしてきたら?」

「……まあ、考えとくよ」


 曖昧な返答をしてしまったが、真面目な話、この提案はかなり嬉しかった。

 デートに行けるのももちろん嬉しいが、翔奈にそうやって気を使われたのも嬉しかった。いや、どちらかと言うとそっちの方が嬉しかった。

 なんだろ、初めて父の日にプレゼントを貰った時の事を思い出したね。

 いやぁ、嬉しいなぁ。


「そういえば」

「なんだ?」


 翔奈は僕を見て、悪い顔を浮かべていた。うわ、嫌な予感しかしないぞ。


「お母さんにもあのポエム言ったの?」

「…………」


 よし、しらばっくれよう。


「……ポ、ポエム? 僕はそんなの知らないなぁ」

「ふーん、今度お母さんにいてみようかなー?」

「お小遣いあげるから、やめてな」 


 翔奈のやつ、ちょっと見ない間にドSになっていやがった。今のをネタに僕はこれからも脅され続けるのか思うと、胃がキリキリとしてくる。

 ここは父親として、マウントを取るわけじゃないけれど、父親の威厳的なものを見せておくべきかもしれない。


「翔奈」

「なあに、お父さん」

「そうやって、歳上の人をからかうのはダメだぞ」

「歳上……ねぇ」


 翔奈はジト目で僕を見下ろした。言いたい事は分かる。確かに見た目は子供だ。だが、中身は違う。


「精神的には僕の方が歳上だろう」

「お父さんは、コーヒーにお砂糖入れないと飲めないよね」

「それは今は関係ないだろ」

「ピーマン食べれないでしょ」

「……それも今は関係ないだろ」

「うちのカレーが甘口なのは、お父さんが辛いのダメだからだよね」

「いや、それは蓮花れんかもいるわけだし、僕だけのせいじゃないと思うな」

「あとはビールも苦いって言って、全然飲んだことないとか」

「お酒を飲まないのは健康的だし、そもそも今は飲めないし」


 アルコールは五歳児の身体に悪影響が出るので飲めない。まあ元々、時々ワインをたしなむくらいだったので、飲めなくなってもあんまり辛くはない。


「総合的に判断して、お父さんは見た目も中身も子供だと思う」

「見た目はいいが、それは中身ではなく、味覚がだろ?」

「見た目がいい? お父さん、ナルシストだったの?」

「…………」


 翔奈のやつ、揚げ足を取るのがやたらと上手い。これは口喧嘩とか強いタイプだ!


「そういえば、お父さんは毎年バレンタインデーにチョコレートいっぱい貰ってるもんね」

「それは、僕の勤め先が女子校だからだ」

「二月十四日に紙袋持って学校行くの、お父さんくらいだよ?」

「だってそうしないと、全部持って帰れないし……」


 友チョコの延長なのか知らないが、僕は毎年生徒達から沢山チョコを貰う。食べ切れないくらい貰うので、大体家族で山分けになるのだけれど(生徒には毎回娘と嫁にあげていいかいてる)、それでも多いくらいで、八重垣やえがき家では、年明けからチョコレート禁止令が発令される。

 もうバレンタインデーが、別の意味で一大イベント化している。

 真面目は話をすると、奈月と娘達から貰ったチョコがあれば僕は十分だけどね。

 まあそれはさておき、だ。

 翔奈は多少脱線した話を元の軌道に戻す。


「とにかく、お父さんは子供なのよ」

「いいや、違うね、僕は大人だ」

「認めないなら、お母さんにポエム訊いちゃ––––」

「僕は子供です」


 娘に手を握られ、手玉に取られ、おまけに弱みまで握られた僕であった。

 なんか、僕の家庭内での地位がまた一つ下がったような音を聞いた気がした……はぁ。

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