第23話 学祭その一
学校法人大星学園は、高校・短期大学・四年生大学の三つから成っている。短期大学部には情報処理科、音楽科、幼児教育学科に文化学科と、いっちゃんの通う生活芸術科があった。ちなみに大学は家政学部や食物栄養学部など、これまた多彩な学部が揃っている。戦後の女性がつよく、美しく生きていくために開かれた学び舎なのだと、知り合ったばかりの頃、彼女が誇らしげに語ってくれた。
生活芸術科のある棟は、正門から入って右手にある。今日は文化祭。華やかに飾り付けられたキャンパス内を一瞥しながら、俺は右の棟へと入った。
日光が届かず、ひんやりとしたエントランスにはコーギーの木造彫刻。ぽてっとした特有の愛くるしさがよく出ている。
コーギーの隣にある机には、コーギーと同じくらい温かみのあるテイストの、スタンプラリーを兼ねた作品展示場のマップが置かれていた。
エントランスの左手には写真を学ぶためのスタジオがある。ここで入場者を撮影するイベントが組まれていて、午前の部は既に終わっていた。まだ午後の部が始まる時間ではないので、スタジオの扉にはまた後できてね、という貼り紙が貼られている。
ちょうどその重たい扉が開いて、中からスーツ姿のいっちゃんが現れた。
「早いねハル。」
紺のシャツに黒のジャケットを羽織り、黒のパンツで低めのヒールを履いて、伸ばしかけの髪をきっちり括っていた。高校生の時点で、服屋の店員に社会人と間違えられていた理由がよく分かる。今の姿で並んで歩けば、彼女は俺と同い年に見える。
「かっこいいねいっちゃん。」
「内部の人間だから一応ちゃんとしただけ。」
照れ笑いを浮かべる彼女には、相変わらず隈ができていた。けれどいつもより溌剌とした表情で先導を切るので黙っておいた。
階段を上がって真正面が、油彩画室その一。スタンプラリーは全部で三つ。スタジオとここと、左奥の講義室。俺にとっては一つめこそが目玉だ。
扉は開け放たれていて、中は立派な展示室となっていた。背丈の大きな有孔ボードを組み立て作品を飾っていくらしい。今回は作品数の関係で、部屋の壁に添うようにボードが立てられていた。例年より少ないけれど質は良い。いっちゃんはそう言いながらスタンプを押してくれた。
入口付近はデッサンや水彩、コラージュ、デザインなど。中央から奥は彫刻や油彩画の作品。
いっちゃんはよく田舎の芸術科だと謙遜するけれど、どの作品も十分に見応えがある。
一年生は専攻が未定なので、一人ひとりがそれぞれの分野で作品を展示していた。分野ではなくひとりの作品に焦点を当ててみると、分野ごとの得手不得手を感じた。全てをそつなくこなしているのは清水さんくらいで、いっちゃんのグラフィックとデッサンなんかは、出来に雲泥の差があった。俺は思わず笑ったけれど、一年生のグラフィックデザインとしてみるならクオリティは十分だった。笑われた彼女は居心地悪そうに俺を急かす。十分上手いって。そう言えば「やさしくしないで」と返ってきた。
右隣は彫刻。石膏像で、二人一組になってお互いの頭像を作ったらしい。いっちゃんと清水さんで組んだのだろう。いっちゃんが作る清水さんは少し戯けた表情をしていた。
反対に清水さんの作った彼女は、伏し目がちの表情と、少しの葛藤を宿した瞳が印象的だった。いっちゃんは最初のデッサンを元に作ったのだろうけど、清水さんは真正面で製作している彼女を見ながら作ったようだ。
「乃ノ夏が授業に来るかなんか分かんないからさぁ。いるときにデッサンして、いないときに造形進めての繰り返しだったの。なのに乃ノ夏はふらっときてさらっと作ってサボりやがって。」
俯き加減に愚痴るいっちゃんの、口角は少し上がっている。それは机上の石膏像も同じで、俺は清水さんの描写力に脱帽した。
くるりと振り返れば、f50号の雉。
灰色を基調とした画面に敷かれた色彩に息を呑む。彩度を保ったまま何層にも塗り重ね、削られて、凹凸に富んだマチエール。薄灰色の雉は所々ナイフで切りつけられていて、中から鮮明なクリムゾンが顔を出す。雉の見上げる曇天には、彩雲が隠れていた。その僅かな光を、雉は憂いた瞳に宿している。複雑に絡んだ色彩と情緒は、見るものを惹きつけてやまない。
キャンバスへ食い入る俺に、彼女は「まだ乾いてないから触らないでね」と笑った。瀬川伊月はこれを実質二週間で描き上げたらしい。
「…やっぱりいっちゃんはすごい。」
「…改めて言われると照れる。」
へへ、と笑う彼女の隈。シャツから覗いたか細いデコルテ。制作期間中はどれだけ食べても痩せる一方だと彼女は言った。これだけの作品を短期間で描くために、言葉通り身を削っている。
「今日このあとあいてる?」
「今日は、」
「美味しいものいっぱい食べよ。」
「ハル聞いて今日はバイトが、」
「別に良いよ。学祭中くらい仕事忘れて楽しみなさいって言ったでしょ。」
左の、入り口の方から聞こえた低い声。
「てっ…鮫島さんまで来てくれたんですか?!」
「円ちゃんの運転手としてね。さっき逸れちゃったんだけど、ここ集合って連絡きたからさ。」
見知らぬ男がこちらへ歩いてくる。俺より少し身長の低い、白のニットを着た男。彼は俺を見るなり、合点がいったように指差して笑った。
「伊月ちゃん、この人が前に言ってた……。」
じっと合っていた目が見開かれていく。それは俺も同じだった。目力の強い一重に細眉、そして左耳に開いた四つのピアスが、俺のよく知る人物を思い出させていた。向こうも同じで、近づくにつれて表情が明るくなる。
「立花じゃん!」
「……久しぶりです
ぽけ、と呆けた表情のいっちゃんに、俺は苦笑するしかなかった。
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