第10話 酒の席


 ハルだと一目見てわかった。生成り色をしたリネンのスタンドカラーとカーキのチノパン。少しだけくせっ毛で、ふわっと空気を含んだ黒髪。あれで別にスタイリングしてないっていうんだから贅沢なもんだ。

 向かって左の小柄な女子大生は、あまりこういう場所に出向かないのだろう。目新しい空間に嬉々として、ハルの右腕をつついていた。白に小花柄のスカートがよく似合う、なんとも可愛らしい人だった。


 目線を横にずらせば右側は漆黒。清水乃ノ夏は四季を通して黒い服を好む。高校の頃から知っている仲だけれど、カラーの彼女は制服以外見たことがない程の、自称モノクロ女。ワンレンのミディアムヘアに太い平行眉と濃いアイシャドウ。その風貌は私の好きなシンガーソングライターにちょっと似ていた。

「この後通夜なの?」

 乃ノ夏に会う時の決まり文句。乃ノ夏は講義の出席率がすこぶる悪い。そのくせ油彩も彫刻もグラフィックデザインも、やること全て百点満点という才女だった。教授も彼女のクリエイティブなところは高く買っていて、今回サブリーダーを頼んだそうで。講義室じゃあまり会わない乃ノ夏だけれど、大学の外ではよく遊ぶ仲だった。

「通夜でこんな露出するわけねえだろ。」

 オフショルにミニスカ。店内の冷房緩めてもらおうか、と提案するとニッコリ笑ってど突かれた。


 茶髪でセンターパートの大学生が、ハルを攫ってこちらへやってきた。目の前の椅子を引いても尚、ハルは私を私と認識しない。そりゃそうか、と、私は昨日円さんに切ってもらった髪を自分で梳いた。随分久しぶりのショートヘアは、やっぱり手入れが楽だなぁと思った。

 乃ノ夏がニコリと愛想笑いをして私の名前を呼んだところで、ハルはその目をまんまるくさせる。鳩が豆鉄砲食らったような、そんな顔。


 すぐに茶髪のリーダーらしきセンターパートが割り込んで自己紹介をした。あざらし柄というよりは、あざらしで出来た柄シャツがその人となりを表している気がしてならなかった。

 呑気な音頭につられて、居酒屋に乾杯の声と、グラスのぶつかり合う音が溢れた。銘々に話し始めた様子を見届けて、狩野真弘という人は少し真面目な顔でこちらを向いた。


「今回盆踊りを計画してる村、人災で避難命令が出てたでしょ。それが解けて最初の盆踊りなんだって。だから一人でも多くの村民が帰るきっかけになれたらいいね。…っていうのはうちの教授の受け売り。正直何年も村を離れてて、そこの出身でもない大学生がボランティアみたいな祭りをやったところで、偽善の飯事に過ぎないと思う。この話が出た時にさ、どうせ学祭みたいなノリで終わるだろうと思った。でもそれを打破するのは隈女による村のマスコットキャラクター制作だよ。間違いなくあの村に長くながく残るでしょ。だからそれを最大限に活かして、第二回三回、第何十回、って続いていくような祭りの発端を作れたらと思ってるんだよね。」


 大きな一重に収まる黒目が、聡い光を持っていた。それを見て、隣の乃ノ夏がニッと笑う。ハルはなんだか感心したような顔をしてゆっくり頷いていた。

「随分高く買ってくれてんだね。芸術科のこと。」

「佐々谷が俺の図面みて内装のイメージ描いちゃうんだもん。すごい技術だよ。希望言えばその通りに出てくるんだから。二人はそれを突き詰めてる凄い人でしょ。」

 乃ノ夏は満足げに笑ってすぐ、附に落ちたような顔をした。

「伊月が前に言ってた絵を描く友達ってこの人?」

「そうだよ。」

「元々社会人だった人?どおりでなんか落ち着いてんなと思った。」

「佐々谷ってフィギュアマスコットとか作ってたんでしょ?」

 狩野さんの言葉に、乃ノ夏はさらに表情を明るくした。

「伊月手伝ってもらいなよ。お前グラフィックデザインとか壊滅的じゃん。」

 半笑いの乃ノ夏が、ウィスキーのロックグラスを煽る。彼女は私の二つ上だった。いつのまにか前二人のビールも減り始めていて、そういえばハルがお酒を飲むところを初めて見るなぁ、なんて思った。

「こないだの伊月の課題酷かったもんな。途中で諦めました感満載で。」

「実際途中で諦めたからね。」

 そっと乃ノ夏から目をそらして、汗をかき始めた烏龍茶に口をつける。氷要りませんって言えばよかったな、と私は目を伏せた。狩野さんが運ばれてきたサラダを適当に分けながらハルを向いた。

「佐々谷その辺得意なんじゃないの?」

「基本的なことしか手伝えないと思うよ。」

「伊月はまず基本的なことが出来てないから。」

 カラカラ笑う乃ノ夏。穴があったら入りたかった。課題を提出した時の、教授の呆けた顔と、選びに選んだ慰めの言葉が、未だに心をヒリヒリさせていた。

「今回のマスコットだってデータで提出しなきゃいけないんだから。お前の得意な筆と絵具じゃ修正利かないからね。」

「デザインまでならできるんだよ…。」

「かたちに出来なきゃただの妄想だっつうの。」

「せめて空想って言って。」

 乃ノ夏はとても辛辣で、ケラケラ笑いながら人の痛いところを突いてくる。

 ハルが二杯目のジョッキを空にしながらこちらを向いた。ついでに空いた乃ノ夏のグラスも預かりながら、テーブルの端へ寄せて言った。

「来週末なら空いてるから、服と一緒にパソコンも持っておいで。途中で諦めたっていう課題のラフも。」

 にこりと笑うハルの、優しい瞳たるや。

「お話の途中にごめんなさい。教授から連絡があって、急用でこっちに来られないみたいで。」

 左から聞こえた愛らしい声。そちらを向けば、入口で見かけた可愛らしい女子大生が立っていた。

「そういえば大瀧先生遅いね。」

「今日無理っつってたのを私が伝え忘れてんね。」

「乃ノ夏の過失だね…。」

 狩野さんは軽く笑ってすぐ、簡単に紹介してくれた。この可愛らしい女子大生は此永綾香このえあやかさんといって、私と同い年だそう。狩野さんとハルがひとつずつ奥に詰めて、此永さんはハルの隣へ腰掛ける。グラスを持っていなかったので何か飲むか訊ねると、彼女は烏龍茶がいいと笑った。

「来週末、何かあるんですか?」

「佐々谷がねぇ、瀬川さんの課題見るんだって。」

「佐々谷先輩流石ですね、芸術科生に教えてあげられるなんて。」

「いっちゃんに教えられることなんて何も無い気がするけどね。芸術科で唯一の特待生だから。」

「いっちゃんさん優秀なんですねぇ。」

 きらきらした瞳がこちらを向いていた。内巻きの黒髪は彼女が笑うと控えめに揺れて、私はしばらく此永さんに釘付けだった。彼女は兎角愛くるしいのだ。ハルを女の子にしたらきっとこんな感じなんだろうな、というような、ふわりと優しい雰囲気を纏っていた。

 私の視線に気付いた此永さんが、小さく首を傾げた。私は慌てて弁解する。

「此永さんがハルにそっくりで。女の子版、って感じ。だからつい魅入ってしまって。」

 ぱぁ、と明るくなる表情。ハルへ腕を絡めて、少し悪戯っぽく笑った。

「顔が似てるカップルって長続きするらしいですよ。佐々谷先輩ってそういう人いないんですか?」

 そういえばハルの家は女っ気が無いな、と、振り返って思う。ただハルがまめな性格で、自分で家事をこなしている感じ。


 話題をふられたハルは何故か困ったような顔をしていて、何度か私と目線を合わせた後、此永さんの方を向いた。

「…声かけられて困ってた時に彼女のフリしてくれた優しい友達はいるよ。」

 ハルは含み笑いをした。狩野さんと乃ノ夏は何故か私を凝視している。一番初めに口を開いたのは狩野さんだった。

「佐々谷の浮いた話、聞かなさすぎるからさ。俺は勝手に既婚かゲイかの二択に絞ってた。」

「それは本当に勝手だね。」

「ついでに言えばそんな佐々谷に今週末の合コンの穴埋めをお願いしようかとも思ってた。ひとり来られないらしくて。」

「本当懲りないね絶対行かないから。それに週末はバイクの点検しに行かなきゃいけないの。」

「佐々谷バイク乗るの?!」

「たまにね。」

「ハルもしかしてあれ?家出て右の大っきい黒いの。私ずっと大家さんのかと思ってた。」

「うちの大家さんは最近免許を返納しました。玄関入ってすぐのとこに鍵あったでしょ。」

「ひとんちをそんなにまじまじ見ないよ。」

「いっちゃん図鑑にまっしぐらだもんね。」

 はは、と笑いながら、ハルは容易く三杯目のビールを空にした。顔が赤くなるだの上機嫌になるだの、そういう兆しは一切ない。

「佐々谷先輩の家ってどんな感じなんですか?行ってみたい!」

 きらきらした瞳がハルの方を向く。するとすぐさま乃ノ夏の声がした。

「此永っち、さっきから座敷で呼んでるけど良いの?熱烈ラブコールみたいだけど。」

「へっ?」

 乃ノ夏の言う通り、御座敷からは陽気な笑い声と共に、数人の大学生が此永さんを呼び戻そうと励んでいる。彼女と目が合うなり一人が飛び出して、此永さんを掻っ攫ってしまった。


 此永さんが去ってすぐ、仕切り直すかのように度数の強いお酒を頼みだす三人は、なんだか一仕事終えた後みたいに清々しい顔をしていた。私が首を傾げても、理由を教えてはくれなかった。

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