第27話 微睡のなかで(後編)


 

 靄の晴れた朱雀は存外溌剌としていた。


 青い髪を自身で梳きながら、今後の策を練り始めている。あれだけの狂乱を棚に上げて、すっかり味方の顔をしていた。音緒が顰め顔で言及すれば「だってかなめが争うなって言ったから」と何食わぬ顔で答えた。音緒は閉口した。


「もう、一気に劉伯を叩いたほうがいい。あいつさえ殺せば呪いは解けるんだもん。その後で融合を解くのは…今の時代ってその道は廃れてるの?」

「皇という組織がありますが、まずは二人の融合を止めなければいけない。」

「二の次だろ。」

「最優先です。」

「なんで。」

「お前、紅様を見て気付きませんでしたか。呪詛が解け、型を失った彼女は消えてしまう。融合したうつわを道連れにして。」


 呪いに蝕まれ続けた紅狐の限界はとうに超えている。皮肉なことに、今の彼女は劉伯がかけた人であり続けるという呪いによって、形を保つことが出来ているのだ。彼を葬り呪いが解けるということは、彼女の終わりでもある。


 朱雀は一度大きな溜息を吐いて、その長く青い前髪を掻きあげた。


「別に紅狐あいつなんか勝手に死ねば良いけどさ。自分じゃもうかなめから離れることもできないんだろ?それでお前は依代を探してる訳ね。その皇とかいう奴らは、紅狐をそっちに移す方法くらいは知ってるんだろ。」

「かつての神官ですからね。」


 囲炉裏は静かに燃え尽きていた。

 天を仰ぐようにして後ろへ仰け反った朱雀は、灰の残り香を吸い込んで、その背を冷たい床へと預けた。


「……今更耳飾りなんか見つからないだろ。あわいに行けない僕達ふたりで、どうしろっていうのさ。」

「なので別の手立てを。」

「あるなら最初からそう言えよ!」


 寝そべったのも束の間。朱雀は勢いよく体を起こして百目鬼へと抗議した。


「お前にも手伝ってもらいますよ。」

「良いよ別に。かなめの為なら何だって。」

「二言は無いな。」


 突然ぬっと、声がした。

 朱雀は勢いよく振り返る。

 漆黒の羽織を纏った、知らない男の顔があった。


「………………だれ。」

「先ほど話した皇の。」


 男はしれっと朱雀の隣に胡座を掻く。


「百鬼夜行はうつつの境に陣を置いているんだな。どおりで皇に捕まらない訳だ。」


 屋敷を一瞥したその男はじっと朱色の瞳を見ると、ひとつ頷いてから口を開いた。


「祠を弄ったのはお前だな。」

「悪かったよ。」

「塞いだことには塞いだが、漏れ出た瘴気は晴らせていない。」

「……あれを塞いだの?」


 朱雀の見立てでは祠の修復など不可能だった。

 あとは劉伯が間を抜け出て、こちらへやってくるのを待つのみだと、一人でほくそ笑んだのに。

 朱雀が面食らった顔のまま小さく礼を言えば、男は応と返した。そのついでに、ふっと笑う。


「野坂宗也は化け物に成ったか。」


 蛋白石のような瞳に反射する幽かな光。

 白け始めた空によく似ていた。朱雀には一目で、それが人間のものではないと分かる。


「…あんたその目、」

から借りている。」


 それ以上の言及はせずに、男は改めて百目鬼と神獣を見る。そして、すぐさま薄ら笑いを浮かべて片手を挙げた。


「じゃあ、一旦捕縛ということで。」

「……はっ?」


 正面の百目鬼は澄まし顔。


「お前なんか取引したな?」

「人間は面倒な生き物ですからね。筋書きが要るようです。」


 男は「確かに人間はめんどくさいな」と呟いた。そして音緒と朱雀、それぞれの親指を、棕櫚縄で蝶々結びにした。



 遡ること一日前。


 音緒は星の瞬く宵の中、ダムの畔に佇んでいた。

 用心棒の仕事を放棄して、寄るところがあると言ったのは決して嘘ではない。


 拐かしの悪鬼として捜索されている今、こちらの足取りは完璧に把握されている。ならばこのダム湖が、皇の及ばぬ層への入り口であることも割れているだろう。入り口を閉じるなどという大それたことは出来ない。しかしの対処はしておかなければならない。


「……さて、どちらが来るか。」


 偽の書状を送りつけた親玉か、本物の関守か。

 偽物が来るならば和解の余地は無い。そう推測する音緒の根拠は、骸を差し出せの一文にある。


 百鬼夜行に属する妖には、死する時、骸が残る者と残らない者がいる。種別や妖力差による分岐だ。

 頭の百瀬は存命中、それを踏まえた上で、百鬼夜行おまえたちの骸を決して人間へ渡すなと言った。


 人知の及ばぬ恩恵は、人間を必ず破綻へと追い込む。それは不老不死の力を与える人魚の肉と同じこと。都を護る我々が、都に災いをもたらしてはならない。そう話した頭の横顔を、音緒は今でも鮮明に記憶している。


 足音がひとつ、風に吹かれる草の音に混じった。


「本当に正装で来るとはな。百鬼夜行の鬼頭おにがしら。」


 薄ら笑いを浮かべるのは、関守・野坂紀明だ。


「頭はいないと言ったでしょう。」

「だが受け継ぐ者がいる。その槍が証拠だ。」


 朱の柄に紅の刀身を持つ妖槍は、ある人から譲り受けたと百瀬が言っていた。

 彼女がその人物より、「自分の最期を悟った時、次の主へ託すように」と云い使っていたことを、音緒は百瀬亡き後に知ったのだった。

 音緒は事実上の頭であるが、頭とは名乗らなかった。彼女以外に自分達の頭は務まらない。それは百鬼夜行の総意である。


 とはいえ、音緒の出方ひとつに百鬼夜行の存続がかかっている。


 正直、対峙するのが偽物であるならば、いくらでも躱しようがあった。しかし真の関守ではそうもいかない。


 聖獣さえ見透かす音緒がいくら目を凝らそうとも、野坂紀明にあるのは凪のような深淵だけ。決して広がらず、揺らぎもせず、消えたりしない。それが欺くための術であるのか、彼の根幹であるのか。音緒にはそれさえも分からなかった。


「うつわを殺せと命じたのは貴方ですね。」

「その話をしに来たんじゃない。」


 紀明は眉ひとつ動かさずに片手を掲げた。

 彼の手には、音緒へ送られた許可書が握られている。白衣はくえに皇の羽織を纏って、淡々と続けた。


「お前達の挙動にいちいち口を出すほど暇じゃないし死体に興味もない。…百鬼夜行おまえたちの力を借りたい。下準備が要る。皇に横槍を入れさせず、呪詛を解くための。」


 音緒は苦虫を噛み潰し、大変不服そうに腕を組む。力を借りたいという彼の言葉と、百瀬と交わした約束が、音緒の脳裏を駆けていた。



 皇が持ち掛けてきた和議や頼みは断らないこと。

 絶対にこちらから喧嘩を吹っかけないこと。

 どうしても皇との摩擦が大きいのなら、こちらが姿を晦ますこと。



 大層不利な約束事である。

 しかし百瀬は、笑みを崩さぬまま告げた。


「皇がどれだけ稀有な力を持とうとも、所詮はただの人なのよ。を選んだ時点で。それに比べて百鬼夜行は、人よりうんと神様に近い存在でしょう。だから大目に見てあげるの。あんなのは、いつでも潰せるわ。」


「掌を返した理由はなんです。」


 噛めるだけの苦虫を噛みながら、音緒はじっと漆黒の羽織を睨みつけていた。


「その背中の蔓裏菊ツルウラギクだ。」


 百目鬼の装束に大きく咲いた裏菊の花紋。捻じ鬼菊の花弁を守るように這う蔓。


「ただの妖行列で害をなすなら葬るまでと思っていたが。お前達、天皇家のものだろう。」

「それは今の皇に伝わっていないはずですが。」

「蔓裏菊の調度品が次期天皇の屋敷にあった。こちらの推測を、今お前が肯定した。」

「それで慌てて和議をねえ。」

「和議も何も。この書状は偽物で、俺達は始めから感知していない。」

「いくらいけ好かない師匠の殺害命令でも、放り出せるほど彼は荒んでいませんよ。」


 じろ、と睨む藤色の瞳に、紀明はひとつ息を吐き、両手を顔の位置で掲げた。


「あいつが意味を履き違えただけだ。…ただあいつの修行はそこまで終わっていない。さっき麻美に言われるまで気付かなかった。玄宗も驚いていた。」


 至極面倒そうに弁明を終わらせたこの男は、百目鬼の目から見ても育成者に向いていない。

 相棒の驚愕は修行の進行具合ではなく、お前の失態が原因だろうという言葉を飲み、黙り込む音緒。

 紀明は改めて、偽の書状を彼の前へ掲げた。


「俺達は葦原之国あしはらのくにの見えない剣だ。

   なあ同胞きょうだい。争う理由が何処にある。」


 瞬間、閃光が書状の角を駆ける。


 音緒がそれを火花と認識した頃には、書状は既に燃え尽きていた。


「何故それを知っているんです。」


 今、紀明が述べた口上は、うら若き棟梁が皇と和議を結ぶ際の決まり文句。百鬼夜行をただの妖行列とみなす今日の皇とは、和議を結ぶ機会など皆無。今の皇では誰も知り得ないはずなのだ。


「分水嶺。」


 それは皇に入門した者が受ける修行の、最後の試練。修行者が自身のを知るためのものだ。この試練を受けられるほどに高度な術者は、皇の中でも然う然う居ない。


「……既に廃止された試練のはずです。」


 一握りの優れた術者が、分水嶺によって命を落とすのだ。故に皇では、音緒の言う通り試練自体を廃止にしている。分水嶺を乗り越えた最後の修行者こそが、現幹部の三人である。


「……まさか貴方、」

「廃止と知ったのは終わって戻った後だった。章太郎ししょうにしこたま怒られた。」


 音緒は腕を組んだまま改めて関守を見た。蛋白石の双眸は、宵闇の中ではよく光る。


「皇に詳しいお前なら、これにも見当がつくだろう。」


 紀明は懐から、一つの呪符を取り出した。

 それを見た音緒の顔が、次第に顰められていく。


「貴方、相当歳を誤魔化していませんか。」

「次期天皇じゃあるまいし。」


 紀明が握るそれは、竹ノ宮の屋敷で撃退した式神に貼られていた呪符だ。皇の創立当初に使われていた呪符である。音緒が百瀬と日々を共にしていた時代の代物だ。


 百鬼夜行が天皇家の不正規部隊であることを突き止め、最古の札を持ち出した関守。

 音緒が、彼の望む助太刀の推測が終わるのとほぼ同時に、彼は薄く口角を上げて音緒に言った。


「しめじの親玉を探して欲しい。」

「………その呪符を用いた傀儡なり式神なりが次期天皇を脅かしている。古きを知る僕達であれば操り主の捜索は容易い。だから力を貸せということですか。」

「かしこいな。」

「馬鹿にしてます?」

「それが叶えば後ろ盾は次期天皇。皇が茶々を入れる隙はない。全てに片をつけるには打って付けだと思うがな。」

「まるで自分が皇の人間で無いかのような口振りですね。」


 紀明は音緒の言葉も、青筋さえ無視して淡々と続けた。


「全てが終われば、俺達は百鬼夜行に感知しない。留まるも流離うも好きにすればいい。」


 たかが関守二人に目を瞑られたところで、と言いかけた音緒はふと言葉を止める。そもそも彼らは百鬼夜行に感知していない。ならば彼のいう俺達とは、もっと広義に解釈すべきなのだろう。


「…全てが終わればと言いましたね。」

「ああ。」

「町を浄化した先、何処まで何を終わらせる気でいるんですか。」


 訝しげな音緒の額に、関守の親指が触れた。


 流れ込むのは、紀明がこれから成し得るつもりであろう計画の断片。


 彼は妖術を模してそれを伝えていた。

 偽の関守が潜んでいる手前、言葉にするのは迂闊だと踏んだのだろう。それにしても形式化されない術を自分も扱おうと思うあたり、やはりこの関守は異質である。


「……下手すれば死にますよ。」


 音緒は苦虫を噛み潰した顔を、今度は限界まで痙攣らせて関守を見た。彼は相変わらず淡々とした顔でいる。


「傾国の大妖を好機と捉えている。でなければ十年も泳がせると思うか。」

「ならば何故、今、見習いと素人に一任しているんです。こんなにも拗らせる意味が僕には分かりませんが。」


 紀明はおもむろに煙草を取り出して火をつけた。


「いつまでも手を引かれていては、あいつらも自由がないだろう。」


 煙草を挟む左手。

 薬指の煌きに、音緒はため息混じりに空を仰ぐ。星々は、薄曇の中でも確かに輝いていた。

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