第4話 彼女を狙うもの(後編)


「……騒々しいと思ったら…。」


 かなめの口から発せられた、妖艶で冷たい声。

 髪が紅く染まり、下から宗也を睨むように合わせられた瞳には、黄金の光がさしていた。


「お前、こいつに何をした?」


 頭ひとつ小さいかなめの体に、不釣り合いな威圧感。宗也がこれまでに対峙したどの妖よりも格の高い、清らかな妖気を放っていた。


 紅狐は鬱陶しそうに髪飾りを外す。昨日、宗也がかなめに贈った水引だ。紅狐はそれをスカートのポケットへ適当に突っ込んで欠伸をした。


「……ああ、なんだお前か。ははっ、そういうことか。かなめお前…おまえばかだなぁ。」


 胸に手を当て、何かを探ったあと破顔した紅狐に、宗也は怪訝な顔をする。そんな宗也の眉間の皺を小突きながら、紅狐は言った。


「吊り橋効果を履き違えたかんじかな。」

「…?」


 さて、と伸びをしながら、紅狐が宗也の腕をすり抜けていく。宗也は慌ててその腕を掴んだ。


「どこに行く気です。」

「浄化の続きだ。名前を知られた以上仕留めなければいけないからな。」

「それはあなたも同じことでしょ。あなたもかなめの名前を知ってる。」

「私を祓えるのか?小僧ひとりで。」


 紅の髪を揺らす紅狐。

 至極愉快そうであることが、宗也の苛立ちを募らせた。そんな宗也へ、追い討ちをかけるように、紅狐は喉の奥をクツクツ鳴らして、その妖艶な唇をつり上げた。


「もし私がかなめを攫うと言ったらどうする?」

「殺します。今すぐに。」


 喉の奥に燻る笑いが、咆哮にも似た哄笑へと変わり、音楽室へ飽和した。ひとしきり笑ったあと、改めて目を合わせる紅狐は、どこか優しい面持ちをしていて、宗也はますます怪訝な顔で黄金の光を捉えていた。


「待てと言った結果がこれか。悪くないな。」

「…あの、」

「お前は私を殺さない。あいつの大事なものを平気で壊すような男じゃないだろう。あいつを大事に思う奴がとうとう現れたわけだ。そうだな。悪くない。…悪くないなぁ。」


 紅狐は噛み締めるように、瞳を閉じて腕を組んでいた。何を満足そうに悦に浸っているのかと、宗也はため息を押し殺しながら、周囲の気配を探った。とっとと呪いの根源であろう悪霊を仕留めて、彼女が闊歩する前に撤収したかった。


「…悪霊なら音緒が全て葬ったなぁ。」


 紅狐の言葉通りだった。悪霊の気配はひとつ残らず消えていて、代わりに校内には、音緒の妖気が所々に感じられた。


「音緒は貴女の何ですか。」

「ちょっとばかし匿ってもらってたんだ。」

「…呪いをかけた術者から?」

「お前は賢いなぁ。」


 そう呟いた紅狐は、含み笑いを携えて宗也へ問うた。


「なあお前、滝に落ちたことは無いか?」


 何を急に、と眉間の皺を濃くしたところで、宗也に心当たりが出てくる。小学生の頃だった。それを教えてやるつもりのない宗也は、返答代わりに紅狐を睨みつけた。かなめの大事なものの護衛はするが、かなめと同じように情を向ける気は更々ないのだ。


「お前これから結界を張り直すんだろう。続きはその後に話す。大切な話なんだ。聞いてくれ。」


 宗也は渋々了承して、紅狐を連れて屋上へ向かった。途中すれ違う生徒が、こちらを二度見三度見していくのは、紅狐が宗也の手を離さない故だった。周囲には、皆の憧れの的である宗也と、女子の標的であるかなめが、仲睦まじく手を繋いでいるようにしか見えていない。


「見せつけておくべきだ。今後のために。」


 紅狐の言わんとしていることは宗也にも分かる。かなめに霊力が目覚めた今、従来通り希薄な関係でいられる訳がないのだ。それこそパートナーとして、密に連携を取らなければいけない。いつでも、なんでも話せる環境を整えることが最優先だ。


「かなめが一番嫌うやり方ですけど。」

「…こいつが恐れているのは、お前が居なくなることだけだよ。」

「…は?」

「だから鍛錬も欠かさないんだ。胸を張ってお前と並び立つために。」


 宗也は大きなため息をついて、その場へしゃがみ込んだ。


「俺だって、かなめが頼ってくれなきゃ意味無いんだよ…。」


 宗也は、紅狐が差し出す手をわざわざ取って立ち上がる。この様子を耳打ちしながら眺める生徒を一瞥して、二人は屋上へ繋がる階段へと歩みを進めていった。


 屋上から見る夕焼けは、まさしく絶景だった。山々の間から顔を出す太陽は、紅狐の瞳と共鳴するかのように光を放っていた。


 宗也はそんな紅狐を横目に、呪符を大幣おおぬさへと変えていた。次第に紙の擦れる音が響いて、宗也の唱える祝詞が、空気を清らかにしていった。


「お前、人間にしては力が強いんだな。」

「皇の古参は皆そういう血筋なんです。」

「…私と同じ匂いがする。」

「は?」


 お互い愛想はないが、自分を睨みつける小僧の根性を気に入ったらしい紅狐は、ニンマリと笑った。空の茜を透かした紅の髪が、清風に揺れていた。


「話の続きだ。」

「結界がなければ出来ない話って、例えばその呪いのことですか。」

「かなめはさっきの悪霊のせいだと勘違いしているけどな。かなめはじきに前世の記憶を取り戻すだろう。私のこと、国のこと、劉伯のこと。……探して欲しいのは劉伯だ。この町に必ず手がかりがある。」


 急に、紅狐が大きくふらついた。

 紅狐は支える宗也の手を掴み、左の肋骨へと押しつけた。


「当たり前だが、私が目を覚ましたから呪いも進むんだ。」


 直に触れた呪詛は熱をおび、更に体を蝕んでいるように感じられた。指先に感じたうねるような脈が、肋骨を這って上へ上へと伸びようとしていた。


「私はかなめの体から必ず出ていく。共倒れにさせる気はない。…でもこいつは、私達のことを思い出してしまったら、差し違えても約束を果たすだろう。次こそは、と。」

「…そんなの、」

「お前なら許すはずがないよな。だからそうなる前に、力を貸して欲しい。」


 黄金の瞳に滲み出る懇願。

 宗也は紅狐を支えながら、小さく頷いた。


「ここには皇の、関守がいるって言ったでしょ。状況次第で力になってくれるはずです。掛け合う努力はします。だから話せるだけのことを、俺に話してください。」


 紅狐がふっと笑った。


「見せた方が早い。」


 白い手が、宗也の頬を包む。

 ぐいっ、と力がかかって、宗也の額は紅狐のそれへと合わせられた。



 流れ込むのは紅狐の記憶だった。


 何千年も昔の王宮。

 石造りの大広間に雪崩れ込む兵士達。


 それを率いるのは、射干玉の黒髪を二つの円状に結えた小柄な女性。長い袖からのぞく手の甲には、火傷の跡がある。凛と伸ばしたその華奢な手が、兵士達を統率していた。


 彼女が、自分を守るように前へ出ていた。

 冷たい石に横たわる自分の体は、兵士達に支えられていた。彼女らが見つめるその先に、ひとりの人間がいる。


 長身で青い髪をした青年。

 獣を捕らえるかのように、数多の槍を向けられていた。髪に飾られた簪や、絹と毛皮で作られた高貴な装いは、彼が国王であると証明していた。


「瑠璃王よ。お願いです。王妃を自由にしてください。傾いた国は民達と立て直せます。しかし彼女だけは、貴方の力でなければ解き放てないのです。」


 清く澄んだ声音。

 国王へと歩み寄るその人こそ、この謀反の先導者だった。


「ならぬ!こうを私の側へ…!私が、私が守ると誓ったのだ!貴様には渡さぬ!私を裏切り、国を破滅へと追いやる貴様に、私の愛する紅を渡すものか!」

「呪いをかけ、部屋へ閉じ込めるのが貴方の愛し方ですか…!」


 ああ、また泣いている。


 彼女が案外涙脆いことは、この場でも自分しか知らないこと。自分の為に、彼女が人知れず涙を流していたことを、紅狐はよく知っていた。涙は隠せても、鼻声が治らないひとだった。証拠に今も、酷い鼻声で国王へ訴えかけている。


「あの日の貴方のように、私もあの子を守ると誓ったのです。本来ならばここで生きるべきではないあの子を、私は王冠で縛り付けた。それに見合う幸せをあの子へ与え続けると決めたのです。貴方を愛してやまないあの子へ、王妃として生きる道を教えたのは私なのだから……!」


 一瞬の出来事だった。


 国の誰よりも高い背丈には、それに比例する力があった。国王は槍を掴み、兵士を薙ぎ払い、その切っ先をその人の胸めがけて突き刺していた。彼はいつでも彼女の話を最後まで聞かなかった。


 引き抜いた刃は血に染まっていて、彼女の纏う黒い着物には刃と同じ真紅の滲みが広がっていった。ふらつく彼女の体を支えるのは紅狐だ。彼女は紅狐へ、力強い眼差しをもって言った。


「私が必ず呪いを解きます。別れなど一瞬です。私達より遥かに生きる貴女にとってはたかが数千年でしょう?……だから、待っていて。」


 王妃の姿を捉えた国王が、優しく微笑んでいた。瑠璃色の瞳は、深淵のような闇を湛えていた。


「ああ、紅よ。これでもう邪魔者はいない。私が守ると誓ったではないか。さあ、共に行こう。」


 彼女を抱きしめて、王妃はその手を真横へ掲げた。それは国王の手を取る為ではない。兵士達への合図だった。


「これより私が彼女の遺志を継ぐ。……この腐った国を終わらせるぞ!」


 王妃の咆哮と共に兵士達が押し迫り、国王には無数の槍が突き立てられた。血飛沫を上げた大きな体。石の床には二人分の血だけが流れていた。


 無血開城を望み、抜かりなく手を回したのは、今、ずるりと全身の力が抜けたこの腕の中の彼女だ。


「今、私を殺したとて呪いは解けぬ。人でありたいと願ったのは、紅。お前だろう。」


 国王は既に人ではなくなっていた。禍々しい瘴気に飲まれ、その体は黒く煤けて、闇と同化し消えていく。体から流れ出た血液だけをその場に残して。


 広間に響く王妃の慟哭を最後に、追憶は瞼の裏へと消えていった。

 


 宗也が瞼を開けた時、腕の中で眠るのはかなめだった。黒く艶やかな髪が夕陽に照らされて、仄かに熱を帯びている。それを梳きながら、宗也は大きなため息をついてその体を抱きしめた。



「俺だって、かなめが居なくなるより怖いことないんだよ。」



 掌に伝わる呪詛の脈。

 憎たらしいそれを打ち消せはしないかと、宗也はかなめを抱きしめる力を強めて、掌に霊力を込めた。


「たすけてって言ってよ。これ全部、かなめの為につけた力なんだけど。」


 腕の中のかなめがくすぐったそうに身を捩った。


 表情を覗き込めば、至極穏やかに眠りこくるかなめがいる。その細い腕を宗也へ回して、すこやかに寝息を立てていた。ますます憎たらしい。かなめが一度眠ったら簡単に起きないことを知っている宗也は、かなめのすあまみたいな耳たぶに噛み付いた。



 夕日の茜が校内に満ちていた。


 煌々とした廊下を、宗也はかなめを抱えて歩いていた。校内には思いの外生徒が残っていて、こちらを二度見三度見しては何か囁き合っている。そんなものには目もくれず、宗也は二人分の鞄と華奢なかなめの体を軽々と抱き上げていた。


「かなめちゃんどうしちゃったの?」


 すれ違いざまに声をかけるのは柚愛だった。宗也には、かなめにちょっかいを出している女子生徒という認識しかない。聞こえないふりを貫くか迷った宗也は、数歩進んでから足を止めて振り返った。


「貧血。」

「なんか手伝おうか?」

「大丈夫。かなめ軽いから。」


 柚愛が一歩進むと、宗也は静かに一歩引いた。


 近寄るなという真意を柚愛が汲み取ることはなく、彼女は心配そうにかなめの顔を覗き込む。覗き込んですぐ、安心しきって眠るかなめに口角を上げていた。


「ゆっくりおやすむんだぞ。」


 おどけた口調。

 滲み出る柚愛の人の良さに、宗也は肩の力を抜いて少しだけ笑った。

 かなめへ顔を近づけていた彼女はハハン、と鼻を膨らました。かなめの耳に残る歯形を見つけたらしかった。


「やっぱり付き合ってんじゃん?」

「…俺の片思いだよ。かなめ鈍いから。」

「その顔でも叶わないことあるんだね。」

「どういう意味。」

「別にィ。寝込みは襲うなよ青春ボーイ。」


 からからと笑って柚愛は手を振る。迷惑そうに別れの挨拶を交わして、宗也は校舎を後にした。

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