19.決着

 淡い魔力光をまとって飛来する青年。

 その姿は、魔獅子からすれば格好の的であった。


 魔術を使った跳躍は直線的で、自分に向かって来る分には静止して見えた。

 しかも、投剣がぎりぎり届く距離から跳躍しているため、対処できる時間的な余裕もあった。


 青年は跳躍中に投剣を放つが、魔獅子の眼前で魔法に阻まれる。


 この魔法は脅威を察知すると無意識に展開される。いったん攻撃の気配に気づけば、それ以上は注意を払う必要すらない。

 つまり、投剣は牽制けんせいにすらなっていない。


『馬鹿め! 空中では避けられまい!』


 魔獅子は青年に向かって必中の魔力弾を放った。


 だが、魔力弾は上へとれ、青年の背中ぎりぎりを通過してゆく。


『なに?』


 青年が軽やかに着地した瞬間、魔獅子はようやく悟った。

 魔力弾がのではない。目の前の青年がただだけだ。

 体重を消していた魔術を解除し、普通に落下したのだ。


『だが、遠い!』


 魔術を解除したことで、魔獅子に到達するはずだった跳躍は中途半端な距離で終わっていた。

 青年の得物である短剣では到底届かない距離だ。


 しかし、青年は距離などお構いなしに短剣を振るう。


──ドン!


 思いのほか大きな踏み込みの音が響いた。

 その直後、青年の手を離れた黒い刃の短剣が魔獅子に迫る。


『無駄だ!』


 投剣が短剣に変わったところで、魔法を破るほどの質量はない。


 魔獅子は短剣には注意を払わず、ただ、無手となった青年が次にどう出るかに注目していた。

 しかし魔獅子の予想に反し、その短剣は何事もなかったかのように魔法を貫き、魔獅子の胸元へと突き刺さった。


『馬鹿な!?』


 魔獣特有の硬い毛に阻まれ、短剣は致命的なほどには深く刺さっていない。

 それでも、突然の痛みに魔獅子は意識の大半を持っていかれる。


 その虚をついて、青年が魔獅子の懐へと飛び込んできた。


『させぬ!』


 魔獅子は痛みをこらえて前脚を振り下ろした。

 すんでのところで青年をとらえた前脚は、しかし、何の抵抗もなくその体を素通りする。


『な!』


 次の瞬間、青年の姿がかき消えると同時に、前脚に何者かが抱きついた感触が伝わってくる。

 何事かと視線を下ろすよりも先に、腹を蹴り上げられる衝撃とともに、視界の中で天地が逆転した。


『がはっ!』


 魔獅子の体は背中から地面へとたたきつけられた。

 一瞬だけ息が止まり、目がくらむ。


 気づいたときには、青年が魔獅子の胸に馬乗りになり、胸から引き抜いた短剣を魔獅子の喉元へと突きつけていた。


『く、何が起きた? 何だ、今のは!』


「さて、いろいろやりすぎて、どれのことを言っているのかさっぱりだ。聞きたきゃ魔獣を止めろ。さすがにふたりとも疲れてきたみたいだしな」


 一瞬、魔法を使って青年を跳ね除けられないかと考えた魔獅子だったが、体勢が悪すぎた。

 魔法だけでは青年の腰を浮かすのが精いっぱい。その間に短剣が喉に突き刺さるだろう。

 魔法を難なく貫くその短剣を、確実に防ぐ方法が魔獅子には思い浮かばない。


『魔獣たちよ、動くな! 止まれ!』


 魔獅子は自分の声が魔獣たちに届くのを感じた。

 魔鹿まろく魔兎まとの動きがピタリと止まる。


「ひゃー、さすがに疲れた」


「アルバ殿、少し時間をくれ。息を整える」


「了解。よかったな、仲間の体力が回復するまで、お前の質問に答えてやろう」


 すでに勝敗は決した。

 今の魔獅子にできることは、死ぬまでの時間を稼ぐことだけだ。


『さきほどの跳躍と幻術、貴様は魔力持ちなのだろう? 我を投げ飛ばせる筋力など、持ちうるはずがない。それに、その短剣は何だ?』


「その跳躍と幻術を同時にまかなう魔力すらないがな。魔素の昇華を防ぐ小箱に、粉末にした魔石をたんまりと入れておいた。それが一気に昇華したからな、迷宮より濃い魔素に酔いかけたよ」


 魔石の知識を魔獅子は持ち合わせていない。

 迷宮で取れるとは聞いたが、魔獅子が獣に落とされた十年前にはまだ珍しい代物だった。


 青年の魔力が思いのほか少ないことは理解できた。

 しかし、それでも魔獅子の巨体を投げ飛ばすほどの筋力があるとは思えない。


『我を投げ飛ばしたのも魔術か?』


「そうだ。だが、それにも魔力が足らなかったからな。お前の魔力を借りた」


『なんだと?』


「最近、魔力をまとった状態の同僚に抱きつかれる機会が多くてな、それで気づいた。【浮力】の魔術を使うとき、物体を包む魔力は自分で賄う必要はない。おあつらえ向きに、お前が自分で魔力をまとってくれたからな。触れると同時に、お前を包む魔力で【浮力】を使った。軽くなったところを持ち上げてから、【浮力】を切って落としただけだ」


『他人の魔力を利用しただと!? そんなことが可能だというのか!?』


 人間だったころは魔力持ちではなかった魔獅子だが、軍を動かす者として魔術の基礎知識は持っている。

 しかし、他人の魔力を利用するという話は聞いたことがない。


「知らんよ。実際できたから、可能なんだろ? あいにく魔術には詳しくない。まあ、魔力に所有者の名前が書いてあるでなし、できない道理はないだろう?」


 人は常識にとらわれ、できない道理のないことを、実際にはやろうすら思わないものだ。

 そんな常識に縛られる人々を見下してきた経験をもつ魔獅子は、この青年に強い興味を抱いた。


『その短剣は何だ? なぜ、我の魔法を貫けた』


「こいつはただの拾い物だ。迷宮の宝箱から出た『あたり』だな。【魔力耐性】物質でできてるんじゃないか?」


『ふざけるな。その短剣一本で城が買えるぞ? そんなものが安々と手に入るなら、どの国も血眼ちまなこになって迷宮を攻略するだろう』


「そうか? 拾ったのは子供のころだったから、どの迷宮だったかも覚えてないんだが」


 魔獅子は驚愕きょうがくした。

 迷宮は中つ界で最も危険な場所と呼ばれている。

 そこに子供を連れ込む馬鹿が、どこの世界にいるだろうか。


 この青年もまた自分と同じ、人としてのことわりから外れて生きてきたに違いない。魔獅子はそう確信した。


『ふ、ふはははは。ふざけた男だ。気に入ったぞ!』


「そうかい。さて、質問は終わりか? 俺もお前にひとつだけ聞いておきたいことがある」


『いいだろう。答えてやるぞ、ねずみ。いや、確かアルバと呼ばれていたか』


「なぜ、ただの獅子に落とされたはずのお前が、魔獣になった? 普通、ありえないはずだが?」


『……十年前、我は復讐のための力を欲した。そこで、古くからの伝承に頼った。魔の森深くにあるという、とある迷宮の話だ。我は自ら魔の森へと入り、探し、そして、見つけた』


「伝承の迷宮だと?」


、そう呼ばれる迷宮だ。人ではない我は、魔人ではなく魔獣に成ったわけだがな』


 その瞬間、アルバの表情が苦渋にゆがむ。


「……それは、北西の森、いや、帝国からすれば南西の森にある、黒い門のある迷宮か?」


『ほう、知っているのか。我が皇家に伝わる秘伝かと思っていたぞ』


「……そうか。因果なものだな。話は終わりだ。お前を殺せば、魔鹿がまた暴れだすかもしれんが、まあふたりとも回復したようだし、逃げ切るくらいはできるだろう」


『……そうか、これで終わりか……』


「ああ」


 死を前にして、魔獅子の心は不思議といでいた。


 なぜだろう、と自問すると、ひとつの答えが浮かんだ。

『負けた』からだ。


 思いどおりにならないことなら腐るほどあった。いや、思いどおりにならないことだらけの生だった。

 しかし、思いどおりにことを進めて、その上で『負けた』と思えた経験はかつてなかった。


『思えば、生を受けて以来、一対一で負けたのはこれが初めてだ。光栄に思うがいい』


「下らん。こっちは切り札を四枚も切った。箱は今回のために用意したし、最後の一枚はお前が魔力をまとってくれたおかげだ。【遅延】も【浮力】も手に入れたのは最近のこと。最初から持ってたのは、このダガーだけだ。これだけの手札がそろって勝てなきゃ、やってられんよ。何も用意していないお前が迂闊うかつなだけさ」


『ああ……そうか。いついかなるときでも、地力だけでなんとかなると思っていた。……そうか、我は、他者をすべて下に見ていたのだな』


「いまさらだな」


 魔獅子は気づいた。

 今、目の前にいる青年、アルバという名のただの斥候は、万全を期して自分の前に立った。

 そして自分と渡り合い、勝った。


 それに比べて自分はどうか。

 神という格上の相手に対して、あまりにも無策に歯向かった。

 いや、そもそも神を格上とすら見ていなかったのではないか。


 しかし、それもこれも、アルバの言うとおり、いまさらだ。

 そう思うと、とてつもない後悔が押し寄せてきた。


『まったくだ。ああ、ベルよ。お前のかたきを討てない父を許しておくれ。我が愛しき娘ベルよ。この男のような者が配下にいれば、お前を守れただろうか……。紅の姫をあの愚かな民衆から引き離せただろうか……。今にして思えば、我の周りに信頼に足る者など、誰ひとりいなかった』


「くそっ。やめろ! 感情がだだ漏れだ。厄介な魔法だな」


【支配】の魔法は心の声を相手に伝える。

 ときとして魔獅子の考える以上に、魔獅子の思いを相手に伝えてしまう。


 そして、今、魔獅子は心から思う。


『アルバ、お前にもっと早く会えていれば。お前のような配下がいてくれたなら……』


「や……めろ……」


 魔獅子の胸の上で、アルバがうめいた。


「アルバ殿?」


 赤毛の女神が異変に気づく。


 だが、もう遅い。もう、


「来るな! 逃げろ! ここから離れろ!」


 この期に及んで、いまだ冷静に状況を判断し、アルバが声を張り上げた。


「アルバ殿!」


「なっ!? ケイティ、逃げるよ!」


「待て、ユリシャ! 一体何が」


「ユリシャ!」


 その場を動こうとしない赤毛の女神に見切りをつけ、アルバがもうひとりの女を叱咤しったした。


「わかってる! ケイティ、ほら、逃げるよ! 魔獅子の狙いはあんただ。アルバにあんたを殺させたいの!?」


「ユリシャ、何を言っている? アルバ殿!」


 赤毛の女神はいまだ状況を把握できていない。

 いや、わかっているのに、認めようとしないだけだ。


 もうひとりの女が、赤毛の女神を引きずるようにして、この場を去ってゆく。


 魔獅子は湧き上がる歓喜に打ち震えた。


『ふふふっ。ふははははははっ。あーっははははははっ! 手に入れたぞ! だ。最強の切り札だ!』


 魔獅子は確信する。

 この青年は千を越える魔獣の大群に匹敵する。いや、それ以上だ。


「アルバ殿ぉー!」


 赤毛の女神の絶叫を、魔獅子は至福の中で聞いていた。

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