15.街は魔獣の猛攻に晒される

 スタークの街の中央に建つ神殿は、街の規模からすると釣り合いに立派な造りをしている。

 それは、ここが時氏神をまつる第一神殿であった過去に由来する。


 第一神殿とは、氏神を祀る氏子のおひざ元に建てられ、氏子によって直接管理される神殿である。

 氏子の多くは今や王族や高位貴族であり、そのおひざ元はいずれも大都市に発展している。


 つまり、スタークの場合、神殿が立派すぎるのではなく、街のほうが例外的に発展途上なのである。

 数百年の間、時氏神が中つ界で力を失っていたため、当然の成り行きといえる。

 辺境が迷宮特需の恩恵を受けていなければ、もっと不釣り合いな状態になっていた可能性が高い。


 時氏神の依代であるマーキナーが帰還したことにより、内々ではあるが、スターク神殿は時氏神の第一神殿に復帰した。

 それでも、ほかの第一神殿と同様に、ささやかながらも他の主要な神々の御神体が神殿の一角に祀られている。


 そんな御神体のひとつ、地母神が宿るとされる神木の鉢植えを前に、モナはひざをついて祈りをささげていた。


「地母神様。魔素に侵され、魔法に操られし獣らを殺めること、どうかお許しください」


 地母神は大地の神であり、動植物を庇護ひごする神である。

 怒りを買うと大地震を起こすとも言われ、最もおそれられる神の一柱だ。

 また、地の底にあるとされる魔界との関わりも深く、魔獣すらいつくしむという。


 神から見れば人もまた動物でしかなく、動物同士の生存競争は自然のことわりである。

 ゆえに、地母神も人が動植物を食らうことを許し、害獣を駆逐してもとがめることはない。


 ただ、たわむれに獣をあやめると地母神に嫌われるとされている。

 そのため、それが娯楽目的だとしても、狩りの獲物は必ずしょくすのが中つ界での常識だ。


 駆除した害獣も可能ならば食べたほうがよいとされる。

 冒険者が魔獣の肉を食すのも、パーティーに所属する神官が広めた習慣らしい。


 神は人を依怙贔屓えこひいきはしない。

 ただ、人だけが信仰心を持ち、その対価として恩寵を賜る。

 ゆえに、正当な対価である恩寵を用いて獣を狩るを神は許す、と神学では説く。


 それでも、多くの神官は恩寵で獣を害することを嫌い、相手が魔獣でも事前に地母神の許しを乞う。


 信心深いモナだが、冒険者としての割り切りは他の神官よりも潔い。

 彼女は魔獣に対して必要以上に同情的になることはない。


 だが、今回相手は、元人間である魔獅子に操られた魔獣である。

 それらの魔獣を殺すことは、正当防衛として許容されるだろう。

 それでも、その行為は間違いなく地母神を悲しませる。


 だからこそ、今回のモナの祈りはいつも以上に深い。

 その根底には、地母神の悲しみに少しでも寄り添いたいという願いがある。


 神殿の扉が開き、モナの背中に光が差した。


「モナ、魔獣が動いたわ。どうやら西門が狙いみたいよ」


 ラキアの静かな声に、モナは祈りを終えた。


「はい。行きましょう」


 静かに立ち上がったモナの表情は、彼女には珍しく、悲壮なほどの凛々りりしさにあふれていた。




 スタークの街の四方に建つ大櫓おおやぐら、その中で西の大櫓は西門を見下ろす位置にある。

 その大櫓の射手用の足場に立ち、狩人のアーガスは街の外に目を凝らしていた。


 北に広がる森から無数の影が姿を現し、街の西側の平地を進んでくる。


「ひゃあ、すごい数っス。ってか、なんスか、あれ?」


 魔獣を見慣れているアーガスですら、そのいびつな影の正体はわからない。

 やがて影が近づくにつれ、それが背中に魔猿まえんをしがみつかせた魔猪まちょの大群だと知れる。


「……まじスか。あんなの初めて見るっス」


 気の荒い魔獣が種別を越えて共闘するなど、魔獣狩りの専門家を自負するアーガスでも聞いたことがない。


 そのとき、ひとりの兵士が射手用の足場に上ってきた。

 兵士が背負っていた大きな袋をその場に置くと、中からジャラジャラと小石がぶつかる音が聞こる。


「なんスか? これ」


「魔石よ」


 アーガスの質問に答えたのは、兵士ではなく、梯子はしごから頭だけをのぞかせたラキアだった。


 ラキアと入れ替わるように兵士が梯子を降りてゆく。


「魔石? これ全部っスか?」


 個々の大きさにもよるが、この全部が魔石なら一財産だ。

 仮に砂利大のクズ魔石だけだとしても、一晩は豪遊できるだろう。


 ラキアは魔石の袋を開けて中身を確かめ始めた。


「領主様が使ってくれって。太っ腹よね。クズ魔石が多いけど、そのほうが速く昇華するから助かるわ。在庫一掃ってとこね」


 魔石を鷲掴わしづかみしながら、ラキアが不敵な笑みを浮かべた。


 そのとき、遠くから魔猿の鳴き声が聞こえ、続けてとどろくような無数の足音が響いた。

 魔猪が突撃を開始したのだ。


「というわけで、魔力切れの心配もないし、のっけから特大の行くわよ!」


 魔石を袋に戻したラキアが、立ち上がって両手をかかげた。

 その頭上に、バチバチと音を立てて、特大の雷球が現れる。


「ひえぇ」


 アーガスは思わず首をすくめてうずくまった。

 これほど高出力の魔術を間近に見るのは、アーガスにとって生まれて始めての経験だ。


 西門に魔猪の群れが迫る。


「いっけえ!」


 ラキアが両手を振り下ろし、雷球を塀の外へと投射した。

 魔猪の大群の頭上で雷球が炸裂さくれつし、目もくらむほどの閃光せんこうとともに無数の落雷が発生する。


 直後、多数の魔猪が走っていた勢いのままもんどり打って転がった。

 その背中にしがみついていた魔猿も投げ出される。


「【速さを授けよ】!」


 頭上斜め上、大櫓の物見台からモナの声が降ってきた。

 アーガスの頭上に光輪が宿る。


「ほら、何やってんの! さっさと撃つ!」


「は、はひぃ」


 アーガスが慌てて矢をつがえて射った。その腕の動きは、まさに目にも留まらぬ速さだ。

 射った本人もキョトンとしている。


「へ? なんスか、コレ?」


「恩寵よ。あんたのとこの神官はまだ使えないんだっけ? ほら、効果時間がもったいないから、どんどん撃って! 狙いは魔猿よ。一匹でも確実に減らして!」


 ラキアが小粒の魔石を手に握りながら怒鳴った。


「了解っス!」


 アーガスは塀の外の魔猿に向けて矢を放ち始めた。

 もともと速射は得意なようで、恩寵の効果も重なり、腕がかすんで見えなくなるほどの早業だ。

 たったひとりで雨のように矢を降らせている。


「は、はははは。なにこれ、楽しース。あ、矢筒が空」


 あっという間に空になった矢筒を新しいものと交換し、アーガスは射撃を再開する。

 その狙いは正確で、次々と魔猿を射抜いてゆく。


「よっし、回復ぅ!」


 手元に雷球を作りながら、ラキアは周囲を見渡した。


 ラキアが初弾で放った【多重雷】とアーガスの狙撃により、多くの魔猪と魔猿を無力化できた。

 しかし、敵は圧倒的な数だ。

 すでに多くの魔猿と魔猪が塀に到達している。


 塀をよじ登ってくる魔猿を兵士たちが槍で懸命に追い払っているが、一部はすでに塀の中へと入り込んでいる。

 西門をふさいでいる木組みの綱をかみ切ろうとして、背中から冒険者にたたき斬られている魔猿もいる。


 一方で魔猪は外から何度も塀に体当たりを続けている。

 塀を構成する丸太がきしみを上げ、丸太同士をつなげている縄も伸び切って、何本かの丸太が傾き始めている。


「そこ! そこ! そこぉ!!」


 ラキアは塀の外の魔猪へと【迅雷じんらい】の魔術を投射した。

【迅雷】が命中した魔猪は体を硬直させて次々に倒れてゆくが、それでもすべての魔猪を倒し切るにはいたらない。


 魔力が尽きたラキアは、袋に手を突っ込みながら考えを巡らせる。


「魔猿が街へ向かったら面倒だったけど、なんか門を開くことに執着してるわね」


「そういや、そうっスね。なんでかな?」


 ラキアに答えながらもアーガスの手は止まらない。


「そう命令されてんのよ、きっと。街の人間を襲っても、私たちが防壁の死守を優先すると思っているわけね」


「ええ? そんな……でも、あれ? どっち優先すべきっすか?」


「そりゃ防壁優先よ。突破されれば被害が増すもの。それでも目先の被害が出れば、こちらは動揺する。それを作戦に組み込まないってのは、律儀なのか、人の心を理解できてないだけか……」


「敵の後続が来たっス」


 北の森から出てきた魔狼まろう魔熊まゆうの群れが、体力を温存してか、全速力にはほど遠い速さで平地を進んでくる。


「よし、間に合った」


 魔狼と魔熊が平地の中央付近に到達した時点で、魔力を回復し終えたラキアがまたも巨大な雷球を頭上に作った。


「そこだ!」


 放たれた雷球が平地の中空で炸裂し、無数の落雷を生む。

 かなりの数の魔狼が転げるが、魔熊は一瞬硬直するだけで再び駆け出す。


 塀にたどり着いた魔熊が立ち上がり、塀に手をかけた。

 その背中を駆け上がった魔狼が、塀の上を飛び越えて中へと侵入してくる。


「嘘でしょ! そんなのあり?」


 多数の魔狼の侵入を許し、西門の内側は大混乱におちいった。


「くっ。魔力の回復が間に合わない」


 ラキアは手に魔石を握ったまま、暴れまわる魔狼を見ているしかない。


 幸いアーガスの放つ矢が多数の魔狼を射止めているため、なんとか兵士たちも戦えている。


 そんな混戦の中で、意外にも活躍しているのがサーバレンだ。

 右手のレイピアで魔狼の接近を防ぎつつ、左手の【雷撃】で魔狼をしびれさせている。


 しびれた魔狼をサーバレンの両翼を守る兵士が槍で次々に仕留めている。


 サーバレンの放つ【雷撃】は、明らかに制御が甘く、射程が短い上に狙いが大雑把だ。

 後衛なら役立たずも甚だしいが、自らが前衛も兼ねているため、問題なく戦えている。


「臆するな! クルスタークの兵は精鋭ぞろいだと思い知らせろ!」


「「「「「「おおー!!」」」」」」


 柄にもなく威勢のよいかけ声を上げたサーバレンに兵たちが応じた。

 なかなかに士気も高い。


「へぇ、面白い戦い方ね。さすがに毎日魔獣狩りに出かけてるだけあって、それなりにさまになってるじゃない。ま、兵を鼓舞してるセリフは子爵の受け売りだろうけど」


 魔力の高い者は筋力に劣るため、剣術など習得せずに魔術を極めるのが常識だ。

 剣術を優先させるほど魔力が低い半端者は、そもそも【雷撃】を連射などできない。

 つまり、サーバレンのような戦い方をする者は、この世界にはほかにいないのである。

 幼いころに魔力を枯渇こかつさせ、乏しい筋力で必死に剣術を習得したサーバレンならではの戦い方だ。


 西門の外では、立ち上がった魔熊が両手で何度も扉部分をふさいだ板を打ち据えている。

 板がきしみを上げてゆがみ、それを支えている木枠の綱がブチブチと千切れた。


「や・め・な・さ・い!」


 魔力が回復したラキアは、魔熊の背中に【迅雷】を放った。


 背中を撃たれた魔熊は、その場に倒れる。

 が、すぐに次の魔熊が西門へと取り付く。


「おりゃ、おりゃ、おりゃ、おりゃっス」


 アーガスの放つ無数の矢が雨あられと降り注ぎ、門に取り付いた魔熊の背中が針刺しのような有様になる。

 だが、魔熊の分厚い毛皮に阻まれ、浅く刺さっただけの矢は、魔熊にはあまり効いていない。


「こら! 矢を無駄にしない!」


 アーガスを叱咤しったしながら、ラキアが魔熊の背中に【迅雷】を放った。

 魔熊が硬直して動きを止める。


「あんたは魔狼を倒して! 動いてる魔狼に矢を当てられるのなんて、この街でもあんたくらいなんだから!」


「うう……了解っス あ、なんか、切れたっぽいッス」


 アーガスの頭上の光輪が消えた。

 恩寵の効果時間を過ぎたのだ。


「モナ!」


 ラキアが物見台を振り仰ぐと、櫓の上から下を見下ろして戦況を確認していたモナがうなずいた。


「【速さを授けよ】!」


 アーガスの頭上に再び光輪が輝くと、アーガスは門の内部に進入した魔狼に次々に矢を放ってゆく。


 現状、この戦況を支えているのは、魔石を湯水の如く消費しながら戦っているラキアと、アーガスの弓の腕、そしてその弓の回転率を向上させているモナである。


 弓は【力を授けよ】では強化できず、迷宮内では射程を活かす機会も少ないため、冒険者には人気がない。今も魔熊には力不足だ。

 だが、多数の魔獣を相手にするこの状況では、その手数は圧倒的に有効であった。


──ドゴン!


 突如、背後から鳴り響いた音に、ラキアは慌てて視線を巡らせた。


 さきほどまで魔猪が体当たりを続けていた辺りに魔熊がさらなる強烈な一撃を加え、ついに塀を構成する丸太の一本が完全に倒れたのだ。

 さらに、その両脇の丸太も大きくかしいでいる。


「魔熊を中へ入れるな!」


 兵士たちが崩れた塀の内側を囲み、槍で魔熊を牽制けんせいする。

 その槍兵の背後を守る盾持ち兵へと、塀の内側に侵入していた魔狼たちが殺到する。


 さらに、その魔狼を冒険者たちが背後から斬り伏せている。

 冒険者たちの先頭で戦っているのはガットロウだ。


「いっけぇ!」


 ラキアは塀の外にいる魔熊へ【迅雷】を放った。


 雷撃でしびれて棒立ちになった魔熊に、兵たちが繰り出した槍が何本も突き刺さる。


「もう魔力切れ? 魔石もつかしら?」


 ラキアは魔石の入った袋へと手を突っ込みながら、さすがに焦りの表情を浮かべる。


「この分じゃ、そう長くはもたないわ」


 戦場を見渡して、ラキアは旗色の悪さを感じた。


 兵たちは明らかに疲労の色が濃くなり、動きが鈍ってきている。

 すでに何人か怪我人が出ているようで、兵自体の数も減っているように感じる。


 塀が崩れた場所にはガットロウが仁王立ちし、死守の構えを見せている。

 ガットロウであれば魔熊くらいどうとでもなるだろう。


 しかし、ほかにもう一箇所でも塀が崩れれば、状況は一気に悪化する。


 ラキアが物見台を見上げると、ちょうど下を確認していたモナと目が合った。


 ラキアの言わんとすることを察したのか、モナが首を横に振る。


「まだなの? ほんと、早くしてよね、アルバ」


 手の打ちようがない状況にいらだちながら、ラキアは北の森へとすがるような視線を向けた。

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