14.前衛と斥候は魔狼に対峙する

 魔の森がざわめいていた。


 数百匹という魔獣の群れが、木々の間を抜け、下草を踏みしめながら行進している。

 その息遣いと足音に、葉擦はずれと小枝の折れる音が幾重いくえにも重なり、まるで森自体が動いているかのようだ。


 そのざわめきから少し離れた木の陰で、アルバ、ケイティ、ユリシャの三人は息を潜めていた。

 スタークの街の北西、魔獣の大群の西側に位置する地点である。


 魔獣が動き出すのに合わせ、三人で魔獅子を陽動、あわよくば討伐する作戦だ。


 モナとラキアは街に残って防衛に当たっている。

 神官であるモナは街の守りに欠かせない。

 魔術師であるラキアは、森の中では戦いづらい上に、陽動には圧倒的に機動力が足らなかった。


 日はすでに正中せいちゅうに達している。


 魔獣がこの時刻に動き出すことは想定済みだ。


 街を襲撃した魔狼まろうに休息が必要なこと、魔猿まえんは夜目が利かないことを考慮すると、魔獣が昨夜のうちに移動を開始する可能性は低かった。

 戦力的優位に立つ魔獣側に、無理をして街に急襲を仕掛ける必要性がないためだ。


 人間の軍隊であれば、戦闘開始は早朝が望ましい。日没とともに戦闘を中断せざるを得ないからだ。

 しかし、魔獣は魔猿を除き夜目が利く。戦闘が長引くようなら、むしろ夜戦に突入したほうが有利である。


 そして明日以降になれば、スタークの街に援軍が到着する可能性が高い。


 以上のことから、魔獣の進軍開始は本日午後が最も濃厚であると判断された。


 アルバ、ケイティ、ユリシャの三人は、領主邸での打ち合わせの後、短い睡眠を取り、念のために未明には移動を開始、早朝にはこの場所に到着していた。

 その後、交代で仮眠を取っているため、休息は十分である。


 魔獣が動き出した今、三人は魔獅子に接触を試みる手筈てはずとなっている。

 しかし、思わぬ事態に足止めを食らっていた。

 眼前の少し開けた草むらに、五十匹を下らない魔狼の群れが移動せずに留まっているのだ。


「両翼の魔狼は尖兵せんぺいに使うと踏んでいたが、予想が外れたな」


 渋い顔でそうささやいたアルバにケイティが応じる。


「機動力があるからな。遊軍に一部を残したのだろう。どうする? 迂回うかいするか?」


「いや、それだと魔狼の風上に回ることになる。気取られるのは面白くない」


「ならば、殲滅せんめつするか。何、なんとかならぬ数ではない」


 息巻くケイティだが、さすがに表情が硬い。


「いや、さすがに無理っしょ? 今日、これで終わっていいってんなら話は別だけど」


 ユリシャがげんなりした顔で異を唱えた。

 これにはアルバも同意である。

 戦闘による体力の消耗は、思いのほか尾を引くものだ。


「俺がおとりになって、おびき出す手もあるが」


「いや、アルバ殿を欠くと、作戦の次段階に支障が出る」


 アルバはしばし思案すると、独り言のようにつぶやく。


「……切り札を一枚切ってしまうか。こいつらを殲滅できれば、街のほうもだいぶ楽になるしな」


「切り札?」「なんちゃ?」


「これだ。ありったけ持ってきた」


 アルバは懐から小石大の包を片手いっぱいになる数だけ取り出して、ケイティとユリシャに見せた。

 ふたりは不思議そうにその包を見つめている。


 アルバは手短に作戦を説明し、三人は行動を開始した。




 アルバは魔狼の群れの北側ぎりぎりに沿って、東へと跳躍を繰り返していた。

 普段とは違い、額当てもマスクもしておらず、黒く塗りつぶされた目元だけが素顔を隠している。


 魔狼たちはアルバの存在に気づき、鼻先を向ける。

 そのまま跳躍を繰り返すアルバを追いかけて、東へと駆け出した。


(よし。風上に入った!)


 魔狼の群れの東側に到達するころには、群れのほとんどがアルバの目前に迫っていた。


 アルバは片手に握れるだけ握っていた小石大の包──【辛子玉】のすべてを力いっぱいに足元へと投げつけた。


【辛子玉】が粉砕され、風に乗って大量の粉塵ふんじんが舞い上がる。

 何事かと鼻先を上げた魔狼たちは、その直後、大混乱に陥った。


 キャンキャンとえながら、その場でぐるぐると回り出すもの。

 四肢をつっぱらせ、くしゃみを繰り返すもの。

 鼻先をかきながら、地面を転げ回るもの。

 中には嘔吐おうとしているものすらいる。


 そんな魔狼の背後から、粉塵のただ中へとふたつの影が躍り込んだ。

 ケイティとユリシャだ。


 ケイティはアルバの額当てとマスクを身につけている。

 ユリシャのほうは口を閉じて目をつむったままだ。


 ふたりは混乱している魔狼を次々とぎ払いはじめた。


 驚くべきは、目をつむったままで魔狼をほふってゆくユリシャだ。

 二刀を逆手に持ち、魔狼とすれ違いざまに、その首や腹を的確に裂いてゆく。


 アルバはその場を動かずに、周囲でのたうち回っている魔狼の腹に淡々たんたんと投剣を投げてゆく。


 群れの外側にいた魔狼たちは、【辛子玉】と奇襲から逃れるために、いったんはその場を離れた。

 しかし、ある程度の距離を取ると、立ち止まってうろうろし始める。

 危険から逃れたいという本能と、命じられた役割のはざまで戸惑っているようだ。


 何匹かの魔狼が引き返してくるが、【辛子玉】の匂いを感じたのか、途中で踏み止まってしまう。

 そんな魔狼に、おそらくは闇雲に最寄りの魔狼を斬り伏せて進んでいるユリシャが迫る。

 さらにケイティもユリシャに追従する。


 本来なら、魔狼たちはケイティとユリシャを包囲できる位置にいた。

 しかし【辛子玉】に尻込みした結果、ふたりに各個撃破される形になり、見る見る間に数を減らしてゆく。


「もう目を開けても大丈夫だ!」


【辛子玉】の微粉が風に飛ばされ切ったのを確認して、アルバは声を張り上げた。

 周囲を見渡し、腹に投剣を受けてひん死の魔狼に止めを刺して回る。


 遠くまで逃げていた魔狼たちが、【辛子玉】の匂いが弱まったのに気づき、三々五々に引き返してきた。

 しかし、わざわざ倒されに戻るようなもので、待ち構えていたケイティとユリシャの餌食えじきになってゆく。


 しばらくすると戻ってくる魔狼もいなくなった。


 死屍累々ししるいるいとなった草むらに、返り血に染まったケイティとユリシャが立ち尽くす。

 まさに『血塗れの戦姫』あるいは『死の暴風雨』の異名に相応しい光景だ。


「お疲れ様。あいにくモナがいないから、返り血はそのままだな」


 アルバは、戦斧せんぷを振るって血糊ちのりを飛ばしているケイティに声をかけた。


「問題ない。大した量ではないし、この先には魔獅子しか残っていない。これは返そう。助かった」


 ケイティが、返り血が付かないように気をつけながら、マスクと額当てをアルバに差し出した。


 受け取った額当てとマスクを装着しながら、アルバはケイティが自分の口元をじっと見ているのに気づく。


「? 何だ?」


「いや、なんでもない」


 顔を赤らめて、ケイティがそっぽを向いた。


「それにしても、【辛子玉】だったか? 凄まじい効果だ。魔狼が野犬並の手応えだったぞ」


「なるほど、ゴブリン二十匹、イチコロ?なのも納得」


 ふたりには戦闘前に、【眠り姫の迷宮】での一件も交え、【辛子玉】の効果について説明してある。


「あのときは閉鎖空間だったからな。正直、野外でここまで効果があるとは思わなかった」


「本当に毒ではない?」


「ああ、選りすぐりの香辛料の詰め合わせだ。狼は鼻が利くから、そのせいか?」


 アルバはそう答えながら、死体から投剣を回収しては、魔狼の毛で血を拭って革ベルトへと収めてゆく。

 

「吐いてる奴もいたし、ネギ?」


 一瞬、意味がわからずに、アルバは怪訝けげんな表情を浮かべた。

 だがすぐに、ユリシャの言わんとしていることに思い当たる。


「そうか、犬にネギは毒だったか。そういえば似た草も入ってるな。何かの相乗効果でもあったかな? それにしても、ユリシャは本当に息を止めて、目をつむったままで戦えるんだな」


【辛子玉】最大の欠点は味方にも被害が及ぶことだ。

 最初にアルバが提案した作戦では、ユリシャは【辛子玉】の効果範囲外で魔狼と戦ってもらう予定だった。


「ふふん。三十呼吸くらいの間なら平気。モーマンタイ?」


 ユリシャはドヤ顔で胸を張っている。


「息を止めるだけなら俺でもできるが、目をつむって戦うのは、正直、わけがわからないな」


「同感だ。吾も目に頼っているつもりはないが、さすがに無理だ。最初に目隠しで稽古したときには驚かされた。師匠から水中や暗闇で戦う訓練を受けたとは聞いていたがな」


「ふっふーん。心の目で見る妙技? 『凶眼のユリシャ』の通り名は伊達だて?ではない!」


 決め顔のユリシャに、すかさずケイティが突っ込む。


「『心眼』と『凶眼』は別物だ。その通り名は目つきの悪さからだ」


「え? 私、目つき悪い?」


「自覚なしか」


 ケイティが苦笑いを漏らした。


「待たせたな、先を急ごう。遅れれば、その分だけ街の被害が増える」


 投剣を回収し終えたアルバはふたりに声をかけた。

 しかし、ふたりの視線はアルバの肩越しに遠くを見たまま、動かない。


 アルバが振り返ったまさにその瞬間、森の中から魔獅子が姿を現した。


「血の匂いに誘われたか。本命のお出ましだ」


 ケイティがわずかに震える声で言った。

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