13.獅子の皇帝と真紅の姫

 昔、あるところに獅子ししのたてがみのような黄金の髪の皇太子がおりました。


 皇太子は子供のころから大層賢く、力も強かったため、大人でも太刀打ちできませんでした。


 人徳を兼ね備えた学者を冷徹な理論でねじ伏せ、高度な技を伝える老武術家を圧倒的な腕力でねじ伏せ、彼らを無用と断じました。

 教師たちは寂しげな顔で彼の元を去ってゆきました。


 気づけば、彼の周りには卑屈な笑みを浮かべたおべっか使いばかりが残りました。


 両親である皇帝と皇后ですら、皇太子を恐れているようでした。


 皇帝と皇后が若くしてお隠れになり、皇太子は幼くして皇帝の地位につきました。


 皇帝は多くの国を支配して強大な帝国を築きました。


 しかし、皇帝の心は乾き切っておりました。


 広大な国土も、数多あまたの国民も、彼にとっては何の価値もありませんでした。

 皇帝にとって、それらは労せずして手に入る、ありきたりなものに過ぎなかったのです。


 ある日、同盟国の王族を招いて開かれた舞踏会で、皇帝は運命に出会いました。

 彼女は真紅の髪をもつ姫君でした。

 姫の隣には、やはり真紅の髪の騎士が控えておりました。


 皇帝は姫君を皇后として迎えたいと姫君の祖国に告げましたが、にべもなく断られました。

 姫君はすでに真紅の髪の騎士の元へと嫁ぐことが決まっていたのです。

 ふたりは心から愛し合い、姫君の国の人々もふたりを祝福しておりました。


 姫の輿こし入れを断られた皇帝は烈火の如く怒り狂いました。

 皇帝は同盟を一方的に破棄し、姫の国へと攻め込みました。


 そして姫を除く王族を捕らえ、皇帝に逆らった罪で皆殺しにしました。


 真紅の姫は真紅の騎士とともに城を脱出し、多くの民を率いて隣国へと向かいました。

 しかし、隣国を目の前にして、皇帝の軍隊に追いつかれてしまいました。


 姫はひとりで軍隊の前に立ちふさがると、自らの喉へ短剣を突き付け叫びました。


「軍を退かねば私は自害いたします。軍を退けば私はあなたたちとともに参りましょう」


 皇帝は軍を退き、真紅の騎士に率いられた姫の国の民は無事隣国へと逃げ延びました。

 姫の国の民は隣国の人々に紛れ、もはや行方を追うことはかなわなくなりました。


 こうして皇帝は晴れて真紅の姫君を皇后として迎え入れました。


「お前にはすでに愛する家族はひとりも残っていない。今日からは我を愛するがいい」


「哀れなお方。誰もあなたに人の心を教えなかったのですね。私は愛するあの御方の子を生みます。あの御方と私の子、それが私の家族です」


「駄目だ。お前は俺の子を生むのだ」


 十カ月後、真紅の皇后は黄金の髪の姫を生みました。


 真紅の皇后は姫を大層可愛がりましたが、皇帝には心を開きませんでした。


 皇帝はどうすれば皇后が喜ぶか考え、皇后のために財宝や召使いを並べ、さらに多くの国や民を支配しました。

 しかし、皇后の表情はいっそう暗くなるばかりでした。


「私のために苦しむ人が増えるなら、私は死すべきなのでしょうか」


 やがて真紅の皇后は病に伏せ、日に日に弱ってゆくのでした。


 皇帝はどうしていいのかわからず、しかし、彼の周りには彼が助言を乞うべき相手は誰ひとりいませんでした。

 帝国で最高の医者に診せても、医者は首を横に振るばかりです。


 ある年の冬、真紅の皇后はお隠れになりました。


 皇帝は怒り狂い、真紅の皇后を診察していた医者も、皇后を世話していた侍女や女官も、皆、処刑してしまいました。


 皇帝が皇后の思い出を求めて後宮を訪れると、そこには黄金の髪の幼い姫が残っておりました。

 真紅の皇后が皇帝から隠すように育てていた姫君でした。


 皇帝はその姫が黄金の髪をもつことを知ると、それに満足して、それ以降はその姫をいない者のように扱ってきました。

 しかし、今やその姫だけが、真紅の皇后がこの世に生を受けた証でした。


 皇帝が黄金の姫に歩み寄ると、姫はかたきでも見るかのように皇帝をにらみつけました。


「実の父に、なぜそのような目を向ける。我はお前の父だぞ」


「父は真紅の騎士だ。お前ではない」


 気がつけば、皇帝は姫を殴り飛ばしていました。

 帝国で二番目の医者が言うには、皇帝はもう少しで姫を殺してしまうところだったそうです。


 皇帝は姫に会うことが怖くなり、それ以降は姫に近づきませんでした。

 皇后を失った今、皇帝は生まれて初めて恐怖を知ったのです。誰かを失う恐怖を。


 ある日、皇帝は王宮の庭を見て、真紅の皇后の笑顔を思い出しておりました。

 その笑顔は咲き誇る花に向けられたものでした。

 皇帝は結局一度も正面から皇后の笑顔を見ることはなかったのです。


 そこへ、どこからともなく真紅の髪の女性が表れました。


 皇帝は真紅の皇后がよみがえったのかと驚きましたが、その女性は皇帝が知らぬ顔をしていました。

 その上、皇帝ですらたじろぐような神気をまとっておりました。


「我は【真紅の御髪おぐしまなこの女神】である。『氏子殺し』の罪で、お前を裁きに来た」


「お前が皇后の国の氏神だと? 『氏子殺し』? 馬鹿な。確かに我はお前の氏子を最も多く殺しただろう。しかし、皇后の血を引いた姫が残っているではないか。氏子を皆殺しにはしていない」


 女神は沈黙し、皮肉な笑みを浮かべました。


 それを見て皇帝は戸惑いました。

 まさか神が、自らの氏子について間違うことなどあるでしょうか。

 神が『氏子殺し』というからには、氏子が絶えたのに違いないのです。


 皇帝を恐怖が襲いました。


「姫が死んだのか? あの子をどうした! なぜ、神であるお前が、氏子であるあの子を守らなかった。お前が、あの子を殺したのか! 皇后の忘れ形見であるあの子を!」


 気がつけば、皇帝は剣を抜き、女神を袈裟けさがけに斬りつけていました。

 血しぶきが吹き上がり、皇后が好んでいた花が真っ赤に染まるさまを見ながら、皇帝は意識を失いました。


 目が覚めると、皇帝は自分の姿が獣の獅子に変わっていることに気づきました。


 帝国の兵士に追い立てられ、皇帝は王宮から逃げ出しました。

 自分が皇帝であることを訴えても、口から出るのは獣のうなり声でしかありません。


 皇帝は命からがら王都から逃げ出すと、森へと姿を隠しました。


 それからのち、皇帝は森の中から自らが築いた帝国が崩壊してゆくさまを見続けました。


 国が亡くなり、人々は互いに奪い合い、死んでゆきました。

 それは、あまりにも酷い光景でした。


 その様子を獅子の瞳で見つめながら、皇帝は復讐ふくしゅうを決意しました。

 いつの日か、すべての神を殺してやろう。

 そして、幼い姫の仇をつのだと。


 復讐のための力を求め、獅子となった皇帝は魔獣の森深くへと入ってゆくのでした。

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