2.狩人は森での出来事を語る

 魔狼まろうは通常、三匹から十匹程度で群れる。

 しかし、アルバが目撃した群れは、確認できただけで五十匹を下らなかった。

 木や茂みの陰に隠れていた個体を含めれば、何匹いたのか見当もつかない。


 冒険者が魔獣の中で最も警戒するのは、魔熊まゆうではなく、十匹に近い魔狼の群れである。

 前衛だけではすべての魔狼を足止めするのが難しく、広範囲魔術がよほどの効果を発揮しない限り、守りの恩寵を使わざるを得ない状況に追い込まれる。

 魔熊でさえ恩寵を使わずに倒せることを考えれば、どれほど厄介な敵であるかがわかるだろう。


 木の上から魔狼の群れを確認しつつ、アルバは風下を選んで森の外へと【鷹の目】を誘導した。


 いまのところ、魔狼に気づかれた気配はない。

 魔狼は耳や鼻は利くが、視力はさほどよくない。風下にいれば、アルバの目のほうが索敵範囲は広い。

 そもそも魔狼の群れは、ゆっくりと移動するだけで、周囲を警戒すらしていなかった。


 幸いにして【鷹の目】の移動速度はアルバの予想を上回るものだった。


 恩寵を賜っていないはずのユリシャが、野生動物もかくや、という速度で移動していた。しかも、速度に衰えが見えない。

 もちろん、恩寵を賜っているモナとケイティがユリシャに遅れを取ることはない。

 ケイティに抱えられているラキアも自身に【浮力】を発動しているため、ケイティの負担にはなっていない。


 一行はすでに森の端まで到達していた。

 そろそろ恩寵が切れる頃合いだが、モナならもう一回は自身とケイティに恩寵を施せるだろう。

 ユリシャの持久力が続くなら、街まではあっという間だ。


 むしろ、跳躍を繰り返したアルバが五人の中では最も疲れているかもしれない。

 アルバは、自身の筋力のなさを恨めしく思った。




 無事にスタークの街に到着した【鷹の目】は、すぐに冒険者ギルドへ向かった。

 魔獣の動向について、ギルド支部長のガットロウに報告するためである。


 ギルト職員のミュスカに案内されて、一同は応接室へ入った。

 茶と菓子をテーブルに置いてミュスカが応接室を出てゆく。

 入れ違いにガットロウが応接室に入ってきて、アルバの正面に座った。


 アルバはガットロウにひと通りの報告を行った。

 話を聞き終えたガットロウは腕を組んで嘆息する。


「複数でつるむ魔熊に、五十を超える魔狼の群れ。さらには、絶滅したはずの獅子の咆哮か。わけがわからん。鉄級以下のパーティーは、引き続きスターク周辺での魔獣狩りは禁止だな。あと、領主様とも相談したほうがよさそうだ」


 冒険者は上から順に金、銀、銅、鋼、鉄、木、無に級分けされている。

 迷宮攻略が許されるのは鉄級以上で、一般的には銅級が最高位である。

 銀級は国から直接依頼が来るような特別な存在、金級にいたっては英雄扱いだ。


「私たちも一応鉄級なのですが?」


 モナが笑みを浮かべてガットロウに詰め寄った。

 ガットロウがみっともなくたじろぐ。


「いや……まあ……等級と実力が一致するとは限らんだろう? お前ら、どう考えたって鋼級の実力じゃねえか。迷宮攻略の実績をもう少し作ってくれれば、すぐにでも昇級してやるよ」


「その迷宮攻略を、わざわざ中止して、ギルドの要請で、魔獣狩りに、駆り出されて、いるのですが?」


 モナの笑みがどんどん深くなる。


「……すまん! 無理を言って悪かった。いや、しょうがないだろ? この支部に所属している鋼級以上は、みんな出払っている。現状、お前らがここの最大戦力なんだから」


 クルスターク支部に籍を置く鋼級以上のパーティーは、スタークの街から離れ、田舎の町や村を拠点に活動している。


 人は魔の森を避けて生きてきた。少なくとも、迷宮攻略が盛んになる十年前より以前はそうだった。

 必然的に、大きな街ほど魔の森から距離を置いてつくられている。

 辺境に位置するスタークの街は比較的魔の森に近いが、それでも隣接しているのは魔素の薄い森だ。


 迷宮は魔素の濃い森に存在するものほど規模が大きくなる。

 そのため、等級が高く、より大規模な迷宮を攻略するパーティーほど、スタークの街から離れて活動することになる。


 もちろんその場合、魔石の消費地や流通拠点から遠ざかることは不利に働く。

 しかし、鋼級以上の冒険者ともなれば、昇華を防ぐ大容量の容器や専属の運び屋を用意するだけの財力を有するため、さほど問題にはならない。


 何より、パーティーの実力や特性に合った迷宮が、たまたま街の近くに存在するほうが珍しいのだ。

 たとえば、街から半日の距離にあった【眠り姫の迷宮】は、例外的な好物件だったといえる。


 その【眠り姫の迷宮】が死んでしまったため、現在、【鷹の目】はもう少し難度の高い迷宮を物色中である。

 ガットロウから魔獣狩りを要請されなければ、今頃は新たな迷宮にいどんでいたはずであった。


 パーティーのリーダーであるモナは、ガットロウにその点をとして念押ししているわけだ。


「失礼します。支部長、例の魔獅子の件で、アーガスさんがいらしてますが」


 ミュスカが応接室の扉を開けてガットロウに告げた。


「おう。ちょうどいい。【鷹の目】にも話を聞いてもらおう」


「では、こちらにお通しします」


 ミュスカが再び去ってゆく。


「アーガスさんといえば、ケストさんのパーティーの狩人の方ですか?」


 モナの問いかけにガットロウがうなずく。


「ああ。なんでも、森で魔獅子に出くわしたそうでな。与太よた話かとも思ったが、十中八九、お前らが聞いた声の主だろうよ」


「失礼しまーす。あれ? アルバさん、こんちは。【鷹の目】のみなさんも、こんちわっス」


 応接室に入ってきたアーガスは、アルバの顔を見るなり人懐こい笑みを浮かべた。

 彼はアルバに斥候の仕事を習っている最中だ。


 アーガスはアルバと同じか少し年上の青年である。

 筋肉はしっかり付いているのに、それ以上に背が高いため、ぱっと見では細身に見える。かなりの色白で、顔つきは優男風だ。

 しかし、容姿や口調から受ける軽薄な印象に反して、律儀で硬派な性格をしている。


 たとえば、冒険者として先輩に当たる者には、年下でも敬語を使う。

 また、迷宮攻略には向かない魔力なしの射手であるため、本人も進路に悩んでいるはずなのだが、そんな様子はおくびにも出さない。

 見た目から女性にも人気があるのに、そちらも奥手だ。


 追加の茶と菓子を持って応接室に入ってきたミュスカが、ガットロウとアルバの横の席をアーガスに勧めた。


 アーガスが腰を下ろすと、早速ガットロウが話をうながす。


「アーガス。例の、森で出くわした魔獅子の話を聞かせてくれ」


「はい。えーと、どっから話そうかな」


 アーガスは左上を見ながら話を始める。


「うちのパーティーで魔獣狩りをしてたんスけど、俺がひとりで索敵しているときに出くわしたんスよ。そんときは魔鹿まろくの群れを見つけて、どっしよっかなー、角が売れるから狩っとくかー、とか考えてたら、急に背後で気配がして、振り向いたら魔獅子がいたんスよ」


 アーガスが体をブルリと震わせた。恐怖の記憶がよみがえったのだろう。


「いや、もう、すごい迫力で、ブルっちゃいましたよ。これは駄目だ。死んじゃうって思ったんスけど、なぜか魔獅子は動かなくて。じっと俺の顔を見てるんスよ。気づいたら、俺の周りを魔鹿が取り囲んでいて、なのに襲ってこない」


 鹿といえども魔獣になれば凶暴性が増す。

 草食なので人間を食うことはないが、縄張りに侵入した人間は、容赦なく角で突いて追い払うか殺してしまう。


「あの瞬間は、今でも夢を見てたのかなって疑うくらいっス」


「魔鹿が逃げなかった? その場に魔獅子がいるのに?」


 ケイティが疑問を口にする。


 魔獅子にとって魔鹿は捕食対象である。

 魔鹿が死にものぐるいで反撃に出ることはあっても、魔獅子の目の前で逃げもせずに大人しくしているのは、明らかに異常である。


「ああ。確かに変っスねえ。逃げる様子もなかったっす。ほんとに夢だったのかな?」


「で? 結局どうなった?」


 ガットロウがアーガスに先をうながす。


「ええと、自分としては結構長くにらみ合ってたと思うんスけど、しばらくしたら魔獅子がそのまま背を向けて去っていって、魔鹿も魔獅子に従うようにその後に続いて行っちゃったっス。で、気づいたら俺ひとりでした」


「ふーむ。わけがわからんな」


 ガットロウが助言を求めるように【鷹の目】の面々を見る。

 が、期待に応えられる者はいない。

 すべての出来事が、あまりにも魔獣の習性に反している。


「うん。わからん!」


 ガットロウはひざを叩きながら、そう結論づけた。


「駄目だ、考えていてもしょうがない。俺は領主様に相談に行く。お前らは帰っていいぞ。ああ、それと、茶と菓子は平らげろよ。残すとミュスカが気にする。じゃあな」


 言うが早いか、ガットロウは立ち上がると、足早に応接室を出てゆくのだった。

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