1.冒険者は魔熊を狩る

(なるほど、こいつは確かに妙だ)


 大木の枝に乗り、眼下の光景を見つめながら、アルバはガットロウの言葉を思い出していた。

 いわく、『最近、魔獣たちの行動があきらかに異常だ。悪いが【鷹の目】も魔獣狩りに加わってほしい』と。


 アルバの視線の先には、本来なら単独行動を好むはずの魔熊まゆうの成獣が三頭で群れを成している。


 魔熊はこの森にいる魔獣の中では最強の存在である。


 体格は大型の熊にわずかに勝る程度で、立ち上がっても身長は成人男性の二倍足らず。

 しかし、魔物化にともない筋力が増し、また、硬化した毛皮は簡単には武器を通さない。

 さらには、本来の熊とはかけ離れた凶暴性を持ち、赤く染まった目にとらえたあらゆる動物を捕食対象とみなす。


 あえて弱点を探すなら、武器に対する警戒感が薄いことだろうか。

 こちらの武器に対して用心深く立ち回る点では、魔熊に体格で劣る魔物のほうがよほど厄介である。


 それでも、魔熊の脅威度は武装したオークをはるかにしのぎ、武装していないオーガにも匹敵する。

 実力が迷宮攻略に届かない冒険者パーティーが恩寵おんちょうによる強化なしに戦うなら、なかなかに手強い相手といえるだろう。


 逆に、恩寵さえ使ってしまえば、たやすい相手だ。

 魔熊は縄張り意識が強い。よほどの不運が重ならないかぎり、恩寵を使い切った状態で二頭目の魔熊に出会う心配もない。


 そのため、迷宮での【大広間の主】との戦闘を想定した練習台として、魔熊は最適の存在といえた。

 無論、魔熊相手には恩寵を使わず、本番では恩寵を使うのが前提だ。

 迷宮攻略をひかえた冒険者にとって、魔熊との遭遇はむしろ鍛錬目的であれば幸運ですらある。


 しかし、魔熊の成獣が三頭で群れているとなれば、話は別だ。迷宮攻略未満のパーティーでは恩寵を使ったとしても危うい。

 なるほど、現状で迷宮攻略を進めている【鷹の目】が、いまさら魔獣狩りに駆り出されるのもうなずける状況である。


 アルバは自身に【浮力】の魔術を発動すると、大木の幹を蹴って空中へと跳躍した。

 その体は、ほとんど降下することなく、十歩以上の距離を隔てた大木へと到達する。


 空中で体勢を変えて木の枝を踏み、そのまま枝を蹴って再び宙へと舞う。


【浮力】の魔術を発動した時点で、アルバは魔力のほとんどを失ってしまうが、それ以降はわずかな魔力消費で【浮力】を維持できる。


 ただし、ほかの魔術を使う余力は残されていない。

【浮力】の発動直後から魔力は回復し始めるが、体内魔力が少なくなっているため、回復速度は極めて遅い。

 しかも、その回復分の大半を【浮力】の維持に持っていかれる。

 結果、【浮力】発動中は魔力が回復しきるまでにかなりの時間を要してしまう。


 また、全身から魔力光を発するため、暗がりでの隠密性も皆無である。


 しかし、その速度だけは驚嘆に値する。

 人間はおろか、獣でも追いすがることは難しいだろう。


(だいぶ馴染なじんできたな)


【浮力】の魔術を習得するのは、かなりの苦行だった。ラキアの特訓は予想以上の過酷さだったのだ。

 正直、二度とごめんである。


 しかも、【浮力】の習得後も楽ができたわけではない。


【浮力】を自身に発動するということは、擬似的に体重が軽くなるということだ。

 その状態では体重を乗せた軸足でも踏ん張りがきかない。あらゆる動作が、普段とはまったく違う体さばきを要求してくるのだ。

 最初はラキアの言うとおり、歩こうとしただけで足が滑って転んだ。


 魔熊の風上を避けて木々の間を跳躍しながら、アルバは仲間たちが待っている場所へと到着した。


「あ、アルバっちが戻ってきた。どないー?」


 目ざとくアルバを見つけたユリシャが声をかけてくる。


「厄介な相手か?」


 アルバの顔に困惑が見て取れたのだろう、地面に降り立ったアルバにケイティが問いかけてきた。


「魔熊が三頭でつるんでいた。普通じゃないな」


「ほんとに? どうなってるの? 動物の習性って、魔物化したからって早々変わるものじゃないでしょ?」


「確かに、不思議ですねぇ?」


 ラキアとモナが首をひねっている。


 魔物化しても、魔獣が動物であることに変わりはない。魔物とは違い、えさを狩ったり植物を食べたりして生きる。そして季節が来れば繁殖する。

 凶暴化するだけで、本質的な部分に変化はないのだ。

 それなのに、本来群れる習性のない魔熊が群れている現状は、尋常じんじょうではない。


「どうする? アルバ殿が援護に回ってくれるなら、われとユリシャだけでも対応できると思うが」


「え、ちょっと、なんで私たちは居残り?」


 ケイティの言葉に慌てるラキア。


「いや、その足、つらいのだろう?」


 ケイティがラキアの足を指さした。


「う、確かに少し痛いけど」


 森に入ってしばらくしてから、ラキアの歩みが遅くなったのを全員が感じていた。


 迷宮内の通路に比べ、森の中は極端に足場が悪い。

 もともと体力の低いラキアだが、ひさびさに森の中を歩いたことで足に相当きてる様子だ。


「二手にわかれるとして、守りの恩寵を賜れば私とラキアさんだけも魔獣には対処はできます。しかし、そちらはいざというときに恩寵が使えない状態になりますよ」


「それに、魔熊が三頭という不自然さが引っかかる。俺が一頭を引きつければ、ケイティとユリシャだけで対処はできるだろう。しかし、俺を無視して二頭がひとりを襲う可能性も捨てられない」


 モナとアルバが懸念を示す。

 それを受けてケイティが思案する。


「ふむ、三頭が群れている時点で想定外である以上、万全でいどむべきか。なら、こうしよう」


 そう言ってラキアに歩み寄るケイティ。

 何をするつもりかと皆が注目する中、ケイティはラキアの背中とひざ裏に手を添えて軽々と抱え上げた。


「わー、お姫様抱っこ?だー。ケイティ、おっとこまえー」


「あらあら、まあまあ」


 ユリシャがはやし立て、モナが頬に手を当ててうれしそうに笑った。

 当のラキアは顔が真っ赤だ。


「ちょ、これ顔近いよ、ケイティ。やだもう、めっちゃ恥ずかしいんだけど」


「何だ? 駄目か? 何を恥ずかしがる必要がある?」


 照れまくるラキアに、ケイティが大真面目に聞いた。


「駄目じゃないけど……ちょっと、モナ、何とか言ってよ」


「あらあら、いいじゃありませんかー。うらやましいですわー」


「なんで棒読み? ちょっとアルバ、こういうのは本来、男の役目でしょ?」


「斥候だからな、俺は。人間をかついで斥候は務まらない。というか、魔力持ちの男にそれを望んじゃいけない。筋力が足らない」


「誰が私をかついで斥候しろと言ったぁ! っていうか、魔力持ちにかつげないほど私は重くない! あーもう、いいわ、好きにして!」


 ケイティの腕の中で、ラキアの頭と腕が死体のようにだらりと垂れ下がった。


「ラキア殿、できれば腕は吾の首に回してくれ。そのほうが安定する」


「……これでいい?」


 ラキアがケイティの首に腕を回し、頭を胸に押しつける。


「よし。アルバ殿、先導を頼む」


「了解」


 アルバの全身が淡い魔力光に包まれる。

 常人ではありえない跳躍でアルバは大木の枝へと飛び乗った。


「いいなぁ、あれ。私もやりたい!」


 アルバを見てつぶやいたユリシャをケイティがさとす。


「あきらめろ。魔力持ちの特権だ」


「うー、ずっこい。さすが斥候、きたない」


「いや、ユリシャ、お前も本気出せば、あれに近いことが可能だろう?」


「えー、疲れるのやだー」


「お前なぁ」


 ラキアをかかえてユリシャと無駄口をたたきながら、それでもケイティの歩みは普段どおりだ。ずんずんと森の中を歩いてゆく。

 見た目と違って体力があるモナはケイティとユリシャに追従できているが、体力にとぼしい者なら間違いなく音を上げる速度である。


 アルバは魔熊の風下へと四人を誘導し、ほどなくして魔熊を視認できる場所に到達した。


手筈てはずは?」


「広範囲魔術は無理ね。火炎系は山火事になると怖いし、冷気系は野生動物に効果が薄い。【側撃雷】も木に落ちちゃう。一頭に集中して単発の雷撃を撃つわ。地上だと魔力の回復が遅いから、弱めのやつで牽制けんせいするだけね。当てにはしないで」


 低級魔術をちまちま撃つのが性に合わないラキアは、不満顔を隠さない。

 魔素の薄い地上、かつ、森の中で毛皮に覆われた魔獣相手、という状況は魔術師にとってはかなり不利である。


「一体を足止めしてくれるなら上々。後は吾とユリシャに任せておけ」


「いざとなれば、おふたりを恩寵で強化しますね」


 恩寵の強化があれば、ケイティとユリシャが魔熊相手に後れを取る心配はない。


「悪いが俺は周囲の警戒に当たらせてもらう」


「なにか気になることでも?」


 最近は積極的に戦闘に参加しているアルバが、珍しく戦闘不参加を申し出たため、ケイティは怪訝けげんな表情を浮かべた。


「いや、魔熊が三頭でつるんでいるってことは、もう、縄張りとか無視されているじゃないかと思ってな」


「なるほど、横槍よこやりの可能性か。魔獣や魔物相手が長くなると、そちらへの警戒心が薄れるな」


 戦闘中に背後や側面から攻撃されることは、最も避けるべき事態である。


 魔獣も魔物も縄張り意識が強いため、最初から群れの一部が伏せている場合を除けば、別方向からの襲撃はありえない。

 アルバによる索敵さくてきは伏兵も見逃すことはないため、普段なら横槍が入る余地はない。


 しかし、魔獣が縄張りを無視して徘徊はいかいしているとなれば話が変わってくる。

 魔熊に見つからないように風下から接敵している今、逆に背後の風下から耳や鼻の利く魔獣が一気に接近してくる可能性は排除できない。


「では、アルバ殿は警戒を頼む」


「了解だ」


「背後から襲撃された場合は恩寵で対処しますから、アルバさんは無理しないでくださいね」


「心得た。何かあればモナに知らせる」


 神官は通常、パーティーの最後尾に陣取る。

 そこからすべての状況を見守り、なにかあれば声で注意をうながし、いざとなれば恩寵で対処するためだ。


 しかし、注意を前方に注いているため、神官は常に無防備な背中をさらすことになる。

 背後から襲撃される可能性を排除できない場合、神官の後ろに見張りを配置するか、戦闘支援を放棄して神官自ら背後を警戒するのが冒険者のセオリーだ。


 そして、ひとたび神官が守りに徹すれば、背後からの強襲に耐えるのはたやすい。守りの恩寵があるためだ。

 その間に、前衛が前方の敵を排除するか、前衛を二手にわけて対処するかは状況次第となる。


 アルバが木の枝に飛び乗り、背後の警戒を始めたのを確認した後、四人はゆっくりと魔熊へと近づいた。


 三頭の魔熊が物音に気づき、一斉にこちらを見る。逃げ出す様子はない。


 普通の熊なら人間を避けるものだが、魔熊は人を恐れない。

 むしろ、もともと雑食である熊は、魔獣になると人間も迷わずに襲って食らう。


 ラキアは【電撃】を魔熊の一頭に放った。

 それを合図にケイティとユリシャが魔熊へと走り寄る。


 ユリシャと対面した魔熊が威嚇いかくのために立ち上がり、咆哮ほうこうを轟かせた。

 しかし、ユリシャはひるむことなく魔熊の懐に入る。


 予想外の動きにユリシャを見失った魔熊は、上体を下ろそうとするが、そこにはユリシャが待ち構えていた。

 ユリシャは魔熊の上体とすれ違いざまに、その喉元をかっ切る。


 くるりと身を翻し、ユリシャが魔熊の背後に抜けるのと同時に、魔熊は喉から血を吹き出してうつ伏せに倒れた。


 一方、ケイティと対面した魔熊は、四つんばいでうなりながら、用心深くケイティをにらみつけいてる。


 ケイティはこともなげに間合いを詰めると、おもむろに魔熊の鼻面を蹴り上げた。

 それだけで魔熊の首がおおきく跳ね上がる。


 次の瞬間には、振り下ろされた戦斧せんぷが魔熊のひたいをとらえ、そのまま頭部を地面へとたたきつけていた。


「ラキアさん! 倒しましたよ」


【電撃】で一頭の魔熊を足止めしていたラキアに、モナが声をかけた。


「はや!? それなら!!」


 ラキアが【電撃】の上位版である【雷電】を魔熊へと放った。


【電雷】が命中し、魔熊は一瞬硬直した跡、横倒しに倒れた。

 息は荒いがまだ死んではいない。さすがにオークなどよりもしぶとい。


 身動きのとれない魔熊にユリシャが近づいて止めを刺した。


 戦闘が終わり、一同が息をつく。


「ずいぶんあっさり倒せましたね? 慣れてます?」


 モナはケイティとユリシャに尋ねた。


「ああ。魔獣狩りをしている時期がけっこう長かった。バカ正直に戦えば手こずるが、人間と違って、どの個体も動きがほぼ一緒だ。本能と習性だけで戦っているせいかな」


「ワンパターン?な敵はカモ?かも?」


 余裕しゃくしゃくなケイティとユリシャ。

 対照的にラキアは疲れ切った表情である。


「それに比べてこっちは、【雷撃】を何発か撃ったあととはいえ、【雷電】一発で魔力が切れたわ。ほんと、地上だと厳しいわね」


「ご苦労さまです。はい、どうぞ」


 モナが握った手をラキアに差し出す。


 ラキアが手のひらをかかげると、その上にモナが砂利のような魔石を一握り落とした。


「別に、みんながいるから魔力が切れてても問題ないけど」


「どうせ今日か明日で昇華しきっちゃうクズ魔石ですから、遠慮なさらずどうぞ」


「ま、そういうことならもらっとくわ」


 ラキアが魔石を握り込んで、胸の前に持っていゆく。

 指の隙間から魔力光がもれ、しばらくしてラキアが手を開くと、すでに魔石はなくなっていた。


「これで、だいたい半分くらいは回復したかな。これくらいの体内魔力があれば、地上でもそこそこの回復速度になるわね」


 魔石は魔素の結晶だ。

 昇華を一気に速める魔術をかけると、一時的にその場の魔素が濃くなり、魔力の回復速度を増す効果が得られる。


 魔力切れは魔術師にとっては死活問題である。

 そのため、魔石は魔術師の必需品となっている。


 ラキアも常時ふところに魔石を忍ばせている。

 もちろん、大きな魔石は高価なので、いざというときにしか使わない。


「魔熊の素材はどうする?」


 ケイティがモナに聞いてきた。

 魔熊の毛皮やきもはそれなりに貴重品だ。


「三頭分だと、さばいて持って帰るのも一苦労ですねぇ」


 モナも弱り顔だ。


 普段、魔熊を一度に三頭も狩る機会はない。

 魔熊を一頭でも狩ったら、解体して街に戻るのが常識だ。


「お肉、お肉!」


 ユリシャがはしゃぐ。


 一般的には魔獣の肉を食べる習慣はない。

 多くの人々は魔素を体内に取り込むのは健康に悪いと思っている。

 魔素の濃い場所で育った動物から魔獣が生まれるという現実を目の当たりにしているからだ。


 しかし、迷宮で魔素にさらされ慣れた冒険者と魔素を魔力源とする魔術師は、魔獣の肉に対する禁忌きんき感が希薄である。

 売り物にならない魔獣の肉を自分たちで食べてしまう冒険者は多い。


「残念だが、解体はなしだ。モナ、【清め】で全員の体から血の匂いを消してくれ」


 突然、四人の背後に降り立ったアルバが、切羽せっぱ詰まった様子で言った。


魔狼まろうの群れが移動している。数が尋常じゃない。風下から来なくて助かった。こちらには気づいていない」


「お肉ぅ……」


 未練みれんたらたらなユリシャを除く三人の顔に緊張感が走る。


「ケイティはもう一度ラキアを抱えてくれ。モナとケイティには【速さを授けよ】もかけたほうがいい。とりあえずはユリシャの速度に合わせて森の外まで引き上げよう」


 魔狼の個体はけして脅威ではない。せいぜいが武装していないオーク程度の強さだ。

 しかし、その数と速さは厄介極まりない。倒しても倒しても次々に襲いかかってきて、逃げることもかなわない。

 数がそろえば魔熊さえも狩られる側になるほどだ。


 そのとき、どこからか獣の遠吠とおぼえが聞こえてきた。

 魔狼のものではない。もっと野太く、響く声だ。


 アルバが困惑する。


「なんだ? 魔狼じゃないな」


「……獅子ししだ。これは獅子の声だ」


 ケイティが険しい顔でつぶやいた。

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