EX.斥候は魔術師に教えを乞う

「ラキア、ちょっといいか?」


 借家での夕食後。

 皿洗いを済ませたアルバは、食卓でお茶を飲みつつ本を読んでいたラキアに声をかけた。


 街にいる間の食事は各自が勝手にとる決まりだ。

 モナとラキアは借家の台所を利用して自炊している。

 残る三人も、材料費と食器洗いを肩代わりする条件で、ふたりに手料理を振る舞ってもらうことが多い。


「魔術について少し教えて欲しいんだが」


 このセリフはラキアに対する殺し文句だ。まず、断られない。

 それどころか、ラキアは目をキラキラさせている。


「もちろん、いいわよ。何でも聞いて」


「すまないな。聞きたいのは【浮力】の魔術についてだ。迷宮で【魔術弩砲バリスタ】を使ったときに、自分にかけていただろう?」


 あのときラキアを包んでいた魔力光にアルバは見覚えがあった。ラキアが手荷物によくかけていたものだ。


「あれは【浮力】じゃなくて、上位版の【浮遊】よ。【浮力】はものを浮かせるだけ。【浮遊】になると好きな方向へ動かせるの。その応用で、その場に固定もできるわ」


「なるほど。【浮力】も自分自身にかけられるのか? ラキアがよく荷物を軽くしていたから、物にしかかけられないと思っていたんだが」


「可能よ。見て」


 言うが早いか、ラキアは椅子から立ち上がった。

 ラキアの体が魔力光に包まれ、ゆっくりと浮かび始める。


「きゃっ」「おっと」


 つま先が宙に浮いた瞬間、バランスを崩したラキアがアルバの腕の中へと倒れ込んだ。


「っと、ごめん。失敗、失敗」


 ラキアはアルバの腕の中からぱっと逃れると、再び椅子に座った。

 失敗が恥ずかしいのか耳が赤い。


「見てのとおり、弱点はバランスを取るのが難しいこと。この魔術は物体を魔力で包んで浮かせるの。ちょうど水中でものが浮くのと同じね。でも水と違って空気は抵抗が少ないから、すぐに回転しちゃうのよ。【浮遊】で位置は固定できても、回転は止められないの」


「なるほど……」


 アルバは水中でものが浮く原理を知らない。

 だが、水がもつ、ものを浮かせる性質を魔力に付与すれば、その魔力で包んだものは浮くのだろうと想像する。


「浮いた状態で破壊系魔術を撃った日には、反動でぐるぐると回転するのが関の山よ。同量の魔力を反対方向へ噴射してバランスを取る、なんて荒業あらわざもできるけど、魔力の消費が倍になるから、実用性は皆無ね」


「空から魔術を撃てるなら強そうだが、魔力消費が倍になるんじゃ、敵の魔術師に倍の火力で押し切られて終わりだな」


 と、そこまで言って、アルバはふと思いつく。


「それでも、弓が届かない上空まで上がれば、魔術師以外になら一方的に攻撃できるんじゃないか? しかし、そういう戦い方をする魔術師の話は聞いたことがないな」


 聞きたかった内容からは外れてゆくが、アルバはかまわずに話を広げる。

 魔術の話にはとことん付き合ってやるのが、ラキアと話すコツだ。そうすれば、ラキアの機嫌はどんどんよくなる。


 どちらかというと無口なアルバだが、いわゆる聞き上手であり、合いの手を入れて話を転がすのはうまい。

 事前の情報収集も広義では斥候の役割のひとつ。慣れたものである。


「そうならない理由があるのよ。ヒントは空を飛ぶ魔獣がめったにいないこと。わかる?」


 ラキアが茶目っ気を見せて問題を出した。

 アルバは首をひねる。


「魔獣? ……そうか、魔素か」


「御名答。上空は魔素が薄いから、魔力の回復速度がガッツリ減るの。しかも【浮力】の場合は、消費魔力まで増加するわ。矢が届かないほど高く上がったら、後はもう浮かんでいるだけで精いっぱいかも」


 魔素の濃さが魔力の回復速度に影響するのは、アルバも迷宮で嫌というほど実感している。

 だが、同時に疑問も残る。


「【浮力】ってのは消費の少ない魔術だと思ってたんで、少し意外だな。ラキアは手荷物をずっと浮かせてただろ? それに、魔素の濃さで消費魔力が変化するのか?」


「【浮力】は少し特殊よ。最初に物体を包む魔力が結構必要になるの。ひとひとり分だと、並の魔術師で全魔力の三分の一ってとこね。でも、それ以降は消費魔力はごくわずか。大気中に逃げた魔力を補うだけでいいの」


「つまり、魔素が薄いと、その逃げてゆく魔力が増える、と?」


「ちょっと違うわね。知ってる? 体内魔力と同じで、体の外に出した魔力も周囲の魔素から魔力を吸収してるの。破壊系魔術に射程があるのは、周囲から無害な魔力を吸収して、薄まりながら膨張するからよ」


「そうなのか?」


「ええ。【浮力】は内部の物体にぶつかって散乱する魔力と、外部から吸収する魔力がほぼ釣り合ってる。常時発動しているから、破壊系魔術と違って薄まることもない」


『魔力は引き合う』という法則がある。

 体内魔力はこの法則に従い、周囲の魔素から魔力を吸収して回復する。

 そして、魔素が濃いほど、吸収量が増えて魔力の回復速度が増す。


「魔素が薄い空中だと、その吸収分が減るから、差し引きで逃げてゆく魔素が増えるということか」


「そういうこと。だから魔力の回復速度が低下する上空で、【浮力】を発動しながら破壊魔術で攻撃、しかも回転を防ぐために別途魔力を消費、なんて芸当は、まず不可能ってことよ」


「弓が届かないほどの上空では、攻撃に回す魔力がまかなえない。弓が届く程度の低空でも、攻撃に倍の魔力が必要になる。むしろ遮蔽物しゃへいぶつに隠れられないだけ、弓の的になりかねんな」


 敵が近接武器しか持っていないなら、空中からの攻撃は有効だろう。

 しかし、迷宮内ならいざ知らず、野外での戦闘で弓も魔術師も用意していない、という状況はあまりない。


 しかも、三種類以上の魔術を同時発動すること自体、容易なことではない。

 アルバとて、苦労して【暗視】【消音】【迷彩】の同時発動を会得えとくした。すべて低位魔術だからこそできた芸当だ。

 ラキアが魔力消費の観点からしか語っていないのは、彼女にとって三種類の魔術を同時発動することが造作もないことだからだ。


「それに、あんたが考えている以上に、空中は魔素が薄いわよ。体感だけど、同じ距離だけ地下に潜るより、空中に上がるほうが濃度変化が激しいわ。特に何もない空中は、高い山とか建物の上と比べても極端に魔素が少ないのよね。神気しんきの影響かしら?」


 神界に満ちているという神気は、魔素の対極の存在だといわれている。


「『神気は風に乗る』だったか? あとは『神気は大気に溶けている』とか?」


 アルバは神気について思い出せる情報を並べてみた。

 どうにも抽象的な言葉ばかりだ。


「神気の性質については、神殿も秘密主義というか、明言は避けてる節があるわ。私もさっぱりよ」


 話が一段落ついたと感じたアルバは、ここでようやく聞きたかった内容へと話題を転換した。


「空高く昇るのには不向きだということは理解した。しかし、低空を移動する手段としては、充分に実用的なんじゃないか?」


「確かに【浮遊】なら移動も可能だけど、うまく制御しないと、やっぱり空中でくるくると回転するはめになるわ。一度試したけど、私は見事に酔ったわ。二度とごめんよ」


 ラキアは指をくるくると回しながら、しかめ面をした。


「それと出力も問題ね。【浮力】は発動するだけでも水中で物が浮くのと同程度の出力が得られるの。ところが、それ以上の力を得ようとすると、魔力をガンガン消費しちゃうのよ。迷宮内で剣を浮かせるくらいなら大した消費じゃないんだけどね」


 アルバはさきほどの話を思い出す。

【浮力】は最初に大量の魔力を消費するが、それ以降の消費はごくわずかという話だった。

 しかし、それはあくまで物体を水に浮かせるのと同程度の出力に限られるという。


「待ってくれ。つまり、水に浮く物なら最初の魔力消費だけでずっと浮かせていられるが、水に沈む物を浮かせようと思ったら、常時かなりの魔力を消費する、という理解でいいのか」


「そうよ。ほら、人間ってちょうど水に浮くでしょ? だから、人間を荷物と一緒に浮かせようとしたり、大きな力をかけて高速で動かそうとすると、途端に魔力を消費することになるの。その上で回転を防ぐための魔術まで必要となれば、魔力消費はばかにならないわ」


「なるほど。それだと普段の移動にも、戦闘中の機動にも使いにくいな」


 荷物も装備も持たずに低速で空中を移動する、という行為に価値を見出そうと考えても、遊覧か地形の確認くらいしか思いつかない。

 あとは、魔力を使い切る覚悟で戦場を高速離脱するくらいだろうか。


「でしょ? だから移動用に使うなら、【浮力】で背負った荷物の重さを軽減して、自分の足で歩くのが無難よ。ちなみに、自分の体重まで軽減すると、歩こうとした途端、足が滑ってすっ転ぶわよ」


 体重をのせていないほうの足を動かせば、その足が地面を滑るのは道理だ。

 体重が軽くなると足が滑る、という理屈はなんとなく理解できる。

 もちろん、慣れればそれなりに歩けはするだろうが。


「ふむ……」


 アルバはこれまでに得た情報を頭の中で整理する。


「普通の魔術師が三分の一の魔力で使えるなら、俺でもギリギリいけるな」


「なに? 【浮力】を習いたいの?」


「ああ。予想以上に使えそうだ。ぜひ、覚えたい」


「また、変な使い方を思いついた?」


 ラキアが興味津々で聞いてきた。


 変な使い方、というのは【遅延】のことを指しているのだろう。

 アルバが【遅延】を使ってオーガを倒したことは、感謝の意とともにラキアに伝えてある。


「いや、至極しごくまっとうな使い方だよ。魔術師って奴は、どうして何でもかんでも魔術で解決しようとするんだろうな?」


「何? 嫌味?」


 何でもかんでも魔術に関連付けたがる悪癖を、ラキア自身も自覚しているらしい。


「いや、そうじゃないが、体が軽くなるなら、後は自力で跳べばいいだけだろ?」


 一瞬、ラキアはポカンとしたが、すぐにアルバの言わんとしていることを理解した。


「つまり、空を飛ぶんじゃなくて、地面ぎりぎりを飛び跳ねようってわけ?」


「地面とは限らんさ。木の枝とか屋根の上とか、魔素が薄くなりすぎない高度ならいけるだろう。自分で跳ぶなら【浮遊】じゃなくて【浮力】で充分だしな」


「さっきも言ったけど、ほんと、足が滑って歩くのも大変なくらいよ」


「それは鍛錬で補うさ。昔、凍った湖の上を歩いたことがある。慣れれば、案外どうにかなる」


「はーん。なるほどね。魔術師って基本、運動音痴だから、なかなかそういう発想に至らないのよね。体を浮かせたらぐるぐる回って、『なにこれ、使えない』で終わりにしちゃう」


 魔術師は体を鍛えない。体を動かすことすら嫌う。

『魔力と筋力は両立しない』の法則があるため、鍛えたところで意味が薄いのだ。

 体を動かす時間があるなら、その時間を魔術の習得に費やす、というのが魔術師という生き物である。


「自分の足で地面を蹴りゃいいとか、体が浮いた状態でバランスを取る訓練をしようとか、そういう風には金輪際こんりんざい考えないわけだ」


 あきれ声のアルバに腹を立てる気にもならないのか、ラキアは肩をすくめる。


「ま、そういうことね。あんたみたいな中間の存在が、もっと魔術を習える環境が整えば、いろいろ変わりそうだけど」


 現状、魔術を習うには、神殿が管理する魔術学校へ進学するか、魔術師に弟子入りするしかない。

 どちらにしろ高い魔力が求められる。半端者が入り込む余地はない。


「その点はラキアに感謝してもしきれないな」


 そう言って、アルバがラキアに微笑んだ。普段は見せない珍しい笑顔である。

 不意を突かれ、ラキアは少しドギマギする。


「な、何? 改まって」


「いや、普通、魔術師は俺みたいなやつに魔術を教えたりしないもんだ。ラキアみたいな魔術師が増えれば、幻惑系魔術に偏った半端者が減るだろうにな」


「……まあ、あんたはパーティーのメンバーだからね。あんたの戦力になるなら、それはパーティーの戦力だもの」


 なぜかそっぽを向いて、ラキアがぶっきらぼうに言った。


「それに、あんたの魔術の使い方って面白いのよね。新鮮で、見ていて楽しくなるわ」


 そう言って笑うラキアの表情は、楽しんでいるというより、悪巧みをしている悪党に近い。


「ありがたい言葉だな。これからもよろしく頼むよ」


「任せておいて! って言いたいところだけど、本気で【浮力】を習得するつもり? 幻惑系と変性系では基本の術式からして違うわよ? 教えること自体はぜんぜんかまわないんだけど」


「それなんだが、昔、幻惑系魔術の習得が楽しくなっていたころに、色気を出して変性系魔術の基本の手引書を買ったことがある」


「うわ。高かったでしょう? あ、それとも密売品?」


 魔術関連の書物は魔術師が買い漁るため自然に値がつり上がる。

 また、誤った魔術の知識が流布るふするのを防ぐという名目で、無許可の写本を売ることは禁止されている。

 値が安い本は、多くの場合は密売品の写本だ。


「まあ、想像に任せるよ。さすがに個別の変性系魔術にまでは手が出なかったが、基礎の術式は多分まだ覚えている」


「ふーん。それなら……一か月ね」


「は?」


「一か月で【浮力】をものにしてもらうわ」


「おいおい、そんな簡単に……」


 アルバが戸惑うのも無理はない。


 使い慣れた系統であれば、新たに覚えた魔術でも使いこなすのはたやすい。

 しかし、系統の違う魔術を習得するには、通常は半年から一年かかる、と言われている。

 基本の術式を覚えているからといって、半年が簡単に一か月にはならない。


「大丈夫、あんたセンスがいいもの。特訓よ! まずは変性系の術式をおさらいして、次に魔力で物体を包み込む練習ね。うふふふふ。なんだか楽しくなってきたわ」


 すこぶる上機嫌のラキアを前に、背筋に冷たいものが走るアルバだった。

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