EX.新米冒険者は今日も死ぬ

「あ、死におった」


 マーキナーの目の前でサーバレンが死んだ。


 一人で三匹の魔猪まちょを相手にしている最中、正面の二匹に気を取られている隙に、背後から強烈な体当たりを受けて背骨が砕けたようだ。


 魔猪の標的が自分に移る前に、マーキナーは自らの居場所を巻き戻して、現場から充分な距離を取った。


 すべてを巻き戻せるというデタラメな能力を持つマーキナーだが、基本は人間の神官である。

 身体能力は一般人と変わらず、一日の恩寵の総量にも限りがある。

 無理に戦闘を行って意識を失えば、恩寵を使う間もなく文字どおり魔猪の餌食えじきだ。


 魔猪は雑食だ。

 今ごろ、サーバレンも美味しく頂かれているだろう。


 ここは元【眠り姫の迷宮】付近の森、現在は通称【眠り姫の森】と呼ばれる場所である。

【眠り姫の迷宮】を失い、魔素の濃くなったこの森では、魔獣が増える一方だ。


 サーバレンは日がな一日ここで魔獣を狩る。


 魔獣狩りは、迷宮攻略に実力が届かない冒険者が、資金稼ぎと戦闘訓練を兼ねて請け負うのが一般的だ。

 しかし、サーバレンの目的はこの森の魔獣を減らすこと自体にある。


「そろそろ食い終わったころかの」


 しばらく待ってから、マーキナーは現場に戻った。


 無残に食い散らかされたサーバレンの遺体を見下ろし、マーキナーはしばし思案する。


(こやつが何度死んでも懲りんのは、死に際の恐怖の記憶がないせいか? 一度、記憶の巻き戻しを死に際で止めてみるか? ……いや、それだと正気を失って、使い物にならなくなるだけか)


 サーバレンが使い物にならなくなれば、マーキナー一人では何かと不便だ。


 氏子であるクルスタークの血筋に子供ができれば、サーバレンのように出生前の魂に干渉もできるが、使い物になるまで十数年はかかる。


「やはり、これで我慢するかの」


 こんなんでも街では結構な人気者である。いろいろと便利なことも多い。


 もっとも、なぜこんなんが人気者なのか、これの人格を形成した本人であるマーキナーにもさっぱり理解できない。

 その点ではアルバに完全に同意する。


(気づかぬうちに主人公補正とやらでも組み込んでしまったかのう?)


 マーキナーは指を鳴らした。

 すると、そこには鎧から何からまったく無傷のサーバレンが横たわっていた。


 マーキナーはサーバレンを蹴飛ばし、強制的に意識を取り戻させる。


「あれ? ここどこ? 魔猪は?」


「帰るぞ、サーバレンよ。お前は魔猪に食われた。今日もう一度死ぬと、しばらく巻き戻せなくなる。そうやって無茶ばかりしていると、いずれはよみがえれなくなるぞ」


 マーキナーの恩寵は巻き戻す時間が長くなるほど消費が増える。

 恩寵が足りず巻き戻すのが遅れれば、巻き戻さなくてはならない時間が増え、さらに恩寵の消費が増える。

 無制限に巻き戻せるわけではないのだ。


「……別に、それでも構わない。最初からよみがえらせてくれなんて頼んでない」


 サーバレンが不貞腐れたように呟いた。


「そうか。しかし、お前が死んだままとなると、この森の魔物は増える一方になるぞ。それでは困るのじゃろう?」


 実際は、魔獣が増えたところで領主所属の兵士たちで充分対処できる。

 死人や怪我人が出たところで、マーキナーが巻き戻す。


 しかし、サーバレンは兵士たちに迷惑をかけることを良しとしない。

 気づかぬところで周りに迷惑をかけまくるくせに、気づいてしまった迷惑は二度とかけたがらない難儀な性分だ。


 サーバレンが迷惑をかけることも辞さない例外が、マーキナーとアルバである。

 多分、この二人は自分を甘やかさないと知っているからだろう。


「……くそ! しゃーない」


 サーバレンが腰を浮かせかけて、すぐにもう一度座り込む。


「どうした? まだ怪我が残っておったか?」


「なあ、マキちゃん。俺考えたんだけどさ、やっぱ、おかしいんだよ」


「何がだ?」


「記憶がさ、ないんだよ。トラックにひかれたときより前の記憶が、すごく曖昧あいまいなんだ。自分の名前すら思い出せない」


「そりゃ、そうじゃろ。そこは物語には関係ない。前世の名前はない場合が多いな」


「……朧気おぼろげな記憶はあるんだ。学校に通って、俺は目立たない奴で、周りに可愛い女の子がたくさんいてさ」


「そりゃ、ジャンル違いじゃ。混じったかの?」


「…………」


 サーバレンが泣きそうな顔で黙り込んだ。

 マーキナーは嘆息する。


「のう、サーバレン。今、お前が生きているのはこの中つ界じゃ。前世の記憶に何の意味がある。それがお前を幸せにするなら、その知識にしがみつくのもよい。しかし、その記憶はお前を不幸にしているだけだぞ? 生まれる前に語った宝くじの話を覚えておるか?」


「前世の記憶が宝くじってこと?」


「その記憶をひけらかしても、知識目当ての人間が集まってくるだけじゃ。それで自分が偉くなったと錯覚する。前世の豊かさと比較するから、この世界の暮らしに満足できない。そんな姿は、この儂から見れば醜悪極まりないものじゃぞ?」


「だって! ……前世は必要だろ? 前世があるから俺が俺なわけで……って、何言ってんだ俺?」


 サーバレンが頭をかきむしる。


 その様子を見ながらマーキナーはしばし思案する。


「サーバレンよ。お前が前世と信ずる世界にな、悠久ゆうきゅうの時を変わらずに生きた偉大な民族がおった。彼らは未来も過去も夢だと語る。時の神である儂は、その言葉が真実であると知っておる。もっとも、そんな偉大な民族も、拡大と破壊ばかりが得意になった自称文明人の野蛮人どもに狩りつくされかけたがな。お前の記憶が夢物語だとして、それに何の問題があろうか。あれはいい夢だったと割り切り、今を生きることのほうが賢明じゃぞ?」


「……やっぱり、この記憶は作り物なのかよ……」


 サーバレンが頭を抱えてうずくまる。


 マーキナーは再び深く嘆息した。


「まあ、そうやっていちいち儂の言葉を真に受けるな。儂はトリックスターじゃぞ。嘘じゃ、全部嘘。今ここで語ったことも一から十まで全部嘘じゃ」


 サーバレンが恨めしそうな顔でマーキナーをにらむ。


「神官は嘘がつけないんだろ? 知ってるぞ」


 サーバレンの言葉に、一瞬マーキナーはキョトンとして、次の瞬間には大笑いした。


「は、何を言い出すかと思えば。それは全部儂のせいじゃ。儂が子供らを散々嘘でからかったからの。奴らは皆、嘘が大嫌いじゃ。だから、神官がためにならない嘘をつくとへそを曲げる。その原因である儂が嘘を嫌うものかよ。このマーキナーは世界で唯一の、嘘しか吐かない神官じゃ」


「なんだよ、それ? 頼むから、どこからどこまでが嘘か本当か教えてくれよ!」


 サーバレンが悲鳴を上げた。

 マーキナーはそれを笑って見ている。


「知るか。自分で考えろ。それが答えじゃ。この話はもう終わり。帰るぞ」


「だからー、俺は頭が悪いんだから、そんなもん考えても分からないよ!」


「己の無知を知ったのなら、次は学べ、そして熟考しろ。楽な道など、すべて奈落ならくへと通じておると心得よ」


「うがー!!」


 サーバレンが天に向けて雄叫びを上げた直後、どこからともなく飛んできた人影がサーバレンの背後に降り立った。


「よう」


 それはいつものマスクと灰色の装束に身を包んだアルバだった。


「なんじゃ、お前から声を掛けてくるとは珍しいの? それに今のはどこから飛んできた? また、おかしな魔術でも習得したのか?」


「え? アルバ? おお、我が心の友よ!」


「やめろ、うっとおしい!」


 振り返りざま抱きつこうとしてきたサーバレンをアルバは前蹴りで押し止める。


「聞きたいことがあってな。ガットロウから魔獣の行動が異常だと言われて調査中だ。何か変わったことはないか?」


「ふむ、やはりな。いくら迷宮がなくなったとは言え、この森の魔獣の増え方は異常じゃと思っとったところじゃ」


「え? そうなの?」


 心底意外そうな顔のサーバレンに、マーキナーはほとほと呆れ返る。


「毎日のようにこの森に来ておいて、ほんにお前という奴は……。よいか、魔獣は繁殖時にしか増えん。魔素が濃くなったからと言って、普通の動物が途中から魔獣になることなぞない。今は多くの魔獣は繁殖期ではない。つまり、増えた魔獣の多くは、どこからか移動してきたことになる」


 マーキナーの話を受けて、アルバは顎に手を当てて思案する。


「魔獣の大移動か。縄張り意識が強い魔獣が多いはずなのに、たしかに異常だな」


「いずれにしろ、なんぞ良からぬことが起こる前触れじゃろうて」


 不穏なことを言いながら、マーキナーに深刻な様子はない。

 この不遜ふそんな神が深刻な様子を見せたら、それこそ世界を揺るがす一大事だろう。


「良くないこと? それってクルスターク領に被害が及ぶようなことなのか?」


 こんな時だけ、領主子息の顔に戻るサーバレンをマーキナーは面白がる。


「さて? 未来は夢の中じゃ。儂にも分からん。でな、アルバよ。こやつ、また懲りもせず死におった。こやつが役に立つ局面があるかは分からんが、凶兆がある以上、戦力は多いに越したことはあるまい。お前から、こやつに戦い方を助言してやってはくれぬか?」


「なんで俺が……」


 そう言いながら、アルバはサーバレンを足先から頭の先までねめつけ、最後に大きくため息をついた。


「……サーバレン、お前、【時を止める】加護を使って、レイピアで相手の急所を狙う戦い方をしているだろう?」


「え? うん」


「その加護は敵に近すぎると、効果が薄くなるんだろう? その使い方はやめておけ。【電撃】の魔術は覚えたと言っていたな」


「ありゃ駄目じゃ。儂も見せてもらったがの。ろくすっぽ飛ばない上に、収束せずにバラけまくる。魔力操作がなっちゃおらん」


「いや、それで充分だ。俺の見立てでは、こいつは世にも珍しい『前衛いらずの魔術師』だ。子供のころから剣の訓練に励んできた魔力持ちなんて、まずいないからな。体さばきも悪くない。その上で、バカみたいに魔力が多い」


「『前衛いらずの魔術師』!?」


 サーバレンが目をキラキラさせ、食い入るようにアルバの次の言葉を待つ。


「普段は射程ぎりぎりから【電撃】を撃ち続けろ。お前の魔力なら、撃ちっぱなしすら可能だろう? バラけるなら広範囲を攻撃できて好都合だ。敵もそうそう近づけまい。仮に近づかれても、お前なら敵をレイピアで牽制けんせいできる。危なくなったら【時を止める】加護を使って逃げることもできる。後は、【電撃】で痺れて動けなくなった敵にレイピアで止めを刺していければ効率的だ。以上だ、二度と言わん」


「よし、わかった! アルバが言うんだから間違いない。これで勝つる! さっそく試して──」


「駄目じゃ! 今日はもう一回死んだ。明日以降にせい。儂は菓子が食いたい。助言、痛みいるぞ、アルバよ」


 後ろからサーバレンの首根っこを引っ掴んで、マーキナーが指を鳴らす。

 二人の姿が一瞬でかき消えた。


「さて、俺はの慣らしも兼ねて、もう少し見回るか」


 アルバの全身が魔力光に包まれる。


 そのとき、遠くから低く太い獣の咆哮ほうこうが聞こえた。


「獅子? ……まさかな」


 アルバが地面を蹴ると、その体は一気に宙へと舞い、滑空する鷹のようにゆっくりと高度を下げながら、森の中へと消えていった。

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