EX.とあるメイドの追憶
子爵様のご子息であらせられるサバレン様は悲しいお方です。
「旦那様、まるで天使のような男の子にございます。しかも、この子はとても大きな魔力を宿しております」
「でかしたぞ、レフリア。これでクルスターク家も安泰だ。どれ、吾輩にも抱かせておくれ。おお、これはレフリアに似て美形に育つぞ。きっと将来は『麗しき魔術師』と呼ばれるに違いない。吾輩自ら剣の手ほどきができないのは残念だが、何、魔術師として戦働きができるなら武門の家にとっても喜ばしい限りだ」
サバレン様がお生まれになった日を私はよく覚えております。
子爵様ご夫妻のみならず、私を含めた館の使用人すべてが喜びにあふれておりました。
しかし、一年と経たないうちにサバレン様は魔力を失われました。
未知の奇病であったと言われております。
学のない私でも『魔力と筋力は両立しない』ことくらいは知っております。
膨大な魔力を持っておられたサバレン様が人並みの筋力を得られる望みはなく、今は魔力もお持ちにならない。
武門の家系においてそれは致命的な欠陥でした。
一歳に満たぬうちにサバレン様は『無能』の
執事の話では、子爵様の仕事机の引き出しには、サバレン様を廃嫡するための書類一式が、日付を入れぬままに保管されているとのことでした。
クルスターク家の親戚一同に迫られて、仕方なく用意されたものだそうです。
サバレン様が廃嫡となれば、今から子爵様がお子様を授からない限り、クルスターク家は親戚から養子を取ることになります。
その際に、サバレン様がこの家に残っていてはさまざまな火種になりかねず、おそらくは平民に下ることになりましょう。
「あの子、わたくしにちっとも甘えてくれないのよ?」
奥様はよくそのように愚痴を仰っていました。
まだ幼いサバレン様は、まるで思春期を目前にした少年のように、女性に甘えるのを恥ずかしがるのです。
「サバレン様は
「そうなのかしら。わたくしは、ずっと子供のままでいてほしいのだけれど……」
そう仰る奥様の目は悲しげでした。
早く大人になるということは、それだけ早く自らに押された『無能』の烙印に気づくことになるのですから。
サバレン様は私どもの目から見ても妙に大人びたお子様でした。
言葉遣いはつたないのに、心遣いが大人のそれなのです。
「アン、今大丈夫かな? 本棚の本に手が届かないんだ。取ってもらえる? 仕事の邪魔してごめんね?」
文字を覚えたサバレン様は、熱心に魔術の本をお読みになっておられました。
小さな体に不釣り合いな分厚い本をのぞき込む様子に、私は涙しそうになりました。
おそらくすでに、ご自分の身に降りかかった不幸をご理解なされていたのではないでしょうか。
サバレン様が時折見せるその暗い眼差しは、子供には似つかわしくないものでした。
「平民って、毎日どんなもの食べてるの? お風呂には入れているの?」
少年期に差しかかるころ、サバレン様は平民の暮らしに興味を持ち、話し言葉も平民に近いものを好んで使っておいででした。
不思議なことに子爵様もそんなサバレン様を容認しておられました。
愚考しますに、クルスターク家を廃嫡になった後、平民として不自由なく暮らしていけるよう、子爵様もお考えになられていたのではないでしょうか。
サバレン様は使用人のみならず、館の兵士たちとも気兼ねなく会話を交わしておられました。
「サバレン様! そのような靴で
「え? あ、ウ○チ! しまった! 踏んじゃったよ。あははは」
サバレン様は、館の使用人や兵士たちに大変可愛がられました。いつも明るく、馬鹿をやっては私どもを笑わせる、そんなお子様でした。
このころには幼少のころの神童ぶりは鳴りを潜め、むしろ道化のような振る舞いが目立つようになりました。
しかし、私は気づいておりました。
サバレン様は、まるで自分が館の客人であるかのような配慮をまま見せるのです。
それは使用人に留まらず、子爵様や奥様相手でも同様でした。
たとえば、サバレン様は他人に怒ったり、不平不満をぶつけることは一切ありません。
子供らしからぬその寛容さは、むしろ、すべてを諦めているのでないかと私を不安にさせました。
その屈託のない様子も、道化を演じるかのような振る舞いも、どこまでが本当のお姿なのか私は量りかねておりました。
「吾輩は、今日から父上のような話し方をしようと思う。これが貴族の当たり前なのだろう? 平民とも、適切な距離を取らせてもらうぞ。今までのようにはいかないから、そのつもりで。分かったな! ……って、笑わないでよ、アン!」
サバレン様はどうやらクルスターク家を継ぐ決心をなされたようでした。
館の使用人一同はそのことを大変うれしく思いましたが、同時に、それがどれほどの
それに合わせて、サバレン様はレイピアの修行にも励むようになりました。
戦争がなくなってから貴族の間で流行りだした細身の剣は、筋力に乏しいサバレン様が唯一満足に使える武器です。
しかし、あいにくと辺境に師事すべき使い手はおらず、サバレン様は並々ならぬ努力の末、独学で兵士と渡り合えるほどに使いこなしておいででした。
ただ、手合わせをする兵士たちはサバレン様にお怪我を負わせてはならないと神経をすり減らし、サバレン様が訓練場を去るころには皆目が死んだようになるほど気疲れしていたようです。
青年期に入るころには、サバレン様は領地経営について子爵様に熱心に尋ねるようになりました。
教育のこと、街道のこと、さまざまなことを子爵様からご教授されたようです。
このころのサバレン様の偉業に減税があります。
減税を行えば領地の財政が悪化するのは子爵様も充分にご理解なさっていたと思われますが、最終的にはサバレン様の熱意に押されて減税を断行いたしました。
あの年は農作物の出来が悪く、一部の村では口減らしも行われるのではないかと言われておりました。
減税により救われた幼い命がどれだけあったことでしょう。
十五年後、彼らが税を収めるころには、この減税分も補われるのではないでしょうか。
もっとも浅学な私がそう考えるだけで、現実は違うのかもしれません。
このころ、執事が私に漏らしたことがあります。
「王都で働いている執事仲間に聞いた話だ。迷宮特需に沸く辺境と、それ以外の地域での経済格差が開く一方でな、国は新たに富めるものからより多くを徴収する税を内密に検討中らしい。そうなれば、クルスターク家の財政も一気に改善するぞ。サバレン様がこのことを知っているはずはないのだが、なぜあれほど減税にこだわったのか、不思議なことだ」
「はあ……」
執事の話は私にはよく分かりませんでしたが、クルスターク家の財政がよくなるならそれに越したことはございません。
このころから、サバレン様は積極的に街へ降りられるようになりました。
神殿を訪れたり、街の噂に耳を傾けていたようです。
私はよく護衛の兵士たちからサバレン様の街でのご様子を聞かされておりました。
「サバレン様が街の娘に人気なのですか?」
「ああ。あのとおり見目麗しい方だからな」
確かにサバレン様は見た目が良いですが、それ以上に行動に問題があります。
「それじゃあ、街ではいつもの道化ぶりは控えておられる?」
「いや。いつもどおり、笑って済ませられる程度の失敗は日常茶飯事。そのつど、街の者に助けられて、それをきっかけに街の者と親しくなってる」
「……一応、貴族らしい態度で?」
「そりゃまあ。『うむ、大儀であった。礼を言おう。お前、平民にしてはなかなかできるな』とか言っちゃってるけど、その直前に失態を晒しているんだから、威厳なんてあるわきゃないだろ? あれに腹立てる奴はいない。そもそも貴族が平民に対して無礼じゃない方がおかしい」
サバレン様を呆れ顔で見る街の者の顔が目に浮かびます。
「……で、むしろ仲良くなっていると?」
「気兼ねなく話せる貴族なんて、街の人間にとっちゃ貴重な存在だしな。この前は街のおっちゃんと肩組んで酒飲んでたぞ。貴族であれはないよな」
兵士はからからと笑いました。
この兵士もサバレン様の奇行には慣れっこなのでしょう。
「大変サバレン様らしゅうございますが……それなのに、娘たちに人気なのですか?」
「まあ、変わり種を面白がっているだけかも知れんが」
「……
若い娘の心理が理解できないとは、私も歳をとったのでしょう。
そんなサバレン様が冒険者ギルトで騒ぎを起こしたと聞いて、私どもは耳を疑いました。
なんでも冒険者にレイピアを向けたとか。
普段のサバレン様を知る私どもには到底信じがたいことでした。
訓練でも真剣を使うのを嫌がるお方です。
その冒険者がよほどの悪党だったのでしょうか。
サバレン様はその冒険者に決闘をいどみ、自ら迷宮へと赴くことになりました。
四人の兵士がサバレン様の助太刀に選ばれましたが、四人とも重責に身を縮ませ、中には腹を壊す者までいたそうです。
出立の折にお見送りをいたしましたが、兵士四人は寝不足なのか、皆一様に生気のない蒼い顔をしており、本当に心配になりました。
そして、あの悲劇が起きたのです。
サバレン様は迷宮を殺した罪で毒杯を賜ることになりました。
なぜそんなことになってしまったのか、私どもにはさっぱり理解できませんでした。
サバレン様に下された罰を知って奥様が
「まあ、どうせ一度は死んだ身だしな。しゃーないか。これで父上に迷惑がかからないならいいさ。父上、魔獣のことだけは、くれぐれもお願いします。俺のせいで死人が出たなんてことになったら、死んでも死に切れない。それとマーキナーのことをよろしく。なんでも、クルスターク家の氏神様らしいんで」
「マーキナー様については神殿からも話を聞き及んでいる。魔獣のことも任せておけ。誰一人、死なせやしない」
「ありがとう、父上。アンも済まないな。嫌なことに付き合わせて。母上にも、まあ、立派な死に際だったとでも伝えてくれ」
「サバレン様……」
死を前にしてあっけらかんとしているサバレン様を見て、私は理解いたしました。
サバレン様は最初から生きることに執着などしていなかったのだと。
過去の偉人には自らを『この世の客人』と呼んだ方がおられるそうです。
サバレン様も、どこか役柄を演じているかのような気持ちで、これまでずっと生きて来たのではないでしょうか。
『無能の子爵子息』である現実を、ただの役割と信じ込むために。
サバレン様はお亡くなりになりました。
その日の子爵家は、まるですべての
やがて、そのやり場のない悲しみを怒りへと変えた血気盛んな兵士たちが、
「きっとその冒険者がサバレン様に濡れ衣を着せたに違いない。俺がサバレン様の仇を取ってやる!」
「やめろ! 【鷹の目】はそんな連中じゃない。最初からサバレン様の様子は異常だった。明らかに相手を怒らせるような言動を取っていた。それに何の意味があったのか分からん。しかし、この結末を招いたのは……サバレン様自身だ」
彼らを止めたのは、サバレン様に同行した四人の兵士たちでした。
サバレン様が死に至った事件について、最も事情を知っているのは彼らなのです。
「くそ! 何があったんだ! なぜだ! サバレン様……」
「……おそらく、氏神様の思し召しだったのだと思います」
「アン?」
その場に居合わせた私は、若い兵士たちをなだめるべく、場違いにも発言いたしました。
「詳しい事情は私も知らされておりません。しかし、子爵様はその事情を飲み込みました。ただ、サバレン様は、氏神様を奉るクルスターク家の一員として、氏子としての役割を果たしたのだと。それは、大変名誉なことだと」
「氏神様? クルスターク領の?」
「名もなき神? ただの作り話じゃなかったのか?」
地元出身の兵士たちから困惑の声が上がりました。
彼らは両親や祖父母から氏神様について聞き及んでいたのでしょう。
クルスターク領に氏神はおりません。
しかし、この国ができるよりも昔から、それこそクルスターク家が地方豪族であった時代から、領内の至るところに名もなき神を祀る
一部では『失われた神の謎』として有名だとか。
それは大変な力を持った神であったそうです。
しかし、その神はいつしか力を失いました。
その神が力を持ち続けていたなら、クルスターク家が国を起こすことすらあり得た、と年寄りは語り継ぎます。
それは、いち地方子爵領に過ぎないこの土地が、もしかしたら王都になっていたかも知れないという壮大なおとぎ話。
若者や余所者は皆、地元びいきの与太話だと笑い飛ばす類のものです。
「では、サバレン様は氏神様の御心に従ってあのような行動を?」
「自らの身を犠牲にして氏神様の思し召しを叶えたの言うのか? それではまるで……」
兵士が言葉を飲み込みました。
しかし、その場にいた全員がその後に続く言葉に思い当たったでしょう。
『聖人』あるいは『神の使徒』。
その言葉をみだりに発すると神殿から
「いゃあ、その称号はサバレン様に似合わないよなぁ。もっとこう、親しみが持てるやつじゃないとさ」
兵士の一人が天を見上げ、涙声でそう言って笑いました。
私たちもつられて笑い、天を見上げました。
『聖人』は死後、神界に召されて神の御許で暮らすそうです。
おそらく皆、神界に召されるサバレン様の姿を想像したことでしょう。
本当に似合わない。
後日、一人の青年が街に現れました。
彼の名はサーバレン。そう、サーバレンです。
「神様も
兵士がそう言って笑いました。
私も、涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑いました。
新米冒険者のサーバレンは、例の【鷹の目】という冒険者パーティーにしょっちゅう絡んでは、嫌な顔をされているそうです。
人に笑われることを是としながら、人に甘えることが苦手だったあの方が、あの冒険者たちには甘えているようです。
甘えられる側はたまったものではないでしょうが。
私の目には、今の彼のほうが幸せに見えます。
ようやく本来の姿を取り戻したように見えるのです。
どうか、末永くお健やかに。
アンは心よりお祈り申し上げます。
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