19.時計じかけの神

「なかなかに面白い余興であった」


 戦闘中、沈黙を守っていた【眠り姫】が言葉を発した。


 そういえば、まだ得体の知れないのが残っていたことを思い出し、アルバは弛緩しかんした精神を再び緊張させる。


「敵意はない。安心しろ。この器……少女のことは、そうじゃな、マーキナーとでも呼べ。デウス・エクス・マーキナーじゃ」


「……何者だ? お前は」


【眠り姫】──マーキナーの変化をアルバはいぶかしむ。


 最初に感じた人間離れした雰囲気は、すでにない。

 だが、年相応の少女に見えない点は変わっていない。

 今の彼女からは老成した人物の気配を感じる。


「お、おまえは、神の使いじゃないのか? てか、あの神が俺のために用意してくれたヒロインじゃないのか?」


 サバレンが混乱した様子でマーキナーに問いかけた。


「神?」


 アルバは神が苦手だ。


 この世界には神が実在する。

 それは恩寵の存在が立証している。


 アルバも恩寵の世話になっているため、神を邪険にするつもりはない。むしろ感謝すらしている。

 だが、個人的に親しくしたいとは思わない。そっち方面はモナの担当だ。


「確かに、このマーキナーは神に用意された、神の使いじゃ。しかしサバレンよ、お前のために用意された、というのは違う。むしろ逆じゃ。お前がマーキナーのために用意されたのじゃ」


「は?」


「クルスタークの血筋は、もともと儂にささげられておる。お前は生まれたときから、マーキナーを回収するための存在じゃ。まあ、無事に【封神ほうしん結晶】から解放してくれたのは計画どおり。じゃが、望みどおりの力を与えたのに、オーガごときに後れを取るとは情けない。そこは予定とは違ったのう」


「う……それは……」


 サバレンが言葉に詰まった。


 どうやらマーキナーとサバレンには浅からぬ因縁があるらしい。

 部外者が口をはさむべき状況ではないと判断したアルバは、黙って耳を傾ける。


「このマーキナーに戦う力はない。【封神結晶】から解放された後、この肉体を破壊する手立てを魔法使いが用意しているのは想定済みじゃ。故に、お前に力を授けたというのに、この体たらく」


「くっ……」


 サバレンの顔が恥辱に染まる。


「知るか、そんなこと! っていうか、何か? お前、俺を利用したのか!」


「言うたじゃろう? クルスタークの者をどう扱おうと、儂の勝手じゃ」


「おかげで、俺は死にそうな目にあったんだぞ!」


「それがどうした。お前が望んだ力を与え、お前が望んだ出自を与えた。それ以上何を望む。それで死ぬなら、それがお前の限界じゃ」


「なっ! それは……そうかもだけど。でも、俺は転生させてもらったんだ。だから、平穏無事にスローライフを送る権利が──」


「そんなもの最初からありはせん。手違いで死なせたから転生させる? アホか! 神がいつからそんなに慈悲深くなった? 数え切れない理不尽な死を放置する神が? 星からほとんどの生命を奪うことも辞さぬ神が? 生前の不幸に報いるなら、恵まれた転生で充分じゃろう? 元の世界に戻すならまだしも、ほかの世界に放り込む? 世界の秩序を破壊したいのか? そんな神がいたら、危険分子としてほかの神々に粛清されておるじゃろうよ。この儂のようにな!」


 聞き捨てならない単語があった気がして、つい言葉を発しかけたアルバだったが、すんでのところでそれを飲み込んだ。

 自分を危険分子と呼んではばからない神など、積極的に関わるべきじゃない。


「え? ……だって、俺、直接神様に会って……」


「ああ。前世の世界の神、か。ありゃ儂じゃ。お前が前世と信じるあの世界は面白い。あそこの知識を吸収することは、儂の趣味でな。もちろん、お前が会ったこの世界の神も儂。すべて欺瞞よ。何もかも嘘っぱちじゃ。儂を誰だと思うておる? 伊達にトリックスターを自負しておらんわ!」


「え? 何が? 嘘? どこから?」


「何もかもじゃ。もし、お前に叡智えいちがあったのなら、『手違いで死なせたから』と聞いた時点で欺瞞ぎまんを看破したじゃろうて。あるいは、己の無知に気づいて叡智を望んだのなら、儂の選択肢も違ったろう。じゃが、お前は時を操る魔法を欲した。まさしく、儂の望んだとおりに」


「…………」


 サバレンが呆けた顔で言葉を失っている。

 話の内容を理解できていないことが、その表情から分かる。


「今から、お前の呪いを解いてやろう。しかと聞け、サバレン。お前は、お前でしかない。それ以上でも、それ以下でもない。お前は初めから、クルスタークの領主子息のサバレンよ。それ以外の何者でもあったことはない」


「……何だよ、それ。わけ分かんねーよ! 誰か説明してくれよ!」


 サバレンが頭を抱えてうずくまった。


 立ち直る見込みがなさそうなサバレンを見て、アルバはようやく口を開く。


「話は終わったか?」


「おお、そうじゃ。結果的にはお前がマーキナーを救ってくれた。神界との接合を確立するのに、サバレンだけでは時間稼ぎに足らんところじゃった。うむ、お前の働きに報いて、何か褒美をやろう。何かひとつ、願いを叶えてやる。人を害する願いでなければ、どんな力でも、どんな財宝でも、思いのままじゃ」


「どんな願いも?」


「うむ。なんせ儂は神じゃからの」


 アルバは目の前で胸を反らせてドヤ顔をしている少女を見つめる。


 やはり、この少女の中に『神』がいるらしい。

 アルバは『依代』という言葉を思い出す。

 先ほどから話を聞く限り、『儂』が『神』で、『マーキナー』が『依代』なのだろう。


 にわかには信じ難いが、今はこの少女が真実を語っている前提で話を進めた方が得策だ。

 後で嘘だと分かれば笑って済ませられるが、本当の神が関わっていた場合、笑い事では済まされない。


 アルバはしばし悩む。

 現状で願い事を聞かれれば、答えはひとつだ。


 その願いを叶えるための力を欲することも可能だが、この胡散うさん臭い神相手にへたに欲張ると、しっぺ返しをらいそうで怖い。

 素直に願いを言った方が無難だろう。


「願いなら決まってる。というか、サバレン。お前、あのときなんで『魔力を授けろ』なんて願いを言ったんだ?」


 放っておくといつまでも浮上しなさそうだったので、アルバはあえてサバレンに話を振った。


 サバレンが呆然とした顔でアルバを見上げる。


「え? ……だって……そうしなきゃ、オーガに殺されてただろ?」


「魔力を得て、オーガを倒して、その後どうする気だったんだ? どうやってここから出る気だ?」


「え? あ……」


 そう、ここは完全な密室である。オーガを倒しても、何も解決しない。


「ええと……こういうのは、敵を倒すと、隠し扉が開く、的な?」


「そんなわけあるか! どんな理屈だ! バカだバカだとは思っていたが、ここまでとは……」


 自信なげに答えたサバレンに、アルバは呆れ果てた。


「そんなわけで、俺の願いはひとつだ。俺を仲間のもとに戻してくれ。一応、このバカも連れてな。まったく。願うなら、最初からそれだけで良かったんだ。そうすりゃ、オーガと戦う必要すらなかった」


「ふむ。いいじゃろう。力も財もいらぬ、か。実のところ、神界との接合が成ったとて、このマーキナーにできるのは『巻き戻す』ことだけじゃ。叶えられる願いを言えたお前は、合格じゃよ」


 叶えられない願いを言っていたら、何をされていたのだろうか。

 本当にロクでもない神のようだ。


「では、戻るか」


 マーキナーが指をパチンと鳴らすと、アルバは迷宮の【玄室】に戻っていた。

 サバレンとマーキナーも一緒だ。

 三人の位置が転移させられたときと同じ場所に戻っている。


「アルバ!」「アルバさん!」「おお、アルバ殿!」「アルバっち、生きてた? 本者?」


【鷹の目】の女性陣が目を丸くしている。


「ああ、無事だ。心配かけたな」


「アルバさん、血が!」


「返り血だ。問題ない」


「とりあえず【清め】ますね」


 そういって、アルバに近づこうとしたモナが、固まった。

 次の瞬間、モナは後ずさり、膝をついて頭を垂れる。


「こ、これは、拝謁を賜り、恐悦至極にございます。神官のモナと申します」


 モナがアルバの背後にいたマーキナーに平伏したのだと悟り、アルバはサバレンを引っ張って脇に避ける。


「ふむ、分かるか」


 マーキナーは満足げな顔でモナに尋ねた。


「はい。これほどの神気。疑いようもございません」


「して、儂が誰かは、分かるかの?」


 マーキナーが悪ふざけをするときの子供と同じ顔で聞いた。

 モナが恐縮する。


「……未熟なこの身が恥ずかしゅうございます」


「よいよい。分からずとも当然じゃ。なにせ、儂は中つ界への接触を禁じられておるからの」


「! 父神様にあらせられる!」


 モナの驚愕とは裏腹に、ほかの誰ひとり驚く様子はない。


「父神?」


「もしかして、あの少女は【眠り姫】か?」


「ケイティ、いまさら?」


「父神って確か……クル──」


「ラキアさん! 神名を軽々しく口にしてはなりません!」


「はひぃ! ご、ごめん、なさい」


 尋常ならざるモナの剣幕に、珍しくラキアが萎縮いしゅくしている。


 モナがマーキナーを一同に紹介する。


「こちらにおわすは、神々の父君にして、時氏神様であらせられます」


「ま、このマーキナーは単なる器じゃ。そこまでかしこまることはないぞ」


 マーキナーが権高けんだかな態度で言うが、畏まっているのはモナだけである。


「誰なんだ?」


 アルバはラキアに近づくと、小声で尋ねた。

 モナに次いで神学に詳しいのはラキアである。

 ケイティもこちらに顔を寄せてくる。


「あー、主な神様全部のお父さんで、時を司る神様よ。で、神界一の悪戯好き。あまりにも悪ふざけが過ぎるから、幽閉されて、人間界への干渉を禁じられてるって話。古き神、幻の神よ。モナの様子を見るに本物臭いわね。ああ、これって、神殿の歴史に残る珍事じゃないの? これほんとに大丈夫?」


 ラキアもめずらしく平静さを失っている。


 神学に疎いアルバには何が大事なのかさっぱりだが、厄介な神であることは間違いなさそうだ。


「それにしても、面白い面子がそろっておるの。なんじゃ、お前、なんでこんなところにおる?」


「へ? おっさん誰?」


「ユリシャさん!」


 マーキナーに対してぶしつけな態度のユリシャにモナがあおくなった。

 こんなに取り乱しているモナを見るのはアルバも初めてだ。


「おっさん、て。一応、今の見た目は可愛らしい少女のはずじゃが?」


「いや、隠しきれないおっさん臭が。というか加齢臭?」


「口が減らんやつじゃのう」


 マーキナーと親しげに会話するユリシャの腕を掴んで、ケイティが詰問する。


「おい、ユリシャ。お前、この神様と知り合いなのか?」


「え? うーん、思い出せない……誰だっけ?」


 腕を組んで首を傾げるユリシャにマーキナーが肩をすくめる。


「まあ、よいわ。でな、モナよ、お前に頼みがある」


「はい。なんなりと」


「ここで【迷宮の核】にされとったこのマーキナーは、儂が中つ界に接触するための唯一の器じゃ。大昔に魔法使いに奪われてな、取り戻すすべを探しておった。で、今回、このサバレンを遣わした次第じゃ。故に、サバレンが迷宮を殺したのは、すべて儂の命令に従ったまで。この者に罪はない。そう神殿に証言してくれるか」


「はい。かしこまりました。元より神の御心なれば、誰が罪に問えましょう」


「うむ、助かる。本来なら、迷宮をよみがえらせてやりたいが、マーキナーは時氏神の恩寵を使える神官としての力しかない。迷宮をよみがえらせるとなると、マーキナーが【封神結晶】に戻るしかないでの」


「その御心だけで充分でございます。依代様が顕現なされたとなれば、迷宮のひとつやふたつ、その対価としては安いほどです」


「まあ、儂は久方ぶりに中つ界を満喫するつもりじゃ。今回の借りは、いずれマーキナーのできる範囲で返させてもらうとしよう」


「もったいなきお言葉でございます」


 モナはマーキナーの言葉にただただ恭順する。

 神官としては、そうせざるを得ないのだろう。


「というわけで、サバレン」


「え? 俺?」


 急に話を振られて、サバレンがキョトンとする。


「マーキナーの保護者はお前じゃ。ちゃんと面倒を見ろよ」


「……ええと、もしかして、この美少女の中身って、あのマッチョ神なの?」


「なんじゃ、今ごろ気づいたのか?」


「ええー! だって、最初はなんか、雰囲気違ってたじゃん!」


「あれは神界との連結が完了するまでの疑似人格じゃ。単なる人形じゃ。なんじゃ、お前? あんな非人間的なのが好みか?」


「そんなぁ。中身おっさんのヒロインとか、ありえない! 認められない! せめてロリババアが限界だろ?」


 口調が変わっている以外は、サバレンも随分と元の調子に戻っている。

 マーキナーが語っていた彼自身についての話はもういいのだろうか、とアルバは要らぬ心配をする。


「知ったことか! ほれほれ、お前には、無事なことを伝えるべき人々が待っとるじゃろ。さっさと地上へ戻るぞ。ほら、お前たちも、行くぞ!」


 マーキナーが一人ですたすたと【玄室】を出てゆく。


「時氏神様、この後、神殿のほうへお立ち寄り願えませんでしょうか?」


「ちょ、待ってよ。俺、これからどうすりゃいいの?」


 モナが慌ててマーキナーの後を追い、その後にサバレンが続く。


【鷹の目】の残る四人は、完全に置いてけぼりである。


「……ああ、そういえば、そろそろガットロウの胃に穴が空いてる頃合いじゃないか?」


「そうね。多分、迷宮の入口で気をもんでるわね」


「正直、吾には何がなんだかさっぱり分からん。とりあえず、長居は無用だ。帰るとしよう」


「うーん、あのおっさん、誰だったかなー?」


 一同は【転移の魔法陣】で迷宮入口へと戻るべく、【玄室】を後にするのであった。

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