18.因果を越えて

 目の前で起こっている光景は、アルバの理解を越えていた。


「後は任せろ。ここからは俺のターンだ!」


 突然、不敵に笑ったサバレンが真正面からオーガと対峙する。

 その時点で、アルバはサバレンの死を疑わなかった。


 だが次の瞬間、サバレンは目にも留まらぬ速さでオーガへと踏み込み、レイピアによる刺突を繰り出していた。


 いや、目にも留まらぬ速さどころではない。レイピアを構えた姿勢から、次の瞬間には踏み込んで突きを出し終えていた。


 オーガが吹っ飛ぶ。


 ただ不思議なことに、その突きは中途半端な姿勢で止まっており、さらにはオーガにも避けられていた。

 最初は吹っ飛んだかに見えたオーガだが、実際は自分で転んで攻撃を避けたのだ。


 サバレンの動きは瞬間的だったのに、なぜか剣先の動きはぎりぎりアルバにも見えた。

 オーガが反応できたのも、そのためだろう。


 オーガがムクリと起き上がる。

 その顔は笑っている。


 それを見て、アルバは希望を持つ。

 どうやら、このオーガは戦いを楽しむ性格のようだ。それなら、つけ込む隙が見つかるかも知れない。


 オーガの表情に一瞬ひるんだサバレンだったが、すぐに気を取り直してレイピアを構えた。


 サバレンがじりじりと間合いを詰める。

 おそらく、次こそは避けられないように深く踏み込むつもりなのだろう。


 だが、それは悪手だ。オーガに読まれている。

 サバレンの視線から、その狙いがオーガの目であることすらアルバには分かってしまう。

 それは、おそらくオーガ自身も同じだろう。


 サバレンの表情が急に変わる。まるで、これから攻撃しますと雄弁に語っているように。

 見るに耐えないほどの素人ぶりだ。


 案の定、次の瞬間、オーガがサバレンに飛びかかった。

 サバレンの狙っていた間合いを潰して、取っ組み合いに持ち込むつもりだ。


 そして、また不可思議な光景が繰り広げられる。


 気がつけば、サバレンがレイピアを繰り出し、それをオーガが左手で防いでいる。

 さらに、いつの間にかオーガの右手がサバレンに伸びている。


 そのとき、アルバの目には、サバレンのレイピアが本来の長さより縮み、逆にオーガの首や腕が伸びたように見えた。


 次の瞬間には、レイピアが折れてサバレンが吹き飛ばされ、オーガの右手が空を切った。


 たった今、何が起こったのか、アルバには理解できない。

 しかし、サバレンの最初の一撃と合わせて考えるに、サバレンが何か魔術的な技を使い、オーガがそれを破ったのだろう。


 尻もちをついて完全に戦意を喪失したサバレンを、冷めた表情でオーガが見下ろしている。


 こんなことなら、サバレンと協力してオーガに当たるべきだったとアルバは後悔する。

 闘いの熱が冷めたこのオーガに、おそらく隙はない。


 アルバはサバレンが戦っている間に取り出しておいた【辛子玉】を握りしめた。

 アルバのいる位置はオーガの視界にぎりぎり入っている。

 しかし、視界の外に移動しようとした瞬間に、オーガはこちらに飛びかかってくるだろう。


 サバレンが殺されるのを傍観するわけにもいかない。

 意を決し、アルバはオーガ目掛けて【辛子玉】を投げた。


──パシッ


 やはり、視界に入っていたのであろう、オーガが左手で【辛子玉】を掴み取り、そのまま握り潰した。

 次の瞬間には、左手を開いて苦悶の表情を浮かべる。


「ギ、ギガガッ」


「ちっ。よりによって血で濡れた手で掴むかよ」


【辛子玉】は水分に弱い。濡れると粉末が飛び散らなくなるからだ。

 しかし、傷口にはしみるらしい。


 オーガの瞳に熱がもる。

 不発に終わったが、【辛子玉】の効果はあった。

 すぐには引かない痛みに、オーガの冷静さが失われているのが分かる。

 しかも、あの左手はほぼ死んでいる。拳も握れず、爪も立てられまい。それどころか、下腕全体がしびれているように見える。


(これなら勝てる)


 アルバはちらりとサバレンの顔を見る。

 サバレンの表情は虚ろだ。


「さて、『後は任せろ。ここからは俺のターンだ!』、だっけか?」


 サバレンに対して『大きな口を叩いた割りにはだらしないな』との意味と、次は自分の番だという意味を込めて呟く。

 とはいえ、これは少し意地悪だったかも知れない。サバレンがいなければ、おそらく活路は見出だせなかった。


 アルバはダガーを抜いてオーガに相対した。


 その姿勢のままで、身じろぎひとつせず、深く呼吸する。


 オーガが、やけにゆっくりと間合いを詰めてくる。


 アルバはオーガの心理を想像する。


(普通のオーガなら人間相手にここまで警戒はしない。俺がサバレンと同じ技を使う可能性を考えているな?)


 オーガから見れば、アルバとサバレンは魔界にはいない同種の生き物である。同じ技を警戒するのも当然だ。


(サバレンのときのように飛びかかろうにも、【辛子玉】のせいで左手は使えない。今のこいつには、レイピアより速いダガーの攻撃を防ぐ術がない。だから接近戦は仕掛けてこない。ならば頼るべきはリーチの差だ)


 体格で勝り、腕の長いオーガであれば、素手でもリーチはダガーより上だ。


 今このオーガは、アルバが一歩踏み込んでもダガーが届かない間合い、それでいて、自分の攻撃に相手が反応できない間合いをはかっている。

 相手が反応できなければ、どんな不可思議な技も意味がない。


(このオーガは目がいい。サバレンの最初の一撃をかわしてみせたのが証拠だ。おそらく、自分の目の良さを過信している。だからこそ、戦いを楽しむような愚かなことができる。その過信が命取りだ)


 オーガがわずかに間合いを詰めた。その瞬間をアルバは見逃さない。


った!)


 アルバは身じろぎひとつせず、深く息を吸っている。


──ズシャ!


 オーガの喉がぱっくりと裂けた。

 吹き出した血がする。


──ドンッ!


 アルバが踏み込んだ足をさらに軸にして、体を半回転させながら大きく前進した。

 振り向きざま強く踏み込んで、ダガーをオーガの喉へとし込む。

 次の瞬間、アルバの灰色の装束が返り血で染まる。


 だった。


 オーガの喉が裂けた後に、アルバは見てからでも余裕でかわせるほどの大きな攻撃動作で間合いを詰め、オーガに攻撃を仕掛けていた。


 どさり、と音を立ててオーガが倒れた。


 サバレンが呆然と呟く。


「なん……だと? 攻撃が当たってから、攻撃を繰り出した? 命中という結果が先で、攻撃という原因が後? ……因果の逆転!? ありえない! どんなチートだよ!!」


 オーガの死を確認して、アルバは深く安堵あんどの息をつく。


「ただの目くらましさ。なんてことはない」


 そう、それはただの目くらましだった。


【透明】と【消音】は、姿や音を消す魔術と思われがちだが実際は違う。本当に姿や音を消しているなら、それは変性系魔術の範疇はんちゅうである。

 幻惑系魔術は相手の感情や認識を操作する。


【透明】と【消音】は『見えていない』『聞こえていない』と相手に錯覚させる魔術だ。厳密に言えば、見えている姿をその場の風景に、聞こえている音を静寂に、認識をすり替えている。

 相手はその姿を見て、その音を聞いているのに、それを代わり映えのない風景と静寂として認識する。


 風景に溶け込むほど【透明】の消費魔力が減り、音を立てないほど【消音】の消費魔力が減るのは、認識をすり替える先との差が小さいほど魔力が少なくて済むためだ。


 また、術者の姿や発する音を風景や環境音から切り分けて認識しようとしている対象ほど、魔術の効きが悪くなる。

 たとえば、相手の目の前で【透明】を用いた場合、相手は一瞬こちらを見失いそうになるが、それ以降は『急に存在感が希薄になった』くらいにしか感じない。


 ならば、ほんの少し前の自分の姿、ほんの少し前に自分が発した音と、認識をすり替えればよいのでは?

 それならば、消費魔力は少なくて済むし、むしろ相手に注目されるほど、耳を澄まされるほど、効果が高くなるのでは?


 本人は当たり前だというアルバの発想は、他人からしたら奇想天外である。

 そして、その奇想天外をラキアは形にしてしまう。


 それがラキアお手製の創作幻惑系魔術【遅延】である。


 この魔術は、アルバの姿を見、アルバに対して耳を澄ました者に、瞬き二回分前のアルバを認識させる。

 そして、瞬き四回分でアルバの魔力が尽きる。

 ただそれだけのものだ。


 オーガを倒した一撃も、アルバ自身は魔術を発動するのと同時に、普通なら届かない間合いから大きすぎる攻撃動作で間合いを詰めて、斬りつけたに過ぎない。


 しかし、オーガは、身じろぎひとつしないアルバの姿を、深く吸われたアルバの呼吸音を、斬りつけられた後まで認識し続けたのである。


 まったくもって、ただの目くらましだった。

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