15.辺境領主の子息様

 俺は念願の異世界転生を果たした。


「ホギャア、ホギャア──」


 気が付くと俺は泣いていた。力いっぱい泣いていた。

 視野はぼやけて、何も見えない。


 そしてようやく、たった今、産み落とされた瞬間なのだと気づいた。


 それと同時に、周りから聞こえてくる声に愕然がくぜんとなった。


「○×△※□×□○……」


 言葉が分からん!


 てっきり、初めから異世界の言葉を理解できるものと思っていた。

 考えてみれば、言語翻訳なんて便利な能力をもらった覚えがない。

 なぜ、そんな便利能力が当然の如く与えられると思っていたのだろう。


 うっすらと目が見えるようになるころには、自分の名前が『サバレン』であることだけは何とか理解できた。


──サバレン


 なにそれ、かっこわる!

 さばが連続しているの? 朝練の親戚しんせきなの? 鯖の錬金術師なの?

 ダサいデフォルトネームが変更不可とか、クソゲーかよ!


 とりあえず、自分のことは『サーバレン』と呼ぶことにした。

 こちらのほうが幾分かはかっこいい気がする。




 それから数日過ごし、言葉を理解するのを諦めた俺は、ほかにできることを考えた。


 やはり、魔法無双を目指すなら、魔力の底上げだろう。

 小説によくある『限界まで魔力を消費すると魔力の最大値が上昇する』ってのを試すことにした。


 ここで、俺はまたしても大きな失敗に気づく。

 魔力が上昇したかを確かめるには、自分の魔力量を知る必要がある。しかし──


(ステータス! ステータスオープン! ステータス表示!)


 ステータスを表示できなかった。


 この世界にはステータスを表示する機能はない? それとも、俺が知らないだけ?

 ああ、こんなことなら【鑑定】能力をもらえばよかった。そうすれば自分のステータスも見られるのに。


 このぶんだと、アイテムボックスも望み薄だろう。


 めげていても仕方ない。

 まずは魔力を消費する手段として【時を止める】魔法を試してみることにした。


 魔法を使っていることがバレないよう、子供部屋から人がいなくなるのを見計らって、俺は魔法を念じた。


(時よ止まれ!)


 次の瞬間、周囲の音が消えた。

 最初から見える範囲に動いているものがなかったので、本当に時が止まっているのか、いまいちよく分からない。


 それから体感で一呼吸──四秒くらいすると、周囲の音が戻った。

 体の奥から力が抜けるような感覚があったので、たぶん魔力を使い切ったのだろう。


 四秒は思った以上に短かったが、魔力の総量が増えれば、その分だけ時間が延びるはずだ。

 むしろ、すぐに魔力を使い切れるので、魔力の最大値を底上げするには効率的かもしれない。


 時間を止めた後、五分くらい休んでいると、体中に力が満ちるような感覚があった。

 おそらく、魔力が回復したのだ。


 俺は時を止めては、魔力の回復を待ち、そしてまた時を止めることを繰り返した。




 だが、そうして数日を過ごしても、時を止めていられる時間は一向に延びなかった。

 その代わり、俺は自分の中の魔力を敏感に感じ取れるようになった。


 そして、魔力を使い切った後にも、自分の中にわずかな魔力が残っていることに気づいた。

 これじゃあ、『限界まで魔力を消費すると魔力の最大値が上昇する』というセオリーどおりに行かないわけだ。


 そこで俺は、自分の中の魔力を完全に使い切ることを意識しはじめた。

 最初はうまくいかなかったが、次第に自分の中に残っている魔力が小さくなってゆくことに気づいた。


 数日後、俺は自分の中の魔力を完全に使い切ることに成功した。


 そして、俺の魔力は回復しなかった。


 それ以降、俺の中から魔力が消えた。完全に消えてしまった。


(え? なに? まじ? 冗談だろ? なんだコレ?)


 俺は混乱し、恐怖した。


 赤ん坊とは言え、そのときの俺の泣きっぷりは常軌を逸しており、両親もメイドたちも右往左往していた。


 やがて、黒マントを着た、いかにも魔術師といった風貌の男を両親が連れてきた。

 そいつは、俺の体に手をかざし、何事かを熱心に調べ、そして、最後に首を横に振った。


 両親の顔が絶望に染まるのを俺は見た。


 俺はまた、泣くしかなかった。




 数年後、この世界の文字が読めるようになった俺は、魔術に関する本を読んで真相を知った。


「なになに? 『魔力には互いに引き合う性質がある。魔力が回復するとき、体内魔力が大気中の魔素を魔力に変換しながら引き込む。そのため、魔力の回復速度は体内魔力が多いほど速くなる』」


 なるほど、なるほど。


「『仮に体内魔力が枯渇こかつすれば、体内に魔力を引き込むことができなくなり、魔力は回復しなくる』!? 嘘だろ! 『ただし、体内魔力が極わずかになると魔術師は無意識に魔力の放出を止めるため、意識的に魔力を使い切ろうとしないかぎり、魔力が枯渇することはない』だって! そんな!!」


 赤ん坊だったころの俺をぶん殴りたい気分になった。

 なに小説を真に受けてんの? バカなの? 死ぬの?


 魔術の本には、さらに衝撃的な事実も記載されていた。


「『魔力と筋力が両立しないことは、多くの凡例から疑う余地はない。生まれついた時点で魔力量が多い者ほど、体質的に筋力が身につかない。それは鍛錬を行っても覆らない』だって? 『それ故、過去多くの魔術師が魔術による身体強化に取り組んできたが、いまだ成果は出ていない』!? まじかよ、俺、魔力全振りしちゃったんだけど……」


 とりあえず、神様に会ったあの日の俺をぶん殴りたい。




 この世界の両親は、ありとあらゆる手段で俺の魔力を取り戻そうとしてくれたが、徒労に終わった。

 しばらくは魔法に未練たらたらだった俺も、ついには諦めた。


 いつしか、俺は魔術嫌いになっていた。


 魔力を失った理由とか、身体強化が無理だとか、知れば知るほど後悔にさいなまれるので、魔術の知識を極力遠ざけた。

 おそらく、貴族として知っておくべき最低限の知識すら持ち合わせていない気もするが、知ったことではない。


「サバレンよ。どうせなら神話を読むといい。物語としても面白いし、本格的に神学を学ぶ上でも何かと役に立つ。それに……神話には魔術は出てこない」


 魔術嫌いになった俺に、両親は神話の勉強を勧めてきた。


 この世界の神話は、いわゆる多神教だ。

 それぞれの地域に氏神をまつる神殿があり、それを中央神殿が統括している。

 俺の生まれたクルスターク家が治める領地には特定の氏神はおらず、街の神殿ではすべての神を祀っている。


 実際の神様に会っている俺は、この神話が嘘っぱちであると感じた。

 あのマッチョ神は、自分がこの世界で唯一の神であるかのような口ぶりだった。


 嘘を勉強しても仕方ないので、俺は神話についてもスルーした。




 少年期に入り、俺は考え方を切り替えることにした。


 クルスターク家は辺境領主の子爵家で武門の家系だ。

 しかし、父は笑って言っていた。


「ここ数十年は一度も戦争は起きておらぬ。家宝の剣もすっかりさびびついた。もう、戦働きをする機会はないやもしれぬな。お前が生まれたのが、この時代で良かった」


 この領地にはたくさんの迷宮があるが、迷宮に住む魔物が外に出てくることはない。

 魔獣と呼ばれる凶暴な野生動物もいるが、そいつらは冒険者たちが始末してくれる。


 つまり、子爵家の嫡男ちゃくなんに収まっている限り、俺は危険とは無縁なのだ。


「別に最強無双にこだわる必要はないよな。貴族でいる限りは一生安全なスローライフを送れるんだから。よっしゃ! 辺境子爵に、俺はなる! そのために、まずは現状把握からだな」


 周囲が俺に下す評価に注意深く耳を傾けてみると、どうやら身分にこだわらない俺は、貴族の子息としては異端児らしかった。


 確かに、領主邸の使用人にも平気で話しかけ、仲良くしている。

 父の配下の兵士たちとも気兼ねなく会話する。

 どうしても前世の感覚が抜けていないのだろう。


 身分制度に無頓着むとんちゃくなのは貴族としてはまずいらしいので、俺は平民に対して今までより尊大な態度で当たることにした。

 言葉遣いも、今まで使っていた使用人たちの口調に近いものから、父の口調に寄せるように意識した。いわゆる貴族言葉というやつだ。


 俺が尊大な態度を取ると、なぜか使用人も兵士たちも皆喜んだ。


「サバレン様にも、ようやく貴族としての自覚が生まれたようで、何よりです。安心しました」


 解せぬ。


 俺としては、この態度は割りと無理をしているので、ちっとも楽しくないのだ。

 フレンドリーな方が良くなくない? 駄目ですか。そうですか。




 少年期も終わろうというころには、なかなかに立派な子爵家子息に成長できたと自負していた。


 少し早いが年齢的にも領地経営に興味を持っていい頃合いだ。

 俺は、いよいよ現代知識無双に乗り出すことにした。


 父の子爵は俺に甘い。大概の我がままは許されたし、俺の言うことには熱心に耳を傾けてくれる。

 父にとって俺は、『生まれつき高い魔力を持ちながらも、幼い日に奇病によって魔力を失った悲劇の息子』なのだ。


 父に進言すれば、俺が自ら動かなくても知識無双が可能だろう。




 俺はまず、教育の大切さを父に訴えた。

 すると、こう諭された。


「教育は神殿の管轄だ。神殿は、神官や魔術師を増やすことに心血を注いでおるからな」


 実はこの世界、識字率が意外に高かった。


 神官は文系、魔術師は理系の教養が必要になるため、神殿は子供たちに無償で読み書きを教え、見込みのある子を神官や魔術師の卵として迎え入れているらしい。


「それに、子供たちは仕事を手伝える歳になれば、なりたい職業に弟子入りし、そこで必要なことを学ぶ。お前とて、今吾輩に教えを請うているではないか」


 十五歳で成人となるこの国では、悠長ゆうちょうに一般教養を身につけている暇はないらしい。徒弟とてい制ががっつり根付いていた。


 教育については、俺の出る幕はないようだと悟った。




 次に俺は街道の整備を提案した。

 人の行き来が盛んになれば、領地がうるおうと思ったのだ。


「サバレンよ。知っておろうが街道は魔獣の森の浅い部分を突っ切って伸びておる。森を回していては、とんでもない距離になるからな。魔獣避けを敷設し終えるまでの間、作業員を魔獣から守るために兵士が必要だ。動員すべき兵士の数は、国家規模になるのだよ」


 俺の提案は、ひとつの街が新幹線を延長しようとするようなものだった。




 次に俺は、大胆な減税を提案し、無理やり父に呑ませた。


 減税すると消費が増え、消費が増えると経済が良くなる。経済が良くなると税収が増えるから、減税分は取り返せる。

 たしか、そんな理屈のはずだ。


 しかし、これは大失敗だった。


 この国の税制は人頭税というものだった。

 十五歳以上の領民一人ずつに一定額の税金がかかる。

 税率は領主に決定権があるが、税制は国の決まりで変えることができない。

 そして、領民が所属する領地を自由に変えることもできない。


 つまり、この領地の経済が良くなっても、領民が増えない以上、税収は増えないのだ。


「領民が豊かになれば、死産や職を失って餓死する人間が減る。子供を作る家庭も増える。やがては税収も増えるはずだ」


 父はそう言って笑っていたが、子供が増えても人頭税を取れる歳になるまで十五年かかる。

 子爵家の財政が破綻はたんする方が先になるのではないか。


 父の笑顔が俺には痛かった。




 結局、この世界の事情に疎い俺では、知識無双などできるはずもないのだと悟った。


 すでに青年期に入っていた俺は、焦りから半ばヤケになっていた。

 なんでもいいから知識無双がしたい!


「よし、マヨネーズを作ろう!」


 マヨネーズの作り方くらい、俺でも知っている。

 酢と油と生卵、後は塩と辛子を少々。それを根気よく混ぜるだけだ。


 こいつを子爵家の専売にすれば、いくらかは財政の足しになるだろう。


 領主の館のコックに作らせようとしたら、蒼い顔をされた。


「卵を生のままで食べるなんてとんでもない。腹を壊すのが落ちです」


 サルモネラ菌なるものの存在を思い出す。この世界にも似たような菌がいるのだろう。


「神官の使う恩寵であれば、食べ物に潜む毒を消せるとは言いますが……」


 コックの助言に従い、さっそく神殿に協力を仰いでみたが、色よい返事は聞けなかった。


「大変心苦しいのですが、神殿では営利のみを目的とした事業にはご協力いたしかねます。同じ調味料でも塩などは生きるための必需品ですが、このマヨネーズは嗜好しこう品とお見受けいたします」


 後日、俺から製法を聞いた神官がマヨネーズを作っていることを知った。


「権利侵害だ! 訴えてやる! え? 個人利用の範疇はんちゅう? 他人のアイディアを無断で使って罰せられるのは、営利目的の場合だけ?」


 神官の間では、ちゃっかりとマヨネーズブームが起きていた。




 もう、俺にできることは何も残っていなかった。


 石鹸せっけんの作り方なんて俺は知らない。


 アルカリと油を混ぜることは知っているが、アルカリを手に入れる方法が分からない。


 火薬の作り方も知らない。


 硝石と硫黄と炭素が原料だとは知っているが、硝石と呼ばれるものが何なのかを知らない。


 それでも、俺は転生者だ。

 転生者なのだから、俺にだけできることがあるはずだ。


 主人公は、俺のはずなのだ。

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