13.覚醒

「最悪だ……」


 アルバは目の前の状況に絶望的な気分になった。


 そこはどことも知れぬ石造りの部屋の中だった。

 おそらく迷宮の中には違いない。迷宮内で見かける形の魔術照明が天井にひとつだけともっている。


 どうやら、サバレンが魔法陣を壊した直後に、この部屋に転移させられたようだ。


 部屋全体の造りは、大小ふたつの部屋が鉄格子で仕切られた構造になっている。

 大部屋のほうはそれなりに広く、小部屋のほうはかなり狭い。

 アルバがいるのは大部屋のほうだ。

 一見すると、独房とそれを見張る監視部屋のようでもあるが、大小どちらの部屋にも出入り口はおろか窓ひとつない。

 二部屋合わせて完全な密室になっている。


 大部屋の中にはアルバのほかに二人の人間がいた。

 一人はサバレン。もう一人は【眠り姫】と呼ばれていた少女だ。二人とも意識を失っている。

 サバレンは転移時に目眩めまいを起こしたらしく、この部屋に来るなり転倒して気を失った。

 少女のほうは水晶の中にいたときと同様に眠っているように見える。水晶はすでに消え去ってしまったようだ。


 三人の位置関係は転移前の状態が引き継がれている。

 小部屋を背にしたアルバ、その前でこちらに足を向けて仰向けに寝ているサバレン。その向こうで身を横たえている少女。


 そして最悪なことに、鉄格子で仕切られた小部屋のほうには、危険な先客がいた。


 オーガ──人食い悪鬼である。


 オーガは浅黒い肌と剛毛を蓄えた人型の鬼である。

 体格は成人男性よりひと回り大きく、長く太い手足を持っている。膂力りょりょくに優れ、動きは素早く、爪も牙も鋭い。

 性格は凶暴で残忍、そして戦いを好む。生まれながらの狂戦士バーサーカーだ。


【魔力耐性】は持っていないため、前衛職と魔術師が組めばたやすい相手だ。

 しかし単独で対処した場合、完全武装の熟練戦士ですら手こずり、ときに不覚を取ることもある。


 せめてもの救いは、小部屋の中にいるオーガが一匹だけで、しかも武装していないことだ。

 それでも、オーガの爪による一撃は致命傷となりうる威力をもつ。アルバ一人で正面から戦ったら、勝てる見込みはない。


 オーガは眠っているらしく、床に腰を下ろし、背を丸め、先ほどから微動だにしていない。

 しかし、わずかに呼吸音が聞こえるので、死んでいるわけではなさそうだ。


「う……ここは?」


 サバレンが目を覚まし、上体を起こした。


「あまり大声を出すなよ。オーガが目を覚ますかも知れない」


 アルバはサバレンが騒ぎ出す前に先手を打って警告した。

 焦点の定まらない目で、サバレンがアルバを見る。


「オーガ? 何のことだ? オーガって、あのオーガ?」


「そうだ。人食い悪鬼だ。見ろ」


 アルバは顎をしゃくって、肩越しに小部屋を指し示した。

 つられるように視線を上げたサバレンが、オーガを見るなり悲鳴を上げ、尻で床をくように後ずさる。


「ひいいい!」


「オーガが目覚めたら鉄格子が開くのか、鉄格子が開いたらオーガが目覚めるのか。どっちか分からんが、まあ、刺激しないのに越したことはあるまい。オーガは文字どおり人肉を喰らい、骨までむさぼるというからな。そうなったら、お前も俺も跡形も残らないぞ」


 アルバの言葉を受けて、サバレンがぎこちなく首を縦に振った。


 部屋の内部に視線を巡らせたサバレンが、おずおずとアルバに問いかける。


「ここは何だ? どうして、こんなところに?」


「覚えていないのか? お前が魔法陣を壊した。それで水晶が解けた。それをきっかけに、太古の魔法使いの仕掛けが動いて、ここに転移させられた。おそらく、そんなところだ。俺たちはあのとき水晶に触れていたんで、巻き添えを食ったんだろう。ここは水晶が解けたときに【眠り姫】を始末するための処刑部屋だろうな」


「……そうだ! 【眠り姫】! 彼女は!?」


 サバレンが大声で叫ぶ。


「声を抑えろ。死にたいのか?」


 サバレンは慌てて自分の口を押さえた。


 アルバはオーガの様子を確認する。

 オーガが目覚める気配はない。どうやら多少の物音では目を覚ますことはなさそうだ。


「お前の後ろだ。息はしているが、目覚めそうにない」


 サバレンは尻に火が点いたように腰を浮かせて振り返った。

 少女を見つけると、拳を握りしめ、喜びを露わにする。


「生きてる!? やったぞ! 【眠り姫】だ!」


 能天気に歓喜するサバレンを見て、さすがのアルバも切れそうになる。


「お前……自分が何をしたのか分かっているのか!?」


 サバレンの背中にとげのある口調で問いかけるアルバ。

 振り向いたサバレンの顔には、深刻さは微塵みじんもない。


「? 彼女を助けただけだ。何も悪いことはしておらぬ」


「バカが! お前は迷宮を殺したんだ! クルスターク家はもう終わりだ。破滅だよ、お前は」


 アルバは吐き捨てるように言った。


「何を? 殺した?」


「その少女は【迷宮の核】だ。それをお前が壊した。この迷宮は【死んだ迷宮】になった。この迷宮では、もう魔物は召喚されない」


「それが何だ。魔物が召喚されぬなら、良いことではないか。魔物なぞ、いない方がよい」


 まったく話が通じない。アルバも少し冷静さを取り戻す。


 一般人はおろか貴族ですらも迷宮については多くを知らない。

 そこには魔物という恐ろしい存在がいて、そのかわりに魔石という価値のあるものが採れる、というくらいの認識なのだ。


「いいか? 魔物が召喚されなくなったら、まず身近なところで、魔石が手に入りにくくなる。魔石が高騰すれば、魔道具を使っている人間や、魔力の回復に魔石を使っている魔術師が困る」


「それは……しかし、全体から見れば、大した量ではあるまい! 違うか?」


 アルバの言葉に明らかに動揺したサバレンだったが、負け惜しみのように反論した。


 それに対し、アルバは素直にサバレンの言い分を認める。


「確かに、それは大した問題じゃあない。神殿が怒り狂うことに比べたらな」


「神殿がなぜ怒る?」


「前にラキアが話したのを聞いていなかったのか? 神殿は地上の魔素を減らしたいんだ。迷宮が魔物を召喚するとき、大量の魔素が消費される。魔物自体、魔素を吸って生きている。魔物が召喚され続け、魔素が消費され続けること、それが神殿の望みだ」


 アルバの言葉に、サバレンは本気で怒ったように反論する。


「そんなものは神殿の勝手な都合ではないか! 魔物が迷宮から出てきたらどうするつもりだ! 迷宮などあるから、魔獣が集まり、領民にも被害が出るのだ!」


「逆だ、馬鹿野郎! 【生きている迷宮】は存在するだけで魔素を大量に消費する。迷宮が死ねば、その分だけ周囲の森の魔素が濃くなる。魔素が濃くなれば魔獣が増える。何が少女を救っただ。お前のせいで、魔獣に襲われて死ぬ領民が増えるんだぞ!」


 勘違いしている者も多いが、迷宮があるから魔獣が増えるのではない。

 魔獣が増えやすい魔素の濃い森を選んで、太古の魔法使いが迷宮を造ったのだ。


 地上の魔素を減らすことは神の願いだが、それは同時に、魔獣が減少し、人の住みやすい土地が増えることを意味する。


「領民が……死ぬ?」


 サバレンはアルバの言葉が受け入れがたいのか、呆然としている。


「冒険者を雇えば、増えた魔獣を狩ることはできる。冒険者で間に合わなけりゃ、領主の所の兵士が投入される。領民への被害を最小限に抑えようとしたら、その分だけ冒険者か兵士が危険にさらされるんだ。誰かが余計に死ぬのは避けられない」


「兵士……みんなが……」


 サバレンの体が小刻みに震え始める。


「『迷宮殺しのサバレン』。お前はこれからそう呼ばれる。死んだ後もな。大馬鹿野郎のろくでなしって意味だ」


「……迷宮を……攻略すれば……核を壊して……手に入るはずであろう? 迷宮を攻略したのだぞ? ご褒美ほうびが、すごい力が……」


「褒美? そんな者、誰がくれる? 誰が得をした? 迷宮攻略ってのは、魔物を殺して魔石を手に入れることだ。迷宮を殺すことじゃない」


「そんな……嘘だ……だって……吾輩は……」


 アルバは茫然ぼうぜん自失のサバレンを放っておいて、今後のことを考える。


(まず、オーガをどうにかしなくちゃな。【辛子からし玉】が効けばいいんだが……)


 密閉空間で【辛子玉】を使えば、サバレンと少女も少なからず被害を受けるだろうが、背に腹は代えられない。

 効かなければ、地力でオーガに対処しなくてはならない。


(ほかに何か見落としているものはないか?)


 部屋の灯りは天井にひとつで、壁際はかなり暗い。

 アルバは【暗視】を発動させて、壁際を歩き出した。

 床や壁を触って隠し扉や仕掛けなどを探すが、何も見つからない。


 部屋を半周したアルバは、違う視点から部屋の内部を確認すべく、視線を巡らせた。


 その瞬間、少女と目が合った。

 ヒュッとアルバは息をんで固まる。


 身を横たえたまま、いつの間にか目を開いた少女が、じっとアルバを見ている。


 アルバは背筋にゾクリとしたものを感じた。

 少女の面差しが尋常ではない。感情がごっそりと抜け落ちた、整い過ぎているその顔は、とても人間のものだとは思えなかった。


(何が太古の魔法使いの被害者だ。これがまともな人間か? いや、そもそも太古の魔法使いの被害者だというなら、この少女は有史以前の生き残りということになる。最初から普通じゃない)


「お前ではないな」


 上体を起こした少女が、アルバに向かって静かに言った。

 聞いているだけで寒気を感じるような、まったく感情のこもらない声だ。


 少女の目覚めに気が付いたサバレンが、尻もちをついたまま、少女を見つめて固まっている。


 少女がゆっくりと立ち上がり、呆けたままのサバレンを見る。


「約束されし者よ」


「へ?」


「願いを言え。生涯にただ一度の願いを。さすれば、我が神に聞き届けられよう」


 サバレンの体がわなわなと震える。


「神? ……お前は神の……使い、なのか?」


 少女がうなずく。


 そのとき、アルバはいつの間にか鉄格子が開いていることに気づいた。


 小部屋の中で、オーガがゆっくりと立ち上がる。


「ちっ……」


 アルバはオーガ解放の条件に気づく。

 この少女が意識を取り戻すこと、おそらくそれが条件だ。


「サバレン、後ろだ!」


 アルバの声にサバレンが振り返る。

 またぞろ悲鳴を上げるのかと思いきや、サバレンに慌てる様子は一切見受けられない。


「なるほど、これが神のシナリオか!」


 そう呟くと、サバレンは視線をオーガに向けたまま、ゆっくりと立ち上がった。


「魔力だ! 俺に魔力を授けろ!」


「聞き届けた」


 サバレンの叫びに少女が答えた。


 その瞬間、サバレンの存在感が急に増したように感じた。

 その感覚をアルバは知っている。ラキアと対面しているときに感じるものと同じだ。


 ラキアに聞くと、それは魔力の気配だと教えてくれた。

 魔力は引き合う。魔力持ち同士は相手の魔力を感じることができるのだそうだ。


 サバレンが落ち着き払った動作でレイピアを抜く。

 その顔には自信がみなぎっている。


 オーガとサバレンが対峙たいじする。


 ひょう変したサバレンに気を取られ、【辛子玉】を使う機会を逸したことに気づき、アルバは苦虫にがむしみ潰した。

 今【辛子玉】を使えば、確実にサバレンを巻き込む。

【辛子玉】がオーガに効かなかった場合、サバレンだけが無防備になってしまう。


 サバレンは、目の前のオーガに臆することなく、肩越しにちらりとアルバを見て、不敵な笑みを浮かべた。


「後は任せろ。ここからは俺のターンだ!」

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