12.領主子息は迷宮を殺す
【鷹の目】の一行は、ついに迷宮の最深部へ到達した。
迷宮の最深部には【
この【眠り姫の迷宮】も例外ではない。
【玄室】は迷宮を造ったとされる太古の魔法使いの住処である。
なぜ【玄室】──棺が置かれる室と呼ばれるのかといえば、その場所で太古の魔法使いと思しき人骨が見つかることが多々あるからだ。
一度も攻略されたことがない、いわゆる【未踏の迷宮】を除けば、【玄室】は基本的に空である。
太古の魔法使いはすでに死に絶え、貴重な遺物は過去の迷宮攻略者によって回収しつくされている。
故に、迷宮で最後の敵となるのは、【玄室】の手前の【大広間】に出現する【主】である。
そして今、【鷹の目】の眼前に立ちふさがった【大広間の主】は、ミノタウロス──牛頭の鬼であった。
ミノタウロスは、トロールほどではないが巨大な
むしろ見た目とは違い、かなりの知性を備えており、戦い上手である。
その肌は、並の刃物では浅い傷をつけるのがやっとなほど硬く、さらに【魔力耐性】もそれなりに備えている。
『魔力と筋力は両立しない』という法則は魔物にも当てはまるのか、魔法を一切使わないのがせめてもの救いである。
これで魔法まで使えたら、もはや悪夢でしかない。
武器は恐ろしく巨大な棍棒か、人間が両手で使う大きさの戦斧を片手で軽々と使う。
しかも、左右の手に一本ずつ戦斧を持ち、両手利きのように左右で
今【鷹の目】の前にいるのは、正にその両手戦斧持ちであった。
そのような化け物を前にして、だが、【鷹の目】の面々には余裕があった。
なにしろ、ここまで恩寵をほぼ温存できていたからだ。
それは、この迷宮の難度に対して【鷹の目】の力量が大幅に勝っている証でもある。
仮に【大広間の主】を前にして恩寵を使い果たしていた場合、迷宮のどこかで一晩明かして恩寵を回復しなければ、到底【主】には勝てない。
それは、攻略が半日以上遅れることを意味し、その分だけ経費もかさみ、魔石も昇華して
「それじゃあ、ぱぱっとやっちゃいましょう。ケイティさんとユリシャさんに、それぞれ【力を授けよ】と【速さを授けよ】の重ねがけでいいかしら? 何なら【守りを授けよ】も重ねますか? 治癒に取っておく恩寵がなくなりますけど、今日はもう怪我をする可能性もないでしょう?」
モナが満面の笑みを浮かべている。
恩寵の恐ろしいところは、使用制限が一日単位であるため、一日分の恩寵を一度に行使可能という点にある。
「いや、速さが増すなら、敵の攻撃はかわせる。守りはいらない。だろ?」
「うん。いらない」
ケイティがユリシャに同意を求め、ユリシャがそれに応じた。
「私は最初に最大級の一撃をかますわ。それで魔力が尽きたとしても、多分、二撃目は要らないでしょ」
「俺の出番はなさそうだな。皮膚に投剣が刺さるかどうかも怪しい。まあ、目を狙えたら狙ってみるさ。なんなら、中層階の最初の広間でのように、俺が先制攻撃を仕掛けてもいい」
「そうね、そのほうが私の一撃もかわされにくいかもね」
一同顔を見合わせ、うなずき合う。
「く、最後の敵は吾輩が倒したかったが、仕方あるまい。ここは貴殿らに譲ってやろう!」
【鷹の目】のメンバーでの話が終わったのを見計らって、サバレンが口を挟んできた。
ここまで足手まといにしかなっていないのに、どの面下げてのセリフである。
【鷹の目】の一同は、呆れ顔を隠さない。
「だが……できれば……止めは吾輩に刺させて欲しい。差し出がましいことは承知している。後生である。ぜひとも聞き届けてもらいたい。頼む!」
サバレンが腰を直角に折り、頭を下げた。
その殊勝な態度に、一同目が点になる。
しかも、申し出の内容がいまいち理解不能だ。
敵を殺すことに慣れたいだけなら、ここに来るまでに散々魔物の止めを刺してきた。いまさら執着する意味はないだろう。
「それって、『ミノタウロス殺し』の栄誉が欲しいってこと? 貴族らしい願いだけど……」
一般には魔物の情報は流布していないため、その栄誉は冒険者の中でしか通じない。
アルバはラキアの勘違いに気づいたが、あえて訂正はしない。
「違う! 断じて違う! そんな、実の伴わない名誉なぞいらぬ! ミノタウロスはお前たちで止めを刺したことにしてくれてよい。……その、理由は……なんというか、うまく説明できぬ。しかし、どうしてもやり遂げねばならんのだ!」
サバレンの様子には真実味があり、嘘や建前を言っているようには見えない。
「サバレン殿。確約はできない。ミノタウロスは手加減できる相手ではない。それに、死に際に反撃してくる可能性もある。つまり、止めを刺すのも命がけということだ。それでもよいのか?」
ケイティが真剣な面持ちでサバレンに問いかけた。
サバレンが神妙にうなずく。
「それで構わない」
「よし。いいだろう。皆、構わないよな?」
「まあ、俺は別に構わん」「誰が止めを刺しても同じだしね」「そこまで言われては断れませんね」「なに? 止めを刺したとき、何が起きるの? 興味津々? ぜひどうぞ」
話は決まった。
ついに【鷹の目】は迷宮最後の魔物にいどむ。
アルバは横目で、広間の真ん中に腰を下ろしているミノタウロスをとらえる。
その左右の脇には巨大な戦斧が二本置いてある。
壁伝いにミノタウロスの背後にまで回り込んだアルバは、そこからゆっくりと距離を詰めた。
ミノタウロスの息遣いがやけに大きく聞こえる。
充分に近づいてから、アルバは投剣を抜いて身構えた。
「おい、牛野郎!」
アルバが声をかけると、ビクッとミノタウロスが身を震わせた。
次の瞬間には、両手で一本ずつ戦斧を掴みながら、肩口から半身で前転し、アルバのほうを向いて膝立ちになる。
やはり、戦い慣れた動きだ。
だが、アルバはミノタウロスの動きを読んでいた。
膝立ちになった瞬間に合わせて、強く踏み込んで投剣を放つ。
──ドンッ!
右目を狙った投剣は、わずかに逸れてミノタウロスの右目の上を傷付けた。
ミノタウロスの肌の硬さゆえか、傷は浅い。
だが右目の視界を奪うには充分な出血量だ。
「グムォワッ!」
ミノタウロスが威嚇するように声を上げた。
左目でアルバをにらみつける。
──バリバリ!
薄暗闇が一瞬だけ白く染まり、雷光がミノタウロスの背中を打った。
【雷電】の上位魔術【迅雷】の強烈な一撃である。
「グムォオオオオオオー」
ミノタウロスは背を反らし、叫び声を上げた。
「右が死角だ!」
アルバが叫ぶのと同時に、二条の光跡が暗闇を裂く。
【速さを授けよ】で加速されたその動きは、もはや人間のものではない。
ミノタウロスの右側へ回り込んだケイティが、ミノタウロスの右腕に戦斧を振り下ろした。
【力を授けよ】で強化された一撃は、ミノタウロスの腕に深々と刺さる。
堪らず、ミノタウロスの右手から戦斧が落ちた。
「ムォグア!」
ミノタウロスが左手の戦斧をケイティに振り下ろすが、すでにケイティは稲妻のような動きでその場から退避していた。
空を切った戦斧が石の床を割る。
次の瞬間には、腕を振り下ろして上体が倒れたミノタウロスの背にユリシャが飛び乗り、二刀の刃をその喉元に押し当てていた。
「さよなら」
ユリシャは手を広げるように二刀を振り抜き、ミノタウロスの喉元から鮮血が
その直後、ユリシャはミノタウロスの背を強く蹴り、驚くほどの距離を跳躍して着地する。
ドウッと音を立ててミノタウロスがうつぶせに倒れた。
すかさずケイティが、倒れたミノタウロスの膝裏に戦斧を振り下ろし、足を殺す。
その間に再び走り込んできたユリシャが、ミノタウロスの左手首の腱を切断し、左手から落ちた戦斧を遠くへと蹴り飛ばした。
ケイティはミノタウロスの右手から落ちた戦斧を拾い上げ、大声を出してサバレンを呼ぶ。
「サバレン殿、急げ!」
モナの横から走り寄ってきたサバレンに、ケイティはミノタウロスの戦斧を渡した。
「レイピアでは折れる。これで首を落とせ」
サバレンは戦斧を受け取る。が、重すぎて支えきれず、斧頭が床を打つ。
「【力を授けよ】!」
モナが恩寵を発動し、サバレンの頭上に光の輪が出現した。
「うおおおおー!」
サバレンは戦斧を振り上げると、勢いよくミノタウロスの後頚部へと振り下ろした。
ガキッと戦斧がミノタウロスの
ビクン、とミノタウロスの体が
サバレンは再び戦斧を振り下ろし、ようやくミノタウロスの首が両断された。
「はあ、はあ、殺った……これで!」
戦斧を支えにして両膝を突き、サバレンは肩で息をしている。
終わってみれば、一方的な戦いであった。
【大広間の主】といえども、恩寵の重ねがけの前にはまったくの無力であった。
「おつかれー」
「皆さん、おつかれ様でした。それでは、最後に【眠り姫】とご対面ですね」
微動だにしないサバレンをその場に残し、【鷹の目】の一行は【玄室】へと入った。
「【光あれ】」
モナの恩寵が部屋の内部を照らし出した。
がらんどうな部屋の中央に巨大な水晶の結晶がそそり立っており、その根本には複雑な魔法陣が描かれている。
結晶の内部には眠る少女の姿があった。
年のころは十代前半。白い布を巻き付けただけの古風な衣装を身につけている。
その顔立ちは、整いすぎていて怖いくらいだ。
「あひゃあー」
ユリシャが感嘆なのか何なのか分からない声を上げた。
「これは、すごいな」
「本当に【眠り姫】ですね」
「うむ、見事なものだ。しかし、これは何なのだ?」
ケイティが疑問に思うのも無理はない。
これはどう見ても、人間を生きたまま水晶に閉じ込めたものだ。
「この少女が太古の魔法使い?」
「さあ、違うと思いますけど。魔法使いだとしたら、危険すぎて、このような場所に置いてはおけないと思いますが」
太古の魔法使いは神の如き力を振るい、魔法が使えない人間たちを奴隷にして支配していた存在だ。
もし、太古の魔法使いがよみがえったら、国を挙げて討伐すべき対象となる。こんな辺境に放置されているわけがない。
「なるほど、なるほど。これ、多分【迷宮の核】ね。この術式は本で読んだことあるもの。間違いないわ」
水晶を一周しながら、その根本に描かれている魔法陣を興味深げに観察していたラキアが、声を上げた。
「【迷宮の核】? これがそうなのか?」
ケイティが
迷宮攻略初心者の彼女からすれば、聞くと見るとは大違いといったところだろう。
とは言え、目の前のこれは、アルバの目から見てもかなり特異な事例と言えた。
「そう。迷宮全体を制御している魔法陣ね。普通は迷宮のどこかに巧妙に隠されているものだけど、ここまであからさまなのは珍しいわ。過去に発見されたものは、魔法陣を描き込んだ水晶球だったり、分厚い魔法書だったり、一見すると何の変哲もない石のレンガなんてのもあったらしいけど。これは、さしずめ生きている【核】ね」
「人間が、魔法陣なのか?」
「魔術師だって、魔術を使う時は頭の中で魔法陣を描くもの。魔法陣を記憶した人間を石の中に封じ込めて、魔法陣がわりに使っているんでしょ。この迷宮を造った魔法使いは、そうとうに悪趣味ね。ながめて楽しんでいたのかしら?」
「それじゃあ、この少女は、さしずめ太古の魔法使いの犠牲者と言ったところか」
アルバは水晶の中の少女を神妙な面持ちで見つめた。
「なぜだ! なぜなんだ!!」
突然、部屋の外からサバレンの叫び声が聴こえてきた。
「ミノタウロスだぞ! ミノタウロスを殺したんだぞ! なぜだ! なぜ足らない。そんな馬鹿なことがあるか!?」
皆が一斉に部屋の入口へ目を向ける。
「おいおい、何だ?」「なに? なんなの?」「大丈夫でしょうか? これは少し……」「うむ。ただ事ではないな」「壊れた? サバレン壊れちゃった?」
サバレンがゆっくりと歩きながら姿を現した。
携えていると言うより、手放すのを忘れていたといった様子で、ずるずると戦斧を引きずっている。
その表情からは生気が抜け落ち、まるで幽鬼のようだ。
部屋に入ると、サバレンはハッと顔を上げ、水晶に目をやった。
しばらく無言で水晶の中の少女を見つめ続ける。
呆然とした面持ちが、徐々に崩れ、うれし泣きに変わる。
「ああ、見つけた。やっと見つけた。これだ! これだよ! なのに、なぜ?」
サバレンはよろよろと水晶に歩み寄ると、手のひらを水晶に当てた。
「彼女は、どうやって? どうしたら、彼女をここから出せる?」
「そりゃあ、この魔法陣を……」
「ラキアさん、駄目!」
「え?」
サバレンが戦斧を振りかぶった。
彼の視線は、水晶の根元の魔法陣に落とされている。
全員が一瞬固まってしまう。
「よせ!」
ひとり我に返ったアルバがサバレンに手を伸ばすが、その先で、サバレンが戦斧を振り下ろした。
魔法陣の描かれた床に戦斧が深く食い込む。
サバレンが賜った【力を授けよ】の恩寵は、まだ効果が切れていなかった。
魔法陣が淡い魔力光を放つ。
水晶が輝き、その表面から光の粒が沸き立った。それと同時に水晶が徐々に小さくなってゆく。
まるで、水晶自体が解けて光の粒に変わってゆくように。
「そんな。【迷宮の核】がなくなったら……。迷宮が……」
ラキアが呆然と呟いた。
アルバはサバレンの胸ぐらを掴むと、消えてゆく水晶にサバレンの背を叩きつけた。
「自分が何をしたのか分かっているのか! お前は今、この迷宮を殺したんだぞ!!」
その直後、床の魔法陣が一際強く発光した。
皆、一瞬目がくらむ。
皆の視力が回復すると、そこにあるべき水晶も、水晶の中に眠る少女も、そしてサバレンとアルバの姿も、そのすべてが消え去っていた。
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