10.斥候は天敵と遭遇する

【鷹の目】の迷宮攻略は、ついに下層階へと至った。


 先行して斥候を行っていたアルバは、直線通路の先で物陰から出てきた小さな影を発見した。


 コボルト──犬面の子鬼である。


 迷宮は下層に降りるほど魔素が濃くなり、配置される魔物は魔界でも魔素が濃い領域に生息する強力な種族へと変化する。

 しかし、例外はいる。

 強力な魔物がひしめく過酷な環境下で、しぶとく生存競争を生き抜く最弱の魔物。それがコボルトである。


 コボルトは、ゴブリンよりもさらに小柄で、二本の足で立ち、稚拙な道具を使って戦う。すばしこく、身を隠すのがうまく、集団で獲物を追い詰める小さな狩人である。

 また、最弱ゆえに敵を察知する能力に長け、魔物には珍しく嗅覚もある程度利く。斥候の天敵とも言える魔物である。


(見通しがいい場所で【迷彩】を使わなかったのは失敗だったな。中層階までは前回の情報で楽ができたんで、気が緩んだか)


 コボルトの存在を失念していた迂闊うかつさをアルバは悔やんだ。


(すでにコボルトの察知圏内だ。こちらに気づいてると見て間違いない。だが、身じろぎひとつしないところを見るに、こちらが気づいているとは思っていないようだな)


 身を潜めるのが得意なコボルト・シーカーは、敵を発見しても騒がない。敵に気づかれぬように仲間の元へ戻り、仲間を引き連れて、あるいは仲間と待ち伏せて、敵を狩る。

 仮に敵に見つかった場合、仲間を巻き込むことはなく、自力で逃げおおせようとする。


 目の前のコボルトがアルバに見つかったと思っているのなら、すぐに逃げ出すはずだ。

 今はうかつに動くと逆に見つかると踏んで、じっとしているのだろう。

 アルバが顔をそらした瞬間に、仲間の元へと駆け出すに違いない。


(一芝居打つか)


 アルバは、コボルトに気づいていない振りをしながら、歩く方向を微妙に変えて、少し闇が深くなっている場所に入った。

 同時に【迷彩】と【消音】を発動する。


 コボルトの体が一瞬ビクリと震えた。

 まさか敵を見失うとは思っていなかったのだろう。

 首だけを小刻みに動かして周囲を見渡している様子から、完全に混乱しているのだと分かる。


 アルバは駆け出して素早く距離を詰めた。


 緊張に耐えきれなくなったのか、あるいは、嗅覚でアルバの接近を捉えたのか、コボルトが振り向いて逃げ出そうとする。


(遅い!)


 その直後、アルバの放った投剣がコボルトの背中に突き刺さった。

 それは必殺の間合いでも、急所への一撃でもなかったが、小柄なコボルトには充分に致命傷であった。




 コボルト・シーカーを倒したアルバは、先ほどよりも慎重に歩を進めた。


 やがて、前方に薄明かりが見えてくる。広間の入り口だ。


【迷彩】と【消音】を発動し、敵に見つからぬよう慎重に広間の内部を見渡したアルバは、顔をしかめた。


(よりによって、この組み合わせかよ)


 広間の奥に一匹だけ、コボルトよりも大柄の影が見えた。

 ゴブリンだ。

 ただし、通常のゴブリンよりも体が細く、頭が大きい。

 なにより、一匹だけコボルトに混じっていることが、その正体を雄弁に物語っている。


 そこにいたのは、ゴブリン・メイジであった。


 魔素が濃い下層階では魔力の回復速度が上昇するため、魔術師にとっては戦いやすい環境と言える。

 しかし、それは魔物側にも当てはまる。

 下層階での戦闘は、時に魔術師と魔法を使う魔物との熾烈しれつな魔力合戦になる。


 そう、魔物が使うのは、魔術ではなく魔法である。


 魔術は、太古の魔法使いたちが編み出した技術であり、魔法陣と呼ばれる回路に魔力を通すことでさまざまな現象を引き起こす。

 魔力を通す物質で実際に魔法陣を描いてもよいし、魔術師のように記憶を頼りに脳内で魔法陣を描いてもよい。


 対して魔法とは、生まれつき魔力を利用できる能力であり、頭の中で考えるだけでさまざまな現象を引き起こす。

 それ故に、魔法の効果は具体性のある想像力、突き詰めれば知能に左右されやすい。


 太古の魔法使い──魔法という異能に目覚めた人間たちは神の如き力を振るったと言われている。

 それほどに、知能に優れた人間と魔法という組み合わせは相性が良い。

 それに比べ、知能に乏しい魔物が操る魔法は、粗削りで洗練されておらず、力任せだ。


 さて、魔物の中で比較的ましな知能を持つゴブリンが、たまたま魔素の濃い領域で生まれ、たまたま魔法を身につけたらどうなるか。

 それこそがゴブリン・メイジである。

 魔物でありながら魔術に近い魔法を操る、相当に厄介な存在だ。


 魔素の濃い領域に生息しているために同種族と出会う機会が少ないゴブリン・メイジは、時として他種族との共生関係を構築する。

 今、アルバの前にいるのは、まさにそのゴブリン・メイジに率いられたコボルトの群れであった。

 迷宮下層において、これほど面倒くさい組み合わせはそうそうないだろう。




 斥候を終えたアルバは、コボルト・シーカーの死骸を抱えてメンバーのもとに戻った。

 死骸は、迷宮初心者のケイティとユリシャに見せるためだ。


 メンバーを前に敵情を説明する。


「広間は直径四十歩程度の円形。天井の中央に灯りがあるが外周は暗い。入口から広間の中央までは道がついている。道以外の場所は人間大の岩が乱立していて、その陰でコボルトが休んでいる。総数は分からないが三十は下らないだろう。出口に向かって全体が上り坂になっていて、出口の所が高台になっている。そこにゴブリン・メイジがいて、コボルトが数匹でメイジを守っているようだ」


「ふむ。敵の狙いは、広間の中央まで誘い込み、伏兵で包囲。逃げ場を失ったところをメイジが攻撃、だな」


 集団戦には一家言あるらしいケイティが分析する。


「こちらの取るべき手は、左右いずれかの壁沿いに坂を登り、メイジに迫る。それなら包囲されない。岩に隠れて遠距離攻撃もある程度は防げる。メイジが高台を捨てるかは敵次第。捨てなければ接近戦に持ち込む。逃げるなら、こちらが高台から遠距離攻撃だ」


 ケイティの戦略に異論を挟む者はいない。


「敵の攻撃は、メイジの魔法攻撃、コボルトの短槍による接近戦。あと、コボルトは短槍を投げてくることもありますね」


「短槍にしろ、魔法にしろ、単発なら叩き落とせる。短槍の一斉投擲は岩に身を隠してやり過ごせるが、広範囲魔法は防ぎきれない」


 ケイティは視線でユリシャに同意を求め、ユリシャがうなずく。


「広範囲魔法はこちらで防ぐわ」


「隠れる場所がないところで短槍が一斉に来たら、守りの恩寵で対処します」


 範囲攻撃への対処はラキアとモナの二人がいれば大丈夫だろう。


「コボルトは岩を死角にして攻撃してくる。障害物のある場所での接近戦になるが、戦斧では辛いんじゃないか?」


 アルバがケイティに尋ねた。

 戦斧は先端が重い分、威力は高いが小回りは利かない。


 ユリシャのほうは、二刀を逆手に持てば密着した敵にも対処できることが、これまでの戦いぶりから分かっている。


「死骸を見せてもらった。これで充分」


 ケイティは不敵な笑みを浮かべて拳を掲げた。


「あの大きさなら、五臓六腑ごぞうろっぷ?をき散らし、文字どおり粉骨砕身?端微塵ぱみじん?だね」


 ケイティの拳を指差しながらユリシャが補足した。


 アルバ、ラキア、モナの三人は、半ば呆れ顔、半ばさもありなんと納得顔である。


「俺は、皆と反対側の壁沿いに進もうと思う」


 アルバの発言にラキアが驚く。


「なぜ? そんな必要ないでしょ? 危険じゃない?」


「狙うは大将首か?」


 ケイティがニヤリと笑う。


「首は無理だな。せいぜい目か喉だ」


「気に入った! やってみせろ!」


 アルバとケイティの二人が、悪巧みをする二人組のような雰囲気を醸し出している。


 ラキアは半目で二人を見ている。


「……うーん、なんだろう、このノリ。うちのパーティー、急速に武闘派に傾倒してない?」


「アルバさん、戦闘で役に立ってないってデュンケルさんに言われたこと、実は根に持っていません?」


 モナがいつもの歯に衣着せぬ物言いで尋ねてきた。


「そういうわけじゃないんだが。何ていうか、今までは自分から可能性を捨ててた気がしてな。一人で迷宮を戻ったのは、いい経験になったと思う」


「ま、本人が納得してんなら、別に構わないわ」


 ラキアがそうそうに割り切る。


「で、こいつはどうするの?」


 ラキアの視線の先には、所在なげなサバレンの姿があった。

 ここまでの道中では、き物が落ちたように大人しかった。モナの説教が効いたのだろうか。


「ふむ。入口側に置いていくと、吾々が出口側に行った場合、何か起きても助けに行けない。しかし、連れてゆくのも不安だ。前衛二人では、二人を守るので手いっぱいだ。……いや待てよ。アルバ殿が逆側を行くのだな。それなら、メイジを潰した時点で包囲殲滅戦に移行すべきだ」


 アルバが床に描いた略図に、ケイティが矢印で動きを書き足す。

 後衛は出口の高台に移動、前衛の二人は広間の中心方向へ前進し、アルバは入口側へ戻る。


「なるほど。こちらに敵が殺到しても、入口通路に入ってしまえば、俺一人でなんとか対処できるな」


「コボルトは、はしっこい?って話だから、前衛が前に出ると端から抜かれるんじゃね?」


「いざとなれば、守りの恩寵もありますから、そこまで用心することもないですよ」


 ユリシャの懸念をモナが払拭ふっしょくした。

 今日はまだ大きな恩寵を使っておらず、相当に余裕がある。


殲滅せんめつ戦移行後に【光あれ】を使えば、敵の動きは掴める。むしろ、高台からの遠距離攻撃でこちらのやりたい放題だ」


 ケイティが全員の顔を見渡し、皆がうなずく。

 作戦は決まった。


「サバレン殿は荷物と一緒に入口の手前で残ってもらう。よいな?」


 ケイティがサバレンに同意を求めた。

 サバレンがうなずく。


「承知した。ところで……もし死にかけの敵がいたら、止めは吾輩に刺させてもらえまいか?」


 アルバ、ラキア、モナの三人は一様にはとが豆鉄砲を食ったような顔になる。

 一方でケイティは納得顔だ。


「ふむ。よい心がけだ。武人を志すなら敵を殺すことにも慣れねばならん。あいにく吾は手加減が苦手だ。ユリシャ、頼めるか」


「あいよ。余裕があったら、手首足首ちょん切っとく?」


 ユリシャが両手をはさみの形にして、開いたり閉じたりする。


「ちょっ、ユリシャ、それ怖い。魔物相手でもさすがに引くわ」


「そう? でも、お坊ちゃまに怪我させたら賠償問題?では?」


「なに、サバレン殿の得物はレイピアだ。コボルトとの相性は良い。そこまで心配する必要はあるまい。なあ?」


 ケイティに同意を求められ、サバレンの顔が引きつる。


「ま、任せておけ! 犬っころくらい、どうということはない」


「犬じゃないけどな」


 アルバはサバレンの勘違いを訂正した。

 サバレンが驚愕きょうがくで目を見開く。


「犬じゃないのか!?」


「顔が犬に似てるってだけで、一応、竜種だ。そこに死骸がある。よく見てみろ。体は羽毛で覆われてるが、手足の先は鱗だ。頭の三角の突起も、耳じゃなくて角だ」


「そんな……犬じゃない、だと? 蜥蜴とかげ? 羽毛の生えた竜?」


 サバレンがなぜそんなに驚くのか、アルバにはさっぱり分からなかった。

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