4.兵士達は迷宮を攻略する

「迷宮とはこんなに暗いものなのか?」


 迷宮に入って間もなく、一行の先頭を歩くサバレンが誰に聞くでもなく言った。


「この、カンテラという物も、もう少し明るくならないものか?」


 そう言いながらサバレンは腰にるした魔術カンテラを小突いている。


「サバレン様、危険ですので兵の後ろにお下がりください」


「上層階にいる魔物はゴブリン程度と聞いている。何を臆するものぞ」


 兵士の忠告を無視して、周囲に気を配るでもなく、先頭を進むサバレン。

 その様子が今にも罠を踏みそうで、ガットロウは気が気でない。


 まだ斥候職が冒険者に浸透していなかった当時を知るガットロウは、罠に対する知識も、罠で痛い目にあった経験も、若い冒険者とは比べ物にならないほど豊富だ。


「サバレン様、迷宮内で最も危険なのは罠です。壁の突起や床のタイルなど、不自然なものにはくれぐれも触れぬように」


「そうなのか。ガットロウ殿がそう言うのなら気を付けるとしよう」


 言葉の内容とは裏腹に軽い口調で返答するサバレンに、ガットロウの不安は募るばかりだ。


 そのとき、不意に暗闇の中から一匹のゴブリンが現れた。


 ゴブリンとサバレンの目が合う。


「ギャギョギュギョァー」「あひゃあ!」


 ゴブリンが独特な叫び声を上げ、つられたようにサバレンも情けない声を上げた。


「【シーカー】だ。敵が出てくるぞ。戦闘準備!」


 反射的にガットロウが指示を出し、それを受けて兵士たちは隊列を整える。


 問題はサバレンである。

 いまだ前衛兵の前で突っ立っている。というか完全に固まっている。


「サバレン様!」


 前衛兵の一人が槍を捨てて駆け出し、サバレンの腕を掴んだ。

 後ろから腕を引かれて尻もちをついたサバレンの足元に矢が飛来し、鋭利な音を立てて床を跳ねる。


 もう一人の前衛兵も走り出て、間一髪で飛来した矢の雨から盾でサバレンを守った。


「くっ。見えん」


 弓兵が弓を構えるが、敵の射手は闇の中だ。


「弓はこっちで対処する。サバレン様を!」


 魔術兵が暗闇に向けて破壊系魔術の【火球】を放った。

 槍を携えたゴブリンの群れが炎に照らし出される。


 弓を捨てて走り出た弓兵は、途中で拾った槍の柄尻で前衛兵の肩を叩く。


「槍を!」


「ありがたい!」


 前衛兵が肩越しに槍を受け取って構え直した直後、暗闇から出てきたゴブリンの集団が前衛兵に向けて槍を突き始めた。


 弓兵は尻もちをついているサバレンの両脇に手を入れ、ずるずると後方へ引きずる。


「うまいぞ! 魔術は火炎系でもいいが、できれば雷撃系か冷気系で。魔物は熱に強い。弓は諦めてサバレン様の護衛を」


「「了解!」」


 指示を出しつつ、ガットロウは安堵あんどした。

 予想以上に兵の動きが良い。精鋭を連れてきた、というサバレンの言葉に偽りはないらしい。


 前衛兵二人が盾でゴブリンの槍を防ぎ、魔術兵が前衛の頭越しに敵の弓兵を攻撃する。


 飛来する矢の数が減ったところで攻勢に転じ、魔術兵が【雷撃】で敵の槍兵を攻撃、ひるんだ敵を前衛が確実に仕留めてゆく。


 いつの間にか敵の弓兵は全滅したか逃げ去ったようで、矢の飛来も止んでいる。


「全滅確認。状況終了」


【暗視】で暗闇を見渡していた魔術兵が戦闘終了を宣言し、全員がほっと息をついた。


「いや、上々。始めての魔物との戦闘としては、充分でしょう」


 ガットロウは手放しで兵士たちをめた。


「ガットロウ殿、ご助言感謝します。それにしても、魔物というのは意外に人間、というか兵士に近い動きをするのですな。もっと、こう、無秩序で獰猛どうもうなものかと思っていました」


 ガットロウに話しかけてきたのは魔術兵である。


「野生動物の群れでも、狩りをするときは役割分担をするものです。まして、人間と同じ武器を使っているのですから、経験を積むと自然に兵士に近い動きに行きつくのでは?」


 ガットロウは柄にもなく丁寧な言葉遣いで対応した。

 日頃からギルド支部長として、冒険者と兵士とのめ事を避けることに腐心しているため、下手に出る癖がついているのだ。


「なるほど。むしろ我々にしてみれば、対人戦闘と同じ要領で戦えるのでありがたい。暗闇での戦闘は不慣れですが、何とかなりそうだ」


 夜戦は、数、射程、地形などの不利を背負った側が、相手の有利を覆すために行うものだ。

 不利を承知で戦う貴族などいない以上、軍隊が暗闇での戦闘を想定する道理はない。


「それと、迷宮内では索敵はどうしているのです? 屋外と違って、【望遠】と【暗視】の組み合わせだけでは、どうにもならないでしょう?」


「通常は【暗視】が使えて隠密に優れた者が斥候として先行し、敵の様子を探ります。しかし隠密が未熟ならば一人で先行するのは危険です。見通しの悪い場所では常に臨戦態勢で臨むしかないでしょうな」


 ガットロウの説明に魔術兵は深くうなずく。


「なるほど。了解しました。そうなると残る問題は弓兵ですな。こう暗くては、弓が使えない」


 軍には【暗視】を使える弓兵は存在しない。

 めったに起こらない夜戦を想定して、筋力に劣る魔力持ちを弓兵にえる利点がないためだ。


「【照明】の魔術を使う手もありますよ」


 そう言って、ガットロウは天井を指した。


「そうか。戦場と違って、ここには天井があるのか。普段使う機会がないので失念していましたよ」


【照明】は無機物を発光体に変化させる変性系魔術である。

 夜戦自体がまれな上、高い位置に無機物が露出していないと広範囲を照らせないため、魔術兵が使う機会はほとんどない。


「しかし……【照明】は結構魔力消費が多いですからね。私の魔力では後がつらいなぁ」


 魔術師は体内魔力が過度に減ることを嫌う。

 単に魔力切れを恐れてというより、魔力の回復速度が低下することを恐れてのことだ。


 魔力の回復速度は体内魔力の残量に比例する。

 そのため、体内魔力を高めに維持しないと、低級魔術を連射するだけでも魔力の消費速度に回復速度が追いつかなくなる。

 消費の大きい魔術は決着をつけるための最後の一撃に使うのが魔術師のセオリーである。


 ちなみに体内魔力の残量が極わずかになると魔術師は『魔力が尽きた』と感じて無意識に魔力の放出を止めるため、体内魔力が完全になくなることはない。


「まあ、弓兵はサバレン様の護衛に専念してもよいでしょう。私が護衛しても構いませんが、それでは決闘の趣旨に反するでしょうし」


 ガットロウはサバレンを介抱している弓兵へと視線を移した。

 どうやらサバレンもようやく平静を取り戻したようだ。


「よし、魔物から魔石を取ったら、先に進むぞ」


 指示を出すサバレンの声は、わずかに震えて上ずっている。


「それと、ゴブリンには無理に止めを刺さずともよい。死にかけのゴブリンがいたら、我輩自らが止めを刺す」


「は? 了解しました」


 突然、不可解なことを言うサバレンに、全員が困惑している。


 なぜ、領主の子息自らが汚れ役を買って出るのか?

 もしかしたら、この機会に生き物を殺すことに慣れておくつもりだろうか。

 だとすれば、武門の家系であり、いざとなれば戦場に赴くことになるクルスターク家の跡取りとして、中々に立派な心がけである。


「それと……忠告に従って、吾輩は一番後ろを歩くことにしよう」


「いやいや、サバレン様、一番後ろも危険ですから、隊の中央にいてください」


「うむ……そうか?」


 結局、一行は前衛兵の二人、魔術兵、サバレン、弓兵、ガットロウの順番で進むことになった。




 その後は少数のゴブリンに出くわす程度で、一行は順調に迷宮内を進んでいった。

 とはいえ、罠に注意し、曲がり角ひとつあるごとに敵襲を警戒しながら進むため、その歩みは遅い。


 途中、撃退したゴブリンの中に何匹か死にかけが出たため、サバレンが宣言どおりに止めを刺した。

 かなり、おっかなびっくりな様子であった。


 一行が迷宮を進んでいると、通路の道幅が次第に狭まり、人ひとりがやっと通れるほどになった。


「ギャギョギュギョァー」


 通路の先からやってきた一匹のゴブリンが、こちらを見つけて叫び声を上げ、そのまま回れ右して通路を引き返していった。

 間違いなく【シーカー】だ。


 一行が【シーカー】を追う形で先に進むと、通路の先にあかりが見えてきた。


「止まれ! 広間だ」


 先頭の前衛兵が通路上で盾を構えて立ち止まると、その頭越しに矢が飛来した。

 後続の前衛兵が盾を掲げて矢を防ぐ。

 矢は次々に飛来して、盾の上で乾いた音を立てた。


 上下二枚の盾に遮られ、三人目以降は前の様子がまったく見えない。


「中にはゴブリンが二十ほど。そのうちの六、七が弓だ」


 前衛兵が広間の中を確認して報告した。


「押し込めるか?」


「厳しいな。囲んで待ち構えている」


 先ほどから盾に槍を突き立てる音がひっきりなしに響いている。

 ゴブリン十数匹を一度に押し返せる腕力がないと、前に出られそうにない。


「盾を下ろした瞬間に魔術を放つ。出たとこ勝負になるが、それで何とか数を減らそう。準備いいか、三、二、一、それ!」


 前衛兵の二人が一斉に膝をつき、下がった盾越しに魔術兵が魔術を放つ。


 魔術と入れ違いに飛んできた矢を前衛兵が盾を掲げて防ぐが、一本だけ通路の中へと飛び込んでくる。


「ひいゃい!」


 変な悲鳴を上げたサバレンの脇をかすめ、矢は通路の壁面に当たって落ちた。


「どうだ?」


「一体、倒したように見えたが、分からん」


「もう一度だ」


「広間の中で敵が左右に分かれたようだ。撃つなら、中央ではなく、なるべく左右に」


「ここからでは狙いにくいな。ええい、面倒な!」


 列の三番目にいる魔術兵は、どうにか広間の左右に魔術を撃てないものかと苦心している。


 この時点で殿にいるガットロウにできることはない。

 仕方がないので、これが冒険者ならどうなっていたか、などと考察を始める。


(先に斥候が【シーカー】を始末できていれば、敵が油断している間に前衛が広間に押し入れる。後は魔術師が前衛越しに敵の弓兵を始末できれば、勝ったも同然か)


 しかしそこで、魔術師が弓兵に狙撃される危険性に思い当たる。

 斥候が弓兵を牽制してくれれば御の字だが、それは高望みというものだ。


(まあ、いざとなりゃ神官の守りの恩寵や癒やしの恩寵でどうにでもなるしな。しょせん冒険者はヤクザな商売、多少の危険は織り込み済みさ)


 通路の先で戦っている兵士の様子をうかがいながら、ガットロウはため息をつく。


(時間がかかりそうだな、こりゃ)


 兵士たちとの迷宮攻略は、斥候がいなかった当時をガットロウに思い出させた。


(斥候が先行している間はパーティーの足が止まるが、その後は安全な道をスイスイ進める。罠と敵襲にビクビクしながらちんたら進むのと、結局そう変わらんよなぁ。なにより、戦闘は斥候がいてくれた方が奇襲で早期決着することが多い)


 つまるところ、斥候の有無で攻略の所要時間に大差はない。

 ならば斥候は無用かといえば、もちろんそんなことはない。


(メンバーの疲労度は、比べるまでもないな。ぶっちゃけ斥候を待っている間は休憩時間だし、一番疲れる戦闘が短時間で終わるのがでかい。負担の大きい斥候だって、逆に戦闘中は後衛の護衛くらいで楽ができるからな)


 迷宮で罠の次に危険なもの、それは疲労による集中力の低下である。

 迷宮では一瞬の油断が命取りだ。


(やっぱ、斥候大事だわ)


 罠と敵襲を警戒しながらの前進に精神的な疲れが出始めたガットロウは、斥候よろしく、戦闘中に気を抜きまくるのであった。

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