第二話 主人公は……

EX.斥候は鍛錬する

 早朝の静寂な空気の中に鋭利な風切り音が響く。


 黒く塗り潰された刃が空を切り、それを追うように灰色の影が走る。


 わずかに遅れて、かすかな足さばきの音が続く。


 痩身そうしんを灰色の装束で包んだ、やや幼く見える整った風貌ふうぼうの青年。

【鷹の目】の斥候、アルバだ。


 今、アルバが鍛錬たんれんを重ねているその動きは、見る者が見れば、相手の刃をかい潜って懐に差し込む技だと分かる。


 だがそれは、アルバの常とはほど遠いものだ。

 斥候職である彼の本分は、不意打ち──死角から近づき、一刀のもとに敵の喉を掻き切る技である。


 先の追放騒ぎの後、思うところがあり、アルバは正面から相手を斬り伏せる技の鍛錬を増やしていた。

 不意打ちで倒しきれなかった際には必要となるものであり、決して無駄な鍛錬というわけではない。


 アルバが鍛錬に使っているのは、借家の裏手にある空き地である。


 そこは、街の端に位置する家屋と街を囲む塀の間の土地であり、本来は兵士の通路に利用される公有地だ。

 ただし、兵士の移動を妨げなければ、自由に使うことが黙認されている。

 塀側には、ちゃっかりとアルバの投剣用の的がかけてある。


 この借家は、迷宮攻略を本格的に始めた後、荷負い馬やら装備の備蓄やらで宿屋暮らしが手狭になったため、【鷹の目】の名義で借りたものだ。


 現在は、一階にある一部屋をアルバが、二階にある二部屋をモナとラキア、ケイティとユリシャがそれぞれ相部屋として使っている。

 ちなみに二階は男子禁制。盗人避けも兼ねて、ラキアがお手製の結界魔法陣を丹念に配置済みだ。


 黙々と鍛錬を続けていたアルバは、背後から近づく気配に気づいた。

 そちらを見なくとも、足音からユリシャだと見当がつく。


 ユリシャはアルバの背後に立つと、そのまま動く気配がない。


 アルバは構わずにダガーを振るった。


「止めれ? ストップ?」


 アルバはダガーを突き出した姿勢で止まる。


 ユリシャはアルバに近づくと、アルバの足を自分の足で押して位置をずらし、両手でアルバの腰をつかんで捻り、さらに肩の位置を動かす。


「こう、かな? もう一回」


 言われるがまま、アルバはもう一度ダガーを突き出す。

 もちろん、修正された姿勢を意識しながらだ。


「…違う、か?」


「うん、違う。腰の回転が遅すぎ?」


 アルバは腰の回転を意識しながら、もう一度ダガーを突き出す。

 風切り音が変わり、目に見えてダガーの速度が上がる。


「どうだ?」


 アルバの問いに対してユリシャは親指を立ててニカッと笑い、そのまま借家の方へ戻ってゆく。


(名のある師匠か……なるほど)


 ユリシャとケイティが以前、『名のある師匠のもとで修行した』と語っていたのをアルバは思い出す。

 教え方もまた、師匠を見て学ぶものなのだろう。


 今の感覚を忘れないように、アルバは再びダガーを振り始めた。


 と、再び背後に気配がする。


「軽い! 足らん!」


 ケイティの声が聞こえ、スタスタと近寄ってくる足音がする。


 アルバが振り向こうとすると、ケイティの手が後ろからアルバの肩を掴んで固定した。

 腰の後ろにケイティの手のひらが押し当てられる感触がする。


「ここを使え!」


 ズン、と衝撃がアルバの体内を走った。腰の奥に熱い塊を感じる。


「よし、もう一度」


 アルバは腰の奥の熱い部分を意識して、ダガーを繰り出す。


──ドンッ!


 踏み込んだ足からいつもの倍以上の衝撃が昇ってきた。


「うむ、まずまず。コツさえ掴めば後は鍛錬あるのみ!」


 ケイティはアルバの肩を痛いほど強くたたくと、その場を去っていった。


(……東方の極意か何かか?)


 アルバも詳しくは知らないが、東方には体内に響く打撃とか、やたらと大きな音で踏み込む徒手空拳としゅくうけんの技があると聞いた覚えがある。


(まあ、どうでもいいか)


 再び鍛錬を開始したアルバは、ふとあることを思いついた。

 ダガーをさやに収め、革ベルトにしてある投剣を一本取り出す。


 今習ったことを踏まえて、実際には投剣を手放さずに、投てき動作を何度か試す。

 そして、最後にこん身の力を込め、塀に立てかけてある的を目掛けて投剣を放った。


──ドンッ!


──コンッ!


 的を大きく外れた投剣は、高く澄んだ音を立てて、脇の塀に突き刺さった。


 アルバが近づいて見ると、投剣の刀身がほとんど塀に食い込んでいる。


(こりゃ……やばいな)


 踏み込んだ足から結構な音が出るので、不意打ちには向かないだろう。

【消音】で消そうにも一瞬で魔力が尽きそうだ。

 仮に音を消せても地面を伝わる衝撃で気取られかねない。


 だが、急所をとらえることができたなら、十歩程度の距離からでも一撃必殺になりえる威力だ。


 なにより、投剣の飛んでゆく速さがやばい。

 自分が的になった場合を想像してみると、避けるどころか、反応できるかすら疑わしい。


 問題は、威力と命中率を両立できるか、だが。


(まあ……鍛錬次第か)


 とりあえず、この塀から抜けそうもない投剣をどうやって回収したものか、とアルバが思案していると、後方から声がかかる。


「アルバ、ちょっといい? 前に話していた魔法陣なんだけど、一応、完成したわ」


 ラキアが手に小冊子を持って借家から出てきた。

 アルバも自分からラキアの元へと歩いてゆく。


「見せてくれ」


 アルバはラキアから小冊子を受け取ると、ページをめくった。


「思ってたよりも厚いな」


「十積層ね。魔術書と言うには薄いけど」


 冊子のすべてのページには同じ大きさの魔法陣が描かれていて、それが十ページでひとつの魔法陣を成している。


 この魔術を行使するには、ここに描かれたすべてを暗記する必要がある。


「魔法陣の規模を大きくしていいなら、もう少し薄くできるわ」


「いや、そうすると俺では解読できないだろ」


「……そうね、初級の幻惑系魔術の術式では、これが限界ね。中級の術式を覚えてみる? それか丸暗記しちゃえば?」


「中級は考えておく。丸暗記は苦手だ」


 そう言いながら、アルバは小冊子のページを繰り返しパラパラと指で弾いて流す。


 高度な術式ほど大きな魔法陣を構築でき、盛り込める機能が飛躍的に増加する。

 当然ながら、目的の機能を達成するための積層も大幅に減る。


 問題は、術式を理解していないと、魔法陣を細部まで丸覚えする羽目になることだ。


 片や、簡潔な文言でつづられた内容を理解できる長文。片や、難解な文言で綴られた意味不明の中文。さて、暗記しやすいのはどちらか。

 人それぞれかもしれないが、少なくともアルバは前者のほうが楽だ。


「ま、使うのはあんただからね。それにしても、まったく新しい魔法陣の構築なんて、師匠のとこで受けた卒業試験以来だわ」


「すまなかったな、手間をかけさせた。礼を言うよ」


「私も面白かったし、いい勉強になったわ。冒険者以外の魔術師は、幻惑系魔術の術式なんて勉強しないし」


 幻惑系魔術は対象の認知機能に作用する魔術である。


 高度な術は相手の感情を操作することもでき、破壊系魔術よりも危険な代物だと言える。

 なにせ歴史をひもとけば、【魅了】や【狂乱】の魔術を使って一国を内部から崩壊させた魔術師の逸話が、それこそごまんと出てくるのだ。


 現在では、高度な幻惑系魔術を公的に習得できるのは、国に忠誠を誓った高位魔術師だけである。

 彼らは幻惑系魔術の悪用から国を守るための対抗策として、それらを習得する。

 仮に、国の許可なく習得すれば、使用のいかんにかかわらず、その時点で犯罪が成立する。


 その結果、幻惑系魔術は一般の魔術師にとって旨味のない分野となった。

 なにせ、高度な魔術は初めから習得が禁止されているのだ。先につながらない初歩など、習うだけ無駄である。


「でも、これ、何に使うの? 【透明】の術式が含まれるから、あんたの魔力じゃ一瞬で尽きるでしょうに」


「近接戦闘時に使うから一瞬でいいんだ。わりと当たり前の発想だと思うんだが。むしろ、同様の魔法陣が一般化してないことが不思議なくらいだ」


「そりゃ、まあ、魔力持ちが近接戦闘なんかしないからでしょ。『魔力と筋力は両立しない』んだから」


『魔力と筋力は両立しない』は一般的な常識だ。

 魔力が高い人間は、いくら体を鍛えても魔力のない人間に筋力で劣る傾向にある。


 この法則は『天は二物を与えず』という公平な摂理にも思える。


 だが、現実はそうはいかない。

 筋力は誰でも手軽に鍛えられ、すぐに役立つ。一方で、魔力を発揮するには金と時間をかけて魔術を習得する必要がある。

 世間一般で言えば、圧倒的に『魔力よりも筋力が欲しい』となる。


 この法則は性別にも当てはまり、筋力で男性に劣る女性のほうが、魔力では男性に勝る傾向にある。

 魔術師に女性が多いのはそのためだ。

 もっとも、多くの女性は魔術を勉強する機会に恵まれず、『魔力の持ち腐れ』となる。


 しかし、ある意味で女性よりも不憫ふびんなのが、ある程度の魔力を持った男性である。


 魔力が高ければ魔術師に弟子入りもかなうが、魔術師になれないなら単に『筋力に乏しい男性』という括りになる。

 肉体労働が圧倒的に多い男性社会において、彼らは実に微妙な存在だ。ぶっちゃけ『役立たず』『半端者』と侮る者も多い。


 そのため、中途半端に魔力も持つ男性の多くは、長所を活かして身を立てるべく、初歩の魔術を習得しようとする。

 しかし現実問題として、彼らの手の届く範囲にある魔術は一系統だけ。そう、幻惑系魔術である。


 初歩の幻惑系魔術は、習得する価値のないものとして、魔術師から捨て置かれている。

 その知識を秘匿、独占する必要もなく、魔導書も解説書も捨て値で取引されている。


 それが逆に、一般への流布を加速させる。主に、裏社会に。

 なぜなら、低級の幻惑系魔術──【暗視】【迷彩】【消音】などは、どれもが犯罪者垂涎すいぜんの効果なのだから。


 こうして、幻惑系魔術と中途半端な魔力を持つ男たちが、裏社会で結びつく。


 これが、古い言葉で言うところの【盗賊】職が成立した経緯である。


 実は近年、そんな幻惑系魔術を修めた痩せっぽちの男たちの真価に気づいた者たちが現れはじめた。

 それは、迷宮攻略を行う冒険者たちであり、国の諜報ちょうほう機関を司る一部の貴族たちなのだが、彼らはいまだ少数派に過ぎない。

 社会全体で見れば、中途半端な魔力を持つ男性は、やはり半端者扱いだ。


 そして、今ここに、幸運な出会いにより、さらなる可能性を見出しつつある男が一人いた。


「『魔力と筋力は両立しない』か。確かにそうだが、『魔力と技は両立する』かもな」


 そう言って、小冊子をラキアに返すアルバ。


 その動作から、流れるように振り返りつつ投剣を抜き、放つ。


──コンッ!


──ドンッ!


 ふたつの音が連続して響いた。


 的の中心に投剣が深々と刺さっている。


「なぜか、できるはずのない芸当が、一番最初だけうまくいく時、あるよな?」


 アルバがラキアに尋ねた。ラキアは顔をしかめている。


「今、すっごい気味の悪い光景を見た気がするんだけど。……的の投剣は最初から刺さってた? 投げた投剣はどこへ行ったの? 脇の塀に刺さってるのが今投げたやつ?」


「さあ? 違うと思うぞ。……て言うか、自分で組んだ魔術だろうに」


「……想像するのと実物を見るのは大違いだわ」


「朝ごはんですよー」


 朝の空気に、緊張感のないモナの呼び声が響いた。

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