2.斥候は難関を突破する

(さて、どうしたものかな)


 一人、来た道を逆順に進むアルバの前に、二股の分岐路があった。

 ひとつは正面に続く大きめの道。もうひとつは壁に空いた穴から左へとそれる小道である。


 往路では左の小道から来て、アルバの背後に続く道を奥へと進んだ。

 つまり、左の小道が上層階へ向かう正しい道である。


 正面の道もすでに偵察済み。少し進むと行き止まりになっており、そこに一匹だけオーク──豚面の鬼が潜んでいる。

 今回の攻略では脇道は無視して、なるべく先を急ぐ方針であったため、この先にいるオークは健在である。


(三馬鹿は、左の道に気づくだろうか? それ以前に、自分たちが側道からこの道へ合流したことに気づいていただろうか?)


 地下迷宮の通路は暗い。

 ごくまれに薄暗い魔術照明が灯っている以外に光源はない。


 冒険者は基本的に、腰に下げた魔術カンテラの明かりを頼りに歩く。

 だが、カンテラは前方の足元に光を集中させているため、視野はかなり狭く、道順を覚えるのは意外に難しい。


 ちなみに、斥候は通常、暗闇では【暗視】の魔術を常時発動している。

 カンテラの光は敵に自分の位置を知らせてしまうため、斥候には命取りだ。

 魔力を持っていない人間に斥候が務まらない理由のひとつでもある。


(あの三人ならオーク一匹程度、造作もないだろうが)


 アルバ自身は前衛三人の戦闘技能を高く評価している。

 彼らの三位一体ともいえる連携は、どんな敵に対しても安定した戦果を期待できるものだ。


 彼らのおかげで随分と楽をさせてもらった自覚があるアルバだが、今にして思えば、楽をしすぎた結果がこの状況を生んだと言えるだろう。

 こちらにも反省すべき点はあったということだ。


(あえて意地悪をする必要もないか)


 アルバは懐から蛍光塗料を取り出すと、左の道を示す矢印を床に大きく描いた。


(これでよし)


 あまりもたもたしていると、三人に追いつかれて面倒なことになりかねない。


 アルバは足早に左の小道へと入った。




 ほどなくして上層階へ到達したアルバは、第一の難関にたどり着いた。


 そこは、広い直線通路が中間地点で直角に曲がった構造をしていた。

 壁面には等間隔で照明が灯っているが、角の付近だけは照明がなく暗闇に閉ざされている。


 実は、その角の外側にゴブリンが潜むくぼみがある。

 ゴブリンからは通路が丸見えだが、通路側からは【暗視】を使わなければゴブリンの存在にすら気づけない。


 そして、厄介なことに【シーカー】と呼ばれる見回り役が、群れから離れて徘徊している。


【シーカー】は魔物が一定数群れると必ず現れる変異体だ。

 特にゴブリン・シーカーは、好奇心が強く、眠っているとき以外はじっとしていられない。そして、敵を見つけると叫び声を上げて仲間に知らせる。


 往路では、アルバが【シーカー】を排除、窪地に十五匹程度のゴブリンを確認した後、敵に見つかるギリギリの距離からラキアが魔術で先制攻撃、敵が混乱したところを前衛三人が突撃をかけ、難なく殲滅できている。


 しかし、今のアルバに戦闘を行うという選択肢はない。


 一人で十五匹のゴブリンに囲まれたら、壁を背にしても三方向から槍で責め立てられ、避けることもままならない。

 そして、ひとたび槍で刺されれば革鎧かわよろいの上からでも出血は免れず、敵の包囲を突破しない限りは失血死が待っている。もちろん、革鎧以外の部位を刺されれば、そのまま致命傷である。


 ならば、取り得る手段はひとつ。敵に見つからずにやり過ごすしかない。


 幸いにも、通路が広いため、曲がり角の内側を歩けば外側の窪地からは距離が取れる。

 角の付近の暗闇も身を隠すには充分だ。

 後は斥候の本分である隠密おんみつ術を駆使すれば、すり抜けることは可能だろう。


 そのために、まずは他のゴブリンに気づかれずに【シーカー】を排除する必要がある。

 いつもなら時間をかけて安全かつ確実に狩るところだが、今回は三馬鹿が追いつく前にことを済ませなければならない。


 アルバが焦れながら待っていると、一匹のゴブリンが群れを離れ、通路をこちらへと近づいてくるのが見えた。

【シーカー】だ。


 アルバは幻惑系魔術の【消音】と【迷彩】を自身にかけた。

【迷彩】は【透明】の下位魔術で、風景に溶け込む程度の効果だが、薄暗がりの遠目であれば視認するのは困難だ。


【暗視】と合わせて三つの魔術の同時使用は、その難しさもさることながら魔力の消費がそれなりに多くなる。

 ただし【消音】と【迷彩】は、素の隠密技術が高いほど消費魔力が減る。アルバの魔力と隠密技術ならば、呼吸十回程度の間は三つの魔術を同時に維持することが可能だ。


【シーカー】との距離を見極め、アルバは投剣を放った。


「!? ギァ……」


 投剣が【シーカー】の喉元へと吸い込まれ、悲鳴がかき消えた。

 絶命には至らなかったようで、【シーカー】は声を発せないままに悶絶もんぜつしている。


 アルバは音もなく移動して、【シーカー】の心臓にダガーを突き立てた。

 びくん、と痙攣けいれんを残して、【シーカー】が息絶える。


 そのまま亡骸を引きずって、アルバは照明の届かない暗がりへと取って返した。

 同時に、すべての魔術を解除して、魔力の回復に努める。


 息を潜めること、三呼吸。

 他のゴブリンに動きはない。気づかれずに済んだようだ。


 再度【暗視】を発動し、他に【シーカー】がいないかを見定める。


(群れの規模からして、二匹はいそうなものなんだがな)


 窪地の中で眠っているのか、通路を曲がった先にいるのか、まだ補充されていないか。いずれにしろ、時間が惜しい。


 魔力が完全に回復するのを待ってから、アルバは再度【消音】と【迷彩】を発動して、曲がり角の内側の壁伝いに移動を開始した。


 暗闇に溶け込みながら、アルバはゴブリンの群れがいる窪地のすぐ脇を忍び足で進んでゆく。

 窪地までの距離は十歩程度。ゴブリンの息遣いさえ聞こえてくる。


 通路の角を曲がり、アルバはその先を見通した。

 幸い【シーカー】の姿は見えない。そのまま、ゆっくりと進む。


 魔力がぎりぎり尽きる前に、アルバはゴブリンの群れから十分な距離を取ることができた。


(さて、残るは最後の広間だな。まあ、切り札を切ればなんとかなるか)


 ここから先は最後の広間以外に難所はない。


 アルバは三馬鹿との別れ際に思い描いていた行動計画を反芻はんすうする。

 使った投剣もしっかり回収できており、ダガーにも刃こぼれはなし。切り札も残っている。

 計画に支障はない。


【暗視】を使うのに十分な魔力が回復するのを待ち、アルバは移動を再開した。




 途中、何匹かの【シーカー】を投剣と奇襲でほふり、何組かの魔物の群れをやり過ごし、アルバは最後の広間に続く通路の手前に到着した。


 その広間は人の肩幅ほどの狭い通路に挟まれており、さして広くもない部屋の中に二十匹のゴブリンがひしめいている。

 しかも、天井に照明がついており、ほの暗いながらも広間全体を照らしている。見つからずにやり過ごすことは不可能だ。


 往路では、ここでの戦闘も実にあっけないものだった。


【シーカー】を排除した後、前衛の三人が広間になだれ込んで、入口を守るように半円の陣形を組む。

 その半円陣の中からラキアが破壊系魔術で敵の後衛を一掃。

 後は前衛が敵を徐々に押し込んで殲滅せんめつ完了。

 アルバに関して言えば、ラキアが魔術を放つまでの間に、敵の弓兵に投剣を投げただけで、それ以降は何もしていない。


(まずは、各個撃破を狙ってみるか)


 広間のゴブリンを通路におびき出せれば、一対一に持ち込める。

 さすがにアルバでもゴブリン相手に一対一で後れは取らない。ただし、連続して二十匹を相手にするのは体力的にはギリギリだ。


 アルバは広間から離れた位置でしばし待ち、広間から出てきた【シーカー】の足を狙って投剣を放った。


「ギャギョギュギョァー」


 足に傷を受けた【シーカー】が、敵を見つけた際に上げる独特な叫び声を上げた。

 叫び終えるのを待ってから、その喉元に投剣を投げて止めを刺す。


 そのまま、しばらく待ってみたが、ゴブリンたちが通路に出てくることはなかった。

 どうやら、狭い通路では数の利を生かせないことを理解しているらしい。その程度の知恵はあったようだ。


 アルバは通路を進み、暗がりから広間の内部を見渡した。


【シーカー】の悲鳴を聞いたゴブリンたちは、すでに臨戦態勢だった。

 平時なら武器を手元に置いて座り込んでいるはずが、今は立ち上がって武器を構えている。


【シーカー】の悲鳴を聞かせたのは早計だったかと一瞬考えたアルバだが、どのみち取り返しはつかない。


(さて、それじゃあ切り札を切りますか)


 アルバは額当てを目元まで下ろし、マスクの密着度を確認した。


 額当てに入った横長の溝には透明な膜が張ってあり、上下は見えづらくなるものの、充分な視野を確保できる。


 マスクは目の細かい布地を折り重ねてあり、常に息を殺す訓練を重ねてきたアルバの浅い呼吸と合わされば、ほぼ完璧な防じん機能を発揮する。


 準備は万端。アルバは懐から切り札を取り出した。


 見た目は小石大の塊。名付けて【辛子からし玉】。

 何のことはない、何種類かの香辛料を混ぜて念入りにすり潰し、まわりを粘土で固めただけの代物である。


 これを硬いものにぶつければ、破裂して、中から香辛料の粉末が飛び出す。

 目に入れば悶絶級の痛みが走り、まぶたを開けていられなくなる。

 鼻で吸い込めばくしゃみが止まらなくなり、戦闘どころではない。

 口で吸い込んでも喉と肺が焼けるように感じ、せきが止まらなくなる。


【辛子玉】がゴブリンにも効くことは、事前に確認済みである。

 今回は敵がひしめき合っているため、最大限の効果が期待できるだろう。


【辛子玉】の効果でゴブリンが混乱しているうちに投剣で数を減らし、最後は強行突破する作戦だ。

 広間さえ抜けてしまえば、仮にゴブリンが追ってきても狭い通路上で各個撃破が可能だ。


 アルバは慎重に狙いをつけ、【辛子玉】をゴブリンの群れの中へと投げ込んだ。


「ギェ、ギ、ギガァアアア!!」


 阿鼻叫喚あびきょうかんが一気に伝播でんぱした。


【辛子玉】の直撃を受けたゴブリンが、パニックを起こし、闇雲に槍を振り回し始めた。


 その槍で傷つけられたゴブリンも、視界を奪われた状態で誰かから攻撃された形となり、慌てて見えない敵に剣を振り回し始めた。

 その剣がさらに周囲のゴブリンを傷つける。


 群れの外周で【辛子玉】をほとんど浴びていないゴブリンすら、突如始まった同士討ちに理解が追いつかず、ただオロオロしている。

 中には、同士討ちしている仲間を裏切り者と見なしたのか、暴れている者を片っ端から切り捨てている者までいる。


 もはや、地獄絵図である。


 予想以上の効果にしばし呆然ぼうぜんと事の成り行きを見守っていたアルバも、ようやく我に返り、見える範囲で弓兵に投剣を投げてゆく。

 狙うのは、額か腕。額に当たれば目に血が入って狙いが定まらなくなり、腕が傷つけば弓を全力で引けなくなる。

 この距離なら直接喉元を狙っても致命傷になるのだが、いつもの癖というやつだ。


 弓兵を無力化できたと判断したアルバは、気配を消して広間へと侵入した。


 武器が交錯して危険度が高そうな中心部を避け、外周に沿って移動する。

 さらに、行きがけの駄賃とばかりに、混乱しているゴブリンの首筋を手当たり次第に背後からっ切ってゆく。


 広間の反対側に行き着いて、振り返ると、そこには二十匹の瀕死ひんしのゴブリンが横たわっていた。


 結果としては【シーカー】の悲鳴を聞かせたのは正解だった。

 平時ならゴブリンたちは武器を手にしておらず、それぞれが床を転がり回るだけだっただろう。


(なんだろう、正直、スマンかったという気持ちになるな)


 奇妙な罪悪感にさいなまれる。


 魔物の死体からは魔石と呼ばれる有価の結晶が採れるが、ゴブリンの魔石は小さすぎて、どうせ、はした金にしかならない。

 時間をかけていると三馬鹿に追いつかれるため、手早く投剣だけを回収し、アルバは広間を後にした。

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