第三十四話 夜のひととき

 ユーリカ特製の豪勢な夕飯を食べ、風呂で汗を流し、客室でダラダラしているとそれなりにいい時間になっていた。


 いつもであれば、陽が上って沈むまで一日中農作業をしっぱなしなので、夕飯を食べる頃には疲れ切ってそのあとすぐ寝てしまうのだが、今日は大したことをしていないので正直持て余していた。


 一応暇つぶしとしては本棚に本がびっしり詰まっていたりするのだが、どれも魔法関係の書物で全く読む気にならない。というか読んだところで理解できないだろう。


「マサヨシさん?」


 ベッドに転がり目を瞑ってぼうっとしていると、部屋の扉がノックされる。

 声からしてリュンだろう。


「あの、ちょっとお話ししたいんですけど、入ってもいいですか?」


「ああ」


 俺が答えると、リュンはおずおずといったように部屋の中に入ってくる。

 寝る前だからか、淡いピンクの寝巻きを着て、髪も後ろでひとまとめにして身軽な格好をしている。


 扉を後ろ手に締めると、俺の前まで歩いてきた。


「なんの用だ」


「あの、ええと、そのぉ……」


 歯切れが悪い。何か言いにくいことを言おうとしているようにも見える。


「まさかお前、一人で寝られないから一緒に寝てくれとかいうんじゃないだろうな」


「ち、違いますよ!マサヨシさんはあたしをなんだと思ってるんですか!」


 と、口答えはしてくるのだが、その声にはどこか元気がない。

 ずっと変だと思ってはいたが、やはり魔女の村へ帰ってきてからというもの、リュンはどこか気落ちしているようだった。

 正直調子が狂う。


「で、本当は何しにきたんだ」


 俺がもう一度問いかけると、逃げるように一歩後ろに身をひいたが、それでも踏ん張って俯きながらぽそりと言った。


「その、ちゃんと謝っておきたく、て……」


「謝る?ああ、ついにこの世界に生まれ落ちてしまったことを詫びる気になったというわけか。でもそれなら俺だけじゃなくて世界中の人々にも……」


「違うわ!いくらあたしが卑屈だろうと流石にそこまで思ったことないわ!」


 卑屈であるところは認めるのか。前向きなのか後ろ向きなのかよくわからないなこいつ。


 さすがにこれ以上茶化すと怒り出してしまいそうだったので口を閉じて続きを促した。


「あたしのせいで、その、マサヨシさんの生活、滅茶苦茶にしちゃったから……だから……」


「で、謝りに来たってわけか」


 こくんと頷くリュン。

 多分俺がこいつと出会ってから今までこれほどに殊勝な姿はなかったかもしれない。

 よくよく見てみれば、リュンの体は小刻みに震えていた。怒られると思っているのか、怖いと思っているのか、それともまた別の感情からなのか。

 いずれにしても、それなりに気持ちを作ってからここへきたということだけはわかった。


「お前、意外と律儀なんだな」


「意外ってなんですか意外って」 


 森で初めて出会ったときとはまるで別人みたいだ。


「そりゃあたしだって悪いことをしたらちゃんと謝ります。もう子供じゃないんですから」


 子供はみんなそう言うけどなという言葉は飲み込んだ。


 このなりと言動で俺の一個下だというのだから世界は広い。ユーリカの若さが一番常軌を逸しているが。だが、今日学校で見たアリーシャを含めた他の女子生徒は年相応という感じだった。となればリフラ・リィンの血筋がおかしいだけか。


 返事を待っているリュンを見て、俺はうっすらと笑みを浮かべた。

 それを見て、リュンの強張っていた肩から少しだけ力が抜ける。


「ま、絶対に許さないけどな?」


「いやなんで期待持たせるような笑顔を見せてからどん底に突き落とすようなこと言うんですか!?マサヨシさんはあたしのことそんなに嫌いなんですか!?」


「言葉にしたほうがいいのか?」


「結構です!答えがわかっているのに聞きたくありませんから!」


 ぜぇぜぇと息をついたあと、リュンは大きく息を吐いた。


「別に、許してもらえるとも、ほしいとも思ってないです。それを聞きにここにきたわけでもありませんから」


 するとリュンは、俯いていた顔を上げて、俺をまっすぐに見つめた。

 蒸気が出そうなほどに顔を真っ赤にさせて、蚊の鳴くような声で呟く。


「……を、言いたかったんです」


「なんだって?」


「お礼を言いたかったんですっ!」


 リュンの言葉の勢いに少しだけ体を引いてしまう。


「お、お礼?なんのことだ?」


「……あたしはこんななので、いっつも変なことしちゃうんです。それを見た人は、怒って、喋らなくなって、離れていって……。マサヨシさんも怒るし、酷いこと言うけど、でも、こんなところまで来てくれて……その、離れないで、いてくれるから……」


「それは違うぞリュン。離れなかったんじゃなくて、離れたいのに離れられない事情ができたからであって別に俺の意思では……」


 妙な勘違いを繰り出そうとしているリュンの言葉をすかさず否定していると、違う意味で顔を真っ赤にしているリュンが目の前に立っていた。

 あー、怒ってますねぇ。


「そういう意味じゃないんですけど」


「じゃあどういう……」


「そういう意味じゃ、ないんですけどっ!!」


 すると脇に置いてあった枕を思い切り振りかぶって俺の顔目掛けて投げつけてくる。柔らかい素材でできているため当たってもダメージはなかった。


「もうマサヨシさんなんて知りませんよ!!バーカバーカ!!」


 そんな子供みたいな捨て台詞を吐きながら、リュンは部屋を出ていく。

 だが、またすぐに入ってきたかと思えば、


「おやすみなさいっ!!」


 と、寝る前の挨拶にしては余程似つかわしくない声量で言った後、今度こそ部屋を出ていった。律儀かよ。


「なんなんだあいつは……」


 でも、リュンが本当は何を言いたかったのかはなんとなく伝わってきた。


 息をついて、再びベッドに仰向けに寝転がる。


 さっきの言葉、そしてこの村にきてからの態度や学校での様子を見る限り、リュンが今どういう立場に置かれているのかはなんとなく察しはつく。


 だが、そうなってくるとリュンに自信を持たせるという目標は相当厳しいもののように思えた。

 それこそ、知り合ったばかりの俺がどうにかできる問題なのかも疑わしい。自信もまったくと言っていいほどない。

 そもそも魔王と真面目に戦おうという気もほとんどないのでモチベーションとしてはほぼゼロに近しいのが主な原因ではあるのだが。


 ただ、元の生活に戻るためには、少なくともリュンの問題はどうにかしなければならないだろう。ユーリカなら本気でリュンと結婚させようとするかもしれないし、もしそうなればこの村から出られなくなる可能性だってある。それは単純に嫌だ。


 それに。


 目を閉じると、今日学校で見たリュンの悲しそうな顔が浮かんでくる。


 見ているともやもやして、気分が悪くなって、イライラして仕方ない。


 あんな顔をする奴を、俺はどこかで見たことがあるような気がする。でも、どこで見たのかは思い出せない。だからなおさらイライラしてしまう。


 この気分の悪さの正体も、もしかするとリュンの問題を解決すれば晴れるのだろうか。


 だとすれば、俺がやるべきことは……。


 そんなことを考えている間に、俺はいつのまにか眠りに落ちていたのだった。

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