第二話 魔女と魔法使い


 実は、ショップの奥には何も無い。


 扉があるが、その先には空き地が広がっているだけである。魔法の扉なのだ。ペレウスとその弟子テティス、そして『ある例外』だけが、彼らの本当の住居――とある人魚が流れ着いた洞窟の一室へ足を踏み入れることができる。


 机で書き物をしていたペレウスは、扉を開いて入ってきたその『例外』を見もせずに、


「何の用だ、若作りの魔女め」


 先制口撃。だがヘーラーはちっとも堪えずに、ふふと笑う。


「女を知らない引き篭もりの坊やが何か言ってるわね」


「うぐ」


 撃沈。ペレウスとは人生の年季が違うのだ。


 ヘーラーは室内を見渡す。リビング兼作業場のようで、なかなか広い。とても、海の近くの洞窟とは思えないほど綺麗な内装だった。


「ベッドは奥? 二人で一緒に眠るの?」


 ちら、とヘーラーを見たペレウスが答える。


「……あいつは台所。俺は寝室だ」


「女の子をそんなところに寝かせるなんて」


「あそこが一番、海から近い」


 さざ波の音がいちばん聞こえる、とはペレウスは言わなかった。


「大事にしてるのね。お師匠さま?」


 微笑みながら、ペレウスに近寄る。彼が動かないのをいいことに、魔女はペレウスの背中に寄り添った。優しく抱きしめるように。


「こうしているとあなたを拾った夜を思い出すわ。寒さと悲しみと、怒りで震えて――」


「どけ」


「いまでもお父さんとお母さんが憎い?」


「黙れ」


「あなた一人を捨てたところで、あの家は――いえ、あの村はもう限界だったのにね」


「やめろ」


「ようやくひとの温もりを知ったと思えば――まさか相手が人魚だなんて、ね。群れに捨てられたあの娘に、昔の自分を見たのね?」


「そんなんじゃない」


「強情ね」


 つん、と指でほっぺたをつつかれる。ペレウスは鬱陶しそうに振り払って立ち上がる。


「何の用だ。王室につかえる『宮廷魔法使い』さまはそんなに暇なのか」


「そうそう」


 とヘーラーは思い出したように言うと、右手をくるりと返した。パッと手紙が現れる。


「パリスさまからよ」それはペレウスの友人の名だった。「お店に寄るつもりみたい」


「何しに?」


「お嫁さま探し」


「いや、それでどうして俺のところに……って、待て、ひょっとして……」


「噂の看板娘を見に来るんじゃない?」


 思わずカッとなった。


「……なんだと?」


「あら。怖い顔もできるようになったのね」


「パリスに伝えろ。あいつは俺の弟子だ。指一本でも触れたらお前との友情は終わりだ」


 指を口に当てて困ったふりをするヘーラー。


「んー。ちょっと遅かったかも?」


「は?」


 歩き、扉に手をかけるヘーラー。自分たち魔法使いなら、その扉から街のマジックショップへ行けるはずである。そしてこの洞窟は、街から遥かに離れた場所にあって――。


「ごめんね?」


 ヘーラーが扉を開けて、やっとペレウスは思い出した。普通のショップと違い、魔法で隔絶されたこの部屋には、店側の音がなにも聞こえないということに。


――お師匠さまっ! 助けてくださいっ!


 店と部屋が繋がった瞬間、弟子の思念による叫びと、大歓声が、ペレウスの元へ届いた。



* * *



 魔法使いペレウスは爵位を持つ貴族である。平民出身ではあるが、王室のある人物に気に入られたのだ。そいつが言うには、『授爵は親友の証』らしい。


 与えた人物は、パリス・アレクサンドロ・ベヘリア。ベヘリア王国の第三王位継承者――パリス王子であった。


 何気ない思い付きで周囲を勘違いさせて大混乱に陥れるけど、なぜか最終的にはそれ以上ない形で場が収まっているはた迷惑な王子――それが王国におけるパリスの評判である。


 例えば。


 他人の恋路に首を突っ込むのが大好きなパリスは、愛し合いながらも生まれた境遇のせいで引き裂かれた若い男女を無理やり結婚させて、実はそれが敵対していた国同士の王子とお姫様で、明日には戦争するはずだった両国が気が付けば同盟を結んでいたり。


 事業に失敗して没落した貴族が一家心中を図ろうとしていたのを、そんな事情を知りもしないはずの王子が「なんか楽しそうだから」と支援したら当初の予定と全然関係のない地域で流行になって、死ぬはずだった貴族を救っていたり。


 こんなのばっかりだ。


 パリス王子は何もしていない。実際に動いたり駆けずり回ったり苦労するのは側近たちで、パリス本人は本当に「ただ思い付きで言っただけ」で、計算なんてかけらもしていない。こいつにそんな賢さはない。


 でもなぜか上手くいく。


 そんな王子が――


「――天使だ」


 マジックショップの扉を開いて、『いらっしゃいませ♪』のアートとともに出迎えた見習い魔法使いの満開の花みたいに咲き誇った笑顔を見て、そう言った。


「君を、我が王宮に貰うことにする」


 それは一般的に、俺の妻になれ、と同義である。


 意味がわからず、笑顔のまま首を傾げるテティス。『いらっしゃいませ♪』が一緒になって傾いた。


 魔女ヘーラーが店の奥へ消えた、その直後の出来事だった。



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