捨てられた人魚は魔法使いの弟子になる

妹尾 尻尾

第一話 人魚と魔法使い


 ベヘリア王国領土のはずれ。


 海に面した切り立った崖に、ひとつ、ぽっかりと空いた洞窟がある。


 そこは、魔法使いのほこらだった。




「――おい、お前、生きているのか」


 声がした。冷たくて、事務的で、感情に乏しくて、でもどこか寂しい、そんな声だった。


 ここがどこかもわからない。海と繋がった碧い洞窟のなかに、彼女は打ち上げられていた。下半身は海水に浸かり、上は洞窟の固い岩肌に横たわっている。


「…………」


 もう、限界だった。何もしたくなかった。いくつもの海をひとり渡ってきた彼女は疲れ果てて、ここで眠っていたかった。


 声の主は、彼女の身体を――下半身を眺め、


「珍しいな、『二股』か。それで――」


 群れから捨てられたのか、とは言わなかった。彼女は彼を優しいと思った。人を傷付ける言葉を知っている。それを使わないことも。


 そこでようやく興味が湧いた。およそ人が来るような場所ではないこの洞窟で、自分のような死にかけの人外に声をかけた人物に。


 ゆっくりと顔を上げた。彼の持つランタンが、その顔を照らしていた。


「…………」


 とても綺麗な男の人だった。


 歳は若いように見える。白い肌に、黒く長い髪。面長で、彫りは深くないのに翳りが見えるのは、たくさん苦労してきたからなんだろうな、と彼女は思った。


 胸の奥が疼いた気がした。


「俺は魔法使いだ」


 彼は言った。


「お前を助ける方法がある。魔法の『契約』だ。結べば命は助かるが、その代償は大きい。声を捨て、俺のものとなり、そして――」


 魔法使いの彼は、もう一度だけ彼女の下半身を見て、


「『尾びれ』を失う。お前は人間となる。それでもいいなら助けてやる。さぁ、どうする――人魚の娘よ」


「…………」


 なんて答えたのかは覚えていない。ただ、彼の手がゆっくりと彼女の頭に近付いて、指が眉間に触れた。急速に意識が落ちる。


 彼は言わなかった。彼もまた、知らなかったのだ。その魔法の契約にたったひとつだけ、『声』を取り戻す方法があることを。


 そのきっかけを。



* * *



 あれから一年が経った。


 ベヘリア王国首都・ベヘリオには高名な魔法使いが営むマジックショップがある。寂れた裏通りにひっそりと佇むその屋敷は、何の植物かわからないツタが生い茂り、店内はいつも暗く、いつ見ても開店してるのか閉店してるのか定かでなく、とにもかくにも実に魔法使いの店らしい風情のあるボロ屋敷だった。


 一年前までは。


 人間嫌いで弟子を取らないことで有名だったその大魔法使い――ペレウスは、どんな心境の変化があったのか、ある日とつぜん、年端もいかない女の子を弟子にした。彼女がよそ者であったことが更に噂話のタネになり、見目麗しい少女であるらしいことが余計に話を大きくして、とどめにその子がボロ屋敷を外装も内装も綺麗にしたことで、とにかく一度見てみようと大勢の暇人がそのマジックショップに押しかけた。


 結局なんの植物だったかわからずじまいのツタは綺麗に取り除かれて屋敷は風格を取り戻し、夜逃げの後かと思われたほど荒れていた店内はファンシーに改装され、爵位を持ちながら人間嫌いで無愛想な魔法使いは奥に引っ込み、代わりに花のように微笑む弟子の少女が店番に立っていた。



 大繁盛した。



 元より品物は上等だったのだ。力を持った魔法使いは、優れた工芸士でもあり腕の良い薬師でもある。魔法使いペレウスの作るアミュレットやポーションは効果が高い上に毒性――副作用も少ないということで一部の客には好評だった。知る人ぞ知る名店が、弟子の影響で知名度が飛躍的に上がったのである。繁盛するのも当然だった。


 そしてその弟子は、今日も師との『契約』を果たすため、店番に立っている。





 からんからん。


『いらっしゃいませ♪』


 鐘の音とともに店の扉が開くと、とびっきりの笑顔をたたえた見習い魔法使いが出迎えてくれる。十六歳になったばかりだという彼女の微笑みはまさに満開の花みたいに咲き誇っていて、そして実際その周りには花が咲いていた。魔法の花だった。


 テティス・ラインラントは魔法使いの弟子である。大きな帽子に地味な色のローブを羽織り、首から提げた自作のアミュレットは、せめてものオシャレでカラフルにしている。


 とある契約によって『喋ることができない』彼女は、空中に文字と装飾と光の花を咲かせる魔法を使って『いらっしゃいませ♪』のメッセージアートを作るのが得意だ。お師匠さまから褒められたことはないけど。


「やっほーテティ。新作、見に来たよ」


 客の少女が手を挙げる。この街にある学園の制服を着ている。常連さんで、友達だ。テティスと同い年の女の子。


『マイラー!』『来てくれてありがとう!』


 と予め作ってあるメッセージアートを喜色満面の顔の横にぽんぽん出しては、両手を広げて全身で抱きつくテティス。


 マイラと呼ばれた少女は呆れながらも嬉しそうに微笑む。


「毎度毎度、この喜びようは小さい頃に飼っていた犬を思い出すわ」


”――犬? わたしが?”


 定型文になかったので、指の先で空中に文字を書く。魔法の文字はしばらく消えない。声をなくしたテティスは筆談も上手くなる。


「まぁ、テティは犬っぽいよね」


 笑いながら失礼なことを言う友人。だが、


”実はそれ、お師匠さまにも言われた”


「あはは、そうでしょう」


 ぽん、とメッセージを出すテティス。


『魔法使いの弟子は下僕も同然だが、お前は特に犬っぽい』


「何それ、わざわざ作ったの?」


”なんか腹立って”


 マイラが笑う。「それで、新作は?」


『こっち!』『新作です!』


 棚に配置してあった紅い石の着いたネックレスを、嬉しそうにマイラに見せるテティス。魔法使いの弟子である彼女の作品とは、簡単なおまじない効果を秘めた魔除けのお守り――アミュレットである。


 マイラはネックレスの赤い石を目の前に持ってきて鋭く観察する。魔法石が好きなこの友人は、テティスの作品がきっかけで交友を深めたのだ。


「綺麗ね。どんな効力があるの?」


『恋愛成就です!』


「効果なしか……」


”どうして!?”


「だって、あなた上手くいってないでしょ」


”そうだけど……”


 しゅん、となる。けれどすぐに立ち直り、


”でもいつか、お師匠さまの心を射止めてみせるわ!”


 天使がハートを射止めるマジックアートを出してみるテティス。マイラは不審顔。


「あの人間嫌いがそう上手くいくかしら」


”あら、お師匠さまは人間は好きよ。人付き合いは嫌いだけど”


「どこが違うのよ」


 そう聞かれると難しい。


”とにかく違うの。お師匠さまは皆が言うような冷酷で血も涙もない憂鬱根暗引き篭もり魔法使いなんかじゃないわ”


「誰もそこまで言ってないですからね?」


 途端に敬語になるマイラ。なぜかテティスの後ろを見ながら。


「――誰が『冷酷で血も涙もない憂鬱根暗引き篭もり魔法使い』だと?」


 ナイフのように冷たい声が背後からした。あまりにびっくりして頭から勝手に『いらっしゃいませ♪』とアートが飛び出す。


 恐る恐る振り返ると、そこにはもちろんこの店の主であり、テティスの魔法のお師匠さまである、ペレウス・ハインリヒ・ハイネ推定二十四歳独身が、愚かな弟子をゴミを見るような目で見下ろしていた。


 絶対零度の視線を受けて凍えそうなほど震えながらも、「ああ怒ってる顔も綺麗だな」などと思ってしまうテティスは、師のペレウスに届くように念波を送る。


――お、お師匠さま、今日も麗しゅう……。


「それを言うならご機嫌麗しく・・・・・・だ。この馬鹿弟子が」


 契約で声を失ったテティスは、師にだけは頭で念じることで声が届けられる。もちろん、肉声ではないけれど。


 いや、麗しくであってます、とは思っていても『飛ばさず』に、テティスはわたわたと手を振りながら弁明を試みる。


――ちちちち違うんですお師匠さま! 私は何もお師匠さまが『冷酷で血も涙もない憂鬱根暗引き篭もりでカビが生えてそうな・・・・・・・・・魔法使い』だなんて思ってません!


「カビまで生やしやがって」


――ちちちち違うんですお師匠さま!


「もういい黙れ。お前の声は頭に響く」


――……はい。


 うんざりとそう言われ、しゅんと俯くテティス。これならまだ怒鳴られた方が良かった。


――ごめんなさい、お師匠さま……。


 俯いたテティスには見えない。師の顔が、しまった、言い過ぎた、とでも言うように一瞬だけ引きつったのを。


「……俺のことはいい。お客人の相手をしっかりやれ。お前の魔法工芸は……悪くない」


――本当ですかっ!?


 ぐるん、と顔を上げるテティス。


――お師匠さまがいま、私の作品を世界最高だとお褒めになってくださった!?


「そ、そこまでは言ってないだろうが! いいからそちらのお相手をしろ!」


 と、ペレウスが後ろを示す。テティスが振り返ると、一部始終を見ていたマイラが、


「確かに、ペレウス様は人間嫌いではないみたいですね。こんなに仲が良いんですから」


 と妙にニヤニヤしながら言った。


『????』


 などとマジックアートを出しながら首を傾げるテティスは、そそくさと奥へ引っ込んだペレウスが顔を赤くしているのを、やっぱり見逃したのであった。




 そこへ、からんからん、と来店を告げる鐘がなる。




『いらっしゃいませ♪』と反射的に笑顔で振り返るテティス。だがその表情はそのまま固まった。


「あら。こんにちは、テティスちゃん。今日も可愛いわね」


 歳はペレウスと同じくらいだろうか。目も覚めるような青空色の帽子とマント、美しく長い金髪はふわふわと揺れて、テティスにはない胸元の存在感が、貧相な自分を圧倒する。


「お友達もお元気そうでなによりね」


 優雅に微笑む仕草が、実に彼女らしい。高貴な淑女らしさと、どこか妖艶な雰囲気を漂わせる彼女はまさしく――


「魔女・ヘーラー。ご無沙汰してます」


 固まるテティスの代わりに、隣にいたマイラが挨拶をした。


「ええ。――ねぇテティスちゃん。ペレウスは奥かしら?」


 テティスの師と、この魔女は昔からの知り合いである。いや、ただの知り合いなのかは定かで無い。もっと深い関係かも知れない。深い関係。そう、男と女の関係。もしそうだったらどうしよう。自分はペレウスの弟子であるがそれだけだ。契約で繋がっている下僕なだけで、この一人前どころか千人力みたいな魔女が相手だったらとても勝ち目は、


「テティスちゃーん?」


「……………………」


 相変わらず笑顔のまま固まるテティスの代わりに、マイラがため息混じりに返事をする。


「ペレウス様なら奥へ行かれましたよ」


「ありがとう。お邪魔するわね。ふふ」


 と、ヘーラーは嬉しそうに店の奥へ入っていく。硬直が解けたテティスは、


”どうして教えちゃったの!?”


「いや教えないわけにはいかないでしょ」


”そうだけどー!”


 うー、と唸りながら、テティスは魔女が侵入した奥へ目を向ける。師がいるはずの部屋に繋がる扉がちょうど閉まったところだった。


――お師匠さま……。


 小さく祈るような想いは、念波にもならない。どこにも届くことなく、テティスのなかでぐるぐる回り続ける。


「やれやれ……」


 隣りにいるマイラは、この恋する親友が作った「恋愛成就」のアミュレットをしげしげと眺めて思った。


 自分のを作ればいいのに。


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