「じゃあ、ゆっくり考えよっか」
花祭り最終日の朝。
教会の前では、子供たちが自分で作ったフラワーリースを鉢植えの木に飾り付けていた。
「なるほど。あの植木ってこの為のものだったんですね」
「ええ。シンくんのリースもぜひお好きなところへ」
「いえ俺のはちょっと」
景観を壊すので。
代わりに飾っておいで、と妹の背を軽く押せば、黒のはちらりと俺を見上げる。昨日お目付役を果たせなかったことを気にしているらしい。
「大丈夫大丈夫。ちゃんとここにいるから」
「…………」
黒のはちょっと不信そうな顔をしつつも、見事な出来映えのリースを胸に抱えて、子供達のほうへ歩いていった。
生まれたての妹からも信用されない兄ってまずいな。しかも前科があるだけに何も言えない。
「今日は広場のほうで、子供たちの歌の発表会があるんです。よければシンくんも見に来ませんか?」
「あ、はい是非」
「あと良ければなのですが、クロノちゃんもみんなと舞台に立つのはどうでしょう。歌を今から覚えるのは難しいでしょうが、小さい子達と一緒に花を巻くだけでも」
「おっ。いいですねぇ!」
妹の意思をよそに快諾しておくことにする。
たぶんこういうところが信用されない要因なんだと思うが、俺とともに人里に下りた時点で振り回されることは確定している、とは月のの談だ。どうかあきらめてほしかった。
*
広場の中央に作られた舞台の上に子供たちが並んでいる。
花の入ったかごを持つ前列の子供たちの中には、心なしか不本意そうな顔をした黒のの姿があった。
「皆様は、この花祭りの由来をご存じでしょうか?」
そんな子供たちの前に立った牧師は、集まった客をぐるりと見回して静かに問いかける。
「おはなのおまつりー」
「豊作を祈願するものだったか」
「え、ご先祖の冥福を祈る祭りじゃないの?」
思い思いの答えを口にする観客たちに、牧師はひとつ頷いてから言葉を続けた。
「今となっては、それらも間違いではありません。祭事というのは時代の中で意味を変えていくものです。けれど本来は、かつて我々の祖先があの神の山に住まうといわれる高貴なる存在――神竜のために花を捧げたことが、はじまりだと言われています」
牧師は語る。
遙か昔、神竜と人がともに暮らしていたこと。
しかし人はやがて、神竜の加護を求めて争い始めたこと。
人に怒った神竜は彼らの前から姿を消した、ということ。
「だから私たちは神竜が好んだという、たくさん花々で村を彩るのです。己が心の傲慢さを戒めるため、かつての罪を赦して頂くため、いつの日か神竜にふたたび人を愛してもらえるようにと、願いを込めて」
「あたしも神竜さんにお花あげるー!」
観客の子供があげた声に、牧師はひとつ嬉しげな笑みを返してから、また広場を見回して腕を広げた。
「これからお聴きいただくのは、その神竜の時代に創られたと、この村に伝わる歌です」
「いっしょーけんめー歌います! きいてください!」
牧師からの目配せを受けた代表の子が元気よく声を張る。
そして、歌が始まった。
「あたしももう行くね」
懐かしいその旋律に目を細める俺の横に音もなく並んだ緑のが、お互いにしか届かない声でそう告げる。
「ディーによろしくな」
「うん。あっ、あと形見の品ってことでコレ持ってっていい?」
「それ俺の卒業証書……いや、うん、いいけど……あんまり設定盛りすぎないようにな……」
「えへへー」
あっけらかんと笑う妹に、これはまた盛るな、と苦笑を零していると、緑のはふと静かな笑みを浮かべて俺を見た。
「あたしはさ、兄ちゃんに会えればそりゃ嬉しいけど、でも、無理はしないでほしいんだ」
だから、と一息置いて空を仰ぐ。
「兄ちゃんが、一番つらくないようにしてね」
すっと隣から気配が消えて、かすかな風が宙を巻いた。
子供たちがまいた花びらがその風に乗って舞い上がる。
青い青い空にきらりと光る緑の翼を見送って、俺は深く、ゆっくりと息を吐き出した。
*
大成功で終わった歌の発表会のあと、俺と黒のは教会でのお疲れさま会にもそのまま参加することになった。子供たちの親が料理を持ち寄ってみんなで夕飯を食べるのだという。
この数日間で黒のはすっかり子供たちと打ち解けた……というか、子供たちが黒のに懐いた様子で、もはや俺が何も言わずとも輪の中に引きずり込まれていた。
子供たちの勢いに困惑する妹を微笑ましく見守っていたが、俺は俺で最終的にはお母様方に囲まれてしまった。大変だ逃げられない。いや、楽しいからいいんだけど。
そうして賑やかな食事会も過ぎ、花祭りもだんだん終わりに近づいていく。
黒のが教会で片づけの手伝いをしている間、俺は牧師と一緒に、親が用事で来られなかった子たちを家まで送っていくことになった。
「シンくん、手伝ってもらってありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ夕飯ごちそうになっちゃって」
遊び疲れて寝てしまった子供を背に、二人で取り留めのない雑談を交わしていく。
そうしながら、お祭りの熱気が徐々に薄くなっていく村の気配を、子供の体温を背中に感じるうちに、魔が差したのだろうか。
「牧師さんは、怖くありませんか?」
そんな問いが口をついた。
「何がですか?」
しまったなぁと思いつつも、ここまで言って引っ込めるのも逆に難しくて、そのまま言葉を押し出した。
「……大切なもの。大切な誰かの、終わりを見届けることが」
牧師は一呼吸を置いてから、そうですね、と落ち着いた声で相づちを打った。
「確かにそれは恐ろしいことです。けれどいつかは私もそうして誰かを残し、誰かに見送られるのでしょう。その日までは、どれほど恐ろしくとも、今を懸命に生きるしかありません」
「……見送られないとしたら?」
ずっと、ずっと、自分だけが見送る側だった、なら。
突拍子もない、人間にとってはあり得ない仮定の話を投げかけられた牧師は、けれど驚きも呆れもせず、良いとも悪いとも言わず。
「それはとても、さみしいですねぇ」
静かに笑って、ただ、それだけを口にした。
そのあと特に空気が変になることもなく至って自然体な牧師と、何とも言えない気分を抱えつつも年を食ってるぶん切り替えだけは上手くなった俺は、無事に子供たちを送り届けることが出来た。
そしてすっかり日の落ちた村の中を戻る途中、教会はもう目前というところで、それは起こった。
一陣の風が、地を舐めるように吹き抜ける。
ちょっとした衝撃波にも近かったそれに、すごい突風でしたね、と牧師が驚いたように零すのを聞き終えるよりも早く、俺は駆け出していた。
風を使って加速して、それこそ飛ぶような速度でたどり着いた教会の前には、倒れたフラワーリースのツリーと、腰を抜かした知らない男と、……その前で仁王立ちする黒のの姿。
かろうじて竜体にこそなっていないが、溢れる威圧感とその周りをぶわりぶわりと不自然に巻く風が、それ一歩手前であることを教えてくれる。
「黒の!」
呼びかけると風が一瞬ぴたりと止まったけれど、またすぐにグルグルと渦を巻き始めた。鋭い眼差しがぎらりとこちらに向く。
「あにさま……この人間、木をたおした。ぶつかって、たおした。木が、リースが……この人間、こいつのせいで……」
ざわざわと圧力を増していく気配に、座り込んだ男の顔から血の気が引けていく。生身の人間にむき出しの竜の力は強すぎるのだろう。
俺が横から無理やり力を押さえ込むのは、簡単だけど。
妹と視線を合わせるように、その場に膝をつく。
「黒のは、どうしてこの人間が許せないんだ?」
「……わからない。でも、あの木がぐしゃぐしゃになってるの見たら、すごく、すごく……」
「腹が立った? それはどうして?」
「わからない、わからない。ただ、リースをつくったときのこととか、あの子たちの顔、わらった顔とか、いろいろ、頭のなかに、たくさん出てきて」
気が付いたらこうなっていた、と語る小さな妹の肩にそっと手をおいた。
「黒の。竜の力はとても大きい」
それこそ、この男どころか村ひとつ消すのだって簡単だ。
この世界という大きな器さえ無事ならば神もそれを咎めはしない。やろうと思えば、俺達はすべてを手の中におさめることも出来るだろう。
「黒のが竜として生きていくなら、それでも大丈夫かもしれない。だけどもし、もしも黒のが人間と仲良くなりたいっていうなら、ちゃんと自分の力を抑えられるようにならなきゃいけない。……黒のは、どうしたい?」
周囲を巻いていた風が少しずつ弱まっていく。
けれどその力はまだ、妹の中でざわざわと揺れていた。
「…………わかり、ません」
俯きがちに零された言葉を受けて、俺はにかりと笑ってみせる。
「じゃあ、ゆっくり考えよっか」
なにせ俺達には、それが出来るだけの時間があるのだから。
よいしょと勢いをつけて立ち上がり、もうすっかり気絶している男の額に手を当てた。
「お酒もほどほどに」
怖がらせたおわびとして、確実に二日酔いコースな量が蓄積されていた体内のアルコールをちょっと取り除いておく。そのせいで足下がおぼつかなくて植木にぶつかったらしい。
それから黙り込んだままの黒のの手を取って、俺はゆっくりと後ろを振り返った。居るのはまぁ、気配で分かっていたのだけど。
「牧師さん。それと奥さんも」
夜道に呆然と立ち尽くす牧師と、おそらく黒のが風で押さえていたらしい扉をあけて、こちらに顔を覗かせる奥さんを順繰りに見やる。
「色々とありがとうございました。最後に騒がせてしまってすみません」
これは奥さんへ。
それと、と牧師のほうに向き直る。
「怒ってなんかいませんよ。だから許すも許さないもないんです。神竜はいつだってこの世界の人たちが大好きで、臆病だった。それだけなんだから」
「シンくん……いえ、……貴方は、まさか……」
「花祭り楽しかったです。じゃ、行こうか黒の」
その小さな手のひらを引いて歩き出そうとしたとき、「待って!」と教会から飛び出してきた奥さんが、黒のに駆け寄る。
「リースも、ツリーも、また作れるわ。みんなで一緒に作りましょう。だから、だから……」
彼女自身もまだうまく言葉がまとまらない様子で口ごもってしまう。そんな妻の肩を抱いて、言葉を継いだのは牧師だった。
「花祭りが終わっても、週に一度はみんなここで歌の練習をしているんです。だから、また来てくださいね……シンくん、クロノちゃん」
黙ったままの黒のの手のひらに、ぎゅっと力が入ったのが分かる。
俺もまた何も言わずに小さく笑って、今度こそ、二人で空にとけるように姿を消した。
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