「……あにさま。これ、なに」


 大切な儀式を無事に終えた俺は今、再び花祭りに来ていた。

 なんだかデジャブ感溢れる開幕だが今回は弟妹全員で来たわけではない。


「神竜さま」


「んん? そうじゃないだろ?」


「……あにさま。これ、なに」


「花祭り焼き!」


 香りの良い花木でスモークされた肉串を片手に、俺の隣で首を傾げている、七歳くらいの女の子。

 腰ほどまである長い黒髪をさらりと風に揺らすその子供こそが“生まれた”ばかりの妹、黒竜こと黒の、である。


 同じ串焼きをかじりながら空を仰げば、だいぶ薄くなったオーロラが見える。

 ほとんどの力は黒のを構築するために使ったけれど、それでもなお余った分は今度こそ月のが“送り返す”ことになった。

 他の弟妹たちと一緒に今頑張ってくれているので、あと数日もすればあのオーロラは完全に消えるだろう。


 相棒が儀式中にも関わらずなぜ俺がのんびり観光に来ているかというと、当の月のに「気が散るからどこかに行け」と追い出されたからだ。何も出来ないなりに片隅で応援でもしてようかと考えた瞬間のことだった。色々と見透かされている。


 そしてそんな俺のお目付役として送り出されたのが、黒のだ。


 人間生活に慣れていないうちは多少変な言動をしてもごまかしやすいように子供の姿をとる、というのがウチの定番ルールなのだが、見た目だけとはいえ七歳の女の子に付き添われる十八歳の男ってシュールとしか言いようがない。いや、中身で考えたらもっとアレな年齢差になるんだけど。


「黒たちは、たべても意味ない。なんでたべる?」


「そうだなぁ。確かに栄養にはならないけど、味は分かるし、誰かと一緒に食べると楽しいだろ?」


 俺の答えを聞いて串焼きをまじまじと眺めつつ『楽しい:とは』みたいな顔をしている黒のに、妙な懐かしさを感じてくすりと笑った。


 新しい眷属竜が来たら人里まで遊びに連れ出すのが、俺なりの洗礼というか歓迎なのだが、最初はみんなこんなふうに不思議そうにしていたものだ。緑のとかは結構サクッと順応してたけど。


 孫と夏祭りに来た祖父のごとくアレ食えコレ食えと俺が買い与える食べ物を、ただひたすら機械的に口に運ぶ黒のと共に、向かったのはあの教会である。


 開け放たれた扉から中へ入ると、ちょうど歌い始めるところだったらしい。

 入り口の側にある椅子に黒のと並んで座ると、気づいた牧師が柔らかく目を細めて微笑む。

 それに笑みを返し、隣で無感動に子供たちを眺めている黒のの頭を軽く撫でてから、俺はゆっくりと瞼を閉じた。



「こんにちは、また来てくれたんですね」


「前回はろくに挨拶もしないで帰っちゃってすみませんでした」


「仕方ありませんよ。あの時はあちこち大騒ぎでしたから」


 突如現れて村をパニックに陥れたオーロラは、最終的に吉兆扱いに落ち着いたらしい。

 花祭りの奇跡であるとして、村人も観光客も今はもう楽しげに空を見上げている。人の順応力すごい。


 世間話をしている間に、昨日と同じく牧師の奥さんがたくさんのお菓子が入ったバスケットを抱えてやってくる。子供たちが大はしゃぎでお菓子を受けとる姿を見ながら、俺はそっと黒のの背を押した。


「黒のも貰っておいで」


「なんで?」


「いいからいいから」


 俺が大ざっぱに促すと、黒のはまだ乏しい表情の中にめいっぱい不可解そうな色を浮かべつつも、てくてくと子供たちの輪のほうに歩いていった。


「妹さんですか?」


 牧師が、その背中を微笑ましげに見送りながら俺に尋ねる。


「はい。黒のは今回初めて連れてきたんで、色々体験させてやりたくて」


「クロノちゃんと仰るんですか。女の子にはめずらしいですが、素敵なお名前ですね」


「ぁやべ」


「え?」


 素で忘れてた。普通に呼んでた。


「……俺達の地元だと女の子に男の子みたいな名前をつけると丈夫育つって言われてるんです」


「ほう、そんな風習が」


 アドリブ苦手な俺がとっさにひねり出した言い訳に納得してくれた牧師が、ふいに良いことを思いついた、というような様子で手を打ち合わせる。


「実は明日、みんなで花祭りのリースを作るんです。よければクロノちゃんと……ええと」


「シンです」


「シン君ですね。きみも参加しませんか? もちろん予定が合えばですが」


 材料の準備とかあるだろうに今日の明日で参加人数が増えて大丈夫なのかと思ったが、牧師はそれを見透かしたように「多めに準備してあるので大丈夫です」と言った。ちなみに俺の予定は基本的にオールフリーなので問題ない。


 よしじゃあ明日も来よう、と黒のの予定まで勝手に決めながら、手のひらサイズのリーフパイ……ならぬ花びらの形をしたパイを貰って戻ってきた妹に、俺はひらひらと手を振った。



 祭りの最中とあってはさすがにどこの宿もいっぱいだったので、今日は外で野宿である。

 切り立った崖の上に座って、眼下に広がる花畑を眺めながら黒のと貰ったお菓子を頬張っていると、ふわりと空気が渦を巻いて、ひとつの気配が音もなく背後に降り立った。


「ご挨拶に参りました、兄上」


 肩越しに振り返れば、そこには恭しく礼をしている白のの姿。

 そちらに向き直るように座り直し、そっちはもういいのかと尋ねると、彼はひとつ頷いた。


「おおかた目処がついたので、もはや全員で掛かることはないと姉上が。なので自分は一足先に戻らせて頂きます」


 さぞ仕事もたまっている頃合いでしょう、と真顔ながらも嬉しそうに告げた執務狂の弟は、ふとお菓子を食べる黒のに視線を移して、黒、とその名を呼んだ。


「……美味いか」


「わかりません」


「そうか」


 淡々としたその答えに、白のはどこか懐かしそうに目を細めた後、今度はその視線をまっすぐ俺へと向ける。


「兄上」


「ハイ」


 思わず敬語で返事をした俺に、ご自覚があるようなのであまり深くは申しませんが、と弟はひとつ息を吐いて言葉を続けた。


「自分からお伝えしたいことは、概ね陛下への説教にかこつけて申し上げましたので」


「王様をかこつけるなよ……」


「問題ありません」


 無いかなぁ。何とも言えない表情を浮かべる俺をよそに、くるりと身を翻した白のの姿が、真っ白な竜に変わる。


「貴方が貴方の事情を通すならば、此方も此方の勝手な願いを押しつけるまで。……どうぞ、今後ともお覚悟くだされば」


 言うだけ言って俺の返事を聞くこともなく、それでは、と翼を広げた白竜が空へと飛び立つ。

 数多の星が散る夜空を悠然と進むその白を眺めながら、はぁ、と小さく息をついた俺を、黒のが不思議そうに見上げた。


「あにさま?」


「……いや、うん、何でもないよ」


 小さな頭をぽんぽんと撫でながら、脳裏に浮かぶのは王城での記憶。

 あの弟がまっすぐに告げた言葉。


 『そのような“いつか”への恐怖で、“今”貴方の隣を生きる自分を無視されるのは、甚だ不愉快だ』


 思い出してまたひとつ息を吐いた俺の髪を、静かな風がさらりと揺らして、消えた。

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