「……緊急事態だ! 帰るぞみんなー!!」


「おー。けっこう賑わってるなぁ」


「あたし花祭りひさびさ!」


 大切な儀式を数時間後の夕刻に控えた俺は今――弟妹と祭りに来ていた。


 だって準備はみんながしっかり終わらせてくれたし、本番まで特にやることないし。

 月のには「瞑想でもしてろ」と言われたが、暖機運転しなきゃ使えない受信機なんてものが無いように、俺達はいつ如何なる状態でも役目をこなせるように出来ているのだから事前にいくら気を高めようと、はたまた駄々下がりさせようと、儀式には影響ない。


 ならばふもとの村でちょうど開催中の花祭りに来て遊ぶほうがよほど有意義であると、俺こと太陽の竜は考えた。相方の絶対零度の視線にも負けずに考えた。


「しかしよく続いてるもんだな、この祭りも」


「祭り本来の意図はすでに忘れ去られているようだがな」


「ほとんどの祭事ってそんなものだと思いますよ、白の兄さま」


 外見的に大人組である、赤の、白の、青のが後ろで話す声を聞きながら、見た目は十代後半である俺と緑のは「どこから見る?何食べる?」と早々にはしゃぎ始めていた。自分が途方もないほどの最年長である事は忘れよう。祭りを楽しむ心に体の稼働年数は関係ないのだ。

 ちなみに月のは当然のごとく来なかった。


 俺達の自宅がある山脈のふもとにあるこの村では、年に一度の一週間、村中を花で埋め尽くす「花祭り」が開催される。


 道も店も、果ては一般家庭の軒先から道行くお嬢さんの髪にまで、種類を問わず様々な花に飾られた光景は優美かつ圧巻であり、祭りの開催期間は訪れた見物人によってちょっとした街以上の賑わいを見せる観光地である。


「私が生まれたときにはもうこのお祭りありましたけど、いつごろからやってるんでしょう」


「俺のときも、もうやってたぞ」


 現状では最年少である青のが首を傾げると、赤のはそう言って視線を緑のに向けた。


「あたしもそうだよ。いつからやってるかは知らないなぁ。白は?」


「把握していない」


 白のが真顔のまま否定を返したところで、赤のがさすがに驚いた様子で目を丸くする。


「あいつが知らないってことは億単位じゃねぇか。すげぇな」


 こちらの世界では、人が人らしく暮らすようになってからすでに数十億年が経過している。

 向こうの高校で授業を受けたときは、人類の歴史の短さに教科書の落丁を疑ったほどだ。どんな種族がどれくらい生き延びるかについては個人差ならぬ世界差がかなりあるので仕方ないのだが。


「太陽の兄さま、始まりはどれくらい前だったんですか?」


 最初に問いかけた青のも、まさかそこまで遡った話になるとは思っていなかったのか、半ば感心したように息をつきながら俺を見た。


「んー? そうだなぁ、確か二億七千万年前……あれ? 三億五千……、四、億……?」


「うろ覚えなのかよ」


「兄ちゃんが覚えてないんじゃもう誰も分かんないね!」


「ちょ、待って! 今思い出すから待って!!」


 ボケてしまったお年寄りみたいな気分だった。

 いや、出来事そのものはちゃんと覚えているのだが、そこに年数を当てはめられないというか……ほら、暦の数え方も時代ごとで違ったから、計算し直すのもややこしくて……。


 自分に言い訳しながら日付情報のない写真データが膨大に詰まったアルバムみたいな記憶を探って唸る俺に、妹たちは顔を見合わせて笑い、赤のが苦笑し、白のはやれやれというように少しだけ肩をすくめたのだった。



 そんな和気藹々とした出発から十数分後。


「いやー、みんな楽しそうだなー」


 村のあちこちから感じるテンションの上がりきった弟妹達の気配に、俺は露店で買った花の形の棒飴を食べながら遠い目でフッと笑った。


 東に帳簿の計算が合わぬと慌てる開催本部があれば行って整理をしてやり、

 西に稀覯本を扱う書店あれば行って隅々まで堪能し、

 南に花飾りの手作り体験会あれば行ってご婦人方との会話も楽しみ、

 北に喧嘩や引ったくりあれば紅蓮の特攻隊長が颯爽と駆けつけ……。


 生き生きと己の趣味に走った弟妹たちに置いて行かれた兄は、ぼっちで花祭りを堪能することとなったのだった。


 いや、おまえ達が楽しいのが一番だよ。お兄ちゃん別に寂しくないよ。

 これも三百年の長きに渡り音信不通だった俺への当てつけなのだろうかと疑心暗鬼になりかけたが、多分あの子らにそんなつもりは欠片ない。ただ好きなことに一直線なだけだ。


 まぁ一人で観光はいつものことだし俺は俺で楽しむか、と気を取り直し、咲き誇る花々を眺めながら村を歩く。


 飴を食べ終わって手元に残った棒を、少し横着して神竜の力で分解する。

 こういう威厳もへったくれもない力の使い方をすると月のに怒られるわけだが、しかし俺は知っている。ごろ寝中、たまに取りに行くのを面倒くさがってお茶とかお菓子を力で呼び寄せているときがある月のを。


「さて、次は何食べようかな」


 棒がさらりと崩れて消えるのを見届け、そう呟いて露店を見回していたとき、ふと耳に届いた歌声。


 音をたどって歩を進めていくと、やがて小さな教会に行き着いた。

 扉は開け放たれていて、近づけばすぐに中の様子が見える。


 説教台の前に立った牧師の男性を囲むように座った子供たちが、思い思いの歌い方で同じメロディを奏でていた。


 聖歌隊だミサだというような感じではなく、保父さんと園児による歌の時間みたいな雰囲気だ。

 あとは女性がひとり、離れたところで微笑ましげにその光景を見守っている。牧師の奥さんだろう。


 俺が静かに中へ入って一番後ろにある席に腰を下ろすと、入り口のほうを向いている牧師はすぐに気づいて、小さく笑みを浮かべ目礼する。

 それに会釈を返してから、ゆっくりと目を閉じて歌に聴き入った。


 有り余った元気で力の限り声を張る子供たちの、やや音のはずれた歌声が、深い記憶の底にある笑顔を呼び起こす。


 かつて神竜として人と関わり合っていたころに出会った子供たちが、自分たちで考えて、歌って、俺に送ってくれたのと同じもの。

 長い時間の中で歌詞は違うものになったようだったが、曲はあのころと何ひとつ変わっていない。


 そうして記憶の狭間にまどろんでいた意識は、やがて歌が終わって牧師が口にした「よくできました」の声で、ぱちんと水泡が弾けるように現実に戻ってきた。


 目を開くと、奥さんらしき女性が大きなバスケットを片手に「花祭りだから特別よ」と子供たちに何かを配っているところだった。

 みんな嬉しそうにそれを受け取り、「せんせい、またね」と駆けていく。


 歌の時間は終わりらしい。

 じゃあ俺も弟妹たちの楽しそうな様子でも見に行くかと、立ち上がりかけた目の前に、すっと何かが差し出される。


 それは手のひらサイズの小さなタルトだった。


「君もおひとつどうですか?」


 そう言って、木の実で作られた花が乗ったタルトを俺に差し出している手の持ち主は、先ほどまで子供たちに囲まれていた牧師だ。


「こっちは村名産の花茶よ」


 その隣から奥さんがティーカップを手渡してくる。

 反射的にタルトとお茶を受け取ってしまった俺は、もしかするとまだ少し過去の余韻に寝ぼけていたのかもしれない。

 呆気にとられて目を瞬かせていると、牧師夫妻は穏やかな笑みを浮かべた。


「驚かせてすみません。君が子供たちの歌をとても……そうですね、熱心に聞いてくれていたので」


「そうね。聴いてくれたお礼と思って、遠慮せずにどうぞ」


 普通は聴いた方が対価を払うのでは、と思いつつ「いい歌でした」と心からの賛辞を告げて、もらったお茶に口を付ける。ふわりと花の香りがした。


「あなた、この村の子だったかしら」


「いえ。違いますけど」


「そうよね。見かけたことがないから、そうだとは思ったんだけど」


 花祭りの観光客が教会に足を運ぶことはまず無いそうで、地元民かと思われたらしい。まぁ山頂付近が自宅だからこのへんは地元と言えなくもないが、とりあえず“村の子”ではないので否定しておく。


 兄弟たちと一緒に花祭りを見に来たことを伝えると、夫妻は見所スポットや美味しい特産品の店などを丁寧に教えてくれた。


 花祭りそのものは何度も、それこそ鱗の数で足りないくらいに訪れたことがあるけれど、俺の脳内にある観光ガイドは三百年以上前から更新されていないので最新情報をもらえるのはありがたい。


 そうして話をしながら、俺がもらった花茶とタルトを完食したころ。

 ざわざわと広がるどよめきと歓声のようなものが外から聞こえてきた。


「おや。なんでしょう」


 牧師が扉の外まで様子を見に行ったかと思えば、なにやら空を見上げて驚いたような顔をした。

 気になったので俺と奥さんも外に出てみると、牧師だけでなく、通行人たちもみんな一様に同じ顔で空を仰いでいる。何事かと首を傾げつつ、彼らに習うように上を見た。


 ――そこには、カーテンのようにたなびく虹色の光。


「まぁ……なんて綺麗な、光の帯……」


 奥さんがうっとりと囁く声を隣に聞きながら、その幻想的な光景を前に、俺は他の人々とは全く違う方向性で絶句していた。


「うっそ、なんでぇ……?」


 それは異世界で“オーロラ”と呼ばれていた現象。


 その正体は、極端に増えて偏った神様の力が世界におこす“ひずみ”。

 通常の生物にさえ知覚できるほど、ねじれて可視化された、空間の狭間だった。


 出現頻度は世界によって様々で、中には人間たちが一般的な自然現象と認識するほど多発しているところもある。

 向こうでの高校生活中、テレビでオーロラ中継を見ては「うちのとこ調整ムズすぎマジわろす」と真顔で言い残してアラスカに旅立っていた銀の九尾さんを思い出す。


 どこにいても調整は出来るけど、やはり現場に近いほうが色々と楽だから、銀の彼はいつもあちこち飛び回ってほとんど家にいなかったっけ。増えすぎた力を“送り返す”のは銀を持つ彼らの役目だ。

 うん、俺や金の九尾さんはバラエティ番組見ながら留守番してました。金の俺達には出来ること何もないし。


 さて今述べたように“ひずみ”の出現頻度に関しては世界ごとに差がある。

 この世界においてアレが出たのは、長い長い時間の中でも片足の爪で足りるほどしかないことだった。


 それだって大きな力を持つ眷属竜の“もと”が送られてくるとき一時的に起きた程度で、こんな、まだ何も送られて来ないうちから現れることなどまず無く。

 総量がかなり大きいこの世界でこんなふうにひずみが表面化するほど力が余るってことは、もう並大抵の量じゃないってことで。


 えーと。つまり。


「……緊急事態だ! 帰るぞみんなー!!」


 オーロラショーに感動する村人たちの傍ら、風を使った宛先指定で叫ぶ。

 なんか久しぶりに月のに怒られない力の使い方をしたような気がした。

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