“病弱な息子”の任務開始だ。
翌日。
白のと一緒に再び王城を訪れた俺は、昨日と同じく来客用のソファに座ってお茶を飲みつつ、シルト宰相の仕事ぶりを見学していた。
ちなみに俺の存在はすっかり周知されているらしく、執務室を訪れる騎士っぽい人から大臣っぽい人まで、「ご子息様」とやたら丁重に挨拶してくれるのが何とも居たたまれない。
しかしよくやるものだと、鬼のようなスピードで書類を捌いていく弟をぼんやり眺めていたら、ふいに「兄上」と呼びかけられた。
「人の子が通う学び舎では、親などに学業の様子を公開する日があると言いますが」
「ん? うん」
授業参観のことだろうが、いったい突然どうしたのか。
不思議に思って首を傾げると、白のは何やら顔を顰めて呟いた。
「その際、人の子はこのような気分なのでしょうか」
どうやら俺に見られながら宰相さんの仕事をするのが若干 照れくさかったらしい。俺も向こうでの高校生活を月のに見られたらそんな気持ちになる気がする。
「俺どっか行ってようか?」
「いえ。問題ありません」
照れているのも確かなのだろうが、言葉通り問題なさそうに執務を続ける白のに苦笑して、俺は空になったカップを置いた。
それは執務室に近づいてくるひとつの気配に、己の役目の始まりを悟ったからだった。
扉が開く。
「よおシン! 今日も来てるっていうから会いに来たぜ!」
「こんにちは、ウルリカ王女」
“病弱な息子”の任務開始だ。
「王女殿下、剣術の稽古はどうされました」
「それがよぉ、団長が急に腹が痛くなったとかで今日はナシになったんだ」
だから予定が空いたので遊びに来たと豪快に笑うウルリカ。
そうなるよう仕向けたのは今「どうされました」なんて素知らぬ顔で聞いてのけた宰相閣下ですよとは言えずに俺は笑ってごまかす。あと剣の稽古までしているウルリカの止まらない王子様っぷりが怖い。
ちなみに彼女が男言葉になった理由は昨日聞いたとおりだが、性格は元からこんな感じの王子様気質だったそうで、道を歩けば立ちどころに黄色い悲鳴があがる女子人気と、「俺もいつかあんなふうに……!」みたいな熱い男子人気を兼ね備えているらしい。いったい彼女はどこを目指しているのか。
「では、息子をまた城内の散策にでも連れ出して頂けますか」
「……いいけどよ。お前は?」
「私はまだ執務が残っていますので」
「あーあーそういう奴だよお前は! 息子ほったらかしやがってこの書類中毒の執務人間が! シン、行くぞ!!」
「あっハイ」
やはり自分の境遇を重ねているところがあるのか、ウルリカは当の“息子”以上に怒りながら荒い足音を立てて執務室を出ていく。
その後を追いかける俺の髪を揺らした一陣の風に、「まかせとけ」と笑って手を振った。
*
今日ウルリカが連れてきてくれたのは、城内にある図書室だった。おそらくあまり風や陽に当たらずに済むところを選んでくれたのだろう。
「どれも好きに読んでいいからな。あ、高いところのが欲しいときは言えよ、俺が取るから」
自分だってふわふわのドレスを着ているにも関わらず男らしい気遣いをくれる彼女に礼を告げてから、室内を見て回る。
ここは“王家の”というより彼らのもう少し個人的な書斎のようで、棚には農業関連の専門書から大スペクタクル恋愛巨編まで、わりと雑多に本が並んでいた。
「俺の本はこのへんだな」とウルリカが教えてくれた棚には『獣の狩り方、捌き方』などサバイバル系の書籍が多かったことだけお伝えしておく。もはや何も言うまい。
途中でやや大きめの図鑑を手に取ったとき、やたらと重く感じることに一瞬首を傾げかけて、すぐにその理由を思い出した。
そういえば病弱のさじ加減がまるで分からなかったから、今日は朝から人間体の基礎能力をかぎりなく下げてみたのだった。忘れてた。
普段から人として過ごすときは力を押さえているが、ここまで落とすことは中々ないので感覚が掴みにくい。
気をつけないとなぁと考えながら図鑑を戻し、また本棚に視線を滑らせていると、見覚えのある背表紙を見つけた。
「おっ。『たいようの竜と つきの竜』だな」
手に取ると、横から覗き込んできたウルリカが本のタイトルを読み上げる。
俺がエゴサのために買って、エナにあげた例の童話本だった。
「これ、手に入れるのに結構苦労してた子がいるんですけど、貴重な本なんですか?」
「いやどうだろうな。俺が子供のころからあるし別に珍しいもんじゃないと思うが……まぁ神竜伝説の本は色々あるからな」
ジャンルの絶対数が少なければ品ぞろえもある程度固定されるが、神竜関連は地味に幅広く出版されているだけに本屋ごとで品ぞろえがまちまちになりやすいらしい。
エナの様子を見るかぎりあの街では神話学はマイナーなようだったし、絵本とも学術書とも言えないこの本はきっとほとんど入荷されなかったのだろう。なるほど、あの勢いになるわけだ。
「シンは神竜の話が好きなのか?」
「えーーーとぉ」
なんとも答えづらい。もちろん嫌いではないが、自分で好きですというのもまたどうなのか。
悩んだ末に「大変興味深いと思います」と当たり障りのない返答をしておいた。
「そうか、俺は結構好きだぞ。この本も昔よく読んでもらったっけな。本当は自分で読みたかったんだけどよ、これ絵本よりは難しいし長いだろ?」
異世界的に言うならば、小学校高学年くらいを対象にした児童書みたいな本だ。ウルリカの言う「昔」がそれなりに小さいころを指すなら、自分で読破するのはさすがに無理があっただろう。
「まぁ読んでもらっても内容を完全に理解出来てたわけではなかったけどよ、それでも楽しかったな。それで母さまは読むの上手かったけど、父さまなんて途中から勝手に節つけて歌い出したりして、もうめちゃくちゃで……」
楽しげに思い出を語っていたウルリカが、はっとしたように口をつぐむ。
そして気まずそうな、気恥ずかしそうな、なんとも複雑な表情で俺を見ると、やがてガシガシと男らしく頭をかきながら深々と溜息を吐いた。
「シン」
「はい」
「昨日はあんなふうに言ったけど、俺だって親父に嫌われてないことくらい分かってんだ。……ちゃんと愛してくれてるの、知ってんだ」
俯きがちにそう告げるウルリカの横顔は、まるで道に迷った小さな女の子のように見えた。
「でもそれじゃあ何で避けられてるのかって、そこんとこはちっとも見当つかなくてよ。……いっそのこと嫌われてるほうが、ずっとずっと楽だったんじゃないか……そんなこと思っちまうくらいに」
その言葉が叶ったとしてもちっとも楽になんてなれなさそうな顔で、ウルリカが力なく笑った。
愛されている。避けられている。
ウルリカからしてみれば矛盾としか言いようのない状況が、余計に彼女を追いつめたのだろう。
「……ウルリ、」
彼女のほうに向き直ろうと、とっさにいつもと同じ感覚で動かした体が、持っていた本の重みに負けてぐらりと揺らぐ。
「あ」
しまった、下げておいた身体能力を考慮して動くのをさっそく忘れていた。
反射的に力を上昇させて立て直しを図るが時すでに遅く、その場に膝をついてしまう。
「シン!!」
かろうじて本を落とさずに済んでホッと息をついた俺の前に、ウルリカが青ざめた様子でしゃがみ込む。
「大丈夫か!?」
「はい、本はどうにか」
「そんなのいいから! 気分は!? どこか苦しいか!?」
「え? いや別に、」
よろけただけだし、と言いかけて、俺は思いだした。己の設定と使命を。
「え~………………ちょっと、めまいが……?」
「待ってろ! すぐ医務室に連れてってやる!」
その言い回しを不思議に思ったのも束の間、体がふわりと浮き上がった。えっ。
「シン」
お姫様だっこで俺の体を抱き上げたウルリカが、隠しきれない焦りを滲ませながらも、こちらを安心させるように笑う。
「大丈夫だ。絶対、大丈夫だからな」
神竜の威厳と男性体のプライドがまるで大丈夫じゃなかったが、お姫様にお姫様だっこされた俺は、もはや遠い目で「ハイ」と頷くことしか出来なかった。
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