「そして頃合いを見て倒れて下さい」


「……宰相って、もっと豪華なお屋敷とかに住んでるんじゃないの?」


「比較した事がございませんので分かりかねます。お望みならば今から各国の宰相宅の、平均規模をお調べ致しますが」


「いや大丈夫です」


 思わず弟相手に敬語になりつつ、俺は目の前に建つ古びた家を見上げた。


 ウルリカに執務室までしっかりとエスコートされた後、白のの仕事に一区切りつくのを待って一緒に城を出たのだが、その際にまた「宰相・帰宅」のニュースで城が大騒ぎになっていた。もうほとんど執務室の化身みたいな扱いである。


 そしてたどり着いたのが、王都の外れにぽつんと建つこの家――シルト宰相の自宅だった。


 築五十年くらい経っていそうな赤煉瓦の小さな家だ。レトロと呼ぶには草臥れすぎた外観は、とてもじゃないが宰相が住んでいるようには見えない。

 聞けば王都で暮らし始めたばかりのころ、値切りに値切って格安で購入したものだとか。しつこく言うが俺たちは別にケチではない、倹約家だ。


「これじゃ城の人も必死に護衛つけようとするよなぁ。よかったのか、断っちゃって」


 帰りがけに「せめて六人、いや四人!」とすがりついてきた護衛騎士っぽい人に「必要ない」とにべもなく言い捨てて、さっさと帰ってきた弟を見上げる。


「我々の護衛ほど無駄な仕事はないでしょう。労力と時間と給金の無駄です」


「いや、……うん」


 確かに並大抵のことでは傷一つつかない竜に護衛なんて、コンビニおにぎりにストローつけられるレベルでいらないものではあるが。


「でも少しくらい居たほうが安心だと思うけどなぁ」


 お前じゃなくてな。城の人がな。

 一応今は人間として暮らしているのだし、彼らの言い分も受け入れてやったらいいのではないだろうか。


「大丈夫です、問題ありません」


「んん?」


「以前同様のことを持ちかけられた際に、兵士十数名、騎士数名、騎士団長三名と模擬戦闘を行い勝利しました。その対価として、護衛をつけずに出歩く事を認めさせています。定期的に苦言は呈されますが」


「えっ何してんの」


 どうりであの護衛騎士っぽい人も必死さのわりに深追いしてこないと思った。


「ちょっ、あの、大丈夫? ちゃんと人間の枠におさまった生き方してる?」


「問題ありません」


「騎士に勝っちゃう宰相 問題ないかなー……」


 まぁ別に竜だとバレたからって神様からペナルティ貰うわけでなし、丈夫という概念を一周半くらい通り越した体を持つ俺たちに危険なんてあるわけもなし――かつて俺がやらかしたように人間達の諍いの種になってしまうのは困るが――そこまで深刻な心配はしていないが、白のはたまにやたらと大胆で怖い。力の使い方に迷いがないというか。


「どうぞ、兄上」


 通された家の中は外観から想像するほど古びてはいなかった。

 置いてあるものも最低限で、あまり生活感はないが整っている。


「ずっと帰ってないって言うわりには埃とか被ってないんだな」


「ああ、それは、城の者が宰相宅の新築を奨めてくるのを断り続けていたら、最終的にこの家の掃除だけでもさせて欲しいと言われたので任せてあります」


「お前あんまり困らせるなよ城の人を」


 必死すぎて本来の目的見失ってるじゃないか。


 執務室から持ってきたティーセット一式を白のが机に広げていく。

 先に出されたお茶請けは、緑ののところで食べた例のお土産と同じものらしかった。


 繊細な細工の砂糖菓子をひとつ口の中に放り込みながら、「それで」と俺は話を切り出す。


「お前が片づけていきたい事っていうのは、ウルリカとアドルフの件なんだよな?」


「はい」


 そうして白のは、二人がなぜあんなふうにぎくしゃくとした関係になってしまったのかを教えてくれた……のだが、事務報告か年表みたいな語り口で非常に分かり難かったため、自力で脳内補完しながら理解したところによると、話はこうだ。


 ウルリカがちらりと言っていたように、この国の王妃は亡くなっている。

 明るく情に厚い女性で、家族仲はたいそう良く、国民からも愛されたが、彼女は体が丈夫ではなかった。


 数年前にひどく体調を崩し、昨年、帰らぬ人となった。

 それでも周囲の献身的な看病によって、医師から告げられていた余命よりはずっと長く、穏やかな余生を過ごしたらしいが。


 彼女の死後は国中が悲しみに沈み、王と王女の悲痛は深く。


 しかしいつまでも泣き暮らしていては母も安心して眠れないと、王女は少しずつ日常に戻り、悲しみを思い出に変えていった。

 そんな娘の姿に元気づけられ、王もまた少しずつ妻を失った痛みを和らげていったように見えた。


 けれど戻りかけた日常の中で、皆がある違和感に気づいていく。


 王は、王女を避けている、と。


 決して冷たくなったわけではない。他の人間が話題を振れば、いつもどおりの親バカだ。

 しかし王女と接する時間を極力減らそうとしている。


 そんな矛盾に満ちたぎこちなさを誰より感じていた王女は、王にその理由を何度も問うが、どれも逃げるようにかわされるだけだった。


 王女は考える。

 どうすれば父はまた自分を見てくれるだろうと。


 正攻法では駄目だった。けれど活発で心優しい王女には、父を本当に困らせるような手段も選べない。


 ならばと王女は思い浮かべる。

 親子三人で幸せに暮らしていたころの父の姿を。


 父の、言葉を。


「王女殿下が今のような口調になったのはその頃からです」


 その説明を聞いて、どうりで、と俺はあの既視感を思い出す。

 ウルリカの言葉は親子だからという以上にアドルフとよく似ていた。きっとそれは、アドルフならどう言うかと考えて、彼女が喋っているからだろう。

 突然ウルリカがあの口調になった当時は、城内が軽いパニックに陥ったらしいが。


「自分には人の感情の機微は解りかねます。しかしあの王女は愚かではありません。公務の際にはそれらしく会話をしておりますので、特に問題はないと判断しました」


 我関せずを貫く宰相の存在は、母の死から間もないのに今度は父の様子が変わり、覚悟の上とはいえ男言葉を使い始めたばかりで疲れていた彼女にとって、ありがたいものだったようだ。

 以来ウルリカは宰相の執務室に来ては、お茶を飲んだり執務を手伝ったりしていくことが多くなったという。


「すると今度は王女殿下がいないときを見計らい、国王陛下まで来るようになりまして」


 やれウルリカと一緒の時間が自分より長くてずるいだの、娘かわいいつらいだのとやかましいので、なら会ってくればいいと言えば、途端に辛気臭い顔で黙り込む。


「自分が関与することではないと長らく放置しておきましたが、揃いも揃って、いい加減 執務の邪魔です」


 一国の王と王女に対してそうきっぱりと言い切る弟を遠い目で見やった。歪みない。


 ウルリカに対しての当たりがいくらかマシなのは、彼女が執務を手伝っているからだろう。

 基本的に全部自分でやりたい弟だから、手伝われて仕事が減ること自体は歓迎していないだろうが、執務マニアとして同じように執務をする人間を邪険にはしないのだ。


「まぁ、話はだいたい分かった」


 要するに二人を仲直りさせたいってことだ。


 “母を亡くした病弱な息子”なんて設定が自分についた理由も何となく把握した。

 関係がこじれるきっかけになった出来事に近いシチュエーションを用意して、二人の感情を当時まで引っ張り戻した上で、その“こじれ”を叩き伸ばそうという事だろう。


「荒療治の気配がもの凄くするけど、作戦はあるんだよな」


「はい」


「うん。なら、やってみよう。何か俺に手伝えることは?」


 二つ返事で協力を申し出た俺に、白のが目を丸くした。それを見て小さく笑みを零す。


 白のは、書類を通して『社会』のあり方を観察することが好きなようで、人里で暮らしながらもあまり人間に深入りすることはない。

 そんな弟が宰相なんてところまで出世して、動機はどうあれ親子喧嘩?の仲裁に手を貸そうというのだから、自覚があるかはさておき彼らのことを多少なりと気に入っているに違いなかった。

 ならば弟の大事なもののために、兄が一肌脱がない理由はないだろう。


「……明日」


 白のがゆっくりと口を開く。


「国王陛下は市街の橋造りに向かう予定なのですが」


「ああ、現場の視察みたいな?」


「いえ。職人や兵士達と共に土木作業を」


「王様!!!」


 国民と近い目線で云々とかそういうレベルじゃなかった。


「この国の王族はそういうものです」


「えぇ……いいのかなぁ王様……」


 俺がぼやくと、白のが表情筋をぴくりともさせないまま呆れたような雰囲気をまとわせたのが分かった。ついでに何が言いたいかも分かった。「お前が言うな」だ。

 人間に混じって四六時中ふらふらしている神竜に弟の容赦ない視線が突き刺さる。いや、でも、ほら、俺達は別に統治とかしてるわけじゃないし……うん。


「そ、それで? 俺は何をすればいいんだ?」


「……国王陛下が不在のうちに、本日のように王女殿下の話し相手をしていて頂きたい」


「うん」


「そして頃合いを見て倒れて下さい」


「うん!?」


「後のことは我々が」


 告げられた言葉をいくつか処理しきれずに聞き返す。


 「倒れろ」っていうのはつまり、ウルリカの前で“病弱な息子”として全力を尽くせということだった。

 いや、手伝うと言ったからにはやるけど、演技の完成度については期待しないで貰いたいと、半永久の健康生命体は切実に願う。


 あと「我々」って何だ、と思ったら明日の計画については城の人達もみんな承知済みらしい。今日、俺とウルリカが散策に出た後に手を回しておいたんだとか。抜かりない。


 ともあれ、作戦名『がんがん たおれる』を俺が了承すると、そこで話は一段落ついたようで、白のは中身の減った双方のティーカップにてきぱきとお茶を足し始めた。


「そういえば白のは、アドルフがウルリカを避ける理由は知ってるのか?」


 その動作を眺めつつふと湧いた疑問を口に乗せると、白のは手にしていたティーポットを机上へ戻しながら、めずらしく躊躇うように沈黙する。


 そして逡巡の末に、弟はその言葉を音にした。


「あの男は、貴方に似ている」


 カップに伸ばしかけていた手を止める。

 俺はその手を行き先を、砂糖菓子に変更した。


「……見た目はべつに似てないけどなぁ」


 花の模様が描かれた球体をひとつ口に放り込む。

 すると白のは「そうですね」と小さく息をついて、カップに手を伸ばした。


 カップの中でお茶がくるりと渦巻きを作って揺れるのを見ながら、舌の上を転がる甘さに目を細める。


「あ、そういえば白のさぁ、倒れるのとは別に何かお願いとかないの?」


 青ののところで思いついたことを実行に移してみようと尋ねれば、白のが怪訝そうに片眉を上げた。といっても基本的に鋼の表情筋なので微々たる変化だが。


「意図をお聞きしてもよろしいですか」


「いやちょっと、たまには弟妹たちのわがまま聞いてみたいなって思って」


「では明日の件が片づきましたら、寄り道をせずに、大人しく、まっすぐ帰還して頂きたく存じます」


 俺の想像してたわがままと違う。


 しかし前科がそれなりにある手前、俺は今度こそカップに手を伸ばしながら、返す言葉もなく目を泳がせたのだった。

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