「俺はアドルフだ。一応ここの王様なんてもんをやってる、よろしくな」


「お前がシルトの息子か? なんだ、思ったほど似てねーなぁ」


 ふわふわの髪。ふわふわのドレス。

 そんなお姫様の口から、高校の男友達と大差ない粗雑な言葉遣いが飛び出してくる。


「そうでしょうか。正真正銘、このシルトの“身内”でありますが。……自己紹介を」


「あ、うん」


 なるほど身内には違いない。親子じゃなくて兄弟というだけで。

 ついでに今現在使っている人間としての名前を俺に知らせつつ、自ら紹介せずに名乗らせることで俺が使っている名前も把握しようとしているあたり、相変わらず抜け目のない弟だ。


「お初にお目にかかります、私はシルトの息子の……」


「ああ、そういうのはいいって」


 三百年以上前のマナーが今も通用するか自信がなく無難にひざまずいておこうとした俺を、王女様本人が押しとどめる。


「公式の場じゃねーんだ、堅っ苦しいのはナシにしようぜ。押し掛けたのはこっちだしな」


 王女様はそう言ってからからと笑った。


「えーと、じゃあ普通に。俺の名前はシンです。初めまして王女様」


「ウルリカだ。よろしくな」


 差し出された手を握ると、上質なレースの手袋越しに分かる女の子らしい細くて柔らかな指が、下町のオッチャンのような豪快な握手をかわしてくる。


「いやー、あの鬼宰相に息子がってもう城中が大騒ぎでよぉ! 正直なんかの聞き違いだろって思ってたんだけど、実在したんだなぁ!」


 鬼宰相。そんな鬼軍曹みたいな。

 そして俺の存在はもう城中に広まっているらしい。情本伝達スピードが恐ろしいのは村だけじゃなかったようだ。


「つーかお前も嫁とか子供とか いるなら言えっての」


 やがて俺の手を離したお姫様――ウルリカは、白のをじとりと見て言った。


「そういえば、お伝えするのを忘れていたやもしれません。特に聞かれもしませんでしたので」


 まぁ実際は嫁も子供もいないので言えるわけがないのだが、白のは淡々と答えながらウルリカの分のお茶を用意している。


「『いつ見ても働いてるんだけど』って城のやつ怯えさせてる男に家庭があるとは思わねーだろ普通。自分の家だってどんだけ戻ってねーんだよ」


「日数を数えておりませんでしたので分かりかねます」


「執務室に永住する気かテメェ」


 呆れたように息をつきながら差し出されたカップを受け取ったウルリカが、王女様らしい上品な手つきでそれを口元に運ぶ。

 初めて見た目のイメージと一致したその仕草と共に、俺は改めて彼女を見た。


 年の頃は俺の見た目と同じくらいか少し下。

 淡い桜色のドレスに、柔らかなウェーブのかかった長い髪。

 優雅にお茶を飲んでいる姿は、まるで絵に描いたようなお姫様だ。


「妻は子を産んですぐに息を引き取りました」


 いや、まるでっていうかお姫様なんだけど……えっ。

 突如発せられた白のの言葉に、俺の思考が止まる。ついでに室内の空気も止まったような気がした。


「息子も体が弱くあまり頻繁に外へは出られぬゆえ、中々ご挨拶にあがることが出来ず申し訳ございませんでした」


 えっ。

 …………えっ、ああ、そういう感じの!?


 突然の設定追加への動揺をなんとか内心に押しとどめて、神妙な表情を作る。

 白の、お前、俺がアドリブ得意じゃないの知ってるんだから止めろよ唐突なのは。


「そう、か」


 ウルリカが静かにカップをソーサーに戻して目を細めた。

 ぽつりと呟かれた相づちの重たい響きに、なぜか俺がいたたまれない気持ちになる。白のはいつもどおりの真顔だ。


「つきましては、王女殿下にひとつお頼みしたいことが」


「……うん、何だ?」


「先ほど申しましたとおり息子は体が弱く、あまり外に出る機会がございません。よろしければ城の中を少々案内してやっては頂けませんか」


「いや、そりゃ構わんが、お前が案内してやったほうがシンも嬉しいんじゃないか?」


「私は執務がありますので」


 白のがそう言った瞬間、ウルリカのこめかみにびしりと青筋が走った。


「…………どいっつもこいつも、この仕事バカ親父どもが!! シン! こんなヤツほっといて行くぞ!!」


「あ、ハイ」


 空のカップを白のに突っ返し、王女様にあるまじき大股でドカドカと部屋を出て行くウルリカの剣幕に押し負けるように頷いて、俺も後に続く。

 部屋を出る直前、窓の開いていない部屋でふわりと髪を揺らした風に、俺は小さく笑った。


 伝えたいことがあるときに風を滑らす、遙か昔から変わらないこの弟の癖。今のはさしずめ巻き込んだことに対する謝罪だろうか。


「あとでちゃんと説明しろよ?」


 こちらも風を使って白のにだけ声を届けて、片手を上げる。


 聞かれたときに最低限の設定を作って返す、が基本である白のが自分からあんなことを言い出したのだから、きっと何か理由があるのだろう。

 それにいつも全部自分でやりたがる弟が、めずらしく兄を頼ったのだ。アドリブは苦手だが頑張ろうじゃないか。


「じゃあちょっと行ってきます、父さん」


 ただ本質的な意味で怪我も病気もしたことがない……するはずもない俺が、“体の弱い息子”を演じれるかどうかだけが心配だったが。



「なんかすみません、王女様に案内させちゃって」


「ん? ああ、気にすんなって」


 庭園に面した廊下を、まるで普通の友人同士のように並んで歩きながら雑談を交わす。


 そうして話を聞いていくと、どうやらウルリカの気安さが特別 異質なわけではなく、この国の王家は代々こんなふうに国民と近い目線で関わってきたらしい。


「そりゃ王族は多少ふんぞり返っとくのも仕事だけど。国主と国民は持ちつ持たれつ、同じ国に生きてる人間同士だからな。できれば腹割って話してぇだろ?」


 おそらく彼らは“国の象徴たる高貴な存在”というより、“その土地の統治者”としての色合いが濃いのだろう。ちょっとロイヤルな雰囲気の自治会長とでも考えればいいのか。


 一口に国や王族と言ってもいろんな形があるのは長い時間の中で見てきたから知っているが、これほど規模の大きい国において、ここまで国民と近いやり方で統治をしている王家は中々めずらしいかもしれない。


「……っと、だいぶ歩かせちまったな。少し休むか」


「え?」


「あそこにベンチあるの分かるか? ちょっと座ってろ。なんか飲むもん持ってくるから」


 年頃の女の子だったらキュンときてしまいそうな男らしい心遣いで、ウルリカが俺をベンチに促す。言動はまるで王子様だが、見た目はやはり麗しいお姫様なので視覚とのギャップが果てしない。


 いや、そうでなくて、なぜ俺のほうがお姫様もかくやとばかりにエスコートされているのだろう。


「体つらくないか? 大丈夫か?」


 そうだった、病弱な息子(仮)なんだった。

 ウルリカの心配そうな視線に、早くも忘れかけていた設定を思い出す。


「あー、ええと、最近は調子良いみたいなんで、別に休まなくても……」


「駄目だ!」


 急に声を荒げたウルリカに驚いて目を丸くすると、彼女はハッとしたように口をつぐんだ後、もう一度小さな声で「だめだ」と呟いて俺の手をとった。


 そのまま庭園に降りると、円形になっている花壇の真ん中にある小さな四阿ガゼボに俺を引っ張っていく。

 引っ張る、といってもこちらに配慮したひどく優しい力で、そこに設置してある二人掛けのベンチに俺を座らせた。


「……とにかく、休んでろ。絶対に無理したらダメだ。分かったな」


 有無を言わせぬ真剣な表情だった。

 呆気にとられつつも俺がひとつ頷くと、彼女はホッと安堵の息をついて、今度こそ飲み物を取りに行ってしまった。


 うららかな日差し。鳥の声。

 可憐な花々の咲き乱れる花壇に囲まれて、俺は苦笑を浮かべる。


「王女様に飲み物取りにいかせちゃったなぁ」


 しかももの凄く心配されてしまったが、実状が伴っていないだけに余計申し訳ない。

 それにしてもただ体の弱い人間を気にかけているだけというには、ウルリカの反応は少々過剰な気がした。


 これはもしやと口元に手を当てて一人で考えるポーズを取っていると、ふいに慌てたような人の足音が耳に届いた。


 何事かと顔を上げれば、庭園の奥からこちらに駆け寄ってくる一人の男性の姿。


 年の頃は四十代後半くらいだと思うが、無駄なく鍛え上げられている体のおかげでともすれば三十代に見える。

 ゆるくウェーブのかかった短髪を風に揺らしながらこの四阿にたどり着いた彼は、やたらと焦りながら俺の額に手を当てた。


「おいっ、大丈夫か! 気分悪いのか!?」


「は?」


「ちょっと待ってろ、今 医者呼んでやっからな!!」


「あ、いや、いやいや、すみません大丈夫です。ちょっと考え事してただけで、至って元気です」


 真面目な顔をしていても、どこか人好きのする気安い雰囲気。

 かなり動きやすく簡略化されているが、それでも質の良いものと分かる衣服。

 極めつけはついさっきまで隣に感じていたのと似通った色の気配。


「本当に、大丈夫なんだな?」


「はい。ところで貴方は……」


 俺としてはもはや聞くまでもなかったが、目の前で深く安堵の息を吐いた男性にそう問いかけると、彼はようやく落ち着いた様子でにかりと笑った。


「俺はアドルフだ。一応ここの王様なんてもんをやってる、よろしくな」


 近所で飲み屋やってる、みたいなノリで言ったアドルフが俺に手を差し出す。


 ウルリカにもアドルフにも、姿は見えないが一定距離でついてきている人の気配がいくつかするから、さすがに護衛も無しに歩いているわけではないようだが、それにしたってこんなに人懐っこくて大丈夫なのだろうかとなぜか俺がちょっと心配しながら握手を交わした。


 そして立ち去るかと思いきや、どっかりと隣に腰を下ろしたアドルフが、まじまじと俺を見て笑う。


「お前がシルトの息子だろ? なんだ、思ったほど似てねーなぁ!」


 ……ああなんだか、とってもデジャブだ。

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