「経験値とアイテムを落としたドラゴンは去るのみってね」


「うん。そうだね」


 エナの問いに肯定をひとつ返して、俺は手に取ったお菓子をぱくりと口の中に放り込んだ。あ、美味しい。


「ず、ずいぶんあっさり……ですね」


「頼まれたのは本当だし。でも、引き受けたのは俺の意思だよ」


 そう答えると呆気にとられたような顔でしばし固まったエナは、やがてふと肩の力を抜いて、頷いた。


「はい。……はい、わかってます。アイシア先生がわたしのことを思ってそうしてくれたってことも、シンさんが義務感で優しくしてくれたわけじゃないって、ことも」


 そこに含まれる感情が善意であれ悪意であれ、子供というのは大人の思惑に敏感だ。

 そんなことはきっと青のだって分かっていた。分かっていて、それでも俺にエナを託した。


 エナもこの状況が作為的なものではないかと察しながら、逃げなかった。

 それは彼女もまた、今の自分を変えたいとあがいた結果なのだろう。


「シンさん。ちょっとだけ、わたしの話を聞いてもらっていいですか?」


「いくらでもどうぞ。俺の時間はたっぷりあるからさ」


 俺がそう言うと、エナはおかしそうに笑った。


「たっぷりって。夕方までには、わたしもシンさんも戻らなきゃだめですよ?」


 いや、寿命的な意味で。

 とはさすがに言えないので笑ってごまかす。


 エナは気持ちを落ち着けるようにひとつ深呼吸をしてから、ゆっくりと話し始めた。


「わたしのお父さんとお母さんは、学園で先生として働いています」


 幼いころから両親共に忙しく、仲は悪くないものの親子で過ごす時間はほとんど無かった。

 けれどたまに早く帰ってこれたときには、父が、母が、時には二人揃ってエナが寝るまでベッドで本を読んでくれた。


 そんなあるときに両親が買い与えてくれた一冊の絵本。

 それが、神竜の物語だった。


「神竜さまは、いつもどこかでわたし達を見守ってくれている。……絵本の話だってわかってても、そう思ったら、ちょっとだけ寂しくなくなったんです」


 そんなふうに誰かが自分を見守っていてくれるなら。

 誰もいない家の中も、なんだか心強く感じた。


 はにかみながら神竜への思い入れを語っていたエナがふと表情を引き締める。

 膝に置かれた童話本の上で、小さな手がぎゅっと拳を作った。


「……わたし、神話学者になりたい、……んです」


 自分を寂しさから救ってくれた物語のことを、大好きな神話のことをもっと知りたい。

 それは彼女が初めて描いた夢だった。


「でも、それを他の子に話したら、笑われちゃいました。もう赤ちゃんじゃないのに、いつまで絵本の話してるのって」


 そんなことを繰り返すうちに、自分の夢を話すのがこわくなってしまった。

 夢を笑われるたび、自分を丸ごと否定されているようで。


 友達は欲しい。でもこわい。

 自分をさらけ出すのが、こわい。


 そこで小さく息をついたエナは、童話本をぱらりとめくった。


「神竜さまは、神さまの御使い。そして神の使いは、ふたつでひとつなんだそうです」


 神の言葉を受け取って、生きる者を導く太陽の竜と、

 死んだ者を導いて、その言葉を神に届ける月の竜。

 どちらが欠けてもならない。ふたつ揃って、はじめて“神竜”であると。


「……わたし、不思議におもったことがあるんです。神さまはどうして神竜さまをお二人にしたのかなって」


 太陽の竜も月の竜も、エナにとっては等しく大好きな神竜だ。

 けれど、もし彼らを生み出した神というものがいるのなら、どうしてわざわざその力をふたつに分けたのだろうと思った。

 受け取ることも送ることも出来る、ひとつの存在を生み出せばそれで良かったのではないか。


「ひとりで何でも出来たなら。そうしたら、そのほうが、ずっと楽だったかもしれないのに」


 零されたエナの言葉は、どこか自問のように聞こえた。

 ひとりで何でも出来れば、ひとりが平気なら、友達なんて欲しがらなければ、今よりずっと楽なのではないかと。


 広げた童話本にぼんやりと視線を落とすエナの横顔を伺って、俺は手の中にあるお菓子の袋をなんとなく少し揺らす。

 花の形をした焼き菓子が、からんと音を立てた。そっと目を細める。


「……ひとりだと分かんないことがあるから、かな」


 ぽつりと呟くと、エナが顔を上げてこちらを見た。

 その視線に笑みを返して、俺は彼女の口元にお菓子をひとつ差し出した。


「はいエナあーん」


「え、あ」


 エナが反射的に口を開いてお菓子を食べる。


「それ食べ終わるまで、ちょっとだけ目つむってて貰っていい?」


「……?」


 突然のことに不思議そうな顔をしつつも、エナはもぐもぐとお菓子を咀嚼しながら頷いて目を閉じた。


 周囲の意識がこちらに向いていないことも確認してから、俺は自分の髪を一本切る。

 竜体で空を飛ぶときのように光の流れをいじって、それが周囲に見えないようにしてから、フッと軽く息を吹きかけた。


 すると現れたのは、金色に輝く一枚の鱗。ていうか俺の鱗だ。

 尻尾のあたりのなるべく小さいものを意識したはずだが、それでも鱗はちょっとした大皿くらいあった。なんかLLサイズのピザとか のせられそう。


 さすがに大きいか、と表面に軽く手をかざせば、鱗はわずかに光を放ちながら手のひらくらいまで縮んだ。今度は醤油とか入れる小皿サイズになった。


「……もうちょいかなー」


「あの、もういいですか?」


「うわ待ってまだ待って!」


 お菓子を食べ終わっても目をつむったままでいてくれたらしいエナに延長を願い出て、もう一度鱗に手をかざす。


 そこから勢い余って縮めすぎたり戻したりと色々あったが、最終的にどうにか箸置きサイズくらいに落ち着いた。うん、こんなものだろう。


「エナ、手出して」


 言われるがままに差し出された小さな手のひらにそれを置く。

 もちろんちゃんと見えるように力も解いた。まぁちょっと違うのをかけたけど。


「はい。目開けてもいいよ」


 目を開いたエナが手の中にある金色の箸置き……もとい、鱗を見て首をかしげる。


「これは……?」


「神竜の鱗!」


「え!?」


「俺の地元の特産品なんだ~」


 そう付け足すと、驚いていたエナが納得したように肩の力を抜いた。

 それから改めてまじまじと鱗を眺めて、口元を緩める。


「……本当に、神竜さまの鱗みたい」


 きれい、と小さく零れた言葉に俺もゆるりと笑みを深めた。


「ありがとう。で、それはエナにプレゼントです!」


「えっ、だ、だめですそんな! だってもうこの本とか、屋台のごはんとかお菓子とか、色々……!」


「まーいいからいいから! 人になんかあげるの俺の趣味みたいなもんだからさ! 何ていうかこう、おじいちゃんを喜ばせると思って受け取ってよ!」


「お、おじいちゃんって、そんな、さすがにムリがありますよ……」


 ディーにジジイと言われたときは一応否定したが、博物館にある下手な化石より年上なのだからもうしょうがない。確かに無理がある。もう潔く認めよう。


 そしてこうなった俺が引かないということは、聞き込み調査という名の商店街巡りの間に十分承知させられたらしいエナが、やがて諦めたような溜息をついて苦笑を浮かべた。


「……ありがとうございます、シンさん」


「いえいえ」


 言ってしまえば有りものというか元手ゼロの代物なので、気軽に受け取ってもらえるとありがたいところだった。

 ちなみに鱗は一枚二枚ひっぺがしたところですぐ戻るので問題ない。ちょっと早めに伸びる髪の毛みたいなものだ。……髪の毛みたいなものを女の子にあげるってよく考えたらアレだけど、まぁ、あれだし。俺の鱗どっちかっていうと鉱物に近いし。うん、セーフだろう。たぶん。


 気付けば空に浮かぶ太陽はゆっくりと橙色を帯び始めていた。

 もうそろそろ戻らないと、せっかく集めた話をまとめる時間がなくなってしまう。


「エナ」


 けれどその前にと、俺は彼女の名を呼んだ。


「は、はいっ!?」


 なんだかんだと鱗に夢中になっていたエナが照れたように頬を赤くしながらこちらを向く。その眼鏡の奥の両目を見つめた。


「焦んなくても大丈夫だよ、きっと」


「え?」


 きょとんとした顔のエナに小さく微笑んでから、俺は勢いよく立ち上がる。


「さーて、そろそろ行こうか! 戻って色々まとめないと」


「あっ、はい!」


 同じく立ち上がろうとするエナに手を差し出せば、彼女はおずおずとその手を取って、はにかんだ笑みを浮かべたのだった。



 図書館に戻った俺とエナは大急ぎで、神竜伝説についての考察とまとめ(またの名を俺のエゴサレポート)の作成に取り掛かる。


「わたし、ちょっと本とってきますっ」


「あれ? ここにある神竜の本はぜんぶ読んだって言ってなかったっけ」


「……一回読んだ本でも、今もう一回見たら、また何か違うことが分かりそうな気がしてきたんです」


 最初に会ったときとは大違いの強い意志に彩られた瞳を見やり、「そっか」と笑って彼女を送り出す。


 では今のうちに商店街で聞いた二割の真実を含む神竜逸話をまとめるか、と若干遠い目になったところで、近づいてきた気配に顔を上げた。


「なんだか吹っ切れたみたいですね」


 青のが、周囲に聞こえないように音を散らしながら話しかけてきた。


「ありがとうございました、兄さま」


「いや。俺が何もしなくても、エナはたぶん大丈夫だったんじゃないかなぁ」


 他人に夢を話すのが怖いと言ったあの少女は、けれど諦めてはいなかった。

 夢を追う事。他人と関わること。怖がりながらも必死に次の一歩を探していた。今回のことがなくとも、遅かれ早かれ彼女は自分の力で歩き出しただろう。


「私、ちょっと心配しすぎだったでしょうか……」


 しゅんと肩を落とした妹に苦笑して、首を横に振る。


「大切だからこそ心配だったんだろ。大丈夫、エナもちゃんと分かってるよ」


 昔から大事なものほど心配になる性質の妹だ。

 エナの――この図書館に集まる子ども達のことを、それだけ想っているという証拠だろう。


「……そしてそんな心配性の妹に何の連絡もせず三百年間ふらふら飛び回ってた道楽兄貴が俺なわけですが」


「自覚があるのはとても良いことだと思います兄さま」


「すみませんでした」


「あとはその反省を次に繋げられれば完璧ですのに」


「ごめんなさい」


 傍目には課題について和やかに相談でもしているように見える光景の裏側で吹き荒れるブリザード。

 思わず泳がせた視線の先に、本を抱えて戻ってくるエナの姿が見えた。


 それなりの大きさの本を何冊も抱えてふらふらと歩く様子に、手伝おうと俺が椅子から腰を浮かせかけたその瞬間。


「きゃっ」


 一足遅かった。

 バランスを崩したエナがその場でばたりと転んでしまう。


 顔を真っ赤にして落とした本を拾い集めるエナに今度こそ手を貸しに行こうとするが、どうやらまた、一足遅かったようだ。


「ハイ」


「え……?」


 拾い上げた本を差し出す手。

 エナがぽかんとその手の持ち主を見上げると、そこにはエナと同じくらいの年ごろの少女が立っていた。


「あの、えっと、ありがとうござ、」


「ねえ! それ神竜さまの本だよね!」


 神竜伝説を語るときの誰かとそっくりなきらきらした瞳が、エナの抱えた本へと向けられる。


「神竜さまのおはなし好きなの!?」


「えっ……あ、は、はい」


「わたしも好きなんだ! 課題はさ、一緒に参加した弟に別のがいいって言われちゃったから、違う神話のまとめしてるんだけど……もしかしてそっちは神竜伝説まとめてるの?」


「はい、あの、一応……」


「うわぁいいなー! わたしもやりたかったぁ」


 少女の勢いに、エナは怯える暇もなく呆気にとられている。


 最近この街に引っ越してきたこと。

 はじめてこの勉強会に参加したこと。

 本を読んだり何かを調べたりするのが好きだということ。

 特に神竜の伝説が、大好きだということ。


 そんなことを怒涛のように喋った後、少女はくるりと身をひるがえした。


「じゃあ、発表たのしみにしてるね!」


 ひらひらと手を振って別の机へ戻っていく少女と、その背を呆然と見送るエナの姿を見やりながら、傍観していた俺達は小さく笑い合った。


「あの子もう途中から顔真っ赤だったなぁ」


「引っ越してきたばかりで心細かったんだと思います。ずっと寂しそうにしてたから、彼女のことも気になってたんですけど……大丈夫みたいですね」


 初めての土地、見知らぬ人々の中で、あの少女もエナと同じように何かを恐れて、今 必死に足を踏み出したのだろう。


 俺はやっと戻ってきたエナに手を振って、今度こそ大量の本を受け取るべく腰を上げた。



「――と、というわけ、で、神竜伝説は街の人たちにもひろく伝わり、愛されていることが、わっ、分かりました」


「俺達からの発表は以上になりまーす」


 楽しげなざわめきと拍手が図書館の片隅に広がり、隣に立つエナがほっと息を吐く。


 エナが緊張で固まったときは俺が喋り、俺が分からないところはエナが補足説明する。

 そんなふうに出来ないところを補い合いながら、エナはみんなの前で発表をするという大仕事を完遂し、俺は妹の前でエゴサ発表するという公開処刑を終えた。出来ればもうやりたくない。


 おつかれさま、と声を掛ければ、エナは隠し切れない精神疲労を滲ませつつも嬉しそうに口の端を緩めた。

 そして全員がまとめ発表を終えたところで、勉強会は無事に終了したのだった。


 また来週、と声を掛けあって帰っていく子どもたちを視界の端に見送りながら、俺は二人の少女が話す姿を、少し離れたところから青のと共に眺めていた。


「さっきの発表ホントすごかったよ! 知らないこといっぱいあった! それで最初も言ったけど私、神竜さまの伝説がすごく好きでね、その……いろいろ話聞きたいし、あの、勉強会だけじゃなくてさ。神竜さまのこと……その」


 懸命に言葉を紡ごうとする少女の姿に、エナが小さく笑みを零す。


「……わたしも、神竜さまが大好きなんです」


 今度いっしょにお話ししませんか、と。エナの口から何の気負いもなく するりと溢れた言葉を聞いて、俺は静かに身をひるがえした。


「挨拶、していかなくてよろしいんですか?」


「うん」


 隣に並んで歩く青のの問いかけにひとつ頷く。

 エナはこれからきっと、ひとりじゃないからこそ生まれる苦しみや、哀しみにも出会うだろう。


 けれど彼女は確かに一歩を踏み出したから。


「経験値とアイテムを落としたドラゴンは去るのみってね」


「あいてむ?」


「いやこっちの話。っていうか向こうの話?」


「はぁ。あ、そういえばエナが持っていた金色のあれはもしかして……」


 その問いにハハハと笑って返せば、察しがついたらしい青のがちょっとだけ呆れたように頬に手を当てた。


「……この街の学者が知ったら腰を抜かしますわね」


「大丈夫大丈夫! “ちょっと良い鉱石”にしか見えないように目くらましかけたし、本当にただの箸置……お守りみたいなもんだから」


 強度も鉱物並みに下げておいたし、あの鱗はもう人間にとってはただの鉱石でしかない。他の竜が見れば多少俺の気配が分かるかもしれないけれど、そのくらいだ。


「まぁ、未来の神話学者へのはなむけだよ」


「ふふ。月の姉さまが知ったらきっとお説教ですね」


「内密にお願いします」


 そんな話をしながら図書館の外に出ると、植木鉢の花の手入れをしていたらしい館長が俺達に気付いて顔を上げた。


「おやシン君。もう帰るの?」


「はい。一応まだ用事の途中なんで、そろそろ行かないと」


「うん、アイシアから聞いてるよ。大変だねぇ」


 そう言って館長はしみじみとこちらを見つめたかと思うと、俺の両肩に力強く手を置いた。


「会えないときにこそ想いってのは試されるものなんだよ」


「えっ」


「ふたりとも頑張りなね!」


 いったい青のから何を聞いたというのか。

 「歳の差に遠距離……熱いねぇ」と一人呟きながら館内に戻っていく館長を呆然と見送り、気を取り直して青のと向かい合う。


「それじゃあまた」


「はい、次の満月に」


 微笑む青のに手を振って、図書館の敷地を出た。

 沈みかけの夕陽がまだかろうじて足元に影を作る中、次に会いに行く弟の気配を探っていると、後ろから誰かがこちらに向かって駆けてくるのに気付いた。


 ああこれは。

 足を止め、小さく苦笑して振り返る。


「……っシンさん!」


 よほど急いで来たのか、肩で息をするエナの姿がそこにあった。


 少し離れた位置で立ち止まった彼女の腕には、俺があげた童話本が抱えられている。

 くしゃりと泣きそうな顔で何か言いかけて、しかしすぐに口を閉ざし、一度目元を手の甲でぬぐってから顔を上げたエナが真っ直ぐ俺を見据えた。


「本も、“うろこ”も大切にします! きっと神話学者になってみせますから!」


 そう言って精一杯の強気な笑顔を浮かべるエナに、俺はひとつ息をついて髪をかき上げる。


 まったく。まったくこれだから人間は。

 いつの時代も弱くて脆くて、それでも前へ進もうとするから。


「……エナ!」


「は、はいっ」


 まったく――愛おしくて、困る。


「君がまとめた神竜伝説、本屋で見る日を楽しみにしてるよ!」


「~~~っ、はい!」


 力強い返事に笑みを零して、俺は手を振りながらエナに背を向けた。


 そういえばエナが神話学者になって神竜本を出したら、二割混じった真実という名の黒歴史も一緒に晒されるのだろうかと、後でほんのちょっとだけ戦慄したのは内緒の話だ。

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