「神竜の伝説が―― 神竜さまが、大好きなんです!!」


 勉強会で何をやるかということは、おおむね青のに一任されている。

 ひとつの本を題材にみんなで話し合ったり、身の回りの疑問を出し合ってそれについて調べたりと、内容はその時々で変えているらしい。


 今回の課題は“各地に伝わる神話についての考察とまとめ”。

 というと堅苦しい感じだが、要するにみんなが知っているおとぎ話について調べて、そこに自分なりの感想を加えてまとめましょうということだ。


 期限は本日の夕方。そのとき、それぞれのまとめを発表するのだという。


 冷や汗を浮かべて固まる少女を目の前に、さてどうしたものかと考えた。

 まぁ、それなりに顔を合わせている勉強会仲間とさえ話せない感じなのに、いきなり見知らぬ年上の男と組んで調べものとか、俺が同じ立場だったなら勘弁してくれと崩れ落ちたことだろう。


 しかし逆を言うと、ここで初対面の俺と普通に会話できるようになれば、顔見知りの子供と話すことなど楽勝……というほど単純な話ではないだろうが、彼女の、自信の経験値くらいにはなるはずだ。


 今日一日が、ゲームの序盤に出てくる青いぷるぷるしたモンスター程度にでも、何かの足しになればいいと思う。

 だけどどうせならドラゴンらしく大量の経験値を残してレベルアップに一役買いたいものだった。


「とりあえず、どこかに座ろっか?」


 そう問いかけてみると彼女はびくりと肩をはねさせて、一瞬何かを言おうと口を開きかけたが、途中でまた固まってしまう。

 やがて俯きがちに小さく頷いた彼女に、「じゃあ行こう」と笑みを返して、二人で館内を歩き出す。


 数歩後ろをおそるおそるついて来る姿を視界の端にとらえながら、懐いてない猫の子を連れているようだと苦笑した。


 近場は他の子供達や一般客で埋まっていたので、俺達は勉強スペースからやや離れた隅のほうにある机に落ち着くことにした。


 そしてさっそく課題に取り掛か……るわけにはいかなかった。

 向かい側に座って、ひたすら俯いたままの少女を見やる。緊張のためか肩はわずかに震えていた。


 彼女にとっての他人とは、人間から見た竜と同じなのかもしれない。

 得体のしれない、強大なモンスターだ。


 ただそこにある思いが恐怖だけでないことはこの状況が物語っている。

 任意参加の勉強会に強制力はない。本当に怖いなら、帰ってしまえばそれで済む話なのだから。


「さっきも言ったけど、俺はシン。君の名前は?」


 なるべく怖がらせないように穏やかに話しかける。

 すると彼女はそろりと顔を上げて、ようやく俺のほうを見た。


「……エ、……エナ……です」


「エナ?」


「は、い」


「そっかそっか。今日一日よろしくな、エナ」


 一緒に居られる時間はあまり長くないけど、それでも今日は彼女……エナのために出来る限りのことをしよう。別れの時までに、一度くらいは笑顔が見たいものだ。


「さて。さっそくだけど、何の神話について調べようか」


「わ、わたしは、なんでも……」


「うーん。でも俺あんまり詳しくないんだよなぁ。神話ってどんなのがあるんだろう」


 いや、ずっと前ので良ければ覚えているのはそれなりにある。

 だが神話系統は比較的 変化が少ないとはいえ、三百年も経てばさすがに俺が知ってるものとは変わってしまっているかもしれない。たとえば花さか爺さんがいつの間にか愛憎渦巻くどろどろの不倫劇に、みたいな坊やもびっくりの激変を遂げていないとも言い切れない状況だ。


 なので俺の記憶にある話を引っ張り出すことは早々に諦めて、ここから見える範囲の本棚に視線を滑らせるが、それらしいコーナーは見当たらない。少し離れたところから子供達の相談するような声が聞こえるので、たぶんそのあたりが神話関係の棚なのだろう。

 しかしただでさえ緊張しきりのエナを連れて、その中へ飛び込んでいくのはちょっと憚られた。


 もう少し人が引けてから行くか、と腰を落ち着けようとした俺は、ふと膝に乗せていた本の存在を思い出す。エゴサのために買った例の童話本だ。


 すっかり頭になかったけど、そういえばこれも神話ってことになるのか。

 いや、だとしても自分について調べて自分について考察して、それをまとめて妹の前で自分で発表するって、罰ゲームにもほどがある。


 無いわさすがにそれは無いわと一人で首を横に振り、本を机の端に遠ざけて置いた。


「…………えっ」


 そのとき。

 正面から聞こえてきた驚愕の声に、はたとそちらを見やる。


 すると先ほどまで極限に身を小さくしていた少女が、今にも椅子から立ち上がりそうなほど前のめりになって、食い入るようにそれを凝視していた。

 今俺が置いたばかりの、一冊の童話本を。


「……エナ?」


「っこれ! どこで買ったんですか!?」


「え、いや、別の、街で」


 今度はこちらに向かって身を乗り出してきたエナの眼鏡の奥にある瞳は、さっきまでの怯えが嘘のように爛々と輝いてた。

 その勢いに押されて若干のけ反りながら答えると、目の輝きが一気に絶望に染まり、そのままがくりと肩を落とす。


「さすがに違う街までは、いけない……。で、でもあったってことは、もしかしたら行商の人とかが、なにかの拍子に、運んできてくれるかも……でも、そんな偶然……」


「あげるよ? これ」


「えっ」


 何気なく提案してみると、打ちひしがれていた彼女が顔を上げた。

 一瞬きらきらと輝きを取り戻した目が、すぐハッとしたように下を向く。


「ご、ごめんなさい、大丈夫です、そんなつもりじゃなくて……」


「いや俺もう読み終わったし、たまたま本屋で見かけて買っただけだからさ」


 はい、と本を差し出た手を俺が引っ込めないのを見て、彼女は数度 俺と本を見比べた後、そっとそれを受け取った。


 どこで手に入れたのかを知りたかっただけで、本当にそんなつもりはなかったのだろう。

 せっかく欲しかった本を手に入れたのに、申し訳なさそうな顔をしている彼女の名を呼んで、俺は真っ直ぐにその目を見据えた。


「本だってさ、どうせならすごく欲しいって人のところに行ったほうがいいよ」


 エゴサに使われるよりよっぽど本望であるに違いない。


「だから遠慮せず貰ってくれて、あと出来れば喜んでくれると、俺も嬉しい」


 そう伝えて目を細めて笑うと、彼女は視線をゆっくりと本の表紙に落として、それを抱きしめた。


「……ありがとう、ございます」


「どういたしまして」


 俺としてもそんなつもりはなかったのだが、結果としてエナは少しだけ警戒を解いてくれたようで、ぽつりぽつりと話をしてくれるようになった。


 何だか物で釣ったみたいになってしまったが、結果良ければ全て良し。

 とにかく目的のためには手段を選ばない、それが大人だ。偶然だけど。


「この本……ずっとほしくて、買いたかったんです、けど、入荷する数がすくなくて、どこも売り切れちゃってて……みつからなくて」


「へぇ、そんなに。何か好きな作家さんとかなの?」


「い、いえ、作家さんのことは、あんまりくわしくないんです、けど」


「じゃあ……えーと、それ……神竜の話が読みたかったとか?」


 自分で「俺の話が読みたかったの?」って聞いてる感じで、微妙な気分になりつつも流れで尋ねてみると、エナはまたきらりと目を輝かせる。


「はい! わたしっ、小さいころからずっとずっと、」


 普段の怯えた様子が嘘みたいな生き生きとした表情で、彼女は本の表紙を俺に向けた。


「神竜の伝説が―― 神竜さまが、大好きなんです!!」


 別れの時までに見られるかどうかと思っていた少女の満面の笑顔を今まさに目の前に、俺の脳裏には「兄さまなら大丈夫かなぁと思って」という青のの言葉があざやかに甦っていた。


 こういうことか、妹よ。

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