不正上等。大人は汚いのだ。
それから青のに俺がいなかった三百年間の話を聞き、一緒にのんびりと朝食を食べて家を出た。
来たときは深夜だったのであまり雰囲気が分からなかったが、明るいうちに歩いてみると、どうやらここは学術都市に近い街らしいと分かる。
学業に興味のある人間が集まったからこういう街になったのか、こういう街だから学業に励む人間が多いのか。
ニワトリとタマゴみたいな話だが、さほど大きい街でもないのにいくつもの学園や研究機関や点在しているという。
となると必然的に専門書や稀覯本などを扱う店も多くなり、青のにはもってこいの街となっている。
俺に説明しながら、色んな書物が手に入って幸せですとそれは嬉しそうに笑っていた。
そして青のが働いている私設図書館は、住宅地の傍にあった。
まだ開館時間ではないため閉じている入り口の周りには、柔らかい色合いの花が咲いた鉢がきれいに並んでいる。
そこからぐるりと後ろに回って、青のが慣れた様子で裏口の鍵を開けた。
細い廊下を通り、ひとつの部屋の前で足を止めて軽くノックをする。
どうぞ、と中から女性の声が聞こえた。扉をあける。
「失礼します。おはようございます、館長」
「はいおはよう……あれ?」
カップを片手に何かの書類を見ていた、五十代くらいの女性が顔を上げた。
はっきりした表情と活発そうな短めの髪のせいか年齢よりもずっと若々しく見える彼女は、青のの後ろから部屋に入ってきた俺の姿に首を傾げた。
「そちらは? 弟さん?」
「今日の勉強会に参加してもらおうと思うんですが、……かまいませんか?」
弟かという問いを否定も肯定もせず、ただ俺をここへ連れてきた理由を話す青のは、赤のと違う意味であまり設定を作らない。答えられないことは、何を聞かれても意味深に微笑んでかわすのだ。
自分はあまり要領がよくないから、変に設定を作って後で矛盾が出来たりしたら、うまくごまかせずに困ってしまう。
だからなるべく明言を避けるしかないのだと、前に妹は照れくさそうに笑っていたが、それを言ったら俺と緑のなんてどうなるのか。矛盾ありまくりのごり押ししかしていない。
「はじめましてー。シンです」
青のに合わせて、あまり余計なことは言わずに自己紹介をする。
館長と呼ばれた彼女は少しの間まじまじと俺を眺めた後、なんだか意味ありげにニマリと笑った。
「もちろん、勉強会へは誰でも参加大歓迎だよ。楽しく知識と触れ合っていってね」
「はい」
「ありがとうございます、館長。……あ、私そろそろ開館の準備をしてきますね」
そう言って青のが扉の向こうに姿を消すと、部屋には俺と館長のふたりが残った。
一瞬の沈黙のあと、忍者さながらの足さばきで目の前にきた彼女が、輝く瞳で俺の両肩にぽんと手を置いた。
「歳の差なんて、あと十年もすれば気にならなくなるからね!」
「えっ」
「頑張るんだよ!」
青のの意味深な微笑みは、いったい館長の中にどんなドラマを生んでしまったのだろう。
謎の激励を受けながら、俺はとりあえず「ベストを尽くします」と頷いておいた。
*
勉強会が始まる昼過ぎまでは、館内で自分の本を読みながら過ごした。例の神竜に関する童話の本だ。
読書の合間、たまに周囲を見回すと、学生よりも近所の住民らしきお年寄りや子供の姿が目についた。館内に置かれている本も学術書などよりは大衆向けのものが目立つ。
楽しく知識と触れ合っていってという言葉や、週に一度の無料の勉強会。そこに、館長がどういう思いでこの図書館を開いているかが垣間見えた気がした。
途中で青のの休憩時間に合わせて一緒に軽い昼食を食べて、また本を読んで時を待つ。
そしてちょうど最後のページを読み終わったところで、図書館の中に からからんとベルの音が響いた。勉強会の合図だ。
本を小脇に抱えて立ち上がり、館内の片隅に確保されている勉強用スペースに移動する。
同じようにあちこちから集まってきた子供たちは、下は五歳ほどから、上は十三歳くらいまでだった。この分だと俺が最年長だろう。色んな意味で。
「みんな集まりましたか? それでは勉強会を始めたいと思います、が、その前に」
教師のような位置に立って子供たちを見回していた青のに手招きされて、俺は前に出た。
「今日一日、このお兄さんも参加します。色々と教えてあげて下さいね」
「シンです。よろしくお願いしまーす」
子供たちの元気な返事が響く中、ざっと視線を滑らせて、ひとりの少女を探す。
そして見つけた。
一番後ろからこちらを見ている、大きな眼鏡をかけた女の子。
青のの話を聞くかぎり勉強会には毎回 参加しているはずなのに、知らない場所に連れてこられた猫のように、彼女はどこか所在なさげだった。
「アイシアせんせー! 今日はなにするの?」
前のほうにいた子供が拱手と共に声をあげる。
アイシア、というのは今の人間としての青のの名前だ。
「今日の課題は、各地に伝わる神話についての考察とまとめです。だけど初参加のシンさんもいるので、ちょっといつもとは違うことをしたいと思います」
そう言って微笑んだ青のは、手にしていた小さな布袋を掲げた。
「この中に、絵が描いてある紙が入っています。それぞれ紙を引いて、同じ絵柄の人と組んでください。今日の課題は二人一組でやりましょう」
誰と一緒になるかとはしゃぎ出した子供たちの傍らで、眼鏡の少女がさっと顔を青ざめさせる。
そんなに人見知りならこんなイベントは逃げてしまうんじゃないかと思ったが、予想に反して彼女はその場にとどまったままだった。顔色の悪さと視線の泳ぎっぷりは三割増しになったが。
なるほど、確かにひとりが好きというタイプなわけでもないみたいだ。
「シンさん、袋を持っていてもらっていいですか?」
「はいはい」
俺がクジ入りの袋を受け取り、青のが資料を確認している間に、我に先にと駆け寄ってきた子供たちがクジを引いていく。これは事前に打ち合わせ済みの流れだった。
頭に浮かぶのは、いくつもの絵柄が描いてある紙。
空気の流れをいじってこっそりと袋の中を移動させ、次々に伸びてくる手から、ある一組の絵柄を逃がしていく。
……神竜の力を何に使ってるんだと月のに怒られるだろうか。
でもあれでいて月のも弟妹に甘いので、青ののお願いを叶えるためであればそんなには怒らない気がした。うん、そんなには。
ほとんどの子供がクジを引き終わって、残り二、三名となったところで彼女は来た。「どうぞー」と袋を差し出すと、慌てたように頭を下げて、袋に手を入れる。
その手の中に、ひとつのクジをするりと滑り込ませた。
全員が引き終えたところで、最後に残ったクジを俺が手に取る。
青のはそれを確認して小さく笑みを浮かべ、子供たちを見回した。
「では紙を開いてみてください」
クジを開けた子供たちが、果物や動物の絵柄が描いてある紙を掲げて相手を探す。
役目を終えた袋を青のに返しつつ、俺も紙を開いた。
そこにはひとつの丸と何本かの線で簡単に描かれた、太陽の絵柄があった。
おろおろと周囲を見回している少女を横目に、俺は何食わぬ顔で自分の紙を持ち上げる。
「太陽の絵のひと、いますかー?」
不正上等。大人は汚いのだ。
恐る恐る手を上げてこちらを見た少女に、俺は にかりと笑みを向けた。
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