「意外としっかり“兄さん”だったなと思って」


 駆け付けてくれた別の自警団員たちに場を任せ、興奮冷めやらぬ人波をなんとか通り抜けて、俺達は本部へと戻った。

 そこに本部で休憩していた不健康さんと、いつのまにか回収されていたらしい傷痕さんも加え、みんなで談話室に集まる。


 なぜかといえば、ケントの説得のためだ。彼の手にはいまだあの小箱がしっかりと握られている。

 しかし赤のが言葉を添えてもなお、三人衆を見据えるケントの目は懐疑的だった。


 確かに、彼らの見てくれは“いかにも”としか言いようがない。

 出会いがしらで同じように疑った身として気持ちは分からなくもないが、何をどうひっくり返したところで彼らから出てくるのは優しさと思いやりくらいだ。


 だがいくらそれを説明したところで、ケントに信じる気がなければそれまで。

 完全なる膠着状態へ突入した空気をぶち壊したのは、突如 談話室へ飛び込んできた、ひとりの女性だった。


「ちょっとあんた大丈夫!?」


 ひどく慌てた様子のその女性が、一目散にスナイパー氏のもとへ駆け寄っていく。


「また何か誤解されたんでしょ! 今度はどんな悪党だと思われたの!?」


 彼女は小柄で可愛らしい容姿に反した力強さでスナイパー氏の胸倉を掴み、がくがくと前後に揺さぶっていた。


「あんたは虫一匹殺せる人じゃないんだって、あたしがちゃんと言ってやるから! 誰!? 誰が責任者なの!?」


「……、…………!」


 説明しようにも、当のスナイパー氏は彼女の手でシェイクされていてそんな余裕はなさそうだ。他の二人も勢いに押されて、止めようとする手を上げたり下げたりしながらおろおろしている。


 とりあえず落ち着いてもらわなくてはと思った俺が腰を上げるより早く、隣にいた赤のが動いた。

 だが弟が向かったのはスナイパー氏たちのところではなく、ぽかんと騒ぎを見つめていたケントのところだった。目線を合わせるように、彼の前で片膝をつく。


「ケント」


 びくりと肩を震わせたケントが、おそるおそる赤のを見た。

 怒られると思ったのかもしれない。だけど赤のの声は、あくまで静かだった。


「ただ目障りな敵をぶっ倒すだけのやつのことを、ヒーローって呼ぶわけじゃねぇだろう。んなもんは、そこらへんの荒くれにだって出来る」


 そう言って、真っ直ぐにケントを見据える。

 口下手というほどではないが、自分の思いを人に伝える形に直す作業があまり得意ではない自覚があるのだろう弟は、いつになく慎重に、ゆっくりと言葉を選んで音にしていた。


「……誰かの大切なもんをずっと守り続けてる人。それが俺の思うヒーローで、俺の目標だ」


 伝わるように。受け取りやすいように。

 “子供”ではなく、“ケント”と向かい合う。


「その目標をしばらくお前にも貸してやる。勘違いすんなよ、ずっとじゃねぇぞ。期間限定だ。その間にお前はお前の中のヒーローを、ちゃんと見つけろ」


 とん、と胸に押し付けられた赤のの拳を見下ろしたケントが、その顔をくしゃりと泣きそうに歪めた。


 手の中にある小箱が思っていたようなものじゃないことくらい、きっとケントも分かっていたんだろう。

 けれど小箱が、彼らが悪であってくれなければ、自分のやったことが正義ではなくなってしまう。


 自分は、“ヒーロー”ではなくなってしまう。


 ヒーローへの憧れ。

 その思いの強さゆえの失敗への恐怖と、悪ではない人を巻き込んでしまった罪悪感。


「で、とりあえず今のお前が目指すヒーローは俺と同じだ。ということは、どうすりゃいいか分かるだろ」


「……だれかの大切なものを……守れる人」


 だけどそんな全てが折り重なってぐちゃぐちゃになった感情を解いたのは、やっぱりヒーローへの憧れと、それを投影させた憧れの人だったらしい。


 小箱を手に顔を上げたケントは、その目に真っ直ぐな光を宿して身をひるがえした。

 果敢にもスナイパー氏たちの間に割って入ると、彼に向かって小箱を差し出し、深く頭を下げる。


「ごめんなさい」


 謝罪と共に、指輪の入った小箱がケントの手からスナイパー氏の手へ戻る。


「…………」


 そして小箱は、緊張に震えるスナイパー氏の手から、彼女の手へと。


「これ、って」


「…………、…………」


 スナイパー氏が真っ赤な顔で、プロポーズの言葉……を言ってるんだろう多分。

 傍目にはそれ以上のことが伝わってこなかったが、目の前の彼女には通じているらしい。


 少しの間ぽかんとスナイパー氏を見上げていたかと思うと、やがて彼女は目に涙を浮かべて、彼の胸に飛び込む。

 スナイパー氏も一瞬あたふたと両手をさまよわせた末に、そっと彼女を抱きしめた。


 残りの面々に「撤収!撤収だ!」とボディランゲージで伝えて、俺達は息を潜めながら談話室を抜け出した。

 最後尾だった傷痕さんが後ろ手に扉を閉じたところで、全員ほっと息をつく。


「ひひっ、なんか色々世話になっちまったな。ありがとよ」


 そう言って俺を見た傷痕さんに、「そんな、こちらこそ」と心からの言葉を返す。いや本当に。


「どっか行くとこだったんだろぉ? 時間取らせちまって悪かったなぁ。後は俺達だけで大丈夫だからよぉ」


 気にせずに行ってくれと不健康さんが笑う。

 少し迷ったけれど、ここに俺がいたからと出来ることもないだろうし、中の二人はもうしばらくそっとしておいてやりたかった。


「そっか。じゃあ、お幸せにって伝えといてください」


「おうよ、ひひ」


「またなぁ。次会う時までには自分の店持ててるように頑張るぜぇ」


 いかにもな風体で、いかにも悪そうな笑みを浮かべた、けれど人の好い彼らに手を振って、俺達はその場を離れた。



「おい、おまえ」


 赤のの後について本部の廊下を進んでいると、隣を歩いていたケントがおもむろに声を掛けてきた。


「何?」


「おれは、おまえがアレクさんの弟っていうのは、やっぱり信じられない」


「う……うん」


 実際“弟”ではないんだから、ケントの反応はある意味正しい。

 兄ですって言えばもしかして信じてもらえるんだろうか、なんて無茶なことを考えた俺の横で、ケントがそっぽを向く。


「でも」


「うん?」


「アレクさんの二番弟子にだったら、なってもいいぞ」


 あさってのほうを向いたまま小さく呟かれた言葉に、目を丸くする。


「ケン、」


「……おれが兄弟子だからな!!」


 そう叫んで言い逃げのように走り出したケントが、あっという間に前を歩く赤のを追い抜いて、廊下の向こうに消えていく。

 呼び止めようと伸ばしかけて半端な位置で止まった手をゆっくりと下ろし、歩調を速めて赤のの隣に並んだ。


「だってさ。弟子にしてくれるか? アレク兄さん」


「……勘弁してくれ」


「ははっ。ところでケント行っちゃったけど、ほっといていいの?」


「大丈夫だ。受付にあいつの親父が来てるから、あのまま行けばすぐ捕まる」


 店番を放り出してたわけだから、おそらく盛大に怒られるだろうなと口の端を上げた赤のを、俺はまじまじと見上げる。


「何だよ」


「意外としっかり“兄さん”だったなと思って」


 つい先ほど、談話室で真剣にケントを諭してみせた赤のの姿を思い出す。

 まだまだ子供かと思っていたけど、この弟もいつのまにやら成長していたようだ。いや、三百年もあれば何かが変わるのは必然なのかもしれない。


 世界も、人も、――竜も。


 ふと胸をよぎった思いに目を細めかけた俺の横で、赤のが微かに笑う気配がした。


「……まぁ、見本がいるからな」


 ケントが“アレクさん”のことを話すときと同じような顔で、弟はちょっとだけ面映ゆそうにこちらを見た。


「さて。あんたもそろそろ行けよ、まだ他のやつのとこ回るんだろ?」


 さっきのケントのように顔を背けて、がしがしと頭をかいた赤のがやや強引に話題を変える。


「え、でも今回の騒ぎについての事情聴取とかあるんじゃないの」


「そんなもん談話室に残ってるあいつらとケントで十分だろ。つーかそれくらいは俺が何とかしとくから、任せろよ」


 そっぽを向いたままの弟の側頭部を眺めて、小さく噴き出す。


「ああ、分かった。頼むな」


「…………おう」


 そうこうしているうちに通路の先から盛大に響いてきたケントの引きつった声と宿の主人の怒声に、俺達は顔を見合わせて「あーあ」と肩をすくめたのだった。

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