「任せろ。……受け取るのは得意だ」


「じゃあまた今度な」


「ああ」


 次の満月には山の自宅で会うのだから、大げさな別れは必要ない。

 学校帰りにまた明日というのと同じ気軽さで赤のに手を振って、本部を出た。


 裏通りをだらだらと歩きながら、残る弟妹二人のうち、ここから近いのはどちらのほうだろうかと気配を探る。


「……青ののほうが近いかな」


 服を用意してくれたお礼に何かお土産でも買って行こうか。

 そう思って辺りの店に視線を巡らせる。


 だが最初に目についたのは店に並ぶ品々ではなく、路地の影からきょろきょろと周囲を見回す、小さな背中だった。


「ケント?」


 思わず足を止めて、店番に戻ったはずの子供に声を掛ける。

 するとケントはびくりと肩を震わせて、勢いよくこちらを振り返った。


「なんだ、おまえか」


 俺の顔を見て ほっとしたように息をつく。


「おどかすなよな!」


 かと思えば眉を吊り上げて怒り出した子供にとりあえず謝ってから、「何してるの」と問いかけた。


「おれは今、悪と戦ってるんだ」


 そう言って、若干の怯えに無理やり蓋をしたような笑みを浮かべたケントに首をかしげる。


 悪。

 悪とはこれまた。


「その顔! しんじてないな!?」


「いや、信じる信じないの領域に差し掛かってないというか……どこの悪と戦ってるんだ?」


 今のケントの様子は、戦うというより逃げているみたいだった。

 ならば相手の悪は“人の心”とか“世の理”とかいう漠然としたものじゃなくて、形ある何者かなのだろう。

 そう思い聞いてみると、ケントは服のポケットから小さな立方体をひとつ取り出した。


 大人の手のひらサイズ。子供の手のひらには少し余りそうな大きさのそれは、渋い色合いの紙できっちりと梱包されていて、中身は分からないが小さな箱のように見える。


「それが悪?」


「ちがう! これはあいつらが持ってたんだ。にやにや笑いながら『これでイチコロだ』とか言ってた。きっと中にすげー危ないもんが入ってるんだ、それで誰かをしとめる気なんだ」


「ほほう」


「だからおれは、これを誰にもみつからない場所にかくしに行く!」


「自警団に持ってけばいいんじゃない?」


 何が入っているにしろ、本職の人に確認してもらえば安心だ。

 そう提案した俺に、ケントは『わかってねーなコイツ』と言わんばかりの視線をよこす。え、すみません。


「おれはいつかヒーローになる男だぞ! それに、これくらいひとりで解決してみせなきゃアレクさんの弟子しっかくだ!」


「弟子だったのか」


 人気者だな兄さん、と何度目になるか知れない呟きを内心に落としつつ、俺はその箱のようなものにそっと手を伸ばして触れた。

 指先が、よく見なきゃ分からない程度にぼんやりと光る。


 するとまず浮かぶのは、箱のようなものを包む紙の情報。

 それを頭の中で一枚ずつめくる感覚で中を探る。


 次に浮かんだのは、淡い桃色のきれいな小箱の映像だ。

 見たかぎり特に怪しいところはない。


 もうひとつめくる。


「……これは、」


 その中身に思わず目を丸くした瞬間。


「まずい! 見つかった!」


 ケントが突然 身をひるがえし、一目散に走り出す。箱が指先から離れて、浮かんでいた情報が掻き消えた。

 小さな背中が路地の向こうに消えた数秒後、俺の横を走り抜ける別の人影がふたつ。


「ひひっ、ひっ、ま、待ちやがれガキ!!」


「…………! …………!!」


 どこかで聞いた声。

 どこかで見た、ライフルを持たせたくなる後ろ姿。


 呼び止める間もなく彼らが走り去った方向をぽかんと眺めていると、また時間差で横を通り過ぎた影があった。

 だが、それは先ほどの彼らのように路地の奥に消えることなく、俺の数歩先でがくりと崩れ落ちる。


「ち、ちくしょうぅ、あのガキぃ、くそ速ぇえよぉ」


 汗だくでぶつぶつ言いながら地面に転がったのは、昨日お世話になった三人衆のひとり、装飾品ジャラジャラの不健康さんだった。

 先に行った二人の後を追いたい気持ちはあるようだったが、もはや体を起こそうとする腕にも足にもろくな力が入っていない。


「もしもーし、大丈夫ですかー?」


 とりあえず、隣にしゃがみ込んで声をかける。そこで不健康さんもようやく俺に気付いたようだ。


「オメェ昨日のガキじゃねぇかぁ。どうだ、ちゃんと泊まれたかぁ?」


「はい、おかげさまで」


 何か大変そうなのに真っ先に俺の心配をする彼に、ほんと昨日誤解してすみませんと今一度謝りたくなる。


「ところで何かあったんですか? 仲良く鬼ごっこってわけじゃあ……ないですよね」


 “悪と戦ってる”と言っていたケントの様子は真剣そのもので、どう考えても顔見知りのじゃれ合いという雰囲気ではなかった。

 かといって、彼らが意味もなく子供を追いかけまわすような真似をするとも思えない。


 そこまで考えたところで、ふと脳裏をよぎったのはあの箱の中身のこと。

 渋い色合いの紙できっちりと梱包された、淡い桃色のきれいな小箱の中に入っていたアレはもしかして。


「実はよぉ、アニキがとうとう彼女にプロポーズすることになってよぉ」


「やっぱり! っていうか昨日の今日で!?」


「オメェに背中押してもらってなんか踏ん切りついたらしくてなぁ」


 先ほど見た小箱の中身。それは、女物の可愛らしい指輪だった。

 スナイパー氏は今日その指輪を渡して結婚を申し込む予定だったらしい。


 しかしいざ彼女さんの自宅へというところで、極度の緊張により足を止めてしまったスナイパー氏を、不健康さんと傷痕さんが二人掛かりで励ましていたのだという。


 きっと上手くいく、指輪だって用意した、“これでイチコロだ”――と。


 ……なぜ、そんないかにもな台詞をチョイスしてしまったのか。

 そのいかにもな風体で。


 そうして緊張に固まったスナイパー氏の表情を、その緊張をほぐすために二人が浮かべていた笑顔を、ケントがどう受け取ったかはもはや想像に難くない。


 これ若干俺のせいと言えなくもないんだろうか。

 いや、責任があるとすればプロポーズの日が今日になったことくらいだと思うが、このままケントと彼らを放置するのは何だか後々胸が痛みそうだ。


「あー、うん、よし。赤の……じゃない、アレク兄さーん!」


 路地から通りのほうへ向けて、軽く声を張って叫ぶ。


 まだ本部からはそんなに離れていない。

 赤のは人間体のときもあまり感覚を絞っていないから、このくらいの距離なら少し風で音を飛ばせば届くだろう。ケントを説得するなら赤のが適任だ。


 ひとつ息をついて、不健康さんに向き直る。


「多分もうすぐここに赤い髪の自警団員が来ると思うんで、彼に事情を説明して、あとは本部で休ませてもらって下さい」


「はぁ? オメェはどうすんだぁ?」


「代わりに追いかけてきます!」


 俺がそう告げてグッと親指を立てると、不健康さんは一瞬思案した後、「頼んだぜぇ」と頷いた。選手交代だ。

 ぱちんと軽くハイタッチを交わし、俺はケント達が向かった方向に走り出した。



 気配を追っていくと、やがて裏通りから大通りへ出た。


 大勢の人でごった返す昼過ぎの通りは大人が走り抜けるにはかなり窮屈なことになっていたが、子供とってはそうでもないのだろう。

 先ほどからケントの気配がじわじわとスナイパー氏を引き離していた。


 とりあえず俺も追いつかなくてはと、昨日の赤ののように風を使って人波をすり抜けようと思ったところで、ふと前方に小さな人だかりが出来ているのに気付く。


 何事かと目を凝らせば、道の真ん中に人が転がっていた。

 ていうか、あれは傷痕さんだ。ケントとスナイパー氏の位置ばかり気にしていたからちょっと忘れてた。


 彼がいかにもな風体だからか遠巻きに様子を見ているだけの人々の間を抜けて彼に近づき、「大丈夫ですか」と声を掛ける。

 汗だくでゼェゼェと息を荒げた傷跡さんが、俺を見て目を丸くした。


「ひひっ、ひ、お前昨日の……。そうだ、宿から大通りまでの道はちゃんと分かったか? 迷わなかったか?」


「……重ね重ねありがとうございます」


 そしてどうか自分の心配を先にしてほしい。

 じゃないと昨日の俺がいたたまれない。


「事情は聞いてます。俺もケントを追いかけるんで、そのへんで休んでて下さい」


「そうか、すまねぇなぁ……ひ、ゲホッ」


 例の笑い声をあげようとしてむせた傷痕さんに肩を貸し、隅の方にあるベンチへ連れていく。

 何やら今にも力尽きそうな風情だが、単なる走り過ぎの疲労だ。しばらく休めば治るだろう。


 しかしこれは大の大人ふたりを振り切ったケントの機動力を賞賛すべきか、はたまた彼らの運動不足を嘆くべきなのか。

 そんなどうでもいいことで悩んでいると、慣れた気配が近づいてくるのを感じて顔を上げた。


「おーいアレク兄さーん! こっちこっち!」


「あに、……シン!」


 通りの向こうから現れた赤のがこちらに駆け寄ってくる。

 緑ののニシンさんに続き今度はアニシンさんになりかけた俺は、とりあえず赤のと二人で傷痕さんをベンチに横たえさせた。


 「ひひ、頼むぜ」と手を上げた彼に、俺が赤のの手を掴んでぺちんと打ち付けさせる。こっちも選手交代だ。


「……今のは何の意味があるんだ?」


「まあまあ」


 怪訝そうな赤のの問いを勢いで流して、ふたり揃ってまた大通りを走り出した。


 思いきりスピードを上げたいところだが、先ほどからのあれこれで俺達はそれなりに視線を集めている。

 これだけ注目されていると、あまり極端に加速するわけにはいかなかった。せいぜい空気の流れを少しいじって人波を通り抜けやすくする程度だ。


 だが、ふと気付けばケントとスナイパー氏の気配は、一定の範囲だけでぐるぐると動いていた。


「建物に入ったかなぁ」


「この先で建物っつーと、あれか」


 隣を走る赤のが視線で示したもの。

 それは街の中央にそびえる赤い電波塔、もとい鐘楼だった。


 中を自由に見学できるんだよ、というパン屋のおかみさんの言葉が脳裏によみがえる。ケントがあそこへ逃げ込んで、それをスナイパー氏が追ったのだろう。


「うん、あの中だ。二人とも上に向かってる」


「分かった。俺が追いかけるから、あんたは念のため下にいてくれ」


「頼んだぞ、紅蓮の特攻隊長」


「それやめろ!」


 赤面しつつ怒鳴ってから、一気に加速した赤のが鐘楼の中へ走り込んでいった。お前その速さ人間的にギリギリだぞ。


 だがケント達の動きを見るに、鐘楼内は螺旋階段になっているようだ。

 高さもそれなりにあるし、今から突入した赤のが人間ギリギリの速度で駆け上がったとしても、人間の領域をギリギリ保った動きをするなら追いつくには少しかかる。


 俺は鐘楼の全体が視界に入る位置で立ち止まって、中の気配を追うのに集中した。


 鐘楼内は他の見物客もそれなりにいるようだったが、スナイパー氏のいかにもな風体に尻込みしてか、みんな慌てて進路をあけるだけだ。


 やっぱり赤のが追いつかないと止まらないか、と下でひとり腕組みをしていた俺の目に、ようやく気配ではないケントとスナイパー氏の姿が映る。


 鐘楼のほぼてっぺん。

 鐘の手入れをするための場所なのか柵も何もない、本来なら市民の立ち入りは禁止されているだろう最上階に、彼らは辿り着いていた。


 俺の位置から見えるのは、もはや逃げ場がないことを知ったケントが箱を抱えてじりじりと後ずさる背中と、ケントに向かって首を横に振るスナイパー氏。たぶん、危ないからこっちに来いと言いたいんだろう。


「おれは悪に屈しないぞ!」


 頂上から響いてきたケントの声に、周囲を歩いていた人達も立ち止まって顔を上げる。

 徐々に広がっていくざわめきを耳の端に聞きながら、俺は何とも言いがたい嫌な予感に顔を顰めた。


 例えるならば、崖の中ほどの夕暮れ草。

 これが異世界の友人が言っていたフラグという感覚かとあまり嬉しくない局面で理解に至りながら、二人の動きに気を配る。


 だけどもうすぐだ。もうすぐ赤のが着く。

 ちゃんと人間の限界を保って上ったのか不安になる速さだが、こうなったら何でもいいから急いでケントを捕獲してくれ。


 あと一歩後ろに下がれば真っ逆さまになってしまう場所に立つケントは、震える手で、それでも小箱をぎゅっと胸に抱きしめる。


「これは渡さない……おれはっ、ヒーローなんだ!!」


 そんないかにも子供じみた夢を叫ぶ声は、しかし真っ直ぐな覚悟に溢れていた。


 なんだ、いっぱしの男じゃないか。

 状況も忘れて思わず口の端を上げた俺の目に、最上階にたどり着いた赤のの姿が映り、間に合ったかと安堵の息をつく。


「ケント!」


「アレクさ、」


 同じく赤のに気付いたケントが ほっとしたように肩の力を抜いた。


 だがその安心が、ここまでずっと走り回ってきたケントの足を、――――たった一歩 揺らめかせた。


 あっという間に小さな体が後ろに傾く。スナイパー氏が急いで手を伸ばすが間に合わない。

 辿り着いたばかりで少し距離がある赤のも、このままでは、間に合わない。


 下で様子を見ていた人々の間から悲鳴が上がる。

 皆の意識が宙に投げ出されたケントに向いたその時。


 鐘楼の最上階から、一瞬だけ光が溢れた。

 俺は行使しようとしていた力の流れを解き、空を仰ぐ。


「大胆なやつだなぁ」


 青い青い空に浮かぶのは、真っ赤な鱗を陽にきらめかせた竜の姿。


 もちろん目くらましをかけてあるから普通の人間には見えないが、マルルのような極少数の子供にはもしかしたら見えているかもしれない。まぁさほど騒ぎにはならないと思うけど、やっぱり大胆だ。


 赤竜が、ぐっと翼に力を込めたのが分かる。

 その目が空から真っ直ぐに俺を見据えた。


「兄貴!」


 俺を呼ぶが早いか大きく羽ばたいた翼が巻き起こすのは、風。


「任せろ。……受け取るのは得意だ」


 地上の人間が思わずよろめくほどの突風の中で、俺は前方に向かって全速力で走りながら笑みを浮かべた。


 突風を隠れ蓑に、小さな子供の体を包み込んだ風がこちらへ流れてくる。

 まぁ包んであるとはいっても赤のはあまり細かい力の使い方は得意じゃないから、中にいる人間は普通に強風でもみくちゃにされてる感覚しかないだろう。だからこその俺だ。


 風の着地点へ滑り込む。


「よ、っとぉ!」


 そして飛んできたケントの体を受け止め、二人揃って地面へ転がった。


 俺の腹の上で呆然とするケントに怪我がないこと、その手の中にあの小箱があることを確認して、改めて安堵の息をつく。


「ナイスパス」


 ぐっと親指を立てた俺を見て、笑うように喉を鳴らした赤竜が空から消える。適当なところで人間体に戻ってくるんだろう。


 遅まきに子供の安否を確認した周囲から拍手喝采が巻き起こる。

 そして赤のが作り出した突風にあおられた鐘楼の鐘が高らかに鳴り響くその音を聞きながら、俺は「フラグってこわいなぁ」と脱力気味に苦笑を浮かべた。

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