「おまえっ! 覚悟しとけよ!!」


 寄宿舎で寝泊まりしているという赤のと別れて本部を出ると、外はもうだいぶ薄暗くなっていた。

 家々が灯す明かりが太陽の代わりに街を照らし始める中、宿を探して歩いていく。


「空いてるとこあるかな」


 金額に糸目をつけず、大通りに出て高級宿でも探せば空きの一つや二つ余裕で見つけられるだろうが、出来ればもっと気軽に泊まれる安宿を見つけたいところだった。重ねて言うがケチではない。倹約だ。


 そう思ってリーズナブルなお値段の宿を二、三件当たってみたのだが、考えることは皆同じなのか、どこもいっぱいで空きはなかった。


 これは街の外で野宿かとさりげなく高級宿の選択肢を排除しつつ、すっかり夜の景色に変わった裏通りを進んでいると、ふいに背後から複数の足音と笑い声が響いてきた。


「見てみろよ、ガキがこんな時間にウロウロしてるぜぇ」


「ひひ、どうした? ママとはぐれたか?」


「…………」


 周囲に他の人影はない。間違いなく俺に向けて話しているなと、小さく息をつきながら足を止めて振り返る。


 そこには、いかにもな風体の男が三人。


 ジャラジャラと装飾品を身に着けた不健康そうな男と、頬に傷痕のある目つきの悪い男、そして最後の一人は……異世界で読んだ漫画に出てきたスナイパーにそっくりな険しい顔の男だった。

 彼が使っていたライフルを持たせたい衝動に駆られつつも、この現状からどうやって逃げ出そうかと思考を巡らせる。


 正直、何をどうしたって竜が人間に負けることはない。

 もう存在としての土台が根本から違うのだ。彼らには眷属竜の鱗一枚 傷つける事だって難しいだろう。


 それでも人間体になっているときは感覚を人に近づけてあるから、怪我もすれば血も出るが、裏を返せばそれだけだ。

 致命傷にはなり得ないし、そもそも俺達の身体能力のほうが遥かに上なのだから、人間体のままであろうとそう簡単に傷を負う道理はない。例え暴力沙汰になったところでいくらでも撃退出来る。

 しかし、相手がどんな人間であれ俺にとっては愛しい世界の愛しい一部だ。特に理由がないなら手を出したくはなかった。


 ならば逃げるが勝ちだ。

 退路を探して視線を滑らせているうちに、彼らがこちらに向かって、すっと身を乗り出した。


 こうなれば後ろしかない。振り返って一気に走り抜けようと心に決めた、瞬間。


「オメェよう、いくら自警団の連中が見回ってるっつーても危なくねぇワケじゃねぇんだぜぇ。ガキが夜に一人でウロつくなよなぁ」


「ひひ、迷子なら団本部まで連れてってやるから誰か団員に送ってもらえよ。オレらが送ってってもいいけど、こんなツラの奴と一緒じゃ親御さんが心配するからな、ひひっ」


「…………」


 ――良い人達だった!


 絡まれたと思ったこと自体が申し訳ないほど、彼らは普通に良い人だった。

 いや、スナイパー氏はずっと無言なので分からないけど、威圧感溢れる彫りの深い顔は、よく見るとどことなく気遣わしげな雰囲気を漂わせている……気がしなくもない。


 あと頬に傷持つ彼はツラ云々より「ひひ」って笑い方を何とかすればいいんじゃないかと思ったが、出会って三分の俺が指摘することでもないだろうと、浮かんだ言葉を別の問いに変えて押し出した。


「あの、この辺に穴場の安い宿ありませんか?」



 俺の問いに快く答えてくれた彼らは、しかし分かりにくい場所にあるからとそのまま案内役まで買って出てくれた。さっき“いかにもな風体”とか思って本当に申し訳ありませんでした。


 人間を見た目で判断してはいけないという教訓を改めて胸に刻み付けながら、夜の裏通りを彼らと共に歩く。


 道中、傷痕さんの傷は彼が飼っている愛猫によるものだと知ったり、不健康さんがジャラジャラつけてる装飾品は彼の手作りでいつか自分の店を持つのが夢なのだと聞いたり、スナイパー氏には結婚を前提にしたお付き合いをしている彼女がいてプロポーズのタイミングに悩んでいることを相談されたりと、短くも濃い時間を過ごした。

 とりあえずスナイパー氏には「人生は限りがあるんだから思い立ったら即行動!」とディーの時と似たようなアドバイスをしておいた。それしか思いつかなかったともいう。


「オウ、ここだ、ここだぁ。値段のワリにゃ良い宿だぜぇ」


「宿の親父も息子も愛想ねぇのが玉に瑕だけどな、ひひっ」


「…………」


 そしてたどり着いたのは、路地の奥まったところでひっそりと営業している宿だった。扉の所に『空き部屋有り』という札が下がっている。


 出会い頭に勘違いした謝罪も込めて三人に心からお礼の言葉を告げて、宿の前で別れた。去り際のスナイパー氏が俺に向けて力強く拳を握っていたので、プロポーズの日は近いかもしれない。


 さびれた外観とは裏腹に、宿の中はきれいに整っていた。

 けれど無機質ではない、人の手が入っていることが分かる温かな清潔感がある。


「一名様ですかー?」


 棒読み気味の敬語が耳に届いた。だが受付に人影はない。

 気配はするのになと思いながら周囲を見回していると、ゴトゴトと物が動く音がした。


 すると間もなく、無人に見えた受付に一人の子供が姿を現す。

 台にでも乗ったのだろう、今度はかろうじて頭が受付から覗いていた。


「はい、一人です」


「じゃあこちらにお名前おねがいしまーす」


 マルルより年上だろう、五、六歳くらいに見えるその子供は、素っ気ない態度で宿帳を差し出してくる。

 傷痕さんが、愛想が無いのが玉に瑕、といっていた“宿の息子”とは彼のことかと察した。色んな人間と接する機会の多い宿という家業柄か、態度も喋り方も年齢以上にしっかりしている。


「そうだ。これの割引ってききます?」


 宿帳に名前を記入して、赤のから貰ったコインを受付に置く。


「あーハイ、正団員料金になりま……」


 ちらりと机上を見て返事をしかけた彼が、勢いよくコインに向き直った。盛大な二度見だ。

 そのまま食い入るようにコインを見つめていた彼の肩が、わなわなと震えだす。


 何事だろうかと黙って様子を見ていると、彼は突然目つきを鋭くして、びしっと俺を指さした。


「これアレクさんの赤証じゃねぇか! なんでおまえが持ってんだ!」


 家族割コインは赤証と言うらしい。ていうか個人が特定できるのか。あ、ほんとだ名前入ってた。

 コインをしまい直しつつ、何でと言われてもと苦笑する。


「本人から貰ったんで」


「んなわけねーだろ!」


 全否定された。


 いったいどう答えれば正解なのか、首を傾げる俺の正面で、受付の奥にある扉がふいに開いた。

 そして「あ」と思う間もなく、彼の頭頂部に大きなゲンコツが落とされる。


「ケント! てめぇお客になんて口きいてんだ!!」


 彼――ケントと呼ばれた子供は、頭を押さえてしばし悶絶した後、背後に立つ恰幅の良い男性を涙目で見上げた。


「だってよぅ父ちゃんっ」


「だってもクソもあるか! ……おう坊主、ウチのガキが悪かったな。ほら、これが部屋の鍵だ」


 息子の接客態度を一喝したわりには本人もだいぶ砕けた態度で、宿の主人であろうその男性が鍵を投げ渡してくる。


「場所は二階突き当たり。ゆっくりして行けよ。で、おめぇは今から説教だ! 裏来い!」


「えぇええぇええ~」


 猫の子みたいにひょいと首根っこを掴まえられたケントが、宿の主人に連れられて行く。

 姿が扉の向こうに消える直前、彼はギッと俺を睨みつけた。


「おまえっ! 覚悟しとけよ!!」


 謎の捨て台詞を最後に閉じた扉。

 ひとり残された俺は、何に対して覚悟しておけばいいんだろうと少し頭を悩ませたのだった。

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