「……今度から“紅蓮の”って呼んだ方がいいか?」
街の自警団で働いている弟は今、アレクと名乗っているようだった。まぁ赤のは設定と同じく名前もほぼ変えないので、大抵アレクだ。
だからたまに現在の友人の祖父がかつての友人、なんてことがあると当時と同じ顔、同じ名前の赤のに驚くそうだが、そこは「他人の空似」の一点張りで押し通しているらしい。もう単に一点以上を覚えられないだけなんじゃないかと白のは言っていた。
賑やかな大通りをそれて、下町のような風情漂う裏通りを、本部に向かって歩く。
大通りは装飾品や衣類系、レストランなど立派そうな店が多かったが、こちらには野菜や果物、日用雑貨といった生活に近いものを扱う店舗が多く並んでいた。
「ようアレク! 見回りか?」
「今度 店の新作メニュー食べにおいでアレク、安くしとくわ」
「あー! アレクにいちゃんだぁ!」
そして裏通りに入ってからというもの、赤のは店の人達によく声を掛けられる。
「人気者だな、兄さん」
かかる声が切れたタイミングを見計らって話しかけると、赤のはまた一瞬“誰だ兄さんって”みたいな顔をしたが、すぐにハッと目を見開いた。そうだお前だ。今は。
「…………別に、そういうわけじゃねぇよ。この辺の店のやつは掛け持ちで自警団入ってるのが多いから、同僚とか、その嫁さんとか、その子供とかが声かけてくるだけだ」
自分達が住む場所は自分達で守る、というのがここの住民の基本思想だそうで、自警団の半数近くが、別に本業のある掛け持ち団員らしい。正確には準団員というそうだ。
掛け持ちでない『職業:自警団』の人間は正団員。赤のがこれだ。
「いやぁ、ところがそればかりじゃなくてだな」
「おい」
同僚氏が愉快そうに笑いながら俺のほうを向く。
赤のは顔を顰めてそれを咎めようとするが、彼のほうが一歩早く言葉を続けた。
「知ってるか? お前の兄さん、紅蓮の特攻隊長って呼ばれてるんだぞ」
「ぅわははははははは!!! …………はー……、かっこいいですね」
「ぜってぇ思ってねぇだろ」
赤のがちょっと顔を赤くさせて俺を見る。
いや、大笑いした手前で説得力はないかもしれないが、人里でしっかりやっていけてるんだなぁと兄として本当に誇らしく感じている。
でもそういう二つ名って誰が言い出すんだろう。まさか自称じゃないだろうしと思い、同僚氏からさらに聞いたところによると。
正団員は荒事を主に担当するそうなのだが、その中でも誰より早く飛び出してあっという間に犯人をのしてしまう姿と、赤い髪の印象が合わさって、いつの間にか一部でそう呼ばれるようになったらしい。
そんなこんなで自警団としての繋がりがない住民の中にも、赤のを慕う人は多いんだとか。
「お前その気になれば副団長位だっていけるだろ、強いんだし」
「いやだ。柄じゃねぇ」
言葉通り心底 嫌そうに即答した赤のは、部下に指示を出す時間があるなら自分で犯罪者を殴りに行く、そういう弟だった。
それからいくつか赤のの武勇伝っぽい話を聞いたところで、目的地である自警団本部にたどり着いた。
石造りの大きな建物は、この世界で言うならギルドに、俺がこの間まで観光していた異世界風にいうなら市役所に似ている。
扉を開けて中に入ると、まず目に映ったのは受付の長机。
その奥に座っていた受付嬢が顔を上げてにこりと笑った。
「お帰りなさい。見回り交代の時間ですね、それでは引き継ぎを……」
慣れた調子で手続きを進めようとした受付嬢の目が俺を捉えて、動きを止める。
やがて不思議そうに首を傾げた彼女は、説明を求めるように赤の達を見やった。
「入団希望者、じゃないですよね。どちらさまですか?」
「俺の、……兄弟」
赤のは一瞬“兄貴”の“あ”の形に口を開きかけたがすぐに閉じ、しかしとっさに“弟”という単語も出てこなかったようで、上手いこと言い換えて逃げていた。まぁどっちが兄であろうと兄弟には違いない。
「え! アレクさんの弟さん!?」
そうしたら受付嬢が自分で判断してくれたので、赤のがひとつ頷く。
「弟くん、近々新しい兄弟が生まれるって報告がてら、アレクの活躍を見に田舎から出てきたんだってさ」
同僚氏の説明を聞くと、受付嬢は営業用ではない笑顔と共に祝福の言葉をくれた。それに礼を言いつつ、隣で複雑そうに眉根を寄せる弟の姿に内心苦笑する。
「だから兄弟でゆっくり話させてやりたいんだけど、談話室は空いてるか?」
「えーと今は……はい、大丈夫です。二番の部屋が使用できますね。でもその前に、アレクさんにも引き継ぎをして頂かないと」
「分かってる」
受付嬢の言葉に頷いた赤のは「先に行っててくれ」と俺に告げて、同僚氏と共に身をひるがえそうとする。
「あ。ちょっと待って兄さん」
ふと思い出したことがあって呼び止めると、首を傾げて振り返った赤のの前にあるものを掲げて見せた。
「……何だこれ」
「差し入れ?」
そう言って俺は、村で貰った野菜がぎゅうぎゅうに詰まった荷袋を、困惑顔の弟に手渡したのだった。
*
受付嬢に案内してもらって先に談話室でくつろいでいると、さほども経たないうちに赤のがやってきた。
「早かったなぁ」
「見回りの引き継ぎだしこんなもんだろ」
向かいの椅子に腰を下ろした赤のが、会話が自分達以外に届かないように音を散らす力を部屋に巡らせたのを感じたところで、俺はゆっくりと口を開いた。
「赤の」
「何だ?」
「……今度から“紅蓮の”って呼んだ方がいいか?」
「さっきの話は忘れろ!」
そうか。なんか段々かっこいいような気がしてきたんだけど。
気を取り直して、次の満月に新しい竜が来ることを伝える。
仕事の都合もあるだろうから無理はしなくていい、と言った俺に、赤のはやっぱり複雑そうな顔で溜息をついた。
「いや……そりゃもちろん行くし、兄弟が増えるのは嬉しいけどよ。竜を“受け取る”のは大変なんだろ? あんた大丈夫なのか」
「大丈夫じゃなきゃお前がここにいないだろ」
「まぁ、そうだけど」
煮え切らない返事に、俺もまた苦笑を零す。
前回、青のの時ちょっとだけ力の配分に失敗して“受け取った”あと俺がぶっ倒れたのを幼き日に間近で見た赤のには、まだその印象が強いらしい。
いや、あれに関しては本当に凡ミスだったというか、「素人じゃあるまいし」と月のには物凄く冷たい目で見られたし、上の弟妹達に何千年かぶりに泣かれたのも堪えたので、あんなことはもう二度と……次は気を付けるつもりだ。
「大丈夫大丈夫。緑のも来るし、お前も手伝ってくれるみたいだし、問題ないって」
俺と月のはお互いの仕事を手伝うことは出来ないけれど、双方にとっての眷属である弟妹達は、俺達に直接 力を貸すことが出来る。いわば増幅器だ。
彼らがいなくても仕事は果たせるが、いてくれれば作業は随分 楽になるだろう。
「……そうだな。分かった、任せろ」
そこで赤のがようやくいつも通りの笑みを浮かべたのを見て、まだ小さかった弟に若干のトラウマを植え付けた自覚のある俺は、そっと安堵の息をついた。
「そういえば兄貴、野菜、食堂のおっさん達が喜んでたぞ」
「あー。そりゃ良かった」
神竜や眷属竜は食事をしなくても生きていける。
でも味は分かるので食べることは好きだし、胃袋で消化しているわけじゃないから、味に飽きないかぎりはいくらでも食べ続けることが出来る。
だからあの野菜も俺一人で食べきろうと思えば出来ただろうが、どうせなら大勢の人に美味しく食べてもらったほうがいいだろう。
「明日の昼飯に使うっつってたから、その、急ぎじゃないなら食って行けよ」
俺達にとっての食事の場っていうのは、人間にとってのお茶会みたいなものだ。
栄養の摂取が目的ではなく、会話を楽しむためのツールとしての意味合いが大きい。
村で食事をご馳走してくれた緑のも、やや照れくさそうにそんな事を言う赤のも、久しぶりに会えたのだからもう少しと言外に滲ませる弟妹達の気持ちが嬉しくて、口元がゆるりと弧を描いた。
何せ三百年ぶりだ。積もる話はいくらでもある。
「あ、でも食堂ってここの食堂だよな。部外者が入っちゃまずくないか?」
そう問いかけると、赤のは団服の胸元から何かを取り出して俺に投げた。
飛んできたものを反射的に掴むと、それは一枚のコインだった。通貨に使われるものよりやや大きい、記念硬貨のような。
「これは?」
「正団員証。受付で見せれば入れる」
「……それは俺が持ってったら駄目だろ」
「平気だ。そっちは身内用で、俺が持ってなきゃいけないのはこっちだから」
赤のが別のコインを胸元から取り出して見せる。
俺の手元にあるものは赤銅色だが、そちらは青銅色で、表面の細工ももっと凝ったものだった。
聞けば、正団員にはいくつか特典があるのだという。
特定の店なら安く買い物が出来る、本部の食堂での食事が無料になる等で、その中のひとつがこのコイン……身内用の正団員証らしい。
これを持っていれば一部の特典を正団員と同じように受けられるんだとか。家族割ってやつか。
「あと、それ見せると大抵の店で値引きしてくれっから。宿取るだろ?」
明日の昼食を食べていくなら、今日のところはこの街で一泊することになる。
外に出てその辺で夜明かししてまた街へ、ということも出来るが、人里の雰囲気を味わいたいから宿に泊まるつもりだった俺は、ありがたくコインを受け取ることにした。
予算は結構 持って来ているが、安く済むにこしたことはないだろう。俺達はみんな、わりと倹約家だった。ケチではない。
「じゃあ借りとくな。ありがとう」
「借りるっつーか、渡す相手いなくてほったらかしてたやつだし、やるけど」
「お嫁さん出来たらどうすんだよ」
「出来ねぇよ」
「じゃあ彼女出来たら言ってくれ。そのとき返すから」
「……はいはい。出来たらな」
赤のが呆れたような息をつく。
お前そんな自分には関係ないみたいな顔してるけど、恋ってものはある日突然やってきて自覚症状なく進行し気が付いたら手遅れになるもんだぞ、とどこかの村に住む少年の実例をもとに解説してやろうかと思ったが、何かの拍子にばれたらすごく怒られそうだと思ったので、止めた。
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