「オレも見たかも。……キラキラ」


 “竜”に人を癒す力はない。

 眷属竜には、自分達以外の生命に干渉するほどの力がない。


 でも俺は違う。


 “神竜”は、ちがう。


 本当はやろうと思えば、あの場でマルルから毒を抜いてやることも出来た。

 だけど神竜は人を癒すことをしない。してはいけない。


 それを思い知ったのは、いつのころだっただろうか。

 長い長い歴史の中で“神竜”として人間と深く関わったこともあった。弱くて脆くて、だけど懸命に生きようとする命が、俺は大好きだった。


 だからたくさんの人間と話をした。

 一緒に遊んで、たまに喧嘩して、恋愛相談に乗ったこともあったっけ。


 大切で大好きだから。

 辛そうな顔は見たくなくて、悲しんでいたら助けになりたかった。


 最初は、転んだ子供の擦りむいた膝を治すくらいのこと。

 泣き顔が笑顔に変わる瞬間が嬉しかった。


 そのうち、重い病気にかかってしまった人の恋人や家族が俺のところに来るようになった。

 自分の大切な人を助けてほしいと、何なら自分の命と引き換えでも構わないと、必死に頭を下げる姿が切なくて病を治した。


 だけどそんなことを繰り返すうちに、人は少しずつ、おかしくなってしまった。

 絶対的な救いは真っ直ぐに生きる力と思考を奪い、恒常化した奇跡は人間同士の争いを生んだ。


 だから神竜は人を癒してはいけない。救っちゃいけないんだ。


 ざぁざぁと鳴り響く雨音がノイズのように思考を揺らす。

 過去の景色と、今の景色が、重なり合って視界に滲んだ。


 こちらに飛んでくる夕焼け草。

 崖の向こうに消えていくディーの体。


 脳裏に浮かぶ、マルルの笑顔。


 神竜は。

 神竜は。

 …………神竜は。


「~~っあーもう!」


 “太陽の竜”は、


 生きる者を導く存在。


 遠い昔を生きた彼らが、どういう思いで俺のことをそう言い伝えたのかは分からない。

 けれど救う者ではなく、奇跡を起こす者でもなく、懸命に生きようとする人間の道を、そっと照らしてくれる者なのだと。


 ―― それが太陽の竜だと、弱くて脆くて大好きな彼らが言ってくれるなら。


「ここでぐずぐず考えてちゃ、太陽の名がすたるっての!!」


 俺の声に呼応するように、空気が渦を巻く。

 重苦しい周囲の雨粒を散らして光を放った体が、金色の竜体へと変わり空に浮かんだ。


 そして、一気に崖下へ急降下する。

 荒れ狂う川に落ちる寸前だったディーの傍で身を反転させ、周囲にシャボン玉のような薄い膜を張った。


 その中でディーの体がふわりと浮かんで、止まる。

 気を失っているが怪我などはしていないようだ。それを確認して安堵の息をつきながら頭上を仰ぐ。


 真っ黒だった曇天が、少し明るい灰色に変わってきていた。この分なら朝には雨も止むだろう。

 自分とディーの周りだけ雨風を弾きながら、崖の上で同じように宙に浮かべておいた夕暮れ草を呼び寄せる。


「月のにバレたらまた怒られそうだなぁ」


 人に関わっては時折へこんで帰ってくる俺をなんのかんのと心配してくれている片割れを思い浮かべて苦笑した。


 俺だって同じことを繰り返すつもりは無い。

 “神竜”は多分これからも、人間を癒し救うことはしないだろう。


 だけど目の前の弱くて脆い生き物が倒れそうなときには、ほんの少しだけ支えよう。暗闇に立ちすくむなら、一歩先だけ道を照らそう。


「だって俺は、――――“太陽の竜”だからな」


 喉を鳴らすように小さく笑って、俺はその夕暮れ草を、ディーの手にしっかりと握らせてやった。



 そのあとは村の近くまで飛んでから人間体に戻り、ディーを背負って緑のの家まで帰った。


 俺の気配を察知していたらしい緑のが、扉を開けるや否や半泣きで飛びついてきて、揃って後ろに倒れ込みディーを下敷きにするという事態は発生したものの、

 夕暮れ草はちゃんと緑のの手に渡り、完成した毒消しはマルルの元に渡った。


 夜明けごろには段々と熱が下がり始め、あとは一日ゆっくり休めば大丈夫、と緑のの太鼓判を貰うと、ずっと心配し通しだったララが安堵で泣きながら座り込んだのを見て、俺と緑のは顔を見合わせて笑いあった。


 ちなみに俺達が下敷きにした際に意識を取り戻したディーは現在、居間の机で緑のに淹れてもらった薬草茶を飲んでいる。

 寝室から出てきた俺にマルルの容体を尋ねてきたので問題ないと伝えると、ほっとしたように表情を緩めていた。


「あ、そういえばディーはどこかぶつけたとか、痛いところあるか?」


「お前らに潰されたとき ぶつけた後頭部が痛い」


「ごめん」


 それはもう謝るしかない。


「……まぁ、よく覚えてねーけど、崖から落ちかけたってわりには何もねぇよ」


「そっか。良かった」


 崖が崩れて体が投げ出された後のことは覚えてないというディーに、落ちる直前、運良く俺の手が届いて引き上げられたのだと若干苦しい言い訳をしておいたのだが、さほど疑問に思われていないようでそれもよかった。


 窓の外にはまだ風が残るが雨は上がり、朝焼けが浮かんでいる。

 ディーの差し向かいの椅子に腰を下ろしながら、俺はふと思い立って口を開いた。


「なぁ、なんでそんなにミリィが好きなんだ?」


 ちょうどお茶を飲もうとしていた相手からゴフッという音が響く。


「はぁ!? す、すきって、おおお、おま、なんでそれ」


 顔を真っ赤にしたディーが寝室のほうを気にしながら、器用に声を潜めつつ怒鳴った。心配せずとも向こうに届く前に音を散らしているので俺達以外には聞こえないのだが、そんなことがディーに分かるはずもない。

 ていうか「なんでそれ」って何だ。まさか気付かれてないとでも思ったのか。


 しどろもどろになったディーの返答を黙ったまま待っていると、やがて彼は赤い顔のまま、自分を落ち着けるように息をついて話し始めた。


「……んなもん、理由なんか分かんねーよ。気付いたら好きだったんだ」


 賑やかで、よく笑うやつだと思った。

 ちょこまかと動き回る姿を何となく目で追うようになって、そのうちミリィが楽しそうだと嬉しくなるようになって、泣きそうな顔してたら何とかしてやりたいと思うようになった。


 そんなことをつっかえながら話す少年を見ているうちに、俺は奇妙なデジャブを感じて笑い出しそうになっていた。

 ディーは、異世界の友人とよく似ている。あっちは見るからに両想いだったけど、こっちはどうだろうか。相手が緑のだしなぁ。


 ひとしきり話し終えた後、俺相手に語ってしまった恥ずかしさに打ちのめされて机に突っ伏したディーに、今度こそ声を上げて笑ったら思いきり睨まれた。

 でも何と言うか、適当に流したっていいのに真剣に答えてしまうあたりが何ともお前だ。


 遥か昔に恋愛相談されたときに全く役に立たないと評された俺なので、特にしてやれるアドバイスはないのだが、あえて言うなら、ひとつだけ。


「せいぜい悔いなく生きろよ。人の一生は短いぞ」


 過去、人間に恋して自らも人になった竜もいないではなかったし、可能性はまったくの零じゃない。

 まぁ緑のの恋愛観は人間の三歳児未満だから、色々と苦労するだろうけど。


「……大して歳変わらないくせに、ジジイみたいなこと言いやがって」


「ジ、ジジイはないだろ」


 いや、あってるけど。年齢的にはもはや化石と呼んでいい領域だけど。


 ディーは俺を横目で見て 照れ隠しのように頭をかきながら、そんなこと言われるまでもないと、ほんの少しだけ強気な顔で笑みを浮かべたのだった。



 その日の昼過ぎにマルルが目覚め、本人はすっかり元気そうになったものの、念のためともう一日 緑のの家で療養することになった。


 俺はマルルが目を覚ましたのを確認したら村を発とうと思っていたのだが、夕暮れ草を探しに行ってくれたお礼をしたいからとララに引き留められ……というかその前に「もう一日!」という緑のと、「一緒に遊びたい!」というマルルに捕まったので、あと一日だけ滞在することにした。


 そしてマルルの枕元で童話テイストにした異世界 旅行話をして盛り上がったり、ララと緑のが作ってくれた美味しい昼ご飯を、帰りそびれたらしいディーと堪能したりしているうちに、夕方には通れるようになった橋を渡って隣村から男衆が帰ってきた。


 そのときララの旦那さんにも会ったのだが、なんというか、こう、控えめに言っても熊みたいな人だった。まき割り用の斧を持った彼の前に竜体のままで立ったら、尻尾の一本も切り落とされそうな……いや、人間の道具で斬れるような鱗ではないが、イメージだ。


 あと気付いたら、俺が故郷を失った薬師一族の生き残り(ミリィの幼馴染)で、生き別れになった弟妹たちを探して旅をしていて、昨夜マルルを治す薬草をディーと共に体を張って探しに行った、という情報が村人全員に浸透していた。

 小さい村だから余計にそうなのかもしれないけど村人ネットワークすごい。もはやこわい。


 そこからディーと俺の勇姿を讃えて、という名目で緑のの店を中心にした宴会に突入してしまったのだが、夜にはほとんど全快したマルルも楽しそうに参加していたので良かったのだろう。


 俺の膝に乗ったまま眠ってしまったマルルを寝室に移動させた後も大人たちは夜通し飲み続け、翌日の早朝に目を覚ますことが出来た村人は、酒の入っていないララ親子とディーだけだった。


 緑のにだけ声を掛けて出ていこうかと思ったんだけど、村の入り口まで見送りにきてくれると言うので、まだ陽の上りきっていない村の中を五人で歩いた。


 途中で何人か宴会に参加していなかったり酔い潰れた身内に呆れて帰ったりした女の人達と行き会って挨拶したのだが、全員がそのつど何故か俺に野菜を持たせてくれたので、村の入り口に着くころには荷物袋の中が野菜でいっぱいになっていた。

 みんな、もし普通の旅人が来たらもうちょっと量を手加減してあげて下さい。俺は飛んでいくから大丈夫だけど。


「ミリィ、またな」


「うん。またね」


 次に会うのは新しい竜を受け取るときか。

 そのときは数日 村を空けることになってしまうと思うのだが、どうかディーにはすぐに帰ってくると伝えてから来てほしいと思った。「やっぱりあいつミリィ連れていきやがった」なんてせっかく瓦解した氷山を再構築されるのは一応避けたい。


「みんなも色々お世話になりました」


「あらあらそんな、こちらこそ。マルルを助けてくれて本当にありがとう、シン君」


「キラキラにーちゃ! あいがとー!」


 俺を見上げてにこにこと笑うマルルの頭を撫でてから、ララ達に頭を下げて、「それじゃあ」と身をひるがえす。


「おい」


 そこに掛かった声に後ろを振り返ると、眉間に皺を寄せたディーがこちらを見ていた。


「帰るところがないなら、お前もうちの村にいたっていいんだぞ」


 向けられた言葉に寸の間 目を丸くする。なんというか、本当に面倒見のいい奴だ。


「ありがとう。でも大丈夫だよ。なんたってこの地面の、空の繋がる場所ぜんぶ、俺の故郷だからな!」


「なんだ、それ」


 ディーは訳が分からないとばかりに顔を顰めていたけど、そう言って両腕を広げた俺が強がりでも何でもなく笑っているのを見て、彼もまた表情を緩めた。


「まぁ次来たときは、もう少しちゃんと案内してやるよ」


「ああ、森の中を?」


「…………森は当分いい」


 暴風豪雨の強行軍を思い出したのか疲れた顔で溜息をついたディーにまた少し笑って、今度こそ村に背を向けた。

 後ろから響いてくるマルルの「またね」という声に手を上げて答える。


 そして彼らの声も姿も届かないところまで歩いたところで、間もなく昇りきろうかという太陽の光に紛れる形で、竜体になって翼を広げた。


 さて次は、誰のところへ行こうか。

 ここから一番近い弟妹の気配を探りながら、俺は朝焼けの中を飛んだ。



***



 もう人影はとっくに見えないのに、ミリィがまだ手を降っている。

 その背中を後ろから見つめながら、ディーは隣で同じように手を振るマルルに声を掛けた。


「なぁマルル」


「んーん?」


 丸い瞳がこちらを見上げたのが分かったが、そのままゆっくりと天を仰いだ。

 雲ひとつない空には昇りきった太陽が大きく輝き、世界を照らしている。


「オレも見たかも。……キラキラ」


 その眩しさに目を細めて、ディーは小さく笑った。

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